2014年12月18日木曜日

勝手にAstor Piazzolla祭り始めましたw!

仕事場のテーブルの片隅にここ数か月間放置されたままのCD3枚組セットがあり、ここに運ばれてくる前までは、自宅の書庫の片隅に10数年間忘れ去られていた。

 

どういった経緯でPiazzollaを知り得たの全く記憶にないのだが、彼がバンドネオン奏者であり、タンゴを越えて20世紀でも屈指の音楽家であったことは何となく知っていた。私の30代は音楽鑑賞の食指が止まった頃で、どこかのCDショップで何気なく手を出したような気がする。彼についての予備知識は、「Libertango」のメロディーとその作曲者であるという程度であったのだろうと思う。Piazzollaがどういった音楽を築き上げたのか知る由もなかった。

 


そもそもアルゼンチンタンゴとコンチネンタルタンゴの違いも定かでなく、多分若い頃に夜中聴いていたFM番組「ジェットストリーム」で時折流れてくるコンチネンタルタンゴの曲:それは恐らくアルフレッド・ハウゼ・オーケストラ演奏によるものだったのだろう、をタンゴとして理解していたのだろうと思う。

 

ああ、思い出した。丁度その頃(というのは30代半ばの頃)、何か新しいジャンルの音楽を聴きたくて、タンゴに手を出してみようと何気なく思ったのであった。そのタンゴもコンチネンタル系で、「Blue tango」をイメージしてスタッカートのリズムに美しいストリングが絡む穏やかで明るいモノを聴いてみるか、ということになったのだった。

 

とは言っても、どれに手を出してよいか分からず、その頃は有名曲も知らず、手あたり次第というわけにもいかず、演奏者の名前と云えばPiazzollaくらいだったので、この3枚セットを見つけて購入したのだった。

 

しかし、自宅に戻り一通り聞くことも出来ずに、敢無くドロップアウトしてしまった(笑)。その時のイメージは、“暗い、寒々しい、怪しげな情熱”なるものを感じてしまい(笑)、どうも受け付けることが出来なかった。基本的に暗い音楽は苦手なのであり、彼の音楽に何か屈折した暗い情熱なるものを感じてしまって、とてもとても手を出すことはできないなと思ったのであった。

 

そして、この3枚は10数年間も我が書棚で眠ることになったのであったが、3か月くらい前に自分の音楽CDを整理してI-Podに取り組む作業をした際に、久しぶりに手に取ったのであった。それでも結局このCD達は、自宅→ 職場に場所を移しただけで、しばらくそのまま放置されたのであった。

“それでは余りにも失礼である!”ここしばらくの忙しさがひと段落ついた先週末から意を決して、Piazzollaに取り組もうではないか、と一念発起し、これらのCDI-Podに取り込んで、時間が余った時に聴くことにした。

 

しかし……….、やっぱり暗いなあ(スミマセン、ボクの偏見です)。どうも録音の影響か、バンドネオンがキンキンとなって電子楽器を聴いているみたいだ。

 

でも、聴き込んでいくうちに次第にカッコよく思えてきた。ジャズ的な要素、クラシック音楽のようなアレンジが織り交ざっている。これはタンゴとして捉えるよりも、現代音楽なのだと思い定めると理解しやすい。南米の音楽とアメリカの音楽とヨーロッパの音楽をブレンドして構築されたPiazzollaによる音楽なんだと捉えたら、視界が開けたような気がして、無理なく心に沁みて来た。特に代表曲の# Adios Nonino, # Oblivion, # Libertangoなど、誠にカッコよろし。

 

どうも、ひとつの音楽を理解するのに(というか、受け入れられるのに)、こうも時間がかかってしまうのは、ボクにはよくあることなのだが、それにしても感性の鈍い野郎だなと己の鈍さに呆れてしまう。

 

しばらくAstor Piazzollaに嵌ってCDを集めてみるのも良いかと思えた次第である。

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