2017年5月31日水曜日

そしてボクらは坂道を目指す


私の周りには、イチロウを除いてふたり自転車好きのオトコがいる。



ひとりはAさん、70数歳の方で、近頃公職を退かれ、恐らくは悠々自適の生活をしておられるようだ。時々夕方になると、私たちの職場の玄関先に自転車を停められて、花壇の縁に腰かけて休息を取られている姿を見かける。黙ってその前を素通りするわけにも行かず、挨拶をすると、満面の笑顔で応じられる。




彼曰く、天気の良い日は夕方3時間かけて自転車に乗っているのだそうだ。時折、団体や県人会などに呼ばれて、全国各所に出かけるそうだが、現地で時間を作って、レンタルサイクルで辺りをサイクリングした話をしてくださることが多い。「毎回、行き当たりばったりの旅程なんだ」という彼の彼の語りから察するに、基本的に放浪することがお好きなご様子で、私なりに好感を抱くことが多い。



そのAさんがある日私に自慢することがあって、彼のGiantのカーボンフレームの車体にギアを電動に交換したことで、「ギアレバーのタッチは軽いし、反応はクイックで気持ち良くギアが入ってくれるので楽ですわ」とのこと。しきりに試してみろと勧めるので、言われるままに自転車に乗らせて貰ってみるとなるほど彼の言われるままの印象なので、ちょっと感心してしまった。私が「良いですね」と述べて自転車をお返しすると、益々嬉しそうな表情を作り、「いやあ、女房に言っても分からないから、黙ってへそくりで買ったんですよ」と私が聴きもしないことを話された。



この「女房に言ってもわからないから…..」、お小遣いで或いはヘソクリで何か買ってしまうのは、私にも身に覚えがありw、深く深くAさんに共感してしまったのであった。



そして話題がひと段落着いたところで、Aさんは立ち上がって自転車に跨ったのであったが、別れ際に「マサキ君も、電動ギアに変えんさい。坂道が随分楽になるよ」と言い残し去ったのであった。



「坂道が楽になる」と言われて、“うむむ”とつい真剣に考え込んでしまったのであった。



二人目は、B君。私の職場に出入りする営業マンで、年頃は20代後半。なんでも大学時代は東京六大学野球部に所属し、レギュラーにはなれなかったけれどベンチ入りはしていたというスポーツマン。学生時代は、本格的に華やかなところの第1線で運動していたヒトであり、私の狭い交際サークルの中でこんなスターはいない。今も、軽く日に焼けて精悍な顔つきと引き締まった所謂細マッチョで好青年である。彼とは時々仕事以外の雑談をするのであるが、彼はオフの日には、トライアスロン、トレッキングラン、ロードバイクと運動をコンスタントにしているとの事であった。私が感心して、「偉いねえ」などというと、照れ笑いをしながら、「いや~、自分の限界を試したいだけなんすよ」と返事し、如何にもスポーツ好青年そのまま様子で、好ましく思っていた。



先日も、仕事の話がひと段落したところで雑談に入り、お互いの運動について話が及んだところ、彼曰く「実はっすねえ、先週石見グランドフォンドの200㎞コースに出て来たんです」「初めて出たので、連れのヒトに引っ張ってもらったんですけど、流石に三瓶山への上りルートはきつかったですねえ……。」等と言うではないか。



“ああ、200㎞コースこなしてきたの。こっちは去年140㎞ミドルコースを、途中遭難/迷子になりつつ、やっとの思いでフィニッシュし、散々の出来だったのに”“この若い奴、200㎞、しかも三瓶山まで上がってきたのか……。やられました。トホホ…..。”



事の次第を彼に説明し、敗北感を感じてしまったと笑いながら伝えると、「まあまあ、マサキさん、僕の場合もタマタマ乗り越えられただけですから」と満面の笑みで慰めてくれている。この辺り、言語外の微妙な感情のやりとりが流れているんだけれど、まあしょうがないかw。元々、バリバリの運動選手で現在も運動を続けている20代のオトコには、腹が少々出てきて血圧が気になりだした下り坂の50オトコがどんなにもがいても叶う筈もあるまい。そこは素直に受け入れないとなw




別れ際に、私が「Bさん、極楽寺山は上ったか?」と問うと、彼「いやあ、まだなんです。」「今度試してみます」なんて殊勝な事いうものだから、つい「じゃあ一度試してみてごらん。ただなあ、猛者が沢山いるから気を付けるんだよ。うふふ」など、芝居がかったことを言ってしまったw。



このおふたりに関わらず、自転車乗りって何時しか或は必然的に、登り坂を意識しはじめるようだ。そうなんだよ、そこに坂道があればチャレンジしたくなる、それぞれのペースで。そしてB君じゃないけど、己の限界・己自身と対話しているんだわ。大げさな事を言ってしまえば、逆境をどのように乗り越えるかということで、そのヒトの人となり・人生観が坂道越えに投影されてしまうんだよな。

少々の傾斜度の低い上り坂であれば、果敢に攻めていきたいし、傾斜のキツイ坂であれば、ただひたすら黙々と上っていきたい。うん、そうありたい(独り納得w)


そこに坂道があれば、ボクらはまたその坂道を目指すのである。

(おわり)


2017年5月30日火曜日

新しい愛車を愛でる。


白木街道をそれなりに気持ち良く走行した23日後、走行中に感じた後輪から生じていると思われる振動の原因を突き止めるべく、翌週始めのある夕方仕事が終わった後、愛車を自転車台に乗せて後輪を調べてみた。



後輪を廻して暫くして分かったのだが、どうも回転が歪であり、よく見ると後輪が左右に蛇行するように歪な膨らみ方をしている。後輪を廻しながらタイヤの表面を指で触れてみると、振動と同じリズム(タタン、タタン)という感じで抵抗感を感じる箇所あり。タイヤから振動が生じているのを確信し、自分でタイヤを取り外して確認する作業に取り掛かる。



今まで、幸いにもパンクを経験したことがなく、自分でタイヤをフレームから取り外す作業は初めてであった。You tubeでどちらかの方のレクチャービデオを見て、イチロウに以前指導を受けたコツを想い出しながら取り掛かった。取り外しは無理なく出来た。




チューブにもタイヤの裏面にも、自分では特に損傷部位を確認出来ず、再びタイヤの取り付けに掛かる。ロゴとチューブバルブの位置を合わせるのを忘れて取り付けたのを再びやり換える手間をかけたが、何とか独りでやり遂せた。エカッタw!これでパンクに遭遇しても自分で何とかできそうである。



しかし、問題は解決したわけではなくて、結局イチロウと相談して、スポーツサイクル・ウエキに持ち込んで見て貰った。やはりタイヤの異常なふくらみが原因で、タイヤを外してもらうと、異常な膨らみの裏生地が幾重にも亀裂が生じていた。おやっさんの計らいで、まだ交換して日が浅く走行距離も然程ではないとのことで無償交換してもらった。めでたしめでたし。



週が更にもうひとつ開けて、昨日月曜日に夕方仕事に一区切りつけた後、タイヤ交換後の試運転をすべく、イチロウと共に一時間程度自転車走行をする。乗り味を暫く確認したところ、振動は全く生じず、滑らかにタイヤが路面を捉えていることを実感。改めてアルミフレームとカーボンフレームの違いを認識する。路面からの振動を抑えてくれて走りやすい。また25㎜幅のタイヤがしっかりと吸い付くように路面を捉えてくれているのが分かる。夕方の海沿いの道は、向かい風が吹いていたが、少々の風であれば苦にならない。ペダルを廻して発生した駆動力をそのまま路面に伝わってグングンと加速を得ることが出来た。



初めてロードバイクを購入しようとした時に、イチロウが「カーボンフレームが良いよ」と助言してくれていたのだが、価格の問題とここまで自転車に乗り続けるとは想像できず、いつかは大きなゴミに終わってしまうのではないかと決めつけていたので、その時には結局入門編としてアルミフレームの自転車を購入してしまった。これならやはり最初からカーボンフレームにしておけば良かったと思う一方で、やはり勉強のための必要な初期投資だったようにも思える。



その夕方走ったコースは、海岸沿いの道を約23㎞、所要時間55分、平均速度26㎞強、最高速度46/hrであった(同伴したイチロウのサイクルアプリによる計測)。途中3か所、距離にしてそれぞれ500m1000m程度のなだらかな上り坂があった。以前に何度も走った坂であるので、どの程度の勾配・カーブになっているかは織り込み済み。なるべくギアを変えずに全速力で駆けあがるように走行、途中で息が切れを生じるが、この挑戦は気力と脚力を鍛えるのに良さそうであった。一緒に走ったイチロウも、「苦しい~」と言いながらも笑っている。



後半は、フラットな道程で何度か全開でペダルを廻してみる。上記したように、接地性が安定しており安心してペダルを踏み込むことが出来て、感覚的にはペダルの踏み込みに対しての反応が良く思うように加速してくれる。“自転車にも人馬一体感が得られるんだ”と感動する。



「フレーム変えて良かった」と自己満足に浸りながら、走行を終えた。



(終わり)

白木街道を往く2017


イチロウと雑談している時に、「今度どこに行こうか?」という話題になり、白木街道を上って三次に至り、ワニ料理を食べようということになった。




昨年白木街道をバイクで走った時は、確か風にやられて登り坂で参ってしまうなどあんまり良い記憶が残っていなかったのだけれど、だからこそもう一度チャレンジして征服感を得たいものだと思っていた。何せ、もうヘタレキャラは返上するのだもんね。



514日、午前6時前に起床し、パンとコーヒー牛乳で軽い朝食を済ませ610分頃自宅を出発。



ああ、そうだった。この度から、愛車は一部新しくなった。今までのCinelliのアルミフレームをカーボンフレーム/ superstarにして、タイヤを25㎜と太めのものに交換、その他のパーツは以前のものをそのまま流用し、新車とは呼べないけれど、まあ新しい乗り味の自転車になった。試し乗りしてみると、路面への接地感が抜群に安定して走りやすく、路面からの衝撃も随分と減った印象を持てた。ロングライドでの体への負担感も随分と減る筈で、この度の白木街道ライドでその辺り確かめられるだろうと大変に楽しみにしていた。



イチロウとは、彼の自宅付近のコンビに午前7時に待ち合わせとしたのだけれど、ひとつ長い坂を上って下って待ち合わせ場所に午前650分に着いた時には、彼は既に到着していたのには驚いた。



水とカロリーメイトを購入し出発。アストラムライン(新交通軌道)沿いを走り、太田川沿いに出る。イチロウは、比較的ハイピッチで進み、その後をしばらく離れて私が後を追う形となった。



“うむむ、やはりイチロウは早い”4月以来自分なりに練習を重ねてきて、実力は上がってきたと手ごたえを感じていたのであるが、彼との差はまだまだあるなと早くも実感。




太田川沿いに出ると、しばらく土手沿いの道を北に向かって走り途中からは支流の三篠川沿いの遊歩道・白木街道の旧道をポタリングする形で北東に向かって走る。左右の山には新緑が映え、田圃には水が張られ稲の苗が綺麗に植えられていて、目に優しかった。広島市外から数十分も自転車で走れば里山風景が広がり穏やかかな気持ちになれるのだけれど、今回はそういった旅情に浸るのが目的なのではなく、とにかく三次に到達することが目標であり、先を急ぐ必要があった。前回は、旧道を探しながら、そして登り坂での私のペースが上がらず多くの休息を取りながら走ったので、三次に達することが出来ず引き返してしまった。この度は三次に達することが大きな目標としていたので、途中から白木街道の新道をひたすら漕いで前進することにした。




午前850分頃、街道沿いのコンビニで休息を取る。店舗に自転車を持たれかけるように置いて店内に入ろうとしたら、初老の女性が近づいて来てやたらと我々を褒める。「兄さんたち格好いいね。自転車も恰好いい。何処から来たの?ああ、広島から。しまなみも走った?

ああ、そうなの。良いねえ。私も若かったら、こんなカッコいい自転車に乗って走るのにねえ」。等、上機嫌で話しかけて下さる。イチロウと私が交互に返事をして、にこやかに別れた。“カッコ良い”といわれるなんざ、滅多にないことなので素直に嬉しかったが、この先もあまり不様な格好を世間に晒さないように気を付けよう。



更に白木街道を進む。向かい風、微妙な上り勾配、途中河川を左右に掛けられた橋でのアップダウン、荒れた路面箇所、追い越してい往く自動車、“抵抗勢力”はそれぞれに現れたけれどひたすらにペダルを廻す・とにかく廻す。




往路でのポイントは2か所、町名はそれぞれチェックしていなかったけれど、太田川水系から江の川水系に変わる分水嶺となる登り坂と、白木街道が国道56号線に合流してまもなくして迎える一山越える登り坂であった。分水嶺となる登り坂は、「あれ?」と思うほどなだらかな傾斜でそれほど負担感なくクリア、もう一つの坂は、その前に川沿いの道をポタリングして下肢を休息させることが出来たので、比較的勾配はきつかったけれどそれなりにクリア。その坂を下って56号線を暫く進み、午前1020分頃に国道沿いのコンビニで休息と水分補給。気温は267℃で空気は乾燥、誠に気持ち良かったが、想像以上に汗をかいているようで、朝購入したミネラルウォーター500mlは呑みほし、炭酸飲料350mlを飲んでいたが全く尿意なし。この先こまめに水分補給を取ることを心がける。



そのコンビニから56号線を外れて、三次運動公園へ向かう市道に入る。コンビニから勾配のきつい坂を黙々と上がり、その後も23回のアップダウンを繰り返す。普段であれば、イチロウが先行する筈なのだけれど、どうもピッチが上がらず私の後を走っている。



「どうしたの?」と声をかけると、彼曰く「先ほどから、どうもね、ちょっと体調が思わしくないんだよ」「負荷かけると不整脈が出ているようなんだ」と。大丈夫か?と問うと、「まあボチボチ、様子見ながら行くわ」と返事をした。



これまではどちらかと言えば、イチロウが私の体力を気遣いながら先行してくれていたのだが、逆の立場になるのは初めてで、多少の心配をしながらアップダウンを走ったのであった。後10年もすれば、お互いにガタがきてこういうことも普通になるのかもしれないな。




午前1050分頃に兎も角も目的地であった三次市郊外にある藤田フーズさんに到着。藤田フーズさんは、ワニ料理を後世に残したいと、若いヒトにも受け入れられやすいワニバーガーなるものを編み出して、好評を博し、今ではちょっとした有名店になっている様子。



言い遅れたけれど、ワニとは鰐でありサメのこと。三次などの中国山間部ではタンパクを補うため、古くから日本海で揚ったネズミザメを食べていたそうな。因幡の白兎の神話に出てくるワニ/ サメです。今でも三次地方では、日持ちのするサメの肉を刺身で食されているらしい。




食料品販売コーナーの横に設けられた食堂で、イチロウはワニ御膳、私はワニ炙り丼、そしてワニバーガーをひとつ注文して分けることにした。ワニ炙り丼は、サメ肉を燻製にしたもの、ソテーしたものが丼の上に載せていた。サメ肉を口にすると一瞬アンモニア臭が鼻についたけれど、その身は白身の淡泊な味で食べやすかった。ワニバーガーも違和感なく食べやすかった。しまったな、サメ肉の刺身が供されるワニ御膳にしておけばよかった。これだったら是非サメ肉の刺身も試しておくべきだった。





私達よりやや遅れて、話の内容から岡山からツーリングでやって来たおじさんライダーが2人入ってきたが、彼らに向かい店主がワニ肉についてあれこれ説明している。また聞きしながら、ワニ肉を頬張っていた。



1時間ほどその店で昼食兼休息を取らしてもらって、午後12時頃再出発。国道375号を東広島市に向かってしばらく南下することにし、適当なところでその国道を右折し白木街道に戻ることにしていた。



復路は基本的に下り基調の道程となるために気は楽であったが、丘陵地、山の尾根を乗り越えるために23度坂道を上らなければならなかった。



上り坂道が前に立ちはだかれば、黙ってペダルを廻すのみ。四の五の言わないw。ピークを過ぎれば、新緑に囲まれた下り坂を風を切りながら気持ちよく駆け下りることが出来る。



イチロウは自身の体調を推し量りながら、私の後をゆっくりと付いてきた。その後、不整脈は次第に治まってきた様で体調は回復してきたようだった。



空は快晴で、空気は程よく乾燥、道路端の気温計は28℃を差していた。

甲立町付近で、白木街道に出て、そのまま広島へ向かって走った。何時しかペースは上がり、イチロウが私を引き離して行った。それで良し・一安心。私は、左右の山の新緑を楽しみながら走行。




上深川地区のコンビニで、先に達していたイチロウと合流し、小休止後、その付近から三篠川沿いの遊歩道をポタリングし広島市内に入る。祇園新道付近で、イチロウと別れて、私は太田川沿いの遊歩道を使って広島市街地に入り、帰宅したのであった。



白木街道を使って、往復約150㎞を走行。所要時間は途中休憩も含めて10時間30分弱だった。白木街道を改めて走ってみると、路面が荒れている箇所が多く、そこそこ交通車輛も多いために、走りにくいと言えば走りにくかったな。もっと走りやすい山坂道を探したほうが良さそうだ。



自転車のコンディションは、フレームとタイヤを変えると一段と乗り心地良く疲労度は格段に低くなっていた。益々、ロングライドしたくなった。ただ、途中から後輪タイヤから突き上げるような振動が発生していることに気が付いて、後半ではその振動により腰が痛くなった。これは後日また述べる。

これまではロングライドへのモチベーションとして、見知らぬ土地の景色や風物を楽しむことを優先していたのだけど、このたびは走る事そのものを楽しんでいたような気がする。

それで良いのかどうか分からないけど、うーむ、多分それで良いのだw




さて次はどの坂道を走ろうかw?

2017年5月15日月曜日

両脚が喜んで笑っている。




514日(日)、快晴、最高気温27℃。

同日午前中に家の雑用を済ませ、午後110分頃に24inchの折り畳みバイクに跨って出発。愛車のCinelliはウエキのおやっさんのところに故有預けているので、本日の御伴はGiantの折り畳みバイクとなった。



目的は、畑峠越えの個人的標準タイムを計測すること。自宅真裏の高台にある団地を通り抜け、己斐峠に繋がる県道へ自転車を進める。



その県道の沼田分れ交差点を起点とし畑峠のピークまでのタイムを計測開始。緩やかな勾配のカーブが続く上り道を上がっていく。感覚としては、ペダルを廻す割に前に進んでいない感じなのだけれど、ポタリング用の自転車だし、そうムキになる必要もないよなと想い、黙々とペダルを漕ぐことにした。



そうしていると、道標となる某病院まで思いの外順調に登坂し、その後の1㎞程度が多少厳しかったものの難無くピークに到達してしまった。




走行距離;3.9㎞、時間:2510秒、高度上昇311m、平均速度9.4/hr てな具合だったらしい。




空は快晴で湿度も低く、微風が肌に心地良かった。楽しく坂を上らせてもらいました。ご馳走様。



水を入れて、広島市立大学を目指して下って行った。木立を抜けながら冷たい空気に触れていると最高に気持ち良かった。



そのまま西風新都前の交差点まで降りてきたのだけれど、40分程度しかペダルを漕いでなかったのでこのまま帰るのが勿体なく感じた。ただ、それから24inchを持ち込んで伴~戸山を抜ける坂道を上るまでの自信もなく(愛車が戻ってからトライしたい)、しばしどうしたものかと思案した結果、アストラムラインに沿って祇園新道に向けて走るのが良いと思え、そのようにバイクを進めた。




アストラムライン沿いはなだらかなアップダウンが繰り返され、坂道と呼ぶほどではなかった。片道2車線あるが交通量もそこそこ多く、クルマの邪魔にならないように歩道を走行したいが、その歩道は狭く歩行者が並んで歩くことが出来る程度のものだった。しばらくは、歩道を走行したが、歩行者にとって自転車の通行が危険に思えたので、思い切って車道に出ることにした。長楽寺駅前後から幸いにして交通量が減ったため、思い切ってペダルを廻すことにした。両脚の調子が良く、短い上り坂でもギアを軽くすることなく上り切れるようになった。誠に気持ち良く両脚は絶好調~なんだか両脚が喜んで笑っているような感触を得て大変愉快だった。



こういう感覚は初めてであった。身体的感情は全くもって痛快の極み。今思うとひと坂超えて、ハイ状態だったのかも知れない。

それにしても車道で24inchのバイクを全力で漕いでいる姿は傍目に見て滑稽な光景だったろうな。ロードバイクがサラブレットならば、24inchのバイクはラバと云ったところだろうか。ごついオッサンがやる気満々でそのラバを全速力で駆けているような図であったろうと思う。




やがて道は、祇園新道前の交差点に差し掛かり、そこを右折して広島市街地へ向かって南下。ここは幅広な歩道が設けられていて、そこをゆっくりポタリングした。途中からは、太田川沿いの遊歩道に入って、川岸沿いを走り、横川~寺町~十日市を抜けて平和大通りに当たった。平和大通りは新緑が鮮やかで、花々が綺麗いだったので、そこで記念写真を一枚。













まさにbeautiful Sunday !




その後は、平和大通りに沿ってゆるりと西広島駅まで帰ったのであった。

全行程約2時間30分程度、40数キロ走行だった。



帰宅してしばらく休息していると、ウエキのおやっさんから電話にて朗報あり。CINELLIの整備が終わったのとの事。さて、これから刷新された愛車でどこの坂を上ろうかなw



(おわり)

2017年5月8日月曜日

極楽寺への道にて


54日、私にしては珍しく午前5時過ぎに覚醒。窓外は既に明るく雲ひとつない快晴の様子であった。家族を起こさないように気を配りつつ、布団から抜け出し、キッチンでパンとコーヒーで軽い朝食を取り、サイクルジャージに着替えて、540分頃に自転車で自宅を出た。

それにしても普段早起きできない奴が、自転車のためならこんなに早起きが出来て、我ながら恥ずかしい。朝6時前に起き出して家族に黙って遊びに出かけるなんざ、子ども時代にカブトムシを山に獲りに出かけて以来ではないだろうか。












宮島街道沿いの裏道を西下し廿日市市の速谷神社に到着したのが、午前620分頃。「交通の神」が祀られている神社の鳥居前で、此度のチャレンジ成功とその道程安全を祈ったところで、6時30分頃にl極楽寺山へつながる県道を登坂開始。

その日の予定は、極楽寺山を抜ける県道を進み、山沿いの道を安佐南区戸山地区~伴~西風新都~西広島バイパスまで降りてくる行程だった。


他の自転車乗りを見かけたのはお一方のみ。私が登坂する坂道を逆方向に下って行った。そのヒトは一体何時から出張ったのか?凄いおヒトは世の中にいるもんだ。自転車乗りの行動は、大概諸々の理由で朝が早いのだけれど、このヒトは既に山道を下って行ったのだから、ご自宅を出たのは何時だったのだろうか。





速谷神社から極楽寺までの道程は約9㎞。なだらかな上り坂から始まり次第に勾配がきつくなり、センターラインのない完全な山道になって、ピーク手前でつづら折りになっているとのことだった。単独登坂なので、時間を気にせずマイペースで進むことにした。幸いにして時間が早いものだから、行き交う車両も少なく交通状況へのストレスはなかった。ただし、ひたすら登り坂が続き、完全な山道が始まると勾配もきつく両脚への負担はきつく、全身から大量の汗が出てきた。ピークへの到達が待ちわびしく感じられた。

そんな時に思いだされたのが、イチロウが言っていた「苦しくなったら、道端の草花を楽しむこと」だった。そうだった、そうだった。苦しくなってつい下を向いた時に道路周辺の草木を眺めることにした。新芽・新緑が芽吹き始めた状態で大変目に優しかった。

やがてはピーク手前のつづら折りが始まり、左側を見ると、山下に廿日市市街地、その先に宮島が遠望出来た。空は青く、宮島の山々が美しく稜線を描いている。辺りには誰もいない、この景色独り占め状態で、苦しんで登坂してきた者への報酬と想い、独り満足を得る。




つづら折りの登坂道が終わり、しばらくなだらかな勾配を上がっていくとついにピークに到達。

そこからは、なだらかな下り道を降りる。しばらくすると小さな集落があり、田植えが始まっている様子だった。人影はなく周辺のあちこちからはカエルの鳴き声が聴こえてきたのだが、それが却って辺りのもの静けさを際立たせているようであり道端には名も知らぬ桜花(ソメイヨシノではない)が咲き誇り山里の定式美が認められた。このまま通り過ぎるのは勿体なく思え、自転車を下りて記念撮影をする。




再び自転車に乗りその集落を通り過ぎると道幅が狭くなり、うっそうとした針葉樹の林道となった。木々の間からは陽射し漏れ道横には渓流が流れてせせらぎが聴こえ、五感に優しく大変気持ちの良い区間だった 。



やがて自転車の進む道は五日市から湯来町に抜ける県道に出て、交差点を左折し暫くなだらかな上り勾配を進み、沼田分れを右折し安佐南区戸山地区に向かった。





戸山地区は、以前イチロウやジロウと走ったことがある地域でなだらかな谷間に美田が広がる山里である。この地区でも田植えが始まる頃の筈で再びその景色を眺めることを楽しみにしていた。



沼田分れから戸山地区に向かう登り坂はなだらかで、先ほどの極楽寺山の登坂道に比べると身体的な負荷は気にならなかった。然程苦しむこともなく上り、いよいよ戸山地区に入る下り坂に入る。



この辺り、舗装の路面が荒れており、車体への衝撃に少し気を配る必要があった。左右の田圃は、まだ田植え前で水が張られた状態ではなかったが、それでも谷間の集落の景色は美しく、私の目を楽しませてくれた。やはりこの地区を通って良かった思う。




しばらくそのまま下り、伴地区~西風新都へ続く道との三叉路で自転車を下りて小休止して記念写真を一枚。田植えがひと段落したころに再訪したいと心に記す。



戸山地区から伴地区に抜ける道は、やや急な勾配を持つ峠道。数年前にイチロウ、ジロウと走行した記憶があったのだが、この度は逆方向に登坂した。こんなに勾配がきつく長かったかなと己の記憶の曖昧さを呪いつつ、歯を食いしばって登坂した。そうだった前回逆方向から登坂した時に「クルマの上がれる坂道だったら、自転車でも上がれるね。」等と能天気な感想を漏らしたっけ。極楽寺山の山坂道比べたら勾配はきついけれど距離は短いはず、黙々とペダルを回せばそのうちにピークに届くだろう。そのとおりだった。疲れを感じていた両脚にはかなり応えたが、立ち往生することなく登坂出来た。



ついに本日のすべての目的とする峠道チャレンジは終わった。三度の登坂後の下り坂では脚を休めながら空気を切りつつ下って行った。



本当に気持ちが良い。下り坂は登坂の苦しみに対する報酬だと思う。新しい午前の日差しの中で空気を切って下っていると、己が肉体を忘れて意識の塊になったような錯覚を覚える。多分登坂中の苦しみの中でアドレナリンとかドーパミンが全開に脳内を駆け巡っているのだろう、そうした状態で下り坂を降りている間に、五感が研ぎ澄まされた状態で、見るもの聞くもの肌に感じられるものに対して鋭くなっているように感じられる。周囲の環境・空気に包まれて生かされているような幸福感が湧いて高揚した気分になる。



広島市周辺は、平地が少なく山々に囲まれて自転車乗りには不向きだと思っていたけれど、逆にこの環境をポジティヴに捉えて山坂道を大いに楽しめば良いのだと思ったのであった。



(おわり)