2020年4月28日火曜日

2020年4月の私的エピソードアラカルト 


エピソード 1

4月に入り、春らしい陽気に照らされて春の草花が次々と咲き誇り、野山には新緑が映え、見る者を楽しませてくれている。例年に比べて空が青く空気が澄んでいるように感じるのは、世の中の活動が停滞している故だろうか。

20204月は、covid-19が全世界に蔓延し、各国の人々の営みや国際関係に大いなる災いをもたらしたと書き残しておかなければならぬ。感染が報告されて以来3か月も経っているのに、我が国においてはその収束の目処は未だ立たず、経済へのダメージは強まり、やがて世界大恐慌並みの大不況となるだろうと予測する者もいる。

そんな状況なものだから、能天気な事をこのブログに書く気にもなれなかったのだが、後に振り返って歴史教科書に残るであろう世界的事件が進行中の下、我がおバカ思考の断片を書き記しておくのも悪くないと考え直し、以下にこの月の私的エピソードを書き連ねておこうかと思う。



43日(金)の午後、次兄の家族と私の家族で亡父の17回忌を執り行う。東京在住の長兄は、covid-19の感染拡大に伴い帰省を自粛した。当初は、兄弟3人でお寺にお参りし、久しぶりに兄弟だけで会食でもしようと企画していたのだが、「3密を避ける事のお達しやら飲食店での感染例が問題になる中(そういえば法事の集まりで感染したケースもあった)で、私たちも会食をすることは自粛しようということになった。誠に残念である。オトコ兄弟という関係性は、年を経るにしたがって夫々の仕事や家庭の事情などにより疎遠になりがちなものだから、兄弟3人水入らずの時間を持つ機会はそうそうなく、これからもあまり持てそうにない。

父が亡くなり早くも17年が経った。時の流れは本当に早いもので、生前は色々な葛藤を感じる存在であったのが、今では懐かしく思い出される存在となった。住職の読経を聴きながらその後の17年間を振り返り、いつの間にか父が居ない事が日常になった意味を考えながら亡父への感謝を念じて焼香をした。

410日(金)午後、元同僚の3回忌に合わせて墓前にお参りする。墓所に向かう車中でガラス越しに明るい陽射しの中で満開となった沿道の桜を眺めていたら、突然軽いめまいを感じた。この感覚は、2年前の春に彼女の入院先に向かった時にも感じた感覚で、急にあの時の心境がフラッシュ・バックした。

彼女は、私にとっては同僚というよりもむしろ同志のような存在で全幅の信頼を寄せていた。その急逝による喪失感は、ちょっと言葉に出来ない。あれから2年、私の職場は色々な困難を生じて来たが、それまでであれば、真っ先に相談していたはずの相手が居なくなったのものだから、その度に途方にくれたものだった。幸いにして、他のスタッフと共になんとか態勢を立て直しながら、その都度トラブルを乗り越えて来たのだった。



そしてこの度のcovid-19の課題。どういう展開になるか今の段階では先が読めないが、最善を尽くして乗り越えようと職場の士気が維持されており、その事を大変有難く思っている。

明るい陽射し、変わりゆく花々、そしてうぐいす、雲雀、セキレイなどの野鳥のさえずりなどの春の到来は間違いなく私の心を愉しませてくれる筈なのに、現実生活にはcovid-19という目に見えぬ災いが私の心を暗くさせている。この心理的ギャップをどういう心持ちで処理すれば良いのかしばらく戸惑っていた。



“来春は、どんな気持ちでこの二人の命日を迎えることになるのだろうか?”。

こんなペースでこの疫病が蔓延を続けるとしたら、いずれ私もそう遠くない将来にこの疫病につかまってしまうのだろう。来春の花を見る前に私もこの世から居なくなってしまうことも十分にあり得る。そうか、そう思ってしまえば『この1年間も私なりに目の前の事に最善を尽くして行けば良いのだけなのだ』『この1年間を大切に生きてみようか』と思い至った。

そう心が定まれば気分も随分軽くなるような気がした。改めて生きるモチベーションを確認した次第である。



エピソード 2

4月某日 次男と電話でやり取りする

大学生活2年目を迎え、新しく通うキャンパス近くのアパートに引っ越したものの、新学期がなかなか始まらなかった。なんでも、新学期スタート直前にその街にcovid-19感染者が確認され、用心を期して新学期開始が延期になったとのこと。学生は自宅(下宿)待機となり、ランダムに安否と健康チェックのために学校に呼び出されることになったとのことだった。次男にいつその順番が回ってくるのか分からないので、下宿を離れる訳には行かなくなったとのことだった。

私が「なんだか、下宿に軟禁状態で可哀想だな」と伝えると、次男曰く「こんなことを言うと不謹慎だと思うが、結構今の生活を楽しんでいるのだ」とのこと。朝早く起床してアパート周囲を散歩。朝食を済ませて、午前中は4時間ピアノ弾き、午後は3時間程度勉強(好きな本を読んで、気になった箇所を大学ノートにメモしている)、それから1時間程度チャリ、夜はまた好きなだけ本を読んで、午後10時に就寝、なのだそうな。「オレ、今の時間を大切にしたいと思うのよ」とのこと。「大いに今の時間を楽しめ」と返答して電話を終える。



ニュースによると、この疫病による経済苦境で学費や生活費が賄えず、大学生の13人に1人が大学を辞めることを考えているとのアンケート調査結果が出たのだという。子どもたちに、そんな辛い選択をさせて良い筈がない。大人がなんとか守ってあげる方策を考えないといけない。各学校の新学期開始も遅れ、covid-19の蔓延が収束しない限り1学期どころか今年度の年間プログラム履行が不可能になるのではないか。この1年間は、学校プログラム停止の代わりに学費も全額減免にして、2020年度はそのまま翌年に持ち越しにしても良いのではないかと思ったのだが、そういう措置を取ると何か不都合が生じるのだろうか? 可能な範囲での自由登校、芸術・スポーツ、社会奉仕、高等教育であれば自由課題に取り組むのも良さそうだ。子ども達に安心して今という時間を楽しんでもらえる仕組みを考えないとね。



4月某日 長男と電話でやり取りする。

長男は、今春都内の某企業に就職した。例年であればグループ会社合同の入社式が都内のホテルを借りて行われることになっていたのであるが、この度は出社初日に新入社員が配属先の各部署に集まり、WEBで社長の挨拶と訓示を聴き、その後諸々の庶務手続きを行ったのみで、翌日からテレワーク・自宅待機となった。毎朝9時から午後630分までパソコンを前にWEBによる初期研修を受けているとの事で、それは大変苦痛であるとの事。長男は、本来であれば、仲間とやりとしながら作業を進めて行くのが好きなのであるが、この状況下では上司・先輩とも同輩の者ともコミュニケーションが限られ、新人同士で懇親会を開くことも出来ないとなれば、本人としてもさぞ不本意な事だろうと察しているが、今のところ本人からは「なんとかやっているからさ」とのみで、愚痴めいた言葉は発せられていない。

長男は、「オレ本来はオフィスファシリテート部門に行きたかったのに、何故かITマネージメントに回されて、ITなんかまったく興味ないのになあ。仕方ないから、ここにいる間に取れるだけの資格を取って、おさらばするわあ」なぞと言う内容のわりにはのんびりとした口調で話していた。その言葉の中でオフィスファシリテートが何をして、ITマネージメントがどんな業務を担うのかは、門外漢のオヤジには皆目見当が付かぬのではあったが、「ああそうか」「まあ、がんばれや」としか返答の仕様がない。


不景気が本格化しつつある中で、親にとっては子どもが無事就職出来たのは大変有難い事ではあるのだが、彼らの世代が就職してすぐに在宅勤務になり、休日も外出もままならず、友人にも思うように会えない状況はちょっと酷のような気がしないでもない。私が「休みの日ぐらい、学生時代の友達と短時間でも会えば気分転換になるのではないか?」と聴いてみると、やや口ごもりながら「やっぱりヒトと会うのは遠慮しておいた方が良いよな」と返事した。更に「GW暇だな、何しようかな?」と言ったが、私には妙案がなく「それはオレも同じなんだよ」としか答えようがなかった。

彼ら若い世代にとって、covid-19によってもたらされた災難がその心に刻まれていくのだろう。彼らは彼らなりのしなやかな思考や行動でもって乗り越えていくものと思われるが、その過程で彼らはどんな新しい文化や価値を形成していくのであろうか。そういう若い人たちの生き様をオヤジたちはこれからも静かに見守っていけたら良いなとなぞと、薬にも外にもならない他愛もないことをふと思ったりした。