2015年7月22日水曜日

瑠璃色の…時間



 
或る晩の夕食後に、突然次男が、時折指を縺れさせながらピアノを弾き始めた。この頃は、奴はほとんど家でピアノを弾かなくなっていたので、“珍しいこともあるものだ”と耳をすませて聴いていたのだが、隣で家内が云うのには、彼が所属する学校吹奏楽部の定期演奏会で、合唱を披露することになり、そのピアノ伴奏を仰せつかったのだという。何となく聴いたことのあるメロディーで、練習の合間に彼に質すと松田聖子さんが歌ってヒットした「瑠璃色の地球」なのだという。“ああ、そんな曲もあったなあ”と思ったのだが、どういう経緯でその曲が選ばれたのかと問うも、相変わらず二親に対して無口な野郎は「わからん」と応じたのだが、こちらの何か言いたげな気配を察してか、「今年は趣向を変えて、オープニングからいきなりこの曲の合唱をするのだ」と続けた。

 “へー、そうなのか。そりゃあ大役を仰せつかったものだ”と思う。

 「それにしても本番を間近に控えて、そんなに弾けなくて大丈夫なのか」と問うと、奴曰く「大丈夫だ」という。「何せ、ホールのピアノはスタインウェイだから弾きやすいのだ」と余裕を見せて笑っている。それはまったく「大丈夫だ」の根拠になっていない気がしたのだが、それ以上は突込みを入れずフーンと応じておいた。
 
 

 その週末・日曜日(正確には次の日・月曜日も)に次男の所属する吹奏楽部の定期演奏会の本番となり、家内と共に観覧する。その演奏会は、市の中心部にあるホールで毎年開かれ、今回のチケットを見ると23回目となっていた。例年会場ホールの観客席はほぼ満員となり、座席指定ではないので、到着順に席が埋まることになる。家内に「良い席を取ろう」と促され開場3時間前からホールロビーに並ぶこととする。私たちが到着した頃には、既に他の部員の父兄30数人が列に並んでいて、私たちが着いた後も次々と部員の両親や縁者と思われるヒト達、他校の吹奏楽部員と思しき生徒さんたちが続々と集まってきていた。家内は、顔見知りのお母さん方が見えると次々に「あら~」と声を出し、おしゃべりを始めて楽しそうに過ごしているのだが、私としては全くの手持無沙汰であり、携帯していた単行本を読んだり居眠りをするなどして時間を潰して過ごそうと思っていた。それでも、隣の家内が、普段より親しく付き合わせてもらっている他の親御さんたちに挨拶をすれば、こちら同伴者としても、ぼさーっとしている訳にもいかず、つい愛想笑いなどを浮かべて、「こんにちは」と会釈をせざるを得なくなる。そんな事をしていたら、結局は携帯した単行本はあまり読めず、暇なのだが落ち着かない待ち時間となった。それなりに時間は過ぎて開場時刻となり、事前に夫婦で意図していた1階中央からやや左側の座席を無事に確保すことが出来た。

 
次男はクラリネットパートの一員であり、吹奏楽では座席からステージに向かって左側に配置されることが多いので、中央やや左側の席が本人を視認しやすい。開演までの余った時間を使い、配られたパンフレットに目を通す。次男が言っていたように、演目は「瑠璃色の地球」の合唱で始まり、毎年8月に開催される吹奏楽コンクールの課題曲や自由曲、そしてクラシック曲などが並べられた第1部とポピュラー曲・ジャズスタンダード曲、映画音楽を集めた第2部で構成されたものとなっていた。ホールは、開演時間が近づくにつれて次第に座席が埋まり、開演直前にはほぼ満席状態となっていた。ご年配の方から他の学校の中高生・小学生に至るまで幅広い年代の者が集まっている。地元の吹奏楽好きの方々の間では、それなりに人気のあるコンサートとして認識されているようであった。

 
やがて開演となり、会場内が暗転し緞帳が静かに上がった。スモークが焚かれて背後の壁にはスライドで地球の写真が掲げられている。吹奏楽部員達が楽器も持たず立って正面を向いている。ピアノ伴奏が始まり、ハミングの後「夜明けの来ない夜はないさ、あなたがポツリ云う……..。朝日が水平線から光の矢を放ち…….(大体こんな感じだったかな・笑)」といった歌詞で合唱が始まる。男性3部合唱(男子校なので)。じっくり聞こうにも、伴奏(次男が弾く)が気になって集中できず(笑)。後半の盛り上がるパートで和音の連打部分があり、練習ではいつもトチルところなのだけれど、本番では上手く誤魔化しやがったw。聴いている親としては薄らと背中に汗をかく(笑)。ただ、次男の伴奏は横に置いておくが、合唱用に編曲されたこの「瑠璃色の地球」という曲はなかなか良い感じであった。松田聖子さんがヒットさせた頃、私は20代前半だったか。そもそもアイドル歌手に興味なく過ごしていたので、これまでにまともに聴いたこともなかったのだが、改めに聴いてみると誠に良いメロディーである。そして、彼らは合唱部ではないので大変上手とまでは言えないが、それでも10代のオトコどもがハモりながら一生懸命に歌っている演奏というのはなかなか聴きごたえがあって、素直に感動して目頭が熱くなってしまった。それにしても若い頃には、合唱なんぞ全く感動することなんてなかったのに、この頃良いメロディーを持つ合唱を聴いていると恥ずかしながら素直に感動してしまうことが増えた。齢を取ったのだなと思う。

 
その後も、良い演奏曲構成になっていて、どの演奏曲にも吹奏楽部生徒さんたちのひたむきさやエネルギーが伝わって来て良い演奏会だったと思う。

 
演奏会が終わり家路をたどる道すがら、夫婦で話すに、今年の演奏会は例年になく力が入っていて良い演奏会だったなと。次男は今年高校2年生になったので、こうやって子どもの演奏を楽しめるのも後1回限りだなと。そう思うと、少し寂しいね、と。よく中年夫婦にありがちな会話をした。

 
振り返ってみるに、子どもが楽器を習ってくれたおかげで、色々な子どもの発表行事を楽しみながら過ごすことが出来た。それまでは知らなかったクラシック曲や吹奏楽曲、そして「瑠璃色の地球」のよう優れた日本の歌謡曲・流行歌を再認識することが出来た。Mother’s mother is a childという言葉があるらしいけれど、全くその通りだと思う。子どものおかげで、色々な経験や知識を増やすことが出来たと思う。そう云う意味では、絶対本人には言わないがw、「有難う」と言いたい。

 
その日の夜、夜9時過ぎに帰宅した次男は、「疲れた」と言ってリビングに敷いてあるマットに寝そべりながら何やらスマホをいじくっていた。どうも部活の仲間や他校の吹奏楽部の生徒とLineでやり取りをしているらしく、親のいう感想や質問を適当に受け流して、専ら仲間とのSNSを介した会話に夢中になっているようだった。「う、うん」としか応じず愛想はなく全く可愛げのない奴であるが(笑)、何時の間にか別の世界を作って仲間との繋がりが第一優先、親の事などは二の次三の次なったようだ。

“ふーん、17年も経つとこんな風になるんだ、親の知らない世界を造っていくんだな”と身に覚えのある当たり前の事にちょっとした感動を覚えながら眺めていると、隣で「この○○子って、誰?」と家内が鋭い声を発している。何事かと思えば、その日の演奏会に次男宛の差し入れが数個届いた中に聞き覚えのない女性(女の子?)の名前の記されたお菓子がひとつあったらしい。次男、「別に…。知り合いだよ。」と動じることもなく応じている。私は、ニヤニヤして二人のやり取りを聴いていたのであるが、男親としては“母親って、どうしてそっとしておけば良いことまで突込みをいれるのか?”と可笑しくなった。



 さて、その日から数日経って何時もの毎日に戻ったのだが、妙にあの「瑠璃色の地球」の合唱が脳裏に残り耳から離れなくなった。You tubeで検索してみると、合唱曲バージョンが複数upされていた。どの演奏も聴きごたえがあったのだが、合唱関係者の間でも曲としてもなかなか人気のある演奏曲目のようであった。

 ついその事を家内に知らせてやろうとlineで伝えて、その後数回のやり取りをしたのだが、会話の最後になって、「20年間ありがとう」と記されていた。

 “?”

 しまった、すっかり失念していたが、どうもその日は、20回目の結婚記念日だったらしい。普段より記念日誕生日を気にする風でもなかったので、こちらとしても全く無防備で不意打ちを食らったかたちとなり、適当な言葉が出て来なかった。「こちらこそありがとう」と言葉の上では、サラリと返事したのだが、その後で独りで暫くぼんやりと考えてしまうことがあった。

 
子育てがそろそろ終わりかけている「動物のツガイ」は、その役目が終わると、「ツガイ」として一体何をして過ごせば良いのか?。大抵の動物であればしばらくして寿命が尽きてしまうのだろうけれど、人間の場合平均的寿命を考えると後30年もある。さてどうしたものか…..

 
「瑠璃色の地球」の中での“私”は、「あなたがそこ居たから生きて来られた」と謳い、そして最後に「私たちの星を守りたい」などと謳い終わっている。

 
“そうか、これからは夫婦関係・親子関係という身近で俗っぽい視点から転じて、地球のこと、人類の事、そして環境を守ることに発想を転換していけば良いのか”等と、これからの己の役割ついておバカにも無理矢理こじつけようとしたのだが、“そんなのおいらのガラじゃないし”と我に返り、独り笑ってみた。

 
それにしても、他人様と20年も良くも一緒に付き合って来られたものだと思う。人付き合いがどちらかと云えば苦手であった私が、他人様とこうして20年も付き合えるなんて、我ながら凄いじゃん、夫婦って凄い関係じゃないか!と独りで感動を盛り上げようと思ったのだが、そこまで思ったところで、ふと横を見ると、途中数年のブランクはあったものの35年以上の間、ほぼ毎日のように顔を合わせているオノコがここいることに気が付いて、また独りで笑ってしまった。


 おしまい

2015年7月12日日曜日

惚れた者の弱みでして......更に嵌ってしまうのこと

梅雨前線は、いつの間にか太平洋高気圧の張り出しの影響を受け、日本列島南東の太平洋上に移動したようで、その隙間に台風からの湿った空気が侵入してきて、ここ2-3日は気温がいきなり30℃を越える蒸し暑い日々がやって来た。夏本番までもう少しという気配で、夏大好きオトコにとっては意味もなくうきうきとした気分である。

 

その後も、「独りJobim祭り」を継続し、夜な夜な独りで楽しい時間を過ごしている。

この度の「Jobim祭り」の目的のひとつに、「Matita Pere(1973)を聴くというものがあり、インターネット通販サイトでポチって取り寄せようとしたが、大手2社には在庫がなく、メーカーに発注をすることになったのであった。ただ、これまでの経験で多分手元にはいつまで経っても届かないことになるのが容易に予想出来たので、“やむを得ず”i-tune storeからDLをすることにした。同ストアを開いてみると、その豊富なラインナップに驚く。胸の内のざわつきを抑えつつ、取りあえず同アルバムをDLした。

 

i-tune storeのラインナップに触発されて、“この際、Jobim名義のオリジナルアルバムは一応揃えてきたいと欲望が湧いて来たのだが、コンピレーションアルバムなどでの重複は避けたいと思い、イチロウに相談すると、「そういう事であれば、トム(Antonio Carlos Jobim)の伝記があるから、それを見れば巻末にdiscographyが載っていたはずだから、それを参照すれば良いではないか」と答えた。

 
「なぬー、そのようなモノがあったのか」と嘆息し、早速これもネット通販サイトでポチって手に入れることになった。

 この本、「アントニオ・カルロス・ジョビン ~ボサノヴァを創った男」Helena Jobim 著、国安真奈 訳(1998年)というもので、トムの妹エレーナによって著されたトムの伝記である。

 


「エレーナとトムの最後の日々」の章から書き起こされ、彼らの家系のこと、トムの出自と幼少時代、作曲家としてのデビュー、その後のキャリアとその生涯について、ある時には客観的に、ある時には妹からの視点として詳しく綴られている。書き手の優れた技量と名訳のおかげで、読んでいて夢中になり誠に楽しい。彼らの家系の事(特に母親方の親族との濃密な関係性)、彼が幼少期よりリオ周辺の自然を愛し、ブラジルにまつわる神秘性に対して親和的な思考の持ち主であったことなどが記されていて、読み進むにつれて、まるで「ある神話」を読んでいるような心持ちとなった。

 
このたび祭りでは、「Matita Pere」(1973)、「Urubu(1976)2作品が、個人的に大変気になっていたので、その制作背景を知りたくて、まずはその辺りの記述を先に読んでみた。

 自費でレコーディングしたというこの2つのアルバム作品では、# 1. Aguas de Marco, #2. Ana luiza, #3. Ligiaなどの美しい曲もあれば、交響詩と呼べるようなダイナミックな楽曲も収録されていて、作家としてのエネルギーの充実ぶりを感じされられたりしたものだ。

 この頃のトムは50歳前後にして、仕事上では大いに充実していたようであるだが、一方で長年に亘る音楽出版会社側との間での著作権をめぐる交渉、末梢性動脈閉塞症の症状が発現による健康上の不安、そして家庭的には20数年間連れ添い仕事上において良き理解者であった筈の妻・テレーザとの不和が決定的になるなど強いストレスに晒されていたようだ。ほとんど自宅には戻らず、大量のアルコールと葉巻を呑み、バールで寝泊りをするなど、彼個人の精神状態は危機的な状況にあったようだ。

 この2つのアルバムにおいては、よりブラジルの土着性・自然への憧憬、そしてより内省的な精神性への回帰志向を感じていたのであったが、上記のような初老期に向かう彼個人の背景を重ね合わせてみると、彼の個人史的なルーツへの思索としての側面もあったのではないかと思われる。この作品に込められた彼の想いを連想する時、強いパッションを感じるのであるが、その感想を安易な言葉を当てはめることに躊躇を覚える。アーティストの持つ深い精神性に対して、否、アーティストだけではなくヒトの人生の重みに対して畏敬の念を感じずにはいられなかった。

 
その後、私は、最初からこの本を読み始めて、現時点では音楽家デビュー、ヴィニシウス・ジ・モライス、ジョアン・ジルベルトとの出会い辺りまで読み進めてきたところである。毎夜、A.C. Jobimのアルバム作品を聴きつつ、その“神話物語”を少しずつ読み耽けっている。なんと幸せな事なのだろう。久しぶりに夢中に読める本に巡り合った。

 
この度新たに購入したアルバム作品(前回に記したものに続いて)は、「Orfeu Da Conceicao(1956)、「The Wonderful World Of Antonio Carlos Jobim」(1964)、 Matita Pere」(1973)、「Caymmi visita Tom(1965)、「Miu E A.C.Jobim(1977)、「Miucha E Tom Jobim(1979)、となった。

 
鬱陶しい梅雨の間を楽しむために始めた“独りJobim祭り”だった筈が、前述した本に出会う事によって、その予定を大幅に変更せざるを得なくなった。

と、いう事で、“独りJobim祭り”を改め“独りJobim回顧月間”とし、「アントニオ・カルロス・ジョビン~ボサノヴァを創った男」を全編読破し再び手持ちの全アルバム作品を聴き直すという作業をこの夏の楽しい目標としたい

 

~取りあえず、“惚れた者の弱みでして”シリーズはおしまい~

2015年7月7日火曜日

惚れた者の弱みでして.......番外編その2


ポチオの愛機ipod classic(愛称タマちゃん)の復旧が困難となり、デジタル機器に今一つ明るくないポチオとポチベエが二人して暫しあれこれと考えて出した結論は、「取りあえず、appleの公認サポートプロバイダに持って行き相談してみる」と云うものだった。

 
至極まっとうな結論となったが、ポチオはこの手のサービスというかデジタル機器を取り扱うお店の独特の雰囲気:デジタル機器に弱い、従って専門用語を使えないユーザーに対する店員の態度(明らかにそういうユーザーに対する上から目線)を危惧していた。

 
その日の夕方、ポチオは仕事を早めに切り上げて、そのアップル公認サポートプロバイダなるQG社の支店が入っている電気量販店を目指した。

 
ポチオの気分は、次第に「遂にこの愛機ともお別れか?」という惜別の想いで盛り上がっていた。Twitterで「7年(ここポチオの計算違いw)連れ添ったipod classicが終に壊れる。思うところあり、独り蚊帳の中で泣く」と呟く。“独り蚊帳の中で泣く”とは思わず出たフレーズで、全く大げさであったのだが、出た言葉が更に己の気分に影響し、その気分をメランコリー状態にさせた。

 
店頭でタマちゃんを見つけて、愚妻に断りを言って購入し独りニンマリとしたなあ。その後は、次々と所蔵していたCDを取り込み、更には愚息と興味のある新しいクラシックCDをポチってはせっせと聴いていた。プレイヤーであると同時に持っている音楽ソフトの貯蔵にもなってい、本当に重宝したものだった。

 
そんなことを思い返しながら、電気量販店に向かっていたのであったが、先の呟きに「私も最初のipodが壊れ時は、淋しかった…….」「献杯……。」などと他の方々からリツイートされると、ポチオの気分は、更にメランコリー自家中毒状態となり、まるで愛猫を失った作家先生のごとくの気分となるのだった。;“あ! この事blogに書いちゃおうw”とポチオからマサキに意識が戻り、そんな邪な考えが湧いてきたw。

 


ポチオが市内中心部にある家電量販店にあるQJ社に辿り着いたのは、「本日の修理受け継時間の午後730分まで」の15分前だった。

 

受け付けの男性が愛想良く、「i-phoneの修理ですか?」と問う。ポチオは思わず「スミマセン、ipodなんです」と応答してしまう。“そうか主力商品は、i-phoneなんだよねえ”。瞬時にそんな現実を知ると、最初から気が引けてしまっていた。

 
しばらく待つこと数分、タブレット端末専用のコーナーに案内される。応対してくれた担当者は、30代前後であろう若い男性。
 
 

 

「今日は、どうされました」と問うので、ポチオはやや緊張気味に、「i-pod classicが壊れてしまって、液晶画面にバッテンマークが出て、あの駐禁マークみたいなやつ。それで、アップルのサポートサイトで調べて指示通りの事をしたのですが、どうも復旧しないんです……。」

 担当の若い男性、早くも「は?」という怪訝な表情を浮かべている。「まあ観てみましょう。ここのパソコンにつないでみますね。」、そして「ここのパソコンでは、対処できないので、奥のパソコンで起動を試みましょう。中のデータは全部消去されますが、宜しいですか?」

 
「ええ、どうぞどうぞ。治るのであればデータくらい問題ないです。是非お願いします。」気おくれしてしまっているポチオは、つい馬鹿丁寧な態度となる。その男性更に怪訝な表情を浮かべ、その後は事務的な態度となる。そして、「では少々お時間をいただきますが、今しばらくお待ちください。」とつい立ての裏側に行ってしまった。

 
“何をされるのか分からないが、治ってくれるものならば待ちますともw”、ポチオはまるで犬猫病院に飼い猫を預けた時のような心持で暫く待つ。それにしても長かった、待つこと30分。再びその男性がカウンターまでタマちゃんを持って帰ってきた。

 
「やっぱり駄目ですねえ。パソコンでは再起動できませんでした。ついては、修理工場に送ります。本体を交換することになります。ええっと……。」その担当者が、マニュアルのようなファイルを取り出して価格を調べている。「i-pod classic160GBのタイプの本体交換は、15,000円になりますね。如何されますか?」

 
ポチオ、「うむ、ええそれでお願いします。」“買い替えるより、断然安いし。そのぐらいの値段で事が済むのであれば、安い。後でポチベエに報告しなくちゃ”

 
その担当者が云うには、 所要期間は1週間以内、早くで3-4日で仕上がるとのこと。それからもう一点気になることを彼に尋ねてみた。それは、“何時頃までipod classicのサポートが受けられるだろうか?”ということだった。

 
彼曰く「ハッキリとしたことは言えないが」と前置きし、“後もう1-2年くらいではないだろうか?次期新製品が発売されたら、その時点でサポートを終了する可能性が高いだろう”とのことであった。

 
このQG社の対応マナーはすこぶる良かった。ポチオ/マサキのようなデジタル機器に疎いオッサンに対しても、丁寧な応対であった。ここに付記しておこうw

 
そのお店を離れてから、早速ポチベエ/ イチロウにmessengerにて報告する。早速彼から返信あり。「良かったね。但し、本体交換って何を意味してるんだ?ハードディスクの交換か?ちゃんとそこを探っておくようにね。ただただ、マサキの騒動記を読む羽目になるのは御免だぜ。ちゃんとそこは科学的事実を調べておけよ」だと。

 
“とほほ、機械に疎いオイラになんというリクエストw。折角、愛猫を失った作家気分でblogを書こうと思っているのにさw。わかりました、引き取る時にちゃんと聴いておきますw。”

 
それにしても、買い替えにならなくて良かった。あの担当者のいうところによれば、日曜日には手元に返りそうだった。独りJobim祭りも長い間隔を経ずして再開できそうであった。ipodの修理を待つ間に、新たにポチッたCD等も手元に届きそうだ。その間は、前回i-tuneに取り入れたjobimの曲を聴き直しても良いしね…….

 
この度のi-pod classic故障アクシデントでは、思わぬ出費を強いられることになったものの、短い期間で最小の犠牲でリカバリー出来ることになり、ポチオはホッと胸を撫で下ろしたのであった。

 
後日、土曜日夕方に修理が終わったのとの連絡が入り、翌日日曜日夕方にQJ社に引き取りに行った。別の若い女性が担当してくれたのだが、ポチベエからのリクエストを果たすべく、ポチオが恐る恐るその担当者に本体交換の意味するところを尋ねてみた。

 その女性にっこりと笑顔でいうには、「ええ、中身全部です。製造シリアル番号も変わりました」とのこと。ポチオ「ハードディスクも、メモリも全部ですか?」。「そうですね(笑)」

 
 

ということは、ボクの手にしているのは、頭脳も性格も入れ替わったもの?タマちゃんとは全く別人格のニュー・タマちゃんになってしまったのか。人造人間?フランケンシュタイン? ポチオは自分の例えで更に混乱していたのであったが、早い話がほぼ新製品に近くなったということになったみたいだった。

 

帰宅後、夕餉時に家族には何も告げず、独りワインを開けてタマちゃんの快気祝い~これは間違っていた~ではなくて、ニュー・タマちゃんのウエルカムパーティーをした。機械に疎いポチオは、未だに頭の中の整理がつかないでいたが、何となくこのニュー・タマちゃんと歩むこれからの人生の成り行き、それは恐らく次はないだろうという、このニュータマちゃんの限られた将来と己の後半人生と重ね合わせて、しみじみとした中にも何か穏やかで暖かい陽だまりのようなものを想像してみるのであった。
 
 
 
終わり

 

2015年7月3日金曜日

惚れたものの弱みでして......(番外編)その1




その名前はタマちゃん。身長1035㎜、横幅61.8㎜、厚さ10.5㎜、体重140g、つや消しのブラックのボディー、大きなマナコに、まん丸としたお腹の持ち主で、主のポチオに引き取られて早や5年と数か月の月日が経った。

 
ポチオがタマちゃんを店頭で見つけた時には既に新しい品種の物が出回っていて、このタマちゃんの寸胴なボディーとその狭い芸風は、既に時代遅れの感があった。それでもポチオにとって魅力的に思えたのは、芸の単純性による飼いならしやすさとその大食い(160GB)であった。ポチオが、タマちゃんを引き取る時にまず真っ先に思い浮かべたのは「さて何曲食わせてやろうか?」ということであった。

 その後、このタマちゃんは、主・ポチオのいう事をよく聴き次々と美味しい曲をその腹に収めてくれて、ポチオの望む時に望むがままに美声を披露してくれた。腹に収めた曲は約8000曲、クラシックからジャズ、ブラジル音楽、ロック、ニューエイジ、フォークソング、等々。

 ポチオの発作的なお祭り騒ぎ;Haydon 交響曲祭り、モーツァルト・コンチェルト祭り、Penguin Café orchestra祭り、Gilberto 祭り、Elis Regina祭りにLuiz Eca祭り…….などの際には、無茶な要求に耐えて沢山喰らっては、その度に美しく歌っていた。

 またポチオの行くところ、枕元から職場まで、或いは、遠くは、びわ湖、富山、日本アルプス、東京、果ては札幌まで大人しくお供してついていき、ご主人様を昼夜問わず慰めていたものだった。

 ポチオにとってタマちゃんは、楽しくも逞しい良き相棒であったのだが、唯一の欠点があって、ポチオが自由に歌わせてやると、最初の内は程よく色々なジャンルからピックアップして良い歌声を聴かせてくれるのだが、そのうちにタマのほうでも手抜きをするみたいで、アーティストを変えて同じ曲を延々と続けたり、同じ交響曲の中から楽章の順番を変えて歌いだすなど、聴く側にとっては誠に居心地の悪い歌い方をしたものだった。ポチオも最初は腹を立てて、「仕方ない。歌う曲を具体的に決めてやる」とランダムを解除し、具体的なアルバム名を指定してやっていたのであるが、次第にこのタマちゃんの手抜きぶり・ええ加減さがどこか己の性格に似ていることに気づき、彼としてはタマちゃんのことをより一層愛おしく感じるのであった。

 そんな楽しくも愉快なポチオとタマちゃんの蜜月時代が5年と数か月続いたある日のことだった。数日前より、ポチオは「この梅雨時を爽やかに過ごすには、久しぶりにジョビンを聴き直すのも良いな。おっ、独りジョビン祭りw!」と相変わらずも能天気な妄想に浸り、その妄想がひと段落ついたところで、早速ネット通販サイト、i-tune storeを物色しながら、気になるアルバムを見つけ出してはポチるという行動を取っていた。そして、数枚のアルバムを手に入れて、誠に個人的な感想を好き勝手にブログにつづり、独り悦に浸り自己満足を覚えるという何時もの遊びをしていた。

blogを書いた翌日、ポチオはそれらのアルバムを聴き返しながら、その他にポチ漏れがないか、wikipediaに載っていたA.C.Jobimdiscographyとタマちゃんの腹に収めたアルバムタイトルを見比べながら、まだタマちゃんの中に収まっていないものを見つけて、更にポチるという行動を取っていた。

 「何やっているんだ、ちょっと大人しくなったと思ったら、こそこそと…….w。ちょっと静かにしていると思えばポチってやがるなw」。隣のオトコがニヤニヤしながらポチオのデスクの背後に廻ってきた。

 ポチオ、「えへへ、まあblogを書く必要経費って思ってよw。それにしてもさっきから気になっているのだけど、この“Miucha & Tom”と“Miucha Antonio Carlos Jobim”って違うアルバムのなのか?制作年が違って記載されているなあ。ボクの持っているipodに入っている同じタイトルのアルバム曲が、二つのアルバムに収録されているものの中の一部みたいなんだよな。」。

 そのオトコ、「どれどれ、俺のipodで確かめてみるか。うーん、やっぱり2枚のアルバムがあるなあ。そういう事みたいだな。」。

 ポチオ、「そうなのか、チクショウ。買いなおさないといけないなw。じゃあ仕方ないポチるか……。」

 そのオトコ「またポチリやがった。本当にマサキはポチり野郎だなw。」

 ポチオ「イチロウだって、なんで今まで2枚あることを教えなかったんだよ。黙って独りぽちってたくせによw。このむっつりポチべえめw」

 てな具合に、オトコ二人のいつものおバカな会話が繰り広げられている最中の事だった。

 ポチオ「あれ、俺のi-pod動かなくなったなあ。ありゃりゃ、このタマちゃんのマナコに浮かんだグレーのアップルマーク、嫌な予感……..。うわー、もうダメ。×マーク・駐禁マークが出て来たよ。」

 


「あ、これはどうしたんだろう。ちょっと待てよ。」二人して、夫々にパソコンを開きアップル公式サイトのサポート欄を開き、i-podのトラブルシューティング方法を探す。すぐにこのような不具合の場合の対処法を見つけ出した。

 

“何々。まずはi-podをコンピュータから外して、次に上メニュー・ボタンと真ん中の選択ボタンを同時に押す、そうしたらアップルマークが出て、そしてアップルマークが出たら、選択ボタンと下の実行ボタンを同時に押す”

 

「なるほど、ということか。」 早速指示通りに操作してみたが、やはりタマちゃんのマナコには×マークが出てきて起動せず。よく聴くと内部から「ウイーン、ウイーン」とノイズが聴こえて来た。

 ポチオ「これは困ったなあ。タマちゃんのお腹を押してもさすっても、意識が回復しなくなってしまったよ。ああ、タマちゃんあんなに良い子で可愛かったのになあ」

 ポチベエ「これは困ったなあ。どうするべ。俺もi-pod classicを愛用しているから、他人事じゃあないもんなあ。もう生産中止しているから、サポート状況はどうなっているのかねえ。もうやってないのかな。」

 ポチオ「(ネット通販を見ながら)買い替えるにしたって、このサイトでは160GBで、56,000円の値段がついてるじゃん。ええ、困ったなあ。」

 ポチベエ「それもついでにポチるのかw?」

 ポチオ「ポチるにはちょっと金額がデカすぎるし…….。うーむ……..。」

 i-pod classicの復旧が出来ない状態になってしまった。折角の盛り上がっていた独りジョビン祭りを続けられないばかりか、これからもどんどん音楽を食べて貰って、生活の一部になっている音楽ライフを大いにタマちゃんと楽しもうと思っていたのに。
 
どうするんだ、ポチオ!

 

(つづく)