2018年7月30日月曜日

ソース好き世代


コウイチとSNSでやり取りをしているなかで、私たちの父親が生前食事の折に、おかずになんでもソースをかけて食べていたことが話題になったことがあった。

私の父親(多分彼の父上君も)は、昭和一桁世代に属していたが、食事において、トンカツはもちろん、魚介のフライ、ビフテキ(この呼称が昭和しているw)、カレーライス、餃子そして天ぷらにまで、ウスターソースをたっぷりかけて食していたものだった。おそらくコウイチの父君もこれに似たような感じだったのではないかと思われる。



コウイチとふたりして、「昭和世代の味音痴」と笑い合ったものだ(SNS上のことだけど)。私たちの父親世代は戦中戦後と育ち盛りに食糧難を経験し、食べるものや調味料には事欠いた経験を持っていたはず。昭和の終わり頃、昭和一桁世代のヒトが成人病などを基礎に血管障害で相次いで倒れるニュースが話題になったのだが、それは彼らが成長期に栄養障害をきたしていたのもひとつの要因なのではないかと指摘されていたものだった。



戦後の食糧難が解消して食卓の食材も豊富になり、その中で洋食ブームなどがありそれと共にウスターソースの需要が増した。その頃に成長した昭和一桁のオトコどもがウスターソースと出会った味覚体験が忘れられずいつの間にか習慣化したのではないかと勝手に推論していた。



それにしてもねえ、なんでもかんでもソースかけて食べるなんざ、なんたる味覚音痴なんだろうか?折角の食材が台無しにならないか?餃子にソースはギリギリセーフにしても、天麩羅までソースはちょっとなあと私が思い始めたのは、思春期のころで、その頃から父親が相も変わらず何でもソースをかけて食べる横で、私は餃子は醤油に辛子、天麩羅は塩か醤油をつけて食べ始めるようになった。ただ残念ながら、私の味音痴はどうも父親からの遺伝のようで、その後なんでも醤油をかけて食べることが習慣化してしまい、自宅で作って食べるカレーの味が物足りないと、妻の目を盗んで醤油をひとたらししてしまうことがある。




さて、先日台風12号が東側からやって来て、西側の九州に抜けていく稀なコースをたどったが、各報道を通じて「これまでの経験が通じない台風だから、気を付けろ」というアナウンスがあった。折角の休みで自転車に乗ろうと計画していたのに、それも叶わず、自宅で大人しくすることになった。結局のところ、予期していたほどの暴風雨はやって来ず、被害も発生せずに事なきを得たのであったが、あまりにも退屈だったので、台風の中心が去ったのを見計らって本屋に出かけてみた。しばらく本棚をぶらぶらと物色していたところ、この本のタイトルがふと目に飛び込んできた。思わず中身を確かめず、購入してしまったのだけれど、表題の「天ぷらにソースをかけますか?」については第1章に掲載されて、一読して物凄く目から鱗状態となった。




結論から言うと、「天麩羅にソースをかけて食べる文化」は、日本列島を西と東にわけるフォッサマグナで別れていて、西日本がその中心であった。そうだったのか、これは昭和一桁世代(仮説ウスターソース好き世代)がやっていた食習慣ではなくて、地域的な要因だったのか……




「天ぷらにソース」の食習慣が、コウイチや私の親世代の味音痴のなせる業ではなかったのだと知ると、なんだか彼らの汚名を少しだけ晴らしてあげたようで、一人笑いが込み上げてきたのだった。

おわり

2018年7月24日火曜日

大雨後日照り






76日から翌7日にかけての大雨による西日本各所で起こった災害は本当に酷かった。私の職場がある地域でも土砂災害により被害を受けた方が知る限りでも数軒あったし、災害発生直後から約10日間つづいた断水、物流の低下は、私の職場の仕事への多大な影響があった。




災害直後から寸断された道路網の整備、水道の復旧作業により、17日に職場はほぼ大雨災害前の業務レベルに復帰し一息つくことが出来たのであるが、それでももっと甚大な災害を受けた地域や被害者の方々のことを思うともろ手を挙げて喜ぶ気持ちにはなれない。










ただ、私や私の職場の事を心配してくださった方々、SNSを通じて心配の連絡をくれた友人たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

また、災害直後には通勤困難なった同僚に代わって、無理なシフト態勢で出勤してくれていた同僚、断水直後から猛暑の中給水作業をしてくれた同僚、普段に比べて負担が多くなった作業を黙々とこなしてくれた同僚には本当に頭が下がる想いがした。多くのヒトに支えられて仕事や日常の生活を送れている事に改めて気が付いた。




季節は、大雨が過ぎ去った後、“しれっと”“あっけなく”梅雨明けし、その後は2週間以上にわたって晴天・酷暑が続いている。連日最高気温が35℃~37℃となり、天気予報ではこの暑さを“命にかかわる危険な高温”と形容しており、実際に連日のように熱中症にかかるヒトが多数出ているようである。




本来であれば、真夏の晴天の日に自転車に乗って大汗をかきたいと欲するところなのだけれど、「命にかかわる高温であるぞ」と言われてしまえば、そんな折にチャリを漕いでいるのはおバカな様であると言われそうな気もするし、そもそも身近に大災害を受けて傷ついたヒトや復興に尽力しているヒト達がいるのに、のこのことチャリを漕いでいるところを世間に晒すのも気が引けて、チャリに乗る気も失せてくる。ただ、密やかにyou tubeでツールド・フランスのダイジェストを眺めては、ローラー台に付けた自転車のペダルを廻しながら、時間の空いた夜を過ごしている状態である。



どうもこの夏は、気分的にも身体的にも調子が上がって来ないね。何もせずに、このひと夏を過ごそうか?




2018年7月23日月曜日

神戸の夜は優しい味がしたよ、の事

623日、24日にかけて、私が所属する職業団体の年次総会に出席するために、神戸に出かけた。23日午前6時過ぎに自宅を出て神戸ポートランドにある会場にたどり着いたのは840分頃だったか。それから午後3時過ぎまで、色々なセッションを聴講し、午後4時過ぎに三宮駅近くのビジネスホテルに投宿した。




事前の天気予報では、曇り時々雨とのことであったが、幸いにも雨は降らず蒸し暑い夕方であった。部屋に入るとクーラーをかけて身に纏っていた服を一度脱いで汗ばんだ体を冷やした。



同夜は、高校時代の同級で現在神戸在住のヒサシ、そして大阪在住のコウイチと会食することになっていた。同日の2週間前にコウイチに連絡を取り「会わないか?」と誘ったところ、コウイチの返事では彼は彼の所属団体の総会が梅田である予定であり、ちょっと難しいとのことであった。それはそれで仕方なく「では、次の機会に会おう」と話を終わらせたのであったが、その後彼から「適当にやりくりして神戸まで来る」と言ってくれて、「神戸の事なら、ヒサシに連絡を取ってみる。彼なら良い店を知っているだろうから、彼に予約して貰おう」と提案してくれた。その後、コウイチからヒサシに連絡がつながり、ヒサシも快諾してくれたようだった。



ホテルの部屋でパンツとシャツ姿になって涼を取りながら、彼らとの待ち合わせ時間の午後630分まで"さて何をしたものか"と思案していた処、ふとサイドテーブルの上に設置されている鏡で己を見ていたら、頭髪が伸びに伸びて小汚くなっていることに気が付いた。“そうだ、せっかくオシャレな神戸に来たのだから、せめて髪ぐらいさっぱりと小綺麗にしておこうか”と思い立った。三ノ宮駅周辺であれば、カットだけで客を回転させている最近どこでも見かけるようになった理髪店があるだろうと予測し、善は急げとばかりふたたび服を着てホテルを出たのは午後5時前後だった。

ホテルから三宮駅界隈に戻り、駅ビル横の大型ショッピングセンター地下に私が目当てにしていた“高回転型”理髪店を見つけたのが午後510分頃、しばらく待つにしても午後6時過ぎにはカットを終えることが出来るだろうと踏んで店内に入ると、私の前に10人ほど順番待ち客が居た。理髪師は総勢6人居て夫々に順番の来た客を捌いていたのであるが、中にはパーマや染髪をオーダーするオッチャン達もいて、私がイメージしていたほど高回転ではなかった。ジリジリとした気持ちで順番を待っていたのであるが、時間は無情にも過ぎていき、やがては午後6時に差し掛かろうとしていた。どうも、約束の時間に間に合いそうにないので、ヒサシにmessengerで「2030分くらい遅れるかもしれぬ」と連絡を入れると、しばらくして彼から「了解。ただ小さい店だから、あんまり開始が遅れると店に迷惑をかけるかもしれないから、なるべく早く来てね」と応答があった。私はこの彼の応答になんだか感心してしまった。“ああ、ヒサシもしっかりとした大人になったんだなあ”。優しさがありながらも、店側に対しても私に対してもしっかりと気配りできるんだ。

結局私の順番が回ってきたのは、午後610分くらいで横と後ろの部分を揃えて貰って終わったのが、625分頃。担当してくれた理髪師のヒトがなんだか鋏は余り入れず、講釈ばかり述べてくれて作業は終了。“もう!”とも思ったが、この場合短く切り上げてくれた方が、ヒサシに迷惑がかからないのでむしろ好都合だった。

三宮駅から徒歩10分程度スマホのルートマップを使って中山手通のその店に着いたのが、640分頃だった。店の方に店内奥にあるカウンター席に案内されるとヒサシが居て「やあ久しぶり」と挨拶を交わす。ヒサシが「僕みたいな者と付き合ってくれて嬉しいわ、声かけてくれてマサキありがとう。」などという。“僕みたいなモノ”とはなんぞや、それはこっちのセリフでわざわざ忙しい時間を割いて付き合ってくれて大変有難かった。

早速ビールで乾杯し再会を祝す。コウイチは1時間程度遅れて到着すると聞いていたので、事前にヒサシが予約してくれていた料理を始めてもらうことにした。ヒサシとは高校時代の同級生であったが、所属した部活が違ったことや普段交わる友達が異なったこと、私自身が然程社交的でなかったこともあり、これまでゆっくりと話す機会がなかった。

彼が挨拶を交わす時に用いた“僕みたいなモノ”という表現には、どうもある種の彼自身に対しての、そして私に対しての“偏見”が介在していたようであるが、その偏見については述べない。誰しも若かりし頃は己や周囲に対して思い込みや偏った味方があるもので、それは私も彼もあったのだと思う。




コウイチが到着するまでの間、せっかくのチャンスと思いながら彼の"それからの人生の経過"を聴いた。高校時代の彼は明るくひょうきんな性格で今の言葉で云えば“いじられキャラ”、誰からも好かれていた。その後大学に進んで社会に出た後、彼なりの苦労とそして努力を重ねてきたようであった。その過程で随分孤独を感じた場面もあっただろうと想像できたのだが、青年の雰囲気を色濃く残しながらも随分と落ち着いた彼の風貌を眺めていると、私以上にしっかりとした歩みを重ねてきた様子が伝わって来て嬉しい気持ちになれた。

そのお店は、すっぽん料理を名物とする和食店で同夜は懐石コースが運ばれてきたが、つき出しの皿から、お造り、椀物、琵琶湖の鮎の焼き物などどれも品が良く優しい味がした。店主も調理・盛り付けなどの忙しい作業の傍らに、我々にも丁寧に応接してくれて、店全体に店主の人柄が出ているようなおだやかで品の良い空気があった。

ヒサシの話を聴き、運ばれてくる料理に舌鼓を打っていたら、優しい気持ちに浸ることが出来て神戸までやって来て良かったと思い始めていた。




午後7時前後に、コウイチが到着。想像していたよりも早い到着で、嬉しい誤算であったが彼の配慮は大変有難かった。彼は相変わらず引き締まった容貌をしていたが、柔らかい笑顔を浮かべて「総会で切り上げて来たのだが、会場で日頃世話になっているヒトに挨拶が出来たから、十分目的を達することが出来ぞ」と、彼の当初の予定を変えてしまった私に対する配慮の言葉をかけてくれた。

彼を交えて再度乾杯して料理を楽しみつつ、話題は自然と同窓会の事などに移ったのだが、コウイチなりの仲間に対する思いやりがわかり、それはそれなりにコウイチの人柄を再認識することが出来て楽しかった。日頃からコウイチとはSNSで混じっているため、改めて新しい話題が出てくるということもないのであるが、ただ直に会うのは2年ぶりとなり、その姿を見て時間を共有しただけで目的が達したような気持ちになり、やはり彼に会うことが出来て良かった。彼とは近しい友人なのでいつでもその気になれば会って駄弁ることが出来そうなのであるが、そんな間柄でも日常の諸事に時間を割かれてしまい実際に会ったのが2年ぶりなのだから、やはり意識して会う時間を作る必要があるのだと再認識した。




コウイチがやってくると、その場が盛り上がって気分が更に高揚し、ヒサシと語らって地元のお酒を注文。3銘柄を注文したが、どれも口当たりが良く大満足であった。“流石灘のお酒の出どころだわい”と思ったが、同夜に出されたお酒が兵庫県産であるものの果たして「灘の酒」と呼んでよいのかどうか分からなかった。



料理は、更に続いて終にすっぽん鍋が運ばれてきた。実は、すっぽんを食べるのはこれが初めてであり、この頃は味覚が保守的(老化)となり、普段食べ馴れないものに手を出すことをしないのだけれど、ヒサシが私たちのためにせっかく紹介してくれたのだからと想い、四の五の言わず楽しみにいただくことにしていた。実際にいただいてみると、だし汁は澄んで濃厚なうま味があるのに全く雑味なし、すっぽんの肉も柔らかい弾力があり、(恐れていた)臭みは全くなし。これも優しく上品な味わいで、大変感動してしまった。

この店は次回神戸に来る機会があったら、是非また訪れたいと思った。




書き遅れてしまったけれど、このお店は「料庵 有とみ」という処。料理も、店主を始めとする店員さんの応接も大変素晴らしく、優しく気持ちになれる良いお店でした。絶対再訪するぞと心に決めて、他の二人とその店を辞した。



2軒目は、ヒサシの馴染みのBarに連れていてもらう。店奥のテーブル席に通してもらって、3人でウイスキーなどを飲みながらしばらく雑談していると、神戸美人のママさんが着物を着て登場。コウイチも私もどう取り繕ったらよいものか分からずにいると、ママさんは挨拶程度で退席。しばらくするとヒサシも居なくなってどうやらカウンターで店のヒトと話を始めたようだった。この後、コウイチと雑談を続けたようであったが、前の店で飲んだ冷酒が効き始めていたようで、今振り返ると何を彼と話したのか全く覚えていない。先にも書いたけれど、コウイチの顔を見たら何やら満足してしまい、会話はどうでも良くなっていたのは事実であった。

あ、そうだった。コウイチとは同窓会を別にして一年に1度は顔を合わせたいものだと伝えると、彼曰く「広島―大阪間はやはり遠いな。ちょうど中間の岡山くらいだったら、もう少し融通が効くな」とのことだった。物理的にも丁度中間地であることや、お互いに若い頃のひと時を過ごし思い出多き街であるから、それも丁度良いなと想えた。そういう企画に、翌日の自転車ツーリングを付け加えればイチロウも喜んで乗って来そうな案だった。




午後11時過ぎに終電の時間が迫り、2軒目を辞し、三ノ宮駅まで3人で歩く。神戸の街は、田舎から来た者にとっては華やかな賑わいが印象的な街であったが、その夜は穏やかな雰囲気も感じられた。夜の帷が降りた盛り場の路地に少々湿ってはいたが、優しい風が吹いていた。前を行くふたりの背中を眺めながら、同夜のオトコどもとの邂逅も、酒も飯も、どれもが優しい味がしたなとふと思うのだった。

おわり

(追記)このたびは、ヒサシに随分ご馳走になった。次回彼らに会う時には、このお返しをせねば.....。