2018年9月22日土曜日

初秋に東周防国旧山陽道を辿る旅

916日、イチロウと共に山口県東部の旧山陽道を往復120㎞程度自転車で走る。大竹市にあるスポーツサイクルショップウエキを出発し、折り返し地点は下松市で片道60㎞前後であった。前項で触れたように私は新しいギアコンポを組み替えた試走を兼ねていた。

午前8時過ぎにイチロウ宅までクルマで迎えに行ったのであるが、イチロウはクロスロードバイクを持ち出していた。前回イチロウと山道を走行した折に、その重量故に山坂道に難渋しているように見えたので、彼がこのバイクを持ち出してきたことに、私は一瞬怪訝な表情を浮かべたと自覚したのだが、ここしばらくの彼との自転車にまつわるやり取りから、今のイチロウの気分としてはゆっくりと景色を楽しみながら走行したいモードなのだろうと勝手に察しをつけた。ここしばらく二人とも好んで山坂道を選択してきただが、この度の道程では、然程の標高を獲得するようでもなかったので、イチロウの選択もある意味合理的ではあった。

午前930分に、私のバイクをお店で受け取り出発。そのまま大竹市内の旧山陽道を探しながら、新しいギアコンポの感触を確かめつつゆるりと走行を開始したのだが、私の自転車の後輪がブレーキパッドに微妙に当たっているようなノイズがするため、直ぐにお店に引き返し、ブレーキパッドの微調整を依頼。店長さんが素早く応じてくれて、再出発したのは午前10時前頃だったか。天候は薄曇りで、気温は24℃前後であり、サイクリングを行うには絶好のコンディションだった。

国道2号線と並走するように大竹市街地の中央を旧山陽道(らしき道)が走ってい、私は普段この辺りは工業地傍の国道2号線を通過するくらいであったので、南北に旧市街地が広がっていることを知らず、この街の国道2号線沿いとは違う落ち着いた表情に新鮮な印象を覚えた。

しばらくすると、県境の川にかかる橋を渡り山口県に入ったが、直ぐに山塊に突き当り、一度国道2号線に出ざるを得なかった。岩国市街地に入るまでのこの辺り旧山陽道の痕跡を見つけるのが困難であり、あくまでもゆるりと進んで行く按配であった。

イチロウは事前に地図で検討を付けていた道路と実際に走行しているコースの確認を確認しながら、私は後輪から発せられるシュルシュルというノイズに注意を払いながら走行していた。

先ほどお店でブレーキパッドの調整をして貰って、ペダルを廻す際の抵抗感もなくなり、またホイールの回転の伸びも自然な感じになっているのだが、後輪から発せられるノイズがかすかに聞き取れ、それがどこから発せられるノイズなのか大いに悩ましかった。

私とイチロウは、国道2号線から山手側に入った道路をゆっくりと進み、途中国道2号線に再び合流し、そして錦帯橋に向かう県道1号線へ進んだ。




しばらく進むと錦帯橋に到着。県道1号線を右折し北西に進路を取り、錦帯橋の北側に掛けられた現代の橋で少しばかり休憩。実は自転車でここを訪れるのはこの度が初めてであった。自転車を降りて、辺りをゆっくりと眺めてみる。錦川にかかる3段のアーチ橋は見事であり、視線を転じて西側正面の小高い山に天守閣が見える様はなんだか広々としたおおらかさが感じられて、誠に良い風景だと思った。

これまでも自宅からここまで日帰りで自転車に乗ってやって来ることを何度か考えたりもしたが、交通量の多い国道2号線を通てくることが面倒に思え敬遠した。イチロウと何度か走っているうちに国道2号線沿いの裏道の知見も増えてきたので、これからはその裏道を駆使してここまでやってくるのも有りかもしれない。


小休止の後、その橋を渡って錦川西岸沿いを新岩国駅に向かって走行開始。新岩国駅前を通過ししばらく錦川沿い旧道を西に向かって進む。次第に左右に谷間を形成する花崗岩のむき出しになった険しい山塊が眼前に迫ってきた。岩国という地名通り名は体を表すとは言ったものである。やがて私たちは国道2号線と合流し緩やかなるも長い峠道に差し掛かった。復路で気が付いたのであるが、この辺りで国道を交差するように旧道が東西に走っているのであるが、往路では見逃してしまい、そのまま交通量の多い国道2号線を登坂してしまった。

私は、ギアコンポのペダルから両脚に伝わってくる感触を確かめながら登坂、イチロウはやや遅れてゆっくりとしたペースで上っていった。ピークを過ぎるとトンネルがあり、追い越す車両から警笛を鳴らされて少しばかり緊張した。そんなに無茶な走りはせず往来を邪魔しないように左側端を走行していたのに、クラクションを鳴らす必要ないのになあ。ドライバーから見れば自転車が邪魔であることは重々承知しているのであるが。

長い下り坂を降りたところで歩道に自転車を停めて後続のイチロウを待つ。少しばかり待ったか。“いくらクロスバイクで走行しているとはいえ、イチロウ遅いな”と思う頃にイチロウが追いついてきた。「どうも重いな。これが道端に落ちていてね」と笑顔で10数個の栗をジャージのバックポケットから取り出して私に見せた。

“へー、イチロウにしては珍しい。一度走り出すと余り辺りの景色には目もくれず、遮二無二バイクを転がす野郎なのにw”。クロスロードバイクに乗ると、気分がそんなにも変わるものなのか……

今年度は、お互いに公私ともに色々な事情があって、色々なサイクリングイベントにエントリーをしたものの、実際には出られず仕舞いであった。他方で気分的に“もうそろそろそういったサイクルイベントに出なくても良いのではないか、もっと自分たちで計画したコースを自分たちのペースで走れば良いのではないか”と思うようになっていた。その流れで、イチロウは速さを求めることに一区切りつけて、ブルぺなどのロングツーリングに関心対象が移行しているようであった。

それにしても、このヒトはつい数か月前までは何かに憑りつかれたようにガンガンに走るヒトだったのに、何時の間にかノンビリと走るようになっていて、雑談の折に私に冗談とも本気とも取れるような口調で「次はマサキもクロスロードバイクを買えよな」などと言っている。彼のその興味関心の振幅の大きさ・スピードには微笑ましくも驚いてしまう。


さて、私たちはその長い峠道を乗り越えたところで、山口県玖珂郡に下りてきていた。旧山陽道は、国道2号線よりも南側に南西方向に向かって伸びており、短い休息を終えると再び旧山陽道を進んで行った。玖珂続いて周防高森地区にはそれぞれ旧山陽道沿いに古い街並が残されていて穏やかな佇まいが我々を楽しませてくれた。街道沿いの建物は、現代的な住宅が立ち並んでいたが、所々に古い名残を示す木造建築物(商家、商店、役所)が散在し、古き良き時代を忍ばせた。私たちは、自転車の速度を緩め、左右の建物を楽しみながら進んで行った。

この辺りの旧山陽道は現在県道144号と呼称されているようであるが、しばらくこの道を辿り米川地区を通過。やがて広々とした田園が広がった地区を走る、灰色の雲が西から東へゆっくりと流れやがて霧雨が降ってきたが、雨宿りするほどの量ではないので、そのまま走行し、県道63号との交差点を右折し、63号に沿って下松市街地を目指した。

高台になっている葉山工業団地を通り抜ける左折すると、下松市街地までなだらかな下り坂になり県道63号に沿って市街地に入る。

ここまで来てやっと気が付いた。イチロウにはいわなかったけれど、柳井と下松は違うのだとw。広島県側から山口県の瀬戸内海沿いに、岩国、周防大島、柳井、光と続いていて、数年前にイチロウとMR4でこれらの街を走ったっけ。今回、何の準備もせずイチロウ任せだったから、東周防の名物なり歴史也はおろかオリエンテーションも何も頭に入ってなかったのだった。クダマツ、クダマツと唱えながら、頭の中は柳井市に来るものとばかり思っていた。旧山陽道を通りながら沿岸部をショートカットし光の先の下松まで来ていたのだった。

「下松は牛骨ラーメンで有名らしい。駅前に数軒ラーメン屋があるらしいから、何軒か食べ歩きするぞ、良いな、マサキ」とイチロウが本気とも冗談とも取れるような口調で話しかけて来た時、ふと私は見知らぬ土地にやって来たことを実感したのであった。



(つづく)


2018年9月20日木曜日

“違いがわかったオトコ……”

自転車の部品の話である。



この1年弱の間、登坂を始めるタイミングで、リア・ディレーラーでチェーンが外れる症状があり、気になっていた。さてこれから力を入れていこうという矢先にチェーンが外れてしまうと大いに気勢がそがれてしまい、自転車に乗る楽しさに水を差されたような気になるものだ。

症状の原因は、ディレーラーが後輪側(内側)に若干曲がっていることによるものと素人ながら察してがついていたのであるが、その調整判断はプロに委ねるしかないと思われ、更に色々考えていくうちに、現在のギアコンポを使って足掛け5年経ったのだから、そろそろ新しいコンポに組み替えて良いのではないかと思うようになった。



足掛け5年と言っても、ネットなどの情報を読むと、ひとつのギアコンポーネントは10,000㎞走行に耐えることが出来るようであり、己を振り返ってみるに、そこまで今のコンポを使いこんでいない。新しいコンポに組み替えるには勿体ない気がしないでもない。

これまで使用してきたコンポは、Shimano105なのだが、せっかく新しいコンポに組み替えるのであれば、同じ機種では芸がなく、いっそのことバージョンアップしてULTEGURAにしてはどうだろう?

ネット情報によると、昨年updateされたULTEGURAは、プロのインプレッションだと大変素晴らしく語られているものの、一般userの方々の意見によると「素人には105ULTEGURAも使用感においてその違いは分からない。両者の重量に大差もなく軽量化にも繋がらず、105ULTEGURAに変えたところで、別に速く走れるようになるわけではない。105からより高価なULTEGURA変える目的なぞ、他者に見栄を張ることくらいであろう」等の意見が述べられていた。

“ムムム、見栄を張るためだけに変えるのか……? ただなあ、オイラの場合見栄を張れる走り仲間がいないのよ。乗りバカ友と言えばイチロウしかいないのだが、彼は見栄張れる相手じゃないものなあw”

ULTEGURAにコンポへ組み替える走行上のメリットはなく、見栄を張る仲間がいないとなると、新しいコンポに変える理由が全く見つからなくなってしまった……

……、有ったw! “新しモノ好き”。そうだった、私め、新しモノ好きだったw。道具に拘る方ではないのだけど、適度に新しいモノを欲しがるオトコだった。賢い消費者ではないことは重々承知しているのだけれど、そういう消費の仕方も許されよう。

ということで、8月のある日曜日にサイクリングを兼ねてスポーツサイクルショップウエキを訪れてコンポの組み換えを相談してみた。

私が店長のオニイサンに「私のようなド素人が、コンポをULTEGURAに組み替えるのは生意気ですかね?どうも素人には105との違いは分からないって言う話なんですけど?」と問うと、オニイサン「良いんじゃないですかねえ。大丈夫ですよ」「今店に部品も揃えてありますから、今からでも変えられますよ」等と妙に乗る気になってらっしゃる。「マサキさん、道具ドーピングって言葉もありますからね。脚力ない分、道具で補えるってことです」等と言い添えて。

“道具ドーピング”なる言葉は初めて聴いたし、多少引っ掛からない訳でもなかったが、実力は兎も角として、良い釣り竿やゴルフクラブなど良い道具を欲しがる素人オヤジが世の中にはどこにでもいる訳で、そういう類のオヤジのひとりとして私が認定されていること、その線において極端で分不相応な選択をしているのではなさそうだということが分って多少安心した部分もあった。この論理展開は滑稽なのは十分に承知しているけれどw。

店長のオニイサンにコンポの組み換えについて、細かい部品などの調整(と言っても、オニイサンの質問に対して全面的にプロに任せますと返答しただけだったけれど)と組み立ての日程を決めてその店を辞した。因みに、ULTEGURAは電動式Di2が人気で話題になっていたのだが、個人的には電動化に気持ち的な抵抗感があったのと、予算的な限界もあり、機械式のものを注文した。



99日にお店に自転車を持ち込んで、納車して貰ったのが916日であった。

事前にイチロウと試験走行を兼ねてそのお店から山口県下松市までの往復路約120㎞、旧山陽道を辿って走ろうという事になっていた。

その日、午前9時の開店直後にふたりしてお店に出向き、予定通りコンポ組み換えが終わった愛車を受け取ることが出来た。

自転車を受け取る際に、店長のオニイサンからは「ULTEGURAに変えられて一番の違いは、ブレーキが思った以上に良く効くから、気を付けて乗って下さい」と言われたのだけれど、実際に乗り始めてみると確かにブレーキが良く効く。それから、乗って初めてからすぐに気が付いたことなのだけれど、両脚の力がペダルを通してギアに余すところなく駆動力として伝わっているようであり走りやすく、ギアを変えてもかっちりと入ってくれて大変気持ちよく、このコンポへの信頼感・安心感が強まった。




また、上り坂ではその駆動力が発揮されて、ペダルを踏み込んだ力が、ギアに余すところなく伝わっているようで、グングンと登坂して行ける感覚があった。実際に105よりもギアを落とさずとも十分に登り坂を漕いで行けるようだった。



“全く……。違いがわからないといったヒトは誰だよう?。私のような素人オッサンでも十分に105ULTEGURAの違いが分かりました。”

それに付け加えるならば、120㎞走行し終えてみて、何時もに比べると疲労感が断然減ったような気がする。


やっぱり道具の違いってものはあるんだね。そうか店長ニイサンの言ってた“道具ドーピング”ってこういう効果もあるのかもしれない。



十分に、ULTEGURAの良さを堪能することが出来た。後は、道具に見合う己の実力をあげて行くのみかw。