2020年6月2日火曜日

J氏とT氏と私の感情的記憶断片

本日、HMVのネット通販で予約購入した二つのCDアルバムが手元に届いた。

ひとつは、Antonio Carlos Jobim / Hibiya Open Air Concert Hall, Tokyo 1986、もうひとつは、Joao Gilberto / Live in Sao Paulo 2008

 

この二つのアルバムが発売されることについては、20205月上旬までにはジロウやコウスケ関東組面々のツイートで知らされていたのだが、その時にはあまり気に留めてなかった。その後しばらくして、イチロウがFBのスレッド上に前者のアルバムの事を取り上げ、このアルバムが1986年日比谷野外音楽堂で行われたJobim唯一の日本公演の模様を収めたものであること、そして奴め「学生時代に彼女とそのライブを観に行ってたんだw」などと誠に平和な事を記していたものだから、「この野郎w!」と俄然心が動いてしまい、HMVのサイトに行ってポチってしまったw

 1986年当時私は大学3年であった。夏休みが終わり学生としての日常生活が再開され、久しぶりにイチロウに再会して恐らくお互いの近況報告をし合っていたのかもしれない。その前後の話はすっかり忘れてしまったのだが、彼が「あのさ、Jobimのコンサート行ってきたのよ。めちゃ良かったよう」などとポロっと言ったのだと思う。その時に私の中に起こったショックというか羨望。咄嗟にはわが身に起こった感情をどう表現して良いものか分からなかったので、私は平然を装い「へー。良いことしたな」程度で済ませたのだろうと思う。この度イチロウにその時の想い出を話したところ、彼には全く記憶がなかったようなので、当時の私は、彼に私の感情の動きを気取られず、うまく心のなかで押しとどめておくことが出来たようだった。

 地方に生まれて育った私は、都会文化への憧れ・コンプレックスが強かった。結局のところ私の実力不足もあり、都会へ出ることを諦め地方の大学へ進学したのだが、そのまま一生地方で過ごすことになるであろう事について、自分の中で折り合いをつけていたつもりだった。が、イチロウが事もなげに、私たちの中で既にアイドルになっていた、そして来日することも稀な外国アーティスのコンサートに行くとなぞという都会生活者ならではの悦楽を易々と享受したことを知り、私の中での強い羨望を覚えたのだった。30数年を経た今頃になって、あの時の感情が思い出されるのだから相当強い感情体験だったのだと思うと我ながら可笑しい(笑)。

 

私の記憶が正しければ、そのコンサートの模様はその年秋頃にNHKで放送されて、私はテレビで十分に楽しむことが出来た。とても良いライブと画像表現だったと思ったものだが、この度改めてCDの聴き直してみて、当時放送で観た画像が蘇るようだった。夏の夕暮れ、陽射しを浴びた木々の緑葉が優しく映えて風で揺らいでいる、やがて日が陰って来るとなお一層観客たちが心地よい空気と音楽を浴びて心からリラックスし幸せそうな表情を浮かべている様子。ステージ上では、息子のパウロやコーラスの娘たちと奏でる音楽に満足そうな笑顔のトム…..。今CDで聴き直してみても本当に素晴らしいライブだったのだろうことが十分に伝わってくる。30数年前の若かく未熟な私の内なる葛藤やほろ苦い感情体験も懐かしく包んで昇華させてくれているような気分になった。

 

Joao Gilberto Live in Sao Paulo 2008は、ジョアンの最晩年のパフォーマンスを知る上で大切な資料になりそうなアルバム。このヒトは生きている時から既に半ば隠遁してしまい、ファンからも他のアーティストからも伝説化・神格化された存在で、その動向に関する情報が少なかったので、彼の訃報を知った時には妙に腑に落ちたと想いがしたものだった。

 私は、イチロウ・ジロウのおかげで彼が来日した2003年東京公演、2004年大阪公演、2006年東京公演に聴きに行くことが出来た。ファンの間では、彼は気が乗らなければ(コンデションが良くなければということなのだろうけれど)コンサートのドタキャン、遅刻、途中での演奏放棄をすることが知られていて、彼がステージに現れる瞬間まで本当に演奏を聴かせてもらえるのか分からない状態だった。

 コンサート当日は、いずれの公演でも「出演者の都合で公演の開始が遅れます」「今こちらに向かっています」の会場内アナウンスが流れた時には、観客一同とため息とも笑いともつかないどよめきが起こったものだった。そして、やや猫背気味の彼がギターを片手に持って、トボトボとステージに現れた時の驚きと歓喜。外見は老年の学者然としたオトコがステージの真ん中の椅子に座ると、優しい声で「コンバンワ~」と一言。観客どっと拍手。そしてその後は、彼の歌声とギター一本でオーケストラに匹敵する演奏で観客一同彼の音楽マジックにかかった状態に陥った。咳払いをするのも憚られて、じっと彼の演奏に聴き入り1曲が終わると惜しみない拍手。それがずっと繰り返された。やがて、ある曲を演奏し終わるとJoaoがギターを抱えて俯いてフリーズ状態に。しばらく観客からの拍手が続いていたが、彼のフリーズが長くなり観客が不審に想いどよめきつつ拍手が小さくなると、彼がギターを軽く叩いて拍手を要求、やがて袖口からマネージャが出て来て演奏の再開を促すように彼の耳元でささやいて引っ込んだ。暫くしてJoaoが気を取り直して演奏を再開。後で彼が述べたところによると、「あまりにも日本の観客が素晴らしく、その拍手に浸っておきたかった」とのこと。

 彼自身の音楽への細心の注意力と集中力が観る者を包み込んで、コンサートホール全体に音楽の神様が宿っているようであった。コンサートが終わって3人でホールを出る時、3人とも言葉が出なかった。三者三様に「至高の幸せとの邂逅」を感じたのではなかったか。

2008年の彼の母国でのライブの音源を聴いてみると、観客が彼の音楽を愛おしむように聴き入っている様子が伝わってくるし、そして何よりもこのライブにおいても彼が自身の音楽に対して衰えぬ情熱を持っていることが分り聴いていて胸を打つものがあった。

 私自身にとっては、2003年、2004年、2006年のコンサートは、青春の集大成のようなイベントだったし、音楽を聴いてあのような幸福感に浸ることは今後もないのだろうと思う。今振り返ってみるに、イチロウ、ジロウや私にとって、あのコンサートが開かれた頃は40歳代前後のことで、本格的に大人になっていく年頃になっていたのだろう。それぞれに齢を重ねるにつれて仕事、家庭生活のこと、そのほか目の前の事に意識の比重が大きくなり、その背負う責任も重くなっていく頃に差し掛かっていた。そのような人生の季節に実際に彼の演奏を観た・浸ったという体験というのは、私にとっても彼ら二人にとってもかけがえのない人生の宝になっているし、人生のひとつの節目になっていたような気もするが、彼らはどんなふうに振り返るだろうか。

 Jobimの日本公演から24年、Joaoの日本公演から14年の月日が流れた。二人とも既に鬼籍に入り、ボクらも夫々にそれなりに年を重ねて来たんだ。