2016年5月21日土曜日

石見グランフォンド2016体験記①前夜祭編

514日、午後5時過ぎ。その日の仕事を特に波乱なく済ませたイチロウと私は、自転車と付随する荷物を私のクルマに積み込み、職場を出発した。

週末夕方で、混雑が予想された市街地を避け、宇品から広島高速~草津道路~一般道~山陽高速五日市インターへ進路を進め、山陽道~広島道~中国道に入る頃には走行車両は驚くほど少なくなり、浜田道に入ると進路方向にも対向車線にも全くクルマを見かけることが少なくなった。気持ちよくクルマは目的地に向かって進んだ。

 その晩は、会場となる大田市の隣にある江津市内のビジネスホテルに投宿することになっていて、車内の中ではその晩何を食べるかという話題になっていた。イチロウ曰く「マサキに何喰わせてやろうか?有名な焼き肉店があるみたいだけどな。それから、有名な酒屋が週末ワインバーを開いているみたいだけど、これは第4週の土曜日か….。残念だけど、まあ覗いてみるか。それから、やっぱり山陰と云えば、のどぐろを喰わねばなるまい。ああ、腹減ったな」。

 彼にしては、饒舌に愉快そうに隣で喋っている。普段は寡黙なイチロウが日常の緊張から離れたせいか機嫌が良く、車中で問わず語りで彼の家族の近況なども話してくれた。

 私もハンドルを握りながら、「こういう高速道路を作るヒトって偉いよなあ」などとおバカな事を言いながら、機嫌よく応じていた。仕事や家族の諸々の懸案から解放されて心からリラックスし始めていた。そう云えば、Gilberto’s(自転車と音楽の仲間の集まり)として出動するのは、20153月の琵琶湖以来だった。

 前日は、you tubeupされたコース紹介を見て、己のコンディション(この半年間まともにバイクに乗っていない)とコース設定のハードさ間の乖離に緊張を覚えてあまり眠れなかったのだが、ここまで来たら四の五の考えずに今晩は恒例の前夜祭を楽しむしかないだろうと開き直った心境でもあった。

 浜田ジャンクションから山陰道に入り江津インターで国道9号に降りた。暫く東に進み、江津駅直前で、海岸側の径に入った。左手に工場の巨大な煙突の灯火点滅が見える。江津という街は、江の川の河口付近に出来た街で古来中国山地からの荷物や日本海からの物資の集積地として栄えた街だったようであるが、今では左手に見える工業地の門前町みたいになっているのかしらと想像した。

その径を約100m程度進むと、右手国道側にその日に投宿するビジネスホテルが見えた。午後8時頃目的地に到着。ホテル・エントランス前に車を停車させて、自転車と荷物をロビーに置かせてもらう。玄関横には、何と黄色いランボルギーニが駐車してあった。県外ナンバーであったので宿泊客のもののようであるが、ややその場と不釣り合いなようで、ちょっとしたおかしみを感じた(この表現は、ホテルと江津の方々に失礼だったか。御免なさい。)クルマ好きのイチロウに「念のために写メしとけよ」と声をかけると、「じゃ、一丁そうしておこうか」と応じた。



私は、そのランボルギーニの向かい合わせに古いホンダ車を見つけ、妙に懐かしさと急激に高まる旅情を覚えたので一枚写メさせてもらった。

フロントの担当者に指定の駐車場を聴いてクルマを移動させた後、正式にチェックインする。フロア担当の方が、意外にも若くて美人な女性だったので内心驚き、更にはその女性が「明日のサイクリング大会に参加されるのですね。頑張って下さいね。」と優しい笑顔で応接してくれるので、感動してしまった。

“このヒトが典型的な島根美人なんだ。島根美人は笑顔がステキで優しいんだな。”と早くも己の偏見全開にして感動してしまっている。

 「オジサン、若い女の子にその理由は何であれ優しくされると弱いんだよな~。今回の旅、良い出会いがありそうで、大いに楽しめそうw」等と独り盛り上がる。

 エレベーターで上階に上がり、夫々の部屋に入り旅装を解く。イチロウによると、このホテルは開業して2年程度とまだ新しく、シングルの部屋もコンパクトな作りながら、清潔で各種のネットなどのラインが設置されていて使い勝手が良さそうであった。十分である。気持ちよく休めそうだ。

 一息ついて、再びイチロウと合流して、ホテル付近を散策しながら1次会の食事処を探す。イチロウ曰く「江津と云えば、共栄焼きが有名みたいなんだけどな。だけど、今日はそういう気分じゃないだろう?マサキ。のどぐろ食わせてやりたいなあ。さて、どこで喰えそうか・・・?」

 ホテルは、江津駅前を東西に走る国道9号線の海側に沿って幅大体50mlくらいの細長い区画の中にあり、その区画の海側には埋立地に開発された工場と新開地が広がっている様子であった。ホテル付近の界隈に居酒屋やカラオケ・スタンドなどの飲み屋があった。ホテルを出て、目と鼻の先の国道までの通りに面白そうな居酒屋が23軒あったが、いずれの店も何故か20代前後らしき若いヒト達が通りまで出て飲食するほどの賑わいであったので驚いてしまった。

 時間の都合で食事処を探すことはひとまず置いて、イチロウが事前に情報を得ていた国道沿いにあるワインショップをまずは訪問することにした。

 ESPOA たびら」さん(http://espoa-tabira.jp/#)。私は全く調べずにその店に赴いたのであったけれど、オーナーさんがワインを直接現地で買い付けをして、お店で輸入販売されている、地方で頑張っていらっしゃるショップのようなのである。その夜は、若い店員さんが店番をしていていた。

 イチロウが「折角来たのだから、何か買って帰れよ」というものだから、何か一本を探すだが、私は呑むのは好きだけれどあまり銘柄を覚えることもしないので、当てがない。仕方がないので店員さんに「酸味がそれほど強くなくミネラル感のある白ワインを選んでほしい」と依頼しフランス産の「L. ARJOLLE 2015」なるものを選んでもらう。値段も手頃な価格だったので、それを一本購入した。それから当夜の2次会用にと「石見地ビール」を2種類1本ずつ購入し、辞去した。


  帰った後で、ボトルを見てびっくり。ワインのボトルに「販売元 エスポアたびら」のシールが貼ってある。そして、このショップのホームページを初めて開く。オーナーさんが直接現地で買い付けたワインのリストや携わったイベントが紹介されている。どこかの大手販売ルートから仕入れたものではなかった。地方都市で情熱を持って仕事をされている様子が解り、その姿勢に本当に脱帽。選んでもらった白ワインも私好みの味で美味しかった。気持ちの良い初夏の晩によく合いました。来年もまた石見グランフォンドに参加することになったら、事前にこのお店のワインリストをチェックして、ワインオープナーをカバンに忍ばせてやってきましょう。前夜祭当日に試飲しなければw。

 その「ESPOA たびら」を出て再び食事処を探すべく、ホテルまでの径を戻り、ホテルにチェックインする前に見かけた海側の径にある、「焼き鳥、おでん、魚料理」の暖簾がかかったお店に入る(店の名前を失念してしまった)。

 年配のご夫婦とその息子・兄さんで経営している居酒屋さんのようで、カウンター席に通された。カウンター越しの厨房からは勢いよく焼き物の煙が上がり、カウンター席後ろの座敷からは地元客の賑やかな笑い声が聞こえている。とてもローカルな雰囲気があってイチロウも私も気に入った。

 イチロウが黒板の品書きから「のどぐろ」を見つけて、ニンマリ笑顔で注文したが、「生憎品切れです」と女将さんが申し訳なさそうに返事される。イチロウ忽ちがっかりした様子となり、それでも気を取り直して「じゃあ生ビール二つと、アジと○○(聴き落とした)の刺身下さい」と注文した。

 ビールが運ばれてきて乾杯をお互いに交換した後、おでん3品、カレイの塩焼きを夫々に追加注文をした。

 イチロウ「のどぐろ食えなくて残念だなあ。マサキに食わせてやりたかった。明日大会が終わった後、どこかで喰って帰るか?」などと言っている。私は、「のどぐろ」を食べたことがなく、甘鯛と完璧に混同していた。その事を話すと、イチロウに大いに笑われたのであるが、どちらも瀬戸内では獲れず私には両方の魚は山陰産のものとして認識していた程度で、あまり馴染みがないものだから、イチロウの悔しがり方を却っておかしく見えた。

「のどぐろ」は逃したものの、出されたアジの刺身、カレイの塩焼きは誠に美味しく大変大満足であった。カウンター越しの壁に掛けられたテレビがNHKの「トットチャンネル」を映し出していた。

黒柳徹子さんのデビュー当時の様子を昭和の雰囲気たっぷりに表現されたバラエティードラマらしいのだが、チラチラ見ていると、このお店やそしてこの街全体の雰囲気とそのテレビ番組の意図する“昭和懐かし”コンセプトがリンクしているようでとても懐かしく感じられたのであった。到着してほんの1時間しか経っていないのだけれど、私にはそして多分イチロウもこの街の雰囲気が好ましく感じられたようであった。

このお店のお兄さんも女将さんも応接が丁寧で優しく、とても良いお店であった。“島根のヒトって良いヒト達だなあ”。

食事に大満足してそのお店を辞しホテルに戻ろうと十数m歩いたところで、さっきの居酒屋に荷物を置き忘れたことに気づき振り返ったところで、暗がりの中をお店のお兄さんが走ってくるのが分かった。「お客さん忘れ物」と荒い息を抑えて声かけてくれる。私は大変恐縮して、礼を言ってその荷物を受け取った。

やっぱり島根のヒトは良いヒト達だ。江津が益々に気に入り出した。

 再びホテルに向かって歩き始めると、イチロウが「なんか物足りねえな。もうちょっと明日の大会に備えて炭水化物を取っておきたいな。ほらここに来る前の国道沿いラーメン屋があったろう、ラーメン喰っとこ」「それから2次会と明日の大会に備えての買い出しに、コンビニに行く必要もあるな」など言い出した。

 このオトコ、普段は小食なのに旅先になるとどうも食欲全開になるヒトで可笑しい。私などはどちらかと云えば旅先では食えなくなる、もとい呑んでしまうのでどちらかというと食べることが二の次になるのであるが、この食い気における差異が両者の旅先での元気さ具合の違いになって出てくるのだけれど、大した考察にはなりそうにないのでこの話はこれ以上展開させない。

ホテルに戻り、ワインショップで買った酒類を部屋において、フロントで近くのコンビニの場所を聴いて再び外出する。オジサン的には残念ながら、先ほどの若い女性のレセプショニストは居なくて男性フロントマンが親切に応接してくれたのだけれど、それはそれでまあ良いかw。ホテルから最も近いコンビニまで徒歩15分程度のこと。ちょっと遠い気もしたが、街を散策するには丁度良いかとイチロウと話す。

 イチロウと国道9号線に沿って西方向に歩く。午後9時を過ぎた国道は通る車も少なく、そして街灯もあまりなく暗い。所々に居酒屋チェーン店、カラオケスナックの看板あり。江津駅の出口、駅前駐車場辺りには人影はなく、駐車待機しているタクシーも数台程度。誠に静かな佇まいである。狭い平地に国道とJRが走っていて、暫く歩くと国道が高架になって線路と交差していた。その高架橋は交差点にもなっていて横断歩道を渡ると高架の下を走る線路を見下ろすことが出来た。街灯の灯りでうすぼんやりと前方に線路が走っているのが見える。

“電車が走ってくれば良いものを”と思ってみたりしてもやってくる気配もなし。だけれど、暗闇の中の街灯の薄明りのなかでぼんやりと浮かび上がって見える線路の雰囲気もなかなか風情があって旅情を感じさせてくれる。全くのファンタジーだけれど、Gilberto’sの面々が夫々に若くて何も責任のない年頃であれば、ここで自転車合宿をして騒ぐのも楽しいだろうに。

そんな他愛もない話をイチロウとしながら、その交差点を左に折れて高架橋を下り海側の新開地に出来ている市民センター、市立総合病院の区画にある立派な作りのコンビニに入る。翌日の朝飯、スポーツドリンク、栄養補助食品(早い話がウィダインゼリー、カロリーメイトの類)、2次会用のアルコール少々(とちょっとぼかして表現w)おつまみ類などを購入する。

コンビニを出ると再びイチロウが「なんか炭水化物摂ろう。さっきラーメン屋があっただろう。」と再び炭水化物摂取を欲し始める。「じゃあ俺はビールと餃子で付き合うか。」と如何にも仕方なくという表情を作り応じるが、翌日に大会が控えているにもかかわらず、己のアルコールに対するブレーキがいつの間にか取れていることを恥じつつも、一方でイチロウが炭水化物摂取にこだわる余りに私のアルコール摂取に対するチェックが甘くなっていることに内心可笑しみを感じる。

トボトボ高架橋を上ってラーメン屋に接近してみると、丁度最後の客が出たところを見かけて、更に店に近づくとその入り口ドアには「準備中」の札がぶら下がっているのが分かった。イチロウが「どうも今日は食いっぱぐれているなあ」と、のどぐろとラーメンを逃した恨みをぼやくが、ないものはないのだ。時刻にして10時ちょっと前、“夜が早いこと、ないものはないという潔さが島根の魅力じゃないか”と早くも江津・石見地方偏愛主義者となりつつある私には思えた。

店を離れふと東側を見ると、国道沿いに「モスバーガー」の看板がある。俄か炭水化物偏愛主義者と化したイチロウが「しょうがない、モスバーガーでも食ったるか!」と自らを慰め、トボトボと移動を開始した。

モスバーガーの店内に入ると、全く驚いたことに明らかに高校生の運動部員らしき男女が大勢集まって賑やかにしている。“江津のティーンエイジャーは夜な夜なハンバーガーショップに集まるのか、知らんかったあ。夜遅くまで部活してすきっ腹抱えてここにやってくるのか。そうかそうか。でも、もう10時近くだろう?早くお帰り…..。”そう思えど、顔にも口にも出さず、ただただその賑やかさに圧倒されて、オジサンたちがこの店に入ったのが完全な場違いだったと反省する。イチロウと夫々に注文してテイクアウトする。

街のメイン道路にはクルマも人影もほとんどなく薄暗い街並を楽しめていたのだが、ホテルの近くの居酒屋やこのハンバーガーショップに夫々に若者がたむろしているところがあって、現在のこの街の成り立ちを知らない者にとってはちょっと不思議な街のようにも思えた。

ホテルに戻り、私の部屋で2次会を開く。イチロウと二人で、これまでにGilberto’sで参加した琵琶湖ロングライド、しまなみ国際サイクリング大会の思い出話となった。

 「いずれも本当に楽しかった。何といっても前夜祭がやっぱり盛り上がって外せないよな」などとイチロウが云う。

本当にそうだった。皆オジサン世代になってそれなりに何らかの責任を持つ年頃になった者同士が、素の青年気分に戻って夫々のペースでひと時の邂逅を楽しんでいる。体育会系とはちょっと違うけれど、ほど良い按配の連帯感があるチームカラーで良い集まりだと思う。

 午前0時を過ぎたところで2次会をお開きにして就寝とした。その夜はイチロウも私も、これまでのGilberto’s遠征の中でも最もリラックスして前夜を過ごしていたように思える。そして、イチロウは私に対して何時にも増して気遣ってくれていたようだった。

 誠に心優しき江津の夜だった。私は、前日の寝不足とほど良い酔いが回ったおかげで、その後しばらくして安眠の世界に落ちたのだった。



(つづく)

2016年5月14日土曜日

石見グランフォンド2016に向けての極私的カウントダウン

どうも本当に石見グランドフォンド2016に出走することになったらしい….、とこの期に及んで他人事のように思う自分が居る。




あれは何時のことだったのだろうか?イチロウが、「石見グランドフォンドという良い大会が5月にあるから申し込んでおくぞ」と問いただしてきたので、つい「ああ、分かった」と返事をした。



年度が変われば、自転車に乗る時間が出来てそれなりに準備が出来ているだろうと高を括っていたのであるが、4月になって毎年のように「この時期は忙しくなるのだったな」と思いだしあれよあれよという間に、大会は明後日(正確には515日の明日)になってしまった。



マサキは、全くトレーニングしていないのに140㎞のミドルコースに出走することになっている。



GW明けに、マサキは己の練習不足(ていうか、運動不足)から石見グランドフォンドに出場しても完走する自信が持てず「今度の大会棄権するわ」とイチロウに上申した。

イチロウは「あいや、その件分かった」と言いつつも、「ところで」と話を繋ぎ、GW中にイチロウとジロウが会って雑談する中で、「どうも最近マサキは自転車に対して全くやる気なし。Gilberto’sの侍従及び祐筆を解任するべし」という結論になったらしく、「そういう沙汰になったからな」と告げた。

その話を聴かされたマサキはがっくりと深く頭を垂れてしまうしかなかった。

暫くはこの度のことやむを得ずと己に言い聞かせていたものの、やはり「行かねば、オトコじゃあないよな」と妙なところで、男としての矜持を示したい欲求に駆られ(この辺りはおバカ以外の何ものでもないがw)、ギリギリになって「イチロウ、やっぱオレ出るわ」とGilberto’sのチャットで宣言してしまったのが月曜日であった。

火曜日、イチロウは「無理はしなくても良いぞ」と言いつつも、やはりどこか嬉しそうな様子。「今回は、当然Gilberto’sのチームジャージで出るよな」と問いかけるものだから、二つ返事で「了解」と答えたのだが、その夜自宅に戻り納戸を何度も探せど(この辺のダジャレはご容赦願いますル)、チームジャージが出て来ない。

“???” プライベートなジャージは容易に出てくるのだが、肝心なチームジャージは全く見当たらず。さては、先月の大掃除の時に無意識にどこかにしまい込んでしまったらしい。“いいえ、決して捨てるなどという大それた事は有りえず”と独りで心を強くしてもどこか自信が持てず。

水曜日に、恐る恐るイチロウにチームジャージが見当たらない旨伝えたところ、イチロウ「一応本部に伝えておくが、この事態それ相応の処分が下るから、覚悟めされよ。おそらくジロウ先生から破門の沙汰が下ること必定だからのう」としたり顔で言うではないか。

“このマサキとしたことが、ほんの数日でチームの中枢政治局から失脚し、更には党員資格まで剥奪され、何時放逐されるかもしれずという瀬戸際まで追い込まれてしまっている。どうもその裏にきな臭い政治的意図を感じずにもいられないが、せめてもの救いはここがコミュンテルンでなくて良かったこと。シベリア送りにはならずには済むだろう”と勝手に旧ソ連スパイもの小説の気分を半分楽しみつつも、心の何処かでは実際にチームから除名されてしまうのではないかという一抹の不安を感じていた。

マサキとしては、このままチームジャージを無くしたという理由でチームから放逐される不名誉だけは何とも避けたい。例え近未来にしても遠い将来いずれかにチームを去ることがあったとしても、“失脚・放逐・処払い・島流し”というような類の不名誉な形で去りたくないではないかと思うのであった。

そして、その夜もう一度気合を入れ直し、自宅のタンス・棚類、納戸の衣装ケース、屋外の倉庫を徹底的に当たったところ、ありました!なんと前日見た筈の納戸・衣装ケースの片隅に置いていたTSUTAYAの小さなビニール袋の中にあった!

早速時間も考慮せずその日の深夜にイチロウにmessengerで「処払いの上遠島を申しつけられることは免れたw」とその旨報告した。






木曜日、マサキのチームジャージが有ったという報告にイチロウが気を良くしてその表情を明るくしている。「良かったなあマサキ。これで本部に報告しなくて良かったな。」と、続けて「どうも最近、俺ばかりが突っ走っているというか、周囲との温度差を感じていたんだよな」とボソッという。彼にしてみれば、やっとマサキのやる気が出て来たところで、気が緩んだのかもしれない。どうも自転車へのモチベーションが独り強すぎて周囲から浮いているようだ、というのである。マサキが「あれ?ジロウがいるじゃん。」と尋ねると、彼曰く「最近ジロウ先生も副業が忙しいらしくてなあ」という。つい気が楽になっておバカ丸出しのマサキが「だからさあ、世の中のオジサンたちは皆忙しいんだよう」とつい調子に乗って言ったところ、妙にその言葉がイチロウの心に刺さったらしく、言ってしまった者が後悔するくらいにがっくりと来ている。

“これはしまったわい”と思ったマサキはイチロウのテンションを再度挙げるべく、色々と軽口を叩くが暫くはイチロウの表情はどこか暗いままである。



金曜日、その日は職場のお留守番のためお泊りであるために、土曜日からの石見遠征に備えて、ジャージや道具など準備を整えて出勤。昼休みに、自転車を磨き、チェーンに潤滑油を指し、タイヤの空気をチェックしたところで、イチロウ・ジロウが昨年北イタリアにある自転車の守護聖人が祀られている何とかという教会を訪れた際にお土産で買って来てくれたチャームを愛車に装着して貰うべくイチロウに頼む。イチロウは、快く「良いぞ。」言い、マサキの愛車のサドル下に装着してくれた。



作業の流れでというか、お守りがあるのを思い出して何気なくイチロウに装着を頼んだのではあったが、実際に守護聖人の紋章の入ったチャームを愛車に装着して貰ってみると、マサキは全く予期していなかったのであるが、そのチャームから何かしらの霊的なエネルギーを貰ったようで大会に向けてのモチベーションが高まってくるのを感じたのだった。イチロウも満足そうな笑顔を示し、「やっとマサキがその気になってきたな。日曜日は曇りになったけれど、却って陽射しも強くなくてコンディションとしては最良かもな」と言い、昨日一度下がった彼のテンションもまた十分に回復してきたようだった。





そして、機嫌よく「あのさ、you tubeに石見グランドフォンドのコース案内がupされているから、一応チェックしておけよ。イメージ掴んでおいた方が良いからな」と言った。そして「思ったより行けそうだぞ、女の子も140㎞コースは沢山出ているみたいだし」と続けた。



マサキもイチロウの言われるままにその動画を観てみた。

「何々。なぬー、やっぱりアップダウンがきつそうじゃないの……..。トホホ。」



というわけで、出場を宣言したことを後悔しつつ軽い緊張を覚え始め、眼が冴えて夜眠れなくなったので、この駄文を大急ぎで書いた次第なのである。

守護聖人からのご加護がありますように。



(つづく)






黄金週間中の束の間の休日を楽しむ

53
午前8時過ぎに家内と二人で山陽高速を東上し岡山へ向かう。

最初の目的地は、家内の希望で三井アウトレットモールであり、午前10時過ぎに現地に到着。別に欲しいモノなぞなかったので、熱心に服やバッグなどを品定めし始めた家内から離れ、モール内をブラブラ歩く。


不思議なもので、ブラブラと各店舗を見て回るうちに、購買意欲が湧いてきて、ついイタリア製で定価の40%オフだと称する革靴とブルックスブラザーズのシャツ1枚、チノパン1枚を買ってしまう。購買意欲旺盛な家内は、長男・次男(ついでにとエクスキューズしながら)自分の洋服などを購入していた。

昼前くらいになると、そこそこのお客さんが増えてきてそれなりに賑わいを認めたが、アウトレットモールをぶらつくぐらいだったら、目と鼻の先の倉敷の美観地区や商店街を彷徨いたかった。目的ものなくぶらつくことに全く興味のない家内に訴えても決して受け入れて貰えないだろうとっから諦めていた。

午後1時過ぎにアウトレットモールを離れ、家内の実家のある岡山市に移動。途中で、倉敷名物となっている「ぶっかけうどん」を食べる。天麩羅をトッピングし冷たいだし汁で食したのだが、安定した旨さあり。今では、丸亀製麺が全国的にチェーン展開しているので、ぶっかけうどんなるものは今では然程珍しい食べ物ではなくなった。



午後3時前に家内の実家に到着、義両親が温かく迎えてくれたが、孫が同行していないことがどこか寂しそうな気配であった。偶然にも、到着後しばらくして家内の携帯に長男より、12日で実家まで帰ることにしたと連絡あり。義両親の顔がほころんで、婿として“まあ良かった”と安心した。

54日 
帰省する息子の出迎えと買い物を目的に、岡山駅横に出来たイオンモールに出かけた。午前10時に到着、長男と1030分に待ち合わせることになっていたが、前日の購買意欲に火が付いてしまってい、数年ぶりにスーツを購入することになり、店舗内を探して歩く。便利になったもので携帯電話があるため、長男との待ち合わせも全く問題なし。

私は普段スーツなぞ着る機会が少なく、年に23回くらいのものか。これまでは仕立ての良いものを欲していたのであるが、年に数回しか着る機会がなくしかもどんなに良い生地で仕立てられたスーツでも、数年経てば型が古臭くなってしまい着ることを躊躇ってしまうことにこの頃ようやく気が付き、量販店のお手頃なもので良いのでないかと思い至った。

目当てのモノを難なく見つけ、ツーパンツ付きの夏物スーツ35千円なりを然程悩まずに購入。多分これからの数年春から夏にかけて、12回程度着たら、お役御免になるのだろうな。それで良いのだと妙に納得する。

ちょうどスーツを購入して、パンツの裾直しを頼んだところで、長男と落ち合う。約1か月ぶりの再会であったが、少し落ち着いた様子で、受験期のころに目立っていた顔のニキビの随分と退いており、心なしか大人びて見えた。



店舗内のフードコートで少し早目の昼食を摂りながら、長男の近況を聴く。新しい学校の講義のこと、入会した放送研究会なるものの様子、新しい仲間のことなどを話してくれたが、楽しく仕方のない様子。口うるさい親から離れての自由を満喫している様子で、親元を離れて清々している雰囲気が言外に伝わってきた。それはそれで良いと思えた。これから先の奴の人生の有り様について世間に迷惑をかけない限りとやかく言うまい(云えまい)と思えて、バカ親の私はある種のすがすがしい気持ちになれた。



「独り暮らしになると、なかなか魚が食えないから」との長男のリクエストで回転寿司にて早めの昼食を摂り、一度妻の実家に戻った。




外は五月日和で、「何もせずに過ごすのは勿体ない」ということになり、寝不足であるという長男を置いて、義理の両親と我々夫婦の4人で、総社市の国分寺跡・五重塔界隈までドライブすることになる。以前にもこのブログで書いたのであるが、岡山県総社市は学生時代によくドライブに出かけた懐かしいところである。






国分寺跡・五重塔付近は、私の学生時代に比べると、ドライブパーキング、そして国民宿舎「サンロード吉備路」なども設置されてなかなか賑やかなことになっていて、連休もあってか中高年を主体に観光客も多く認められた。





国民宿舎「サンロード吉備路」に所望品があるからとの家人のリクエストで立ち寄り、買い物をしている間に、施設内をぶらついていると、駐車場内の看板に「たんちょうづるの里」と謳っているではないか。“はて、この付近に丹頂鶴が飛来していたっけ?”と不思議に思ったが、建物の裏側に確かに丹頂鶴が飼育(?)されている。これには全く驚いた。





しばらく鶴を眺めて、先ほどいた県道に面した駐車場に向かうと、雲雀の啼き声が聴かれる。探してみると、施設から道路を隔てた畑の上・青空を背景に飛翔しながら盛んに囀っている雲雀が見て取れた。



その穏やかで気持ちの良い風景を眺めながら、己の心の中に溜まっていたモヤモヤとした疲れや緊張が解れていくのが分かった。


(※残念ながら、雲雀が飛翔する様子が撮れていないのだけれど、この愛らしい囀りだけでも楽しんでください。)



私の他3人の買い物が終わるのを待ち、そこから少し移動して総社市市役所近くにある喫茶店「Savoy」へ向かう。ここも学生時代にイチロウと時々立ち寄ったことのあるお店で、当時“谷村新司さん似”のオジサンが独りで経営しておられた。その後、結婚前に家内を連れてきた記憶があるのだが、それから25年くらい立ち寄ったことがなかった。果たして今もあるだろうかと一抹の不安を抱いていたのであるが、ちゃんと今でもお店があり感動する。



席について注文をした後で、F.B.でイチロウとコウイチにこのお店への来訪を伝えたが、二人からの返事は記憶にないとの事で、コウイチも連れてきたことがある筈だし、ましてやこのお店を見つけたのはイチロウであったのに、二人とも全く忘れているなんて、四半世紀の年月は長かったんだなと実感した。



“谷村新司さん似”のマスターはご健在で今もヒトで切り盛りされていた。他のお客さんは中高年の男性が数名居て、如何にも御常連さんといった様子で寛いでいた。義父がこの近くの出身であり、同じような年ごろの男性客を眺めては別に知り合いでもなさそうなのに、懐かしそうににこやかに眺めていた。私としては、お連れして良かったなと思える。



特にマスターに話しかけることもしなかったのだが、この店に再び来訪出来たことが嬉しくて、マナー違反とは感じつつも、何枚か写メしたものだから、そのエクスキューズをしておかなければと思い、喫食を済ませて会計の時に一言挨拶をしておいた。若い頃時々この店に来させて貰っていたこと、再び来店出来て嬉しく思っていること、マスターがお元気そうなので良かったことなどを述べて、店を出た。また、岡山への帰省の折にはこの店を訪れたいと思う。



その後は、再び総社市の隣の清音村・山手村を通る県道に出て、妻の実家に戻ったのであった。この界隈も年月の流れで随分住宅や店舗などヒトの手が入っていたが、基本的な田園や山の風景は変わらず、良い処だった。



心の休養と栄養が取れて十分に充電できたと思えた。






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翌日は、妻とふたりで昼を外食し、もう一つの懐かしの喫茶店に立ち寄り、自宅へUターンしたのであったが、この辺りは割愛。23日の休養・充電期間は目出度く終了したのであった。