午前8時過ぎに家内と二人で山陽高速を東上し岡山へ向かう。
最初の目的地は、家内の希望で三井アウトレットモールであり、午前10時過ぎに現地に到着。別に欲しいモノなぞなかったので、熱心に服やバッグなどを品定めし始めた家内から離れ、モール内をブラブラ歩く。
不思議なもので、ブラブラと各店舗を見て回るうちに、購買意欲が湧いてきて、ついイタリア製で定価の40%オフだと称する革靴とブルックスブラザーズのシャツ1枚、チノパン1枚を買ってしまう。購買意欲旺盛な家内は、長男・次男(ついでにとエクスキューズしながら)自分の洋服などを購入していた。
昼前くらいになると、そこそこのお客さんが増えてきてそれなりに賑わいを認めたが、アウトレットモールをぶらつくぐらいだったら、目と鼻の先の倉敷の美観地区や商店街を彷徨いたかった。目的ものなくぶらつくことに全く興味のない家内に訴えても決して受け入れて貰えないだろうと端っから諦めていた。
午後1時過ぎにアウトレットモールを離れ、家内の実家のある岡山市に移動。途中で、倉敷名物となっている「ぶっかけうどん」を食べる。天麩羅をトッピングし冷たいだし汁で食したのだが、安定した旨さあり。今では、丸亀製麺が全国的にチェーン展開しているので、ぶっかけうどんなるものは今では然程珍しい食べ物ではなくなった。
5月4日
帰省する息子の出迎えと買い物を目的に、岡山駅横に出来たイオンモールに出かけた。午前10時に到着、長男と10時30分に待ち合わせることになっていたが、前日の購買意欲に火が付いてしまってい、数年ぶりにスーツを購入することになり、店舗内を探して歩く。便利になったもので携帯電話があるため、長男との待ち合わせも全く問題なし。
私は普段スーツなぞ着る機会が少なく、年に2-3回くらいのものか。これまでは仕立ての良いものを欲していたのであるが、年に数回しか着る機会がなくしかもどんなに良い生地で仕立てられたスーツでも、数年経てば型が古臭くなってしまい着ることを躊躇ってしまうことにこの頃ようやく気が付き、量販店のお手頃なもので良いのでないかと思い至った。
目当てのモノを難なく見つけ、ツーパンツ付きの夏物スーツ3万5千円なりを然程悩まずに購入。多分これからの数年春から夏にかけて、1‐2回程度着たら、お役御免になるのだろうな。それで良いのだと妙に納得する。
ちょうどスーツを購入して、パンツの裾直しを頼んだところで、長男と落ち合う。約1か月ぶりの再会であったが、少し落ち着いた様子で、受験期のころに目立っていた顔のニキビの随分と退いており、心なしか大人びて見えた。
店舗内のフードコートで少し早目の昼食を摂りながら、長男の近況を聴く。新しい学校の講義のこと、入会した放送研究会なるものの様子、新しい仲間のことなどを話してくれたが、楽しく仕方のない様子。口うるさい親から離れての自由を満喫している様子で、親元を離れて清々している雰囲気が言外に伝わってきた。それはそれで良いと思えた。これから先の奴の人生の有り様について世間に迷惑をかけない限りとやかく言うまい(云えまい)と思えて、バカ親の私はある種のすがすがしい気持ちになれた。
「独り暮らしになると、なかなか魚が食えないから」との長男のリクエストで回転寿司にて早めの昼食を摂り、一度妻の実家に戻った。
外は五月日和で、「何もせずに過ごすのは勿体ない」ということになり、寝不足であるという長男を置いて、義理の両親と我々夫婦の4人で、総社市の国分寺跡・五重塔界隈までドライブすることになる。以前にもこのブログで書いたのであるが、岡山県総社市は学生時代によくドライブに出かけた懐かしいところである。
国分寺跡・五重塔付近は、私の学生時代に比べると、ドライブパーキング、そして国民宿舎「サンロード吉備路」なども設置されてなかなか賑やかなことになっていて、連休もあってか中高年を主体に観光客も多く認められた。
しばらく鶴を眺めて、先ほどいた県道に面した駐車場に向かうと、雲雀の啼き声が聴かれる。探してみると、施設から道路を隔てた畑の上・青空を背景に飛翔しながら盛んに囀っている雲雀が見て取れた。
その穏やかで気持ちの良い風景を眺めながら、己の心の中に溜まっていたモヤモヤとした疲れや緊張が解れていくのが分かった。
私の他3人の買い物が終わるのを待ち、そこから少し移動して総社市市役所近くにある喫茶店「Savoy」へ向かう。ここも学生時代にイチロウと時々立ち寄ったことのあるお店で、当時“谷村新司さん似”のオジサンが独りで経営しておられた。その後、結婚前に家内を連れてきた記憶があるのだが、それから25年くらい立ち寄ったことがなかった。果たして今もあるだろうかと一抹の不安を抱いていたのであるが、ちゃんと今でもお店があり感動する。
席について注文をした後で、F.B.でイチロウとコウイチにこのお店への来訪を伝えたが、二人からの返事は記憶にないとの事で、コウイチも連れてきたことがある筈だし、ましてやこのお店を見つけたのはイチロウであったのに、二人とも全く忘れているなんて、四半世紀の年月は長かったんだなと実感した。
“谷村新司さん似”のマスターはご健在で今もヒトで切り盛りされていた。他のお客さんは中高年の男性が数名居て、如何にも御常連さんといった様子で寛いでいた。義父がこの近くの出身であり、同じような年ごろの男性客を眺めては別に知り合いでもなさそうなのに、懐かしそうににこやかに眺めていた。私としては、お連れして良かったなと思える。
特にマスターに話しかけることもしなかったのだが、この店に再び来訪出来たことが嬉しくて、マナー違反とは感じつつも、何枚か写メしたものだから、そのエクスキューズをしておかなければと思い、喫食を済ませて会計の時に一言挨拶をしておいた。若い頃時々この店に来させて貰っていたこと、再び来店出来て嬉しく思っていること、マスターがお元気そうなので良かったことなどを述べて、店を出た。また、岡山への帰省の折にはこの店を訪れたいと思う。
その後は、再び総社市の隣の清音村・山手村を通る県道に出て、妻の実家に戻ったのであった。この界隈も年月の流れで随分住宅や店舗などヒトの手が入っていたが、基本的な田園や山の風景は変わらず、良い処だった。
心の休養と栄養が取れて十分に充電できたと思えた。
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翌日は、妻とふたりで昼を外食し、もう一つの懐かしの喫茶店に立ち寄り、自宅へUターンしたのであったが、この辺りは割愛。2泊3日の休養・充電期間は目出度く終了したのであった。
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