2022年2月19日土曜日

音楽とボク、的な話/ 他愛ものない話です。

「音楽と私」なぞと表題をつけてしまうと、如何にも各界の著名人なり文化人が音楽を語るみたいな大仰な印象を与えてしまうので、ここでのタイトルはあくまでも「音楽とボク」である。市井に暮らす一平凡な中年オトコの個人的な音楽との付き合い方について述べており、読まれる方にとっては何の役にも立たない、だからどうしたと思われる事を綴っているだけの内容です。だから、どうぞ、興味のない方はスルーしていただければと思います。

 まずは2022年が明けてからの、ボクの思考の流れをざっと整理しておく。

 この2年あまりの時間は、流行り病のおかげで有形無形にボクの生活に影響を及ぼした。仕事おいては業務量も増えるし何かと気を使う場面が増え、私生活においても自由な外出時間も場所も減ってしまった。ついでに述べると、ボクもいつの間にか50代半ばを過ぎて、人生の岐路というかこれからの人生の事も色々と考えてしまうことも多かった。若いヒトがいうリア充な状態で、好きな自転車乗りも音楽をゆっくり聴いたりすることもめっきり減って、このblogを書くネタもなければ、気持ちの上でも書くゆとりもない状態だった。

 年が明けて、三原地域へのドライブがきっかけになり、こういう制約が多くストレスフルな状況だからこそ、もっと身の周りや足元にある良いもの・楽しみを見つめ直して自分自身が楽しんでしまえば良いのでないかと思えるようになった。夫婦二人きりの生活を楽しめば良いし、自分が本来好きだった本や音楽を楽しめばよい、探してみればそういった悦びの対象はどこにでもあることを再認識したのだった。

 音楽については、これまでに聞き逃していたジャンルに自分の関心を広げていこうと思った。ボクのこれまでの音楽的嗜好としては、60‐70年代を中心としたジャズやロック、ブラジル音楽、そしてイージリスニング、そしてクラッシックが主たるものだったのだが、更に思い出してみると音の鳴るものは何でも好きで、祭りのお囃子や邦楽を聴くのも好きであったし、いつかイチロウ氏が土産に買ってきてくれたコーランも聴いていて楽しく思えた。これは芸術全般に言える事だが、世の中には美しいものや優れたものが沢山あって、ただ自分が知り得るものはその中のごく一部に過ぎず、そういう意味で一般の個人は無知な状態なのだろうと思うのだ。40歳前後に、「いつかこの世とおさらばする時が来るまでに、可能な限りそういった美しいものや素晴らしいものに出会いたい」と心に決めたことがあった。

 ふと、ここで脳裏に浮かんだのは、たまに美術館を訪れるとそこには中高年のご夫婦連れの観覧客の如何に多い事か。恐らく他の諸先輩方もボクと同じようなお考えを持たれていらっしゃるのではないだろうか。そう云う意味ではボクも立派に中高年の仲間入りをしていることになり、そう思うと己の時間の流れについて愕然とするけれど、時間の流れは無常であり、時間的な存在としての自分も受け入れた上で、人生を楽しまなければ仕方がないことだ。

 あのドライブの日以来、暇な時間が出来ると「残った時間をどんな音楽を聴いて過ごそうか。これまで忌避していたカントリー、ブルース、米国南部のルーツミュージック、テックスメックスなる音楽や、なかなか知ることが出来なかったエスニック音楽、アフリカ音楽など、音楽の大海にのりだしても楽しそうだな」などと想いを巡らしていた。

 さて上記のような心の経緯があり、ボクの音楽的探索は、とりあえずアメリカ音楽から入っていくつもりであった。先月のドライブでたまたまゲットしたSammy Davis Jrのアルバムのカッコ良さから、それまで聴いていなかったBlood Sweat Tearsを聴き、Al Kooper そしてHarry Nilssonの存在を知って、60年代後半から70年代のロック・ポップスの元気さ・豊かさを再認識し、その過程ではとても面白い収穫を得られて大満足だった。ただ本来の意図は更にディープなアメリカ音楽の源流に進んでいくことだった。

 前々から気になっていたアーティストにRy Cooderがいる。私の乏しい知識に基づく勝手な想像だと、このヒトはブルース音楽のギタリストでありヴォーカルといった立ち位置だと思っていたのだが、この度ネットで調べてみると、彼はスライドギターの名手であるだけでなく、Taji Mahalをはじめ様々なミュージシャンとの協働、アメリカ音楽への志向性に留まらず(ハワイ、沖縄、キューバなどの)エスニック音楽への興味、そして80年代では優れた映画音楽を制作し、彼のキャリアには多彩なアルバム作品が残されているようだった。ある人に言わせれば、「良い音楽を求める音楽的旅人」と形容される人物のようだ。このRy Cooderの音楽に対する態度は、今の私の気分や嗜好に完全に合致しているように思えた。

 ネットでRy Cooderの来歴を斜め読みした後で、You Tubeで彼の演奏を聴いてみることにした。今まで彼の演奏について予備知識がないものだから、テキトーに当てずっぽうにクリックして聴き始めたのが「Prodigal Son(2018)」のスタジオライブ盤 。本人のヴォーカルとスライド奏法を駆使したギターに、ベース、ドラム、エフェクターの効いたアルトサックスの4人構成で、この曲はブルース色の濃いロックのようだった。

(興味のある方は、You Tubeから転載させて貰いましたので、聴いてみてください。)



 ムム…….。オトコっぽくカッコいいし渋い曲….。ボクがこれまでどちらかと云えば敬遠していたタイプの曲だった。一瞬どんなヒトがこのような曲を好むのだろうかという疑問が脳裏を過った。なんだかワークパンツに長Tシャツの上にネルシャツを羽織り、ブーツなんかを履き、あごには無精ひげを蓄えて首周りにはネイティブアメリカンなネックレスをしてそうなあんちゃんが思い浮かんでしまった。絶対にボクには似合わない恰好wカッコ良いのだけれど、オイラの音楽じゃねえ…….と唸ってしまった。ちょうど、そこに居合わせたイチロウ氏に聴かせると、「おお、テンガロンハットをかぶって、アメリカのSUVにでも乗ってりゃ似合うぞ」と宣う。ボクが堪らず、「カッコいいけどさ、オレじゃないよなあ、この音楽は….」と応じると、同氏妙にきっぱりと「おめえのどこに自分があるんだよう。どうせそんなものないんだから、気にせずに聞けば良いんだよ」という。

 50半ばのおっさんに向かって、「自分がない」などと指摘されると多少傷つくわけですw。「自己確立がなされていない、未熟者」或は「信念も定見もない軽薄な者」と言っているようなものだから。高校時代の同級生にコヤマなる人物が居て、そいつの名台詞であり口癖が「鋭い指摘は後に傷を残すねん、うふふのふ」であった。ふと40年の時を経て思い出してしまったではないかw

 うむむ、確かに齢50も半ばを過ぎたが、己の中に語るべき定見も持ち合わせていない。好きな音楽についてだって、こだわりもなければ守備範囲も明確なものはない。先に書いたように何でも音が鳴っていれば好きなようなものだ。子どもの頃から、ラジオから流れてくる流行歌、邦楽、洋楽を聞き流して過ごしてきたのだもの。小学校の頃なんか日曜日朝にラジオ番組の「音の風景」を聴くのが好きだったし、少し成長して中学時代にはFMラジオで小林克也さんのベストヒットUSAを聴くのが好きだった。高校時代になると渋谷陽一さんのサウンドストリート、つづいてクロスオーバーイレブン、更に城達也さんのジェットストリームを聴くのが日課になっていた。20代後半は仕事で移動中のクルマの中で聴く「邦楽の時間」が好きだったし、40を過ぎた頃から、毎週日曜日のN響アワーを視聴するのが好きになった。ジャンルに関係なく音楽を聴くことが好きなのだから仕方がない、深く掘り下げる作業については不十分なところは認めるのだけれど、守備範囲を広げて来たのは色々な音楽に出会いたいだけ、ややこう書いていて我ながら「やっぱりオイラは軽佻だなあ」と思わぬところはないではないけれど、それもひとつの志向性だと認めていただけないだろうかw?

 イチロウ氏からやや鋭い指摘を受けて、はたとこのままRy Cooderに進み、無精ひげを蓄えて、長T・ネルシャツ・ワークパンツに纏い、ブーツ、テンガロンハントを着用し、アメ車のSUVを駆けるそういう趣味人間になるべきか暫く逡巡していたのだけれど、我ながら余りの極端さにおかしくなり、これまで通りのスタイルで色々な音楽を気の向くままに己のスタイルで聴けばよいだけのことではないか、彼の音楽が自分の好みに合わなければ、方向転換をすれば良いだけの話であることに気が付いた。



 そこで選んだのが、You Tubeで視聴した曲と同名のアルバム「The Prodigal Son(2018)」で、ネット通販でCDを購入。手元に届いた日に終業後早速聴いてみたところ、期待以上の内容のように思えて、ものすごく良かったし満足だった。アルバムタイトル曲は、同じアレンジにコーラスが加わっているがブルース的ロックがカッコ良いし、他の曲においてはスローテンポなゴスペル調のナンバーあり、そしてトロピカルなアレンジが施されたもの、アフリカの音楽を思い起こさせるような曲あり、この人のキャリアから放たれる光彩と陰影がひとつの曲やアルバムの構成全体に満ちているようであり、このヒトの50数年に亘るキャリアの2018年時点の到達点なのだろうと想像された。先にも述べたように、誰かが言ったように、このヒトが「良い音楽の探求者・旅人」なのだとしたら、このヒトが残した航跡をボクも辿ってみるととても愉快で楽しい発見がありそうな気がした。

 このアルバムの後半に「You must unload」「I’ll be rested when the roll is calledの古いゴスペル調、「habor of love」「Jesus and Woody」と穏やかなスローナンバーが続く時間的空間があって、このあたりを聴いていると次第に心が穏やかになり、色々な日常の疲れが癒されるようだった。


 これらの曲を繰り返し聴きながら、あの時イチロウ氏は今更のようにボクに対して「お前に自分てものがあるか?」と投げかけたのだろうとふと考えていたのだけれど、次の瞬間、そういえば学生時代にも同じことを言われたことがあったことを思い出した。

 20代の前半にある女の子を一方的に好きになってしまったことがあったのだが、その子はとても感性の豊かな子で物事に一途なところがあり、色々な事に悩みながらも自分らしい考えも持っている或は持とうとしていた様子であり、その姿勢に可愛らしさと知性を感じさせるヒトだった。その子とある晩に電話で長話をしていたのだが、ボクは完全にその子のことが好きだったものだから、それこそ鼻の下を伸ばしてその子の語る内容に全面的に肯定的な相槌を返していたのだった。だって、ボクはその子と駄弁っている事そのものが目的であり幸せな時間だったものだったから。「そうだよ、全くその通りだ」と応じていたのだが、その子がひとしきり語った後で、「それでマサキさんはどう思う?」と尋ねられた時、ボクはなんて答えたのか忘れたのだけれど、恐らく「あなたの言う事に全面的に賛成」みたいなことを言ったのだと思う。そうしたら、彼女曰く「マサキさんは、自分ってものがないのですか?」と言われてしまったのだったw

 その時、ボクは「そんなことないよ」とエヘヘと笑ってやり過ごしたのだけれど、一方でどこか自分の核心を突かれたようで、この子は本当に鋭いヒトだなと思ったものだった。その時彼女は優しく「そうですよね、言い過ぎました」と言ってくれた記憶があるけれど、一方で「しょうがねえ奴だな」と内心思っていたのかもしれないw。うすぼんやりとその子のことを懐かしく思い出しながら、そして次にふたたびイチロウ氏のことを思い出した。図らずも、30年余りを経て、違う人物から同じような事を言われている。

 30年余りも経て、「ボクっていう奴」は本質的な部分で何も変わらず成長していないらしいw

「しかしねえ」と、イチロウ氏に対して思うのだけれど、なんでも興味を示し「良いなあ、良いよ」と言っている奴って貴重じゃないですかねえ?だからこそ、仕方がない奴だと思いつつも付き合えるのと違いますかw

そういう反論を想い出したところで大変愉快になって、再び30年前のその子のことを暫し懐かしく想い出した。その子に再会できるとしたら、今の自分をどう説明するだろうか?「あの頃となんにも変わっていません」とやや赤面しながら照れ笑いを浮かべて報告するしかないだろうなw。

 話が随分脱線してしまったのだけれど、ボクの音楽的嗜好性についてまとめると、基本的にあれこれも無節操に手を出してみて、音楽を楽しんで行く。今までそうやってきたし、これからも人生とおさらばするまで、暇を見つけては気の向くままに音楽を楽しんで行くのだろうということだった。そこに定見も必要なければ、選択基準もない。ただ「限られた時間の中で、何かと制約の多いこの状況の中で音楽の楽しもうではないか。」と思うだけである。

そんな事をあれこれとぼんやりと考えて過ごしていたら、Ry Cooderのアルバムコレクション(1970~1987)が手元に届いた。さて、どんな音楽的世界が待っているか楽しみである。

 

(取りあえず続く)


2022年2月8日火曜日

芋づる式音楽探索~その3~ ハリーとの出会い

ボクの芋づる式音楽探索は、前回の最後に述べたように「Without Her」を作曲したHarry Nilssonにやはり向かった。予備学習にYou Tubeで彼の歌うWithout Herを見つけ試聴して、フムフムと了解し、ネット販売で「Harry Nilsson/ Original Album Collection」なるCD5枚ボックスセットをゲットした。

 


1)     Aerial Ballet (1968)

2)     Harry (1969)

3)     Nilsson Schmilsson (1971)

4)     Son of Schmilsson (1972)

5)     A Little Touch of Schmilsson In The Night (1973)

 

5つのalbumで彼のキャリアの中では前半期の作品が収められていた。急いで紙ジャケ裏面の曲目をチェックしてみると、肝心の「Without Her」はどのアルバムにも収録されておらず。Wikipediaで調べてみると、同曲は、別のアルバム「Pandemonium Shadow Show」(1967)に収録されているらしい。因みにこのアルバムが彼の実質的なデビューアルバムで、あのJohn Lennonがわざわざ本人に電話をかけて大絶賛したのだとか。へえ、そうですか、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったあのLennonも注目するくらいの出来栄えだったのか。ああ、ちゃんと事前勉強を入念にしておくべきだった。

 

ただし、You Tubeで視聴した彼の演奏から、彼の音楽性そのものにも興味が湧いてきたところだったから、ボクとしてはまず上記の5 アルバムを聴いてみるのも決して興を削がれるはずもなかった。

 

1968年から1973年の彼の作品を聴いてみると、ソングライティングとしてはその曲想はロックンロール、ヨーロッパ的ポップス、カントリーミュージック、リズム&ブルース、フォーク、そして(多分)ブギウギ、ラグタイム、ボードヴィルなどオールドアメリカポピュラーソングや同年代のポップスなどから幅広くアイデアを得ているようで、佳曲が多い。特に個人的に印象が強かったのは、オールドソングへの憧憬が見て取れるところだった。恐らく幼いころから色々な音楽に触れて成長したのだろうし、知り得た断片的な情報によると、子ども時代に大変苦労して過ごしていた様子で、これらの曲想の中にそれらの体験が強く影響を及ぼしていそうな気がして彼自身の個人史に大変興味が湧いた。もし彼の評伝が出版されていたならば、是非一度読んでみたいと思うのだけれど、それは今後の宿題とする。

 

本人自身が歌ったヒット曲としては、「everybody talkn’」「without you」などで意外ににも他の人が書いたカヴァー曲。聴いてみるといずれも何処かで聴いたことあるナンバーだった。

 

シンガーとしても力量は大したもので、ノリの良い曲では、ジョン・レノン張りにシャウトし、フォーク・カントリー調では明るく爽やかに、スタンダードナンバーでは、哀愁を湛えた甘くも優しい歌声を示し、その音色は変幻自在である。特にスタンダード曲を集めたアルバム「A Little Touch of Schmilsson In The Night (1973)では、彼のシンガーとしての力量を余すところなく表現されていて、ボクとしては完全に魅了されてしまった。恐らくこのアルバムはボクにとって愛聴盤の1枚となり、今後も繰り返し聴いて行くことになるだろうと思われた。

 

このヒトは、同年代の有名なアーティストほどビッグネームにはなり得なかったのかもしれないが、同年代の他のアーティストとは一線を画すほどの音楽的世界を作ったヒトであることには間違いない。60年代後半から70年代と云えば、ロックの全盛と商業的肥大化、諸々の社会運動など、音楽的にも世相的にも何かと賑やかな時代だった筈で、その中にあって彼の作品が世間の喧騒とは別世界で成り立っているように思える。ボクなぞは、そこにある不思議さを感じるのだが、50年後に彼の作品に初めて触れた者からみると、彼の作品には何か普遍性を帯びた上質のポップスとしての価値を保ち続けているような気がしてならなかった。

 

Without Her」の原曲を求めて探索をしていたら、もの凄いアーティストを発掘してしまったようだった。「Pandemonium Shadow Show」(1967)をネット販売でその中古CDを発見し注文して手元に届くまでの数日の間、これらの5枚を繰り返して聴いているうちに、すっかり彼の音楽そのものに嵌ってしまっていた。

 


そして本日件のCDが手元に届いた。John Lennonが大絶賛したというアルバム「Pandemonium Shadow Show」(1967)。Beatlesの影響を受けたと思わるものや60年代ポップス調のナンバーが強く印象に残る。実際にBeatlesのカヴァーを2曲ほど、多重録音でリードヴォーカルに本人がコーラスパートも入れて、アレンジもビートルズ風に施されていて、これはこれで聴いていて楽しい。その他のナンバーもポップスとして佳曲が数多く収録されていて、デビューアルバムにしては既に完成度が高い。

 

そして遂に「Without Her! 本人のナイーブで抑制的なヴォーカルに、チェロに続いてフルートの伴奏が被さり、バロック調のアレンジで繊細かつエレガント(このあたりもBeatlesElena Regbyを彷彿とさせるけれども)であり、良い出来です。うーむ素晴らしい。

 

と、いう事でボクの芋づる式音楽探索は、大満足のうちに終わりに近づいて来つつあるのだけれど、You Tubeからボクの大好きなAstrud Gilbertoの演奏から始まって、Al Kooper/ Blood, SweatTears、そして最後に作曲者ご本人の演奏を以下に転載させて貰っておくので、ご興味のある方はどうぞ参照していただいて、楽しんでみてください。

 






どの演奏もそれぞれのアレンジに味わいがあって良いでしょう。名曲は、どんなアレンジが施されても甲乙つけがたい例のひとつと思われる。/そもそも良い曲だからこそ、色々なアーティストが取り上げて工夫を凝らして演奏するのだろうけれど.....。

さてこの次は、どんな音楽探索が出来るか?まだとっかかりは思いつかないのだけれど、また新しい発見と喜びがある筈で、そのことを想像するだけで大変愉快である。

(完)