2020年11月15日日曜日

ある感情記憶と時間

 この度は、Todd Rundgren/ A dream goes on foreverという曲に救われた。トッドさんどうもありがとう。

 


あまりにも超プライベートなことなので、詳細は省くのだけれど、11月のある夜に古い感情体験が蘇って、どうしようもなく悲しくも切ない気分になり立ち往生してしまった。50代半ばになって、このようなことを書くことに気恥ずかしさも感じるのだが、どうも自分はここ20数年職業人として家庭人としての役割を与えられて精神の平衡を保てていただけで、精神的には空疎なままの状態で成長して来なかったことに直面化させられたようだった。

 

どうしようもない未解決の感情記憶をきちんと再整理するか、このまま再度意識化された生の感情をそのまま抱いて行くか、再び未整理のまま前意識に納め込むか。どうも後者2つの選択は出来そうにもなくて、しばらくむき出しの感情記憶を抱えたまま悶々として過ごしていた(とは言っても、日常生活で与えられた役割は淡々とこなしていたのだけれど)。

 

一方で、9年ぶりにクルマを乗り換える事になって、日々のクルマ生活で聴く曲をどんなものにしようかとあれこれ考えていて、6070年代のアメリカのロック・ポップスあたりに対象を広げてみようかと思いつき、手持ちのTodd Rungrenのアルバムを少しずつ聞き返していたところ、ふと耳に留まったのが、上に挙げた楽曲だった。

 


恐らく私はある種の聴覚認知能力に欠陥があって、普段は音楽を聴いていて日本語も含めてあまり歌詞が頭に入ってこないのだけれど、このたびはこの曲の歌詞が断片的に耳に刺さった。ネットで検索しこの「A dream goes on forever」の歌詞を読みなおしてみたら、今の自分の心情にぴたりと当てはまるようで、色々とイメージが膨らんだのだった。

 

“恐らくこの曲は、Todd Rundgrenの個人的な感情記憶から生み出されたのだろう、彼はこの曲を取り上げるたびにその感情が蘇ってひどく辛くなるのではないか、artistって自分の身を削るようにし作品を生み、それを再生するごとにその感情と向き合わなければならないのだとすると、とてもしんどい商売だな”と何気なく思った。その時に、ふと自分の視界が広がったような気がした。“あー、そんなことはないか。”なんらかの心理的葛藤を克服したからこそこの素晴らしい作品に昇華されたはずなのだ”と。

 

そして思うようになった。記憶される対象は記憶する者が生き続ける限りその意識の中に永遠に存在しつづけるのだと。だからこそ生きている者はその事を忘れずに前向きに生きていけば良いし、それが生きる者の役割なのではいかと。生きている者は、記憶する対象を大切にしながら、その生の続く限り記憶しながら時間を過ごしていけば良いのだと。更に云うならば、その魂は、記憶する者の意識がある限りにおいて生き続けるのではないか。

 

そんな風に私なりにひとつの考えに達することが出来て心が軽くなり明るい気分になれた。このよう考えてみると、ひとつの感情記憶に対する私なりの役割が出来たようで、再び心の平衡を取り戻すことが出来たようだった。

 

1つの結論を得て気分は落ち着いたものの、よくよく考えてみると己の精神的空疎さは何も解決しないままであったw。その都度その都度、自分の役割を内省しながら生きていくしかないのだろうなw。

 

 

2020年11月3日火曜日

おっさんの休日の過ごし方

111日(日)は、どのように過ごしたものかと思案したところ、伸び放題になった髪をカットする事、クルマの内外の清掃、ここ1か月乗っていなかったロードバイクに乗ること等の行事が浮上。当日は、朝いつも通りに起床して、3時間程度チャリを漕いで、午前中に1000円カット、気温が上がったところで洗車、余った午後の数時間を夕食がてらの買い物と頭の中で計画が立ち、後は実行のみとなっていた。

 ところが、金曜日になり家内から「日曜日は、床のワックスがけに、長い間整理できていなかった書棚の整理ね、よろしく」と告げられてしまった。「最近は暖かいうちに年末の大掃除を済ませておくのが流行りなの」だそうな。

 “まったく、こっちにも都合があるのに”と不機嫌(あくまでも私の内的な体験として)な面をして、結局反論せずに黙っていたら、前日土曜日の仕事の合間にLineで同様のリクエスト(かなり命令に近い)を送って来やがったw。

 再度、チャリ~散髪~洗車~ワックスがけ~書棚整理を1日の中にどのように落とし込むかを思案。どう考えても、無理っしょということになり、土曜日の夕方・仕事終了後から活動開始とする。

 1031日仕事終了後5時ダッシュで帰路に着き、ネットで通勤路途中に或る1000円カットのお店を検索。都合が良い事に、ショッピングモール内にある年中無休・最終受付午後745分と謳ってあるお店を発見。午後630分頃に同店に到着、6人(約35分程度)待って、705分から15分程度でカットしてもらい、ついでに食品コーナーに立ち寄り夕食としてお惣菜を二人前購入し、そのショッピングモールを出たのが745分ころ。

 続いて帰路途中にあるガソリンスタンドに立ち寄り、自動洗車器にクルマを進めて洗車、そして同店内の清掃スペースにクルマを駐車させて、素早く濡れた車体を拭き取り、コイン掃除機を使って車内のマットやシート上のゴミ吸引をして取りあえずのクルマ清掃を終了し、帰宅のが午後820分頃か。

 休み前日の行程が思いの外順調にクリアしたため、私の気分は良く、幸いにして家内の機嫌も良く、ビール350ml+ウィスキーロック2杯、+おつまみ系中心のお惣菜をゆっくり食べつつ、嫁の世間話にテキトーに付き合って、就寝したのが午後1130分だった。

 111日午前6時に起床。窓外の景色はまだ暗く、室内の温度も肌寒かった(前日の天気予報では最低気温10度前後とのことだった)。家内を起こさないようにスルリとベッドを離れて、階下のキッチンへ降りてサイクルジャージに着替えて、暖かい珈琲牛乳とクッキーを二かけら食べて身体を覚醒ならびに暖める。

 午前635分に愛車のロードバイクに乗り出発。目的地は、極楽寺山国道433号線の峠としたが、昨今全国的にクマが行楽客を襲う事故がちらほらと聞こえてきており、23年前にも同じ山系でクマの目撃情報があったこともあり、ヤバくなったら途中で引き返そうと思った。

 春秋物のジャージ上下にウィンドブレーカーのいで立ちでは同日の朝は少々寒かったが、久しぶりのチャリは誠に気持ち良し。午前712分に極楽寺山の麓に着きそこから国道433号線に沿って登坂を開始。この山道コースは56日以来約半年ぶりのことだった。脚力の低下は否めず、ゆっくりとしたペースでペダルを漕ぐ。次第に道幅は狭く勾配もきつくなり国道と呼ぶには田舎道すぎているのだが、朝7時過ぎでもクルマ特にバイクの往来はそこそこあり、これだとクマさんも怖がって出没しないだろうと安心する。道は、更に狭まって木立の中をつづら折りのクルマの離合もギリギリの幅になる。朝の木漏れ日が木立を斜めに差し込み、遠くで野鳥の鳴き声がしている、全身から大汗が噴き出て、意識も肉体もこの朝の修行に集中している状態。出て来て良かった。



 午前758分に、アルカディアという施設に向かう峠に到着。自転車を降りて水入れと休息を取る。ここから見る宮島の景色は素晴らしい。その昔、山岳修行僧もこの景色を眺めて同じ感慨を抱いたのだろうな。自宅から約1時間30分の行程・自転車の練習には丁度良いコースだと思う。

 本当であれば、この峠を降りて更に先に進みたいところだけれども、後に色々予定が詰まっているので今日の練習はここまで、来た道を下ることにした。下り坂は最高であるが、その日は空気が冷たく大汗をかいた身には少々応えた。木立のつづら折り箇所を過ぎて、道幅広くなるとある地点から朝日が身体に当たりとても幸福な気分となる。朝日に包まれた人界に降りて来たのだと。

 更に降りていくと、あるちょっとした路肩スペースに違和感を覚える光景あり。サイクルジャージを着た10数名がたむろしている。更に下ると、10数名の団体がチャリで登坂してきているではないか。“ええっ!?このヒト達20数名の団体でこれから極楽寺山へ上るんか。”“我が修業の場の極楽寺山が、世俗化、観光地化されているんか。いくらチャリブームとは言え、こんなところまで進出してこなくても良いのに……。”“これは新たな修行の場を探さねばならぬわい”



帰宅したのが、午前910分頃。帰宅すると、家内が朝食を用意してくれていた。汗は完全に引いていたので、これからの作業を考えてシャワーは浴びず、洗面だけし直し着替えを済ませて、少々多めの朝食を済ませる。その後、庭木の水やり、メダカのエサやりを行い、屋内清掃の準備運動を行う。

 午前10時頃から、屋内のワックスがけを開始。掃除機がけから始め、簡単に床を水拭き。2階から寝室、廊下、リビングスペース、階段、1階のダイニングキッチン、脱衣室、トイレ、玄関、リビングルームなどフローリング部分を全部、ダイニングキッチンとリビングルームは2度塗りまでして、一連の作業を終えたのが午後1時過ぎ。朝飯が少々ヘビーだったので、昼ご飯はお茶とお菓子程度に済ませる。



 午後の部は、2階にある書棚の整理。午後140分くらいから作業開始。この書棚整理が想像以上に難儀ではあった。私の未整理のCD、単行本の再整理、古いAV機器やそのコード、文房具、そして雑誌類の廃棄。それらは黙々と実行すればよいだけのことではあるのであるが、途中から家内が割り込んできて、家のアルバムの整理、古い年賀状の整理なども横でし始め、邪魔で仕方がない。案の定古い子どもの写真を取り出して、「見て見て。この頃の子ども達可愛かったなあ。」「あ、これは誰々さんちの○○ちゃん、可愛いねえ。今頃なにしているんだろう」などのと話しかけてくるものだから、途中で作業を中断することになり、思うように作業が進まず。結局書棚の整理が何とか形になったのは、午後440分頃。

 そこから、夕ご飯用の買い出しに出かけたかったのであるが、家内が「もう疲れたから、夕ご飯は有るもので済ませる」と言って譲らず。“えー、オイラちょっとあそこのショッピングモールでついでに買いたいものがあったのに”と主張するも家内は譲らず、しばらく押し問答の末「じゃあ、アンタだけ行っておいで」と言われてしまい、“仕方ねえな”午後5時過ぎに1人で自宅を出てショッピングモールに行き、GAPで通勤用のチノパンツと薄手のセーターを購入。帰宅時間は午後710分頃。



 当初計画したものはほぼ完了。残るは、クルマのシートの汚れを落とす作業が出来なかったことくらいだった。 

 だらだらと書いてしまったけれど、おっさんの休みの流儀としての結論。それは限られた自由時間に如何に己の体力と気力を注ぎ込み、色々な活動を盛り込んで充実感を得るかということなのだけれど、考えてみれば少々精神的貧乏臭くもあるか()

 

おしまい