この度は、Todd Rundgren/ A dream goes on foreverという曲に救われた。トッドさんどうもありがとう。
あまりにも超プライベートなことなので、詳細は省くのだけれど、11月のある夜に古い感情体験が蘇って、どうしようもなく悲しくも切ない気分になり立ち往生してしまった。50代半ばになって、このようなことを書くことに気恥ずかしさも感じるのだが、どうも自分はここ20数年職業人として家庭人としての役割を与えられて精神の平衡を保てていただけで、精神的には空疎なままの状態で成長して来なかったことに直面化させられたようだった。
どうしようもない未解決の感情記憶をきちんと再整理するか、このまま再度意識化された生の感情をそのまま抱いて行くか、再び未整理のまま前意識に納め込むか。どうも後者2つの選択は出来そうにもなくて、しばらくむき出しの感情記憶を抱えたまま悶々として過ごしていた(とは言っても、日常生活で与えられた役割は淡々とこなしていたのだけれど)。
一方で、9年ぶりにクルマを乗り換える事になって、日々のクルマ生活で聴く曲をどんなものにしようかとあれこれ考えていて、60‐70年代のアメリカのロック・ポップスあたりに対象を広げてみようかと思いつき、手持ちのTodd Rungrenのアルバムを少しずつ聞き返していたところ、ふと耳に留まったのが、上に挙げた楽曲だった。
恐らく私はある種の聴覚認知能力に欠陥があって、普段は音楽を聴いていて日本語も含めてあまり歌詞が頭に入ってこないのだけれど、このたびはこの曲の歌詞が断片的に耳に刺さった。ネットで検索しこの「A dream goes on forever」の歌詞を読みなおしてみたら、今の自分の心情にぴたりと当てはまるようで、色々とイメージが膨らんだのだった。
“恐らくこの曲は、Todd Rundgrenの個人的な感情記憶から生み出されたのだろう、彼はこの曲を取り上げるたびにその感情が蘇ってひどく辛くなるのではないか、artistって自分の身を削るようにし作品を生み、それを再生するごとにその感情と向き合わなければならないのだとすると、とてもしんどい商売だな”と何気なく思った。その時に、ふと自分の視界が広がったような気がした。“あー、そんなことはないか。”なんらかの心理的葛藤を克服したからこそこの素晴らしい作品に昇華されたはずなのだ”と。
そして思うようになった。記憶される対象は記憶する者が生き続ける限りその意識の中に永遠に存在しつづけるのだと。だからこそ生きている者はその事を忘れずに前向きに生きていけば良いし、それが生きる者の役割なのではいかと。生きている者は、記憶する対象を大切にしながら、その生の続く限り記憶しながら時間を過ごしていけば良いのだと。更に云うならば、その魂は、記憶する者の意識がある限りにおいて生き続けるのではないか。
そんな風に私なりにひとつの考えに達することが出来て心が軽くなり明るい気分になれた。このよう考えてみると、ひとつの感情記憶に対する私なりの役割が出来たようで、再び心の平衡を取り戻すことが出来たようだった。
1つの結論を得て気分は落ち着いたものの、よくよく考えてみると己の精神的空疎さは何も解決しないままであったw。その都度その都度、自分の役割を内省しながら生きていくしかないのだろうなw。
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