2026年2月17日火曜日

梅香

 


近所の畑で、梅の花がほころび始めている。 まだ冬の名残が肌に触れる頃だというのに、枝先の白はひっそりと光を帯び、春の気配を先取りするように咲いていた。例年より少し早い気がする。その早咲きの気まぐれが、今年は胸に深く沁みた。

 

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ — 菅原道真

この歌が、今年ほど切実に響いたことはない。 1月3日、この梅畑の主であった伯母が亡くなった。 誰よりも梅を愛し、春を待ちわびていた人だった。その主を失っても、梅は春を忘れず、淡々と咲き始めている。その姿が、いっそう愛おしく思える。 どうかその香りが、浄土にいる伯母へ、そして伯母と双子のように寄り添い合って生きた亡き母のもとへ、そっと届いてくれたらと願わずにはいられない。

伯母が他界してからしばらく、私は深い悲しみの底に沈み、思考が止まってしまったようだった。 外から見れば、きっと奇妙に映っただろう。仕事にも手がつかず、ただ時間だけが空虚に過ぎていった。

このままではいけないと思い、私は歎異抄(現代語訳)を開き、そして七日ごとの法要に足を運ぶことにした。 歎異抄は、唯円が親鸞聖人の言葉を記したものだ。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、凡夫も悪人も浄土へ導かれる——阿弥陀仏のお力に抱かれて生かされている、と説く。 読み進めるうちに、私はふと気づいた。 自分は環境や人との関わりに支えられて生きているのだと。その事実に気づき、感謝できるなら、人はもっと自由に生きられるのではないかと。



七日ごとの法要では、ご住職が「仏説阿弥陀経」を唱える。釈迦如来が弟子の舎利弗に語った極楽浄土の景色がそこに描かれているという。 お経のあとには法話があり、少しの歓談を経て寺をあとにする。伯母の長男と私の二人で、週末ごとに六度ほど通った。

その時間を重ねるうちに、悲しみは少しずつ輪郭を変え、心の奥で固まっていた何かが、ゆっくりと溶け始めた。 止まっていた内側の時間が、また静かに流れ出したようだった。



寂しさは今も消えない。 けれど、亡き人が大切にしてきたものを、私もまた大切にし、引き継いでいくこと——それがこれからの私の支えであり、歩むべき道なのだと思う。 春が来るたび、この畑の梅を、伯母に代わって私が愛でていきたい。


2025年9月18日木曜日

小さな学校の同窓会2025 in 福岡



9
14日(日)に高校時代の同窓会が福岡で開催され、その会に参加するべく16:03広島発ののぞみに乗り福岡に向かった。連休の中日であるためか、のぞみの車中は意外にも乗客がまばらでやや拍子抜けであったが、取りあえずビールを呑んで先ほどまでの忙しない気分から旅のリラックスモードに入った。

 この度の高校同窓会は、ボクたちが丁度還暦を迎えた年となり、其々の者にとっても人生における一区切り或は記念となる集まりだった。その日集まる面々は皆似たような環境に育ち、思春期のひと時を同じ場所で寝食を共にし、その後同じような道を選択し、多少の違いはあれど大半の同世代が体験したような社会情勢を目撃し、同じような人生の喜びや苦労を味わってきた筈だった。そしてそれぞれの目下の人生の課題も共通するものが多いと思われた。現時点において、それぞれにどんな風貌になりどんなことを考え語るのか大変楽しみであった。

 

17:09に博多駅に到着。その日投宿するホテルにチェックインするべく、地下鉄に移動した。

車内は、外国人観光客が沢山乗り合わせてい、福岡という街がすっかり国際都市に変貌していることを実感。これまでにも仕事の用事で何度か訪れていたが、ここ数年のこの街の変貌ぶりに内心驚く。中洲川端駅を降りて、地上に出るとそこにも外国の方が多数認められた。田舎者のボクとしては、多少なりとも気後れを感じずにはいられなかった。Googleマップを道案内に目的のホテルに到着。暫し休憩を取りつつ、会場となる和食レストランの場所と経路を検索し確認しておく。

 

18:20頃にホテルを出ると、川向うからジャズの音色が聴こえてきた。どうもジャズ・フェスが開催されているようで、両岸の歩道には多くの人が訪れて街が先ほどにもまして賑わっていた。都会の空気を感じながら再び地下鉄中洲川端駅に向かい、そこから隣の天神駅に向かい、同駅から徒歩で和食レストランに向かった。

 


18:40頃に、会場になるレストランに到着。仲井さんに案内されて、会場に向かうと、受付には、この度の幹事役のドテ、そして受付係をしてくれていたメイコとマキが笑顔で迎えてくれた。「あ、マサキ君おひさしぶり」「あ、どうも」と挨拶を済ませて、テーブル席にたどり着く。既に、トリイとタチタが待っていて、お互いに「やあ」「おひさしぶり」と挨拶をした。早速タチタが、トリイを交えて色々と話を始めていたが、次々に同窓生が集まってきて、「やあやあ」とお互いに挨拶を交わし始めている。そうなるとお互いにご無沙汰である筈なのに、いつの間にか10代の頃の空気に戻っていく。

 

19:00に幹事役のドテの挨拶と乾杯発声で会は賑々しく開始。隣になったメイコと簡単な近況を話しながら、追加のビールを仲居さんにビールを注文。それが届いたところで各席に其々に挨拶をして廻った。

 

皆それぞれに仲良く同じ年月を経てそれなり容姿に変化を認めつつも、話してみると笑顔や話しぶりは10代の頃と少しも変わりはなかった。

すっかり軽いノリのオヤジ風になっているマサオ、松本幸四郎似で真面目だけれどユーモアセンス抜群のコウイチ、相変わらずの落ちつきと賢しこさを示すタカコ、私の中ではハンサムで(タチタに言わせると悪童だったw)今では穏やかなおっちゃん風のトリイ、相変わらず綺麗で美人マダム風になったメイコ。

濁声で破天荒な雰囲気のおっちゃんなんだけれど、業界では精力的に活動しているタチバナ、スポーツマンだったけど今ではのんびりとしたおっさんになっているトウヤマ、昔はトリックスター的な存在だったけれど今ではすっかり落ち着いたおじさん風のドテ。

可愛くてでも芯の強いミカ、明るくて真面目でひた向きに見えるマキ、いつまでもスポーツマンで仕事も遊びもエネルギッシュにこなしているタカヒロ、ダンディで今でも空手の稽古を続けているカシワギ、そして美人で若々しくお茶目なサトエ。

おだやかでマイペースながらも仕事熱心なオノ、いつまでも少年風の雰囲気を残したタチタ、情熱とこだわりのウメモト、関西風の常識人おっちゃんになっているヒラキ、すっかり広島のおっちゃん化したモトムラ(毎度カメラマンに徹してくれて、ありがとう)、ボクらの学年一の秀才だけれど今ではたおやかな女性になっているトキコ。

 皆んな10代のあの頃と変わらぬ様子が、とても嬉しかった。

そのうち、参加者が思い思いに集まりながら、それぞれの話題で盛り上がっていた。タチバナに言わせると、本当に仲の良い学年らしい。同じ高校の各学年同窓会において、ボクたちの学年が一番出席率が高いのだという。改めて見渡すに、タカヒロやカシワギがこの会の雰囲気をリードし、タチバナやタチタ、ドテなどがその場の雰囲気を程よくかき回してくれている。この雰囲気は高校時代の学年の雰囲気と少しも変わらない。彼らがその雰囲気をこの同窓会にもたらしてくれているからこそ、あれから何十年経っても集まれば、直ぐに十代の気分に戻りまるで昨日の話を続けているような感覚にさせて貰える。

 

どんな話も面白かった。ぼくの座った席では中年オトコ独特の下ネタ話で盛り上がったけれど、個別の話題はここに書き記さないでおこうと思う。ちょっと残念だったのは、
今でも連絡を時々取り合っているコウイチやタカヒロとゆっくり話す時間が持てなかった事、そしてミサキと会えないことだった。でも今でも繋がっているからこそ、これからは個別に会う機会を作ろうと思う。

 

その後、今回の同窓会は、ドテの素晴らしいコーディネートで2次会のバー、3次会のカラオケ、そして締めの豚骨ラーメンで終了しお開きとなった。ドテ君本当にありがとう。

 


直接話題には上らなかったけれど、皆それぞれに各自の居場所で頑張ってきたという相互承認を得られたのではないかと思えたし、これからもそれぞれに精一杯生きていくのだろうと確信が持てるひと時の邂逅であったように思えた。

そう思うと、高校時代の仲間がより一層愛おしく思えた夜だった。

2025年8月17日日曜日

ある夏の夕べに思ったこと

 🗓️ 2025年7月19日(土)

今日は、心からリラックスできる素敵な夕べだった。

結婚30周年の記念に、家内とフレンチレストランでディナーをすることにしていた。25周年の時は、世界的な流行り病の影響で外食もままならず、同じレストランのデリバリーを取り寄せて、ささやかに自宅で祝ったのを思い出す。今回は、久しぶりにきちんとした形で外食をしようと、同じレストランを予約した。

私たちは普段あまり外食をしない。思い返せば、夫婦でディナー外食をしたのは、家内が長男を妊娠して臨月を迎えた頃、「今後しばらくは二人でゆっくり食事することもないだろう」とフレンチを食べたのが最後だったかもしれない。

そんな思い出も胸に、今回は30年の感謝をきちんと伝えようと密かに思っていたのだけれど、予約の翌日、家内から「次男が帰ってくるから、席をもう一つ追加して」と言われた。ちょっと残念な気持ちもあったけれど、「まあしょうがないか。奴もあの店好きだし、久しぶりの帰省だし」と、素直に席を取り直した。

当日、少し早めに仕事を切り上げて帰宅し、3人でレストランへ。夏の残照が美しい中、店に到着。顔なじみのシェフが迎えてくれた(といっても、数年ぶりの訪問なので、常連というほどではないけれど)。席に着くと、シェフから「息子さんから記念のワインをオーダーされています」と告げられ、驚いて次男を見た。彼は「初ボーナスが出たし、先輩に相談したら30年もののワインがいいって言われたから」と、さらりと言ってのけた。

……なんだか胸がいっぱいになって、言葉にならなかった。

乾杯のとき、家内への感謝の言葉もどこかへ飛んでしまい、「30年おめでとう。ありがとう…」と、むにゃむにゃとしか言えなかった。でも、それでよかったのかもしれない。

ディナーは、次男の近況報告が中心になってしまい、夫婦の思い出話はあまりできなかったけれど、料理はどれも素晴らしかった。特に鮎のソテーと玄米リゾットは絶品。鮎の皮はパリッと、身はふっくら。リゾットには鮎のハラワタの旨味と苦味が溶け込んでいて、「日本の夏」が皿の上に表現されていた。

シェフのSNSをフォローしていて、鮎釣りの投稿を見ていたので、今回その鮎料理を味わえたのは嬉しかった。




次男が選んでくれた1995年のブルゴーニュのピノノワールも、深みがあって美味しかった。ワイン通ではないので細かいことはわからないけれど、記念の一本として心に残る味だった。

次男がこんな気遣いをするようになったことに、成長を感じると同時に、夫婦で過ごした30年の年月をしみじみと振り返った。子育ての中で衝突もあったけれど、結果的にはそれなりに良い形になっているのかもしれない。妻の功績が大きいことは間違いない。

長男は今回は帰省しなかったけれど、二人ともまだまだ成長途中。これからも見守っていく必要がある。家族という形態としても、これからも紆余曲折を経て成長していくものなのだろう。

そんなことを思った、夏のある夕べだった。

おしまい


2025年7月1日火曜日

時空を超えての再会:アルバム LUIZ ECA & Cordasが手元に届く

ちょっと嬉しいことがあった。



2021年5月にHMVのsiteで注文したルイスエサの「luiz eca& cordas」が2025年6月に手元に届いたのだ。私はオーダーしていたことをすっかり忘れていて、着払いの小包がが手元に届いた時には強い不審を感じたのであったが、開封し中の品物を確認し注文した時に、はっきりと思い出したのだった。オーダー後、何度かHMVから商品の入荷が遅れているとのメールが届きキャンセルの意思確認があったのだが、そのままにしておいたのだった。そのうちにHMVからのチェックもせずにいたものだから、いつの間にか4年の歳月が流れていた。この度その荷物を受け取った時には、タイムマシンで送られて来たみたいでとても不思議な気分になった。4年前のオーダー履歴が先方の会社に残っていたことも驚くが、このアルバムに収めれられている曲を知ったのは学生時代だから40年前のこと。親友であるイチロウ氏がそのアルバムをよく聴いていて、彼の部屋や一緒にドライブした折に私も聴かせて貰っていた。次にこのアルバムの存在を意識したのは、2015年ルイスエサのアルバム「Luiz Eca, Piano E Cordas」を手に入れて、その演奏にいたく感動してこのブログに記したところ、次郎氏からコメントを寄せられて、このアルバム名を教えて貰ていた。40年前にイチロウ氏にこのアルバムの存在を教えられ、10年前にジロウ氏にアルバム名を教えられ、その間ずっと手に入れようと画策し、その都度手に入らず諦めてを繰り返していた。それから私が実際にその音源を手に入れるのに足かけ40年の時が過ぎたことになる。私の情念が時空を超えて続いていたことに不思議ささえ感じてしまった。



このアルバムに収められている曲の多くは、色々なコンピレーションアルバムに採用されているので、これまでにも何度も聴いており馴染みのある作品ばかりであるが、あらために全曲を聴き直してみると、其々の曲の美しさとそのアレンジの緻密さを再発見し新たな感動を覚える。ストリングスのオーケストレーションはピアノトリオの伴奏としてだけではなく、旋律に寄り添うだけでなく時に対峙し重層的に緻密に絡みながら彩りと深みを与え室内楽や交響曲に通じるような構築化が施されている。本当にルイス・エサの音楽的世界にみりょうされずにはいられない。


このアルバムは、どの楽曲も素晴らしいのであるが、今回特に印象に残った曲としては、4曲ほどあげておく。

#9 Consolacao 

この曲はバーデン・パウエルの作曲だったからしら。アップテンポで躍動的なリズムに美しく内省的なピアノのタッチ、ストリングスが重層的に重なり緊張感と共にある種クールな陶酔感をもたらしてくれているようで、洗練されたアレンジだなと思った。

#11 Quase um adepts

この曲のピアノも繊細で内省的なタッチで演奏、そしてストリングスが旋律に寄り添うように伴奏を紡いだ後に、半ばで旋律をより重層的に引き続いて展開し情感を高めた後に、ピアノに静かに引き渡し静かに終える。


#12 Amonde

この曲は、このアルバムの最後を飾るにふさわしい。ジャズワルツのようなテンポにピアノの可憐な演奏、途中からソロバイオリンがピアノに寄り添うように或は会話するような二重奏に進み、やがて両者をストリングスが包み込むように重なり、やがてどこか彼方に飛翔し消えていくような浮遊感を味わってフェードアウト。美しい。

#2 Imagem

このアルバムの中でも特に有名な曲だと思う。色々なコンピレーションアルバムに採録されていたように記憶している。40年前にイチロウ氏から聴かせて貰ったこのアルバムの中で、最も印象に残った、心に刻印された曲。二人でドライブに出かけた折に前方に広がる景色を眺めながらこの曲が流れてくると、気分が高まりなんとも云えない気分になったものだった。この曲は軽やかなハイハットのドラム、ピアノのサンバのリズムを刻む左手と内省的で華麗な右手の旋律、重層的にゆったりと流れるようなストリングス。静かな情熱があふれ出ているようだ。ルイス・エサの音楽性が凝縮されているように感じられる。

感情的に裏打ちされた音楽的に記憶というのは、脳の奥底でいつまでも保持されて、ふとしたことをきっかけに蘇り、その時のエピソードや映像的な記憶を呼び起こすものなのだなとあらため実感した次第である。



おわり







2025年6月3日火曜日

2025年5月は、チャリと花の季節でしたの事

1)蘭の事

 6月に入り梅雨入り間近。これから先は、曇り雨とスッキリしない天候が予想されている。翻って今年の5月も例年に比べると3日ほど雨天の日が多かったとの事。体感的にも例年に比べて、寒暖の差が激しく朝夕は寒かったような気がする。

それでも昼間の気温は着実に上がってきており適当に雨が降って庭の草木も野山にも花が良く咲いており、私の眼を楽しませた。


昨夏から見よう見まねで何気なく始めた蘭の世話も、1年を通して順調に経過して、6鉢程それぞれに開花し密やかな満足を得ることが出来た。ヒトから頂いた胡蝶蘭の花が終わり、見るからに枯れかけている3株をどうしたものかと思案し、手っ取り早くyou tubeで育て方を教えてもらい、それぞれの株の終わった花茎を切り水苔を敷き詰めた鉢に植え替えたのが始まり。その3株のうち残念ながら2株はダメになったが、一株だけが生き残った。それが何とも悲しくも悔しかった。ある日、あるyou tuberが花屋の片隅に花が終わりかけた株を易く販売していることを教えてくれた。これだ!と想い、私も外出の折に花屋を見かけると探したところ、同じように花が終わりかけた株が一鉢1000円以下で売られていた。そうやって、すこしずつ5鉢まで買い増し、花が終わると花茎を切り、素焼きの鉢に植え替える作業を行った。真夏の30℃を越す時期は、クーラーをかけて室内を28度以下に、冬場10度を下回る時期は日中は日当たりの良い窓際に夜は窓際から暖房をかけ室内が15-6°の場所にこまめに移して過ごした。



とても温室を作るお小遣いもスペースもないものだから、真夏も真冬もこまめに場所を移し、人間にとってもそこそこ快適な場所で見守った。そうやって過ごすうちに新しい葉や根(air rootと呼ぶらしい)が出てきて、春先にはついに新しい花茎まで生えて来た。その過程をずっとみまもっていると、一方的ながらも愛着がわき愛おしく感じられるようになった。早いもので3月の下旬から開花し始めたが、この5月に入り6鉢の全株の花が開花した。蘭の花は随分と長持ちするようで、まだまだ終わりそうにない。一日の始まりや終わりにこの花々を見るたびにある時は慰められある時には元気づけられるのであった。








2)サイクリングを再び始めるの事


この3年流行り病の全世界的な影響もあり、チャリから遠ざかっていた。今年の春先からチャリ乗りを再開したいと思っていたが、体力低下やチャリのメインテナンスから遠ざかったこともあり、取り掛かりにしばらく手間取ってしまった。4月上旬より、タイヤの交換、チェーンの洗浄と専用ワックスの塗付、ハンドルのバーテープの交換をボチボチと行い、古い個体をローラー台にセッティングし、仕事が終わった後20分から始めて60分程度漕ぐなどの準備運動をしていた。ただ如何せん3年間鍛えていなかった両脚は思うように回復せず、3年前までのようにロードバイクで山坂道を再び走り回る自信が持てないでいた。



そんなことを長年の親友イチロウ氏に駄弁っていたところ、彼曰く「マサキ、年齢と体力を考えな。もうロードバイクに乗ってシャカリキに走り回る年頃でもなかろ?これからは、グラベルロードバイクだろう。マイペースでコース選ばずに、好きなところに気軽に走りに行けば良いのだよ」と笑みを浮かべて穏やかに語るのであった。

まあ、確かになあ、最近街で見かけるロードバイク乗りは我々の年代から見ると一回りも二回りも若い世代で、シャカリキになって走っている。もうあの雰囲気には入っていくにはおっさんとしては随分気後れするもんなあ。だけれど、チャリ乗りを中断する前は、ヒルクライマーのチャリを購入しようと野望を抱いていたぐらいで、この先どのような方向に持って行けば自分のモチベーションが満たされるか、迷いに迷っていた。


自分なりに色々とグラベルロードバイクについて調べてみるうちに、グラベルロードとはいうものの、砂利道などの荒れた道だけではなくロングライド・例えばブルぺのような、にも個体性能としても適している事を知った。ロードバイクに比べて安定した走行性、長距離を走っても疲れにくいこと、ギア比などの特徴から少々の坂道も無理なく登れそうだった。

なるほどね、これからはゆっくりと長距離走行を楽しむのが良いね。それに山道は舗装されていても路面が荒れて枯葉・枯れ枝、砂利で覆われている箇所も多くロードバイクで走行する際にかなり神経質になることが多かった。グラベルロードバイクでは、安心して走れそうだと思われた。


4月下旬の連休に入る前の週末に、いつもお世話になっていたスポーツバイク屋を訪ねてみると、店長さんがグッドタイミングだと云わんばかりに型落ちのために値引き出来るグラベルロードバイクがあるよという。しかも、フレームサイズもマサキさんにぴったりだとw。なんだか出来過ぎの話w店長さんの営業トークに負けたわけではないものの、長年の付き合いをしてみて信頼のおける店であったので、前向きに考えると云い残しその日は退散した。

その後日、イチロウ氏に相談したところ、「悪くない選択だよ、良い買い物だと思うよ」との助言を受け、自分の懐具合を確認し、店長が勧めるバイクを購入することにした。


このバイクを使って、GW前後からこれまでに走ったことのあるコースを試走している。練習コースの山道を試走し、自分なりのグラベルロードバイク用のペダル漕ぎを身に着けた:無理に力を入れて漕がない(これをすると膝をやられる)あくまでもスムーズに回せるように積極的に軽いギアに入れていくこと。結果的にはかなりゆっくりとしたスピードでの登坂となるが、却って心肺への負担が少なく疲労が少ないことも発見。

次に以前よく登っていた山(標高500m程度)の峠道を登坂してみたところ、無理なく上ることが出来、自信を深めることになった。その後は、休みが取れた週末に60-80㎞程度走っている。朝早く出発して正午に戻ってくる、余った半日は家庭サービスをして“徳”を積む。良い配分でチャリライフを再び楽しみ始めているわけですw



2025年5月24日土曜日

独り留守番飯 in April, May of 2025

職場の留守番日に自分が発作的に食べたくなったものを拵えては、ああでもないこうでもないと雑念を書いているシリーズ。

空腹に耐えられなくなったり、作るのが面倒であれば、インスタントものやコンビニ弁当で済ませることも多々あるのだけれど、そればかりでは飽きてしまうし、突然思い出したら無性に食べたくなるものがある。そうやって多少の手間をかけて拵えて、独り満足を得られたものを記載している駄文である。

                               

1.カツカレー   


最近、どういう行き違いが生じたのか、家庭で揚げ物がメニューとして上がることがめっきり減ってしまった。子どもが家を離れ夫婦二人になり、たまに天ぷら食卓に上がることはあるものの、カツ・フライはめっきり減った。食べる人数も減り、特に私の好みが野菜や魚類に変わってきている事や、食用油を大量に使う料理の手間暇を考えると揚げ物を作るのが面倒になって来ているのかもしれない。 

そういう個人的な事情から、ここ数年トンカツを食べたことがなかったと気が付いたら、無性にトンカツが食べたくなり、留守番独り飯として拵えることにした。 

スーパーで豚肉ロースの塊を購入しそれを分厚くスライス。それを前もって蒸し器を使って過熱しておいた。衣は本来であれば、小麦粉を付けて溶き卵に潜らせ、最後にパン粉を付けて食用油で揚げる事になるのだが、なんと衣をつける工程が一回で済む商品がこの世に存在していたんだな。

その名も「小麦粉、卵いらずラク揚げパン粉」というそうな。実際にこの商品を試してみると衣をつける工程が大幅に短縮できて楽だった。

大量の食用油は後始末が大変なので、油はあくまでも少なく、揚げ焼き程度の量をフライパンに投入し調理した。

ふと、その前の週に作り冷凍していたカレールーがあるのを思い出し、急遽カツカレーの体裁に。         

実際に食べてみると、分厚いカツは大変食べ応えあり、また、カレーとのコンビネーションも素晴らしく大変美味しかった。改めてカツカレーという食べ物を発明したヒトは大変偉いと思った次第。

2. チキンカツ定食風

 先に書いた便利パン粉が余っていたので、別の日に違う揚げ物、チキンカツを拵えてみることにした。

学生時代に地方で過ごした。大学の最寄駅周辺には4軒の定食屋があり、随分お世話になった。どのお店もご夫婦で営まれており、当時としても比較的安い値段設定であった。家庭料理を出してくれる店、洋食のお店があったが、私の好みは鶏のバター焼き、チキンカツ、唐揚げなどが好みであったと思う。チキンカツを作るにあたって、それらのお店が大変懐かしくなり、もう一品・ひじきを足して定食風にしてみた。チキンカツに使ったのは、鶏の胸肉。低脂肪で胃に優しい。胸肉を筋に沿って切り開き肉の厚さを薄くして、衣をつけて、控えめの油で揚げ焼きとした。付き添い野菜は、キャベツのなどの葉物野菜の千切り・これはコンビニで売られているものをそのまま使用。カツにキャベツの千切りは口の中をリフレッシュしてくれて誠に相性良し。なんだか、うっすらと覚えている学生時代に利用した店主の顔が脳裏に浮かび大変懐かしかった。まだ営業されているだろうか?あれから30年以上の月日が経ったからもうお店を閉じられているかもしれない。時々定食屋ごっこをしながら、当時好きだったメニューを再現していくのも良いかもしれないと思った。


3.ナポリタン・スパゲッティ

独り留守番飯では、時短と簡便さを求めるために主たるメニューでは麺類が多くなっている。麺類の中では、この時期はパスタが多かった。ペペロンチーノ、カルボナーラが頻回に作っているが、前々から旨い喫茶店風ナポリタンを食べたくなって、トライするもののなかなか満足する品が作れずに悔しい想いをしてきた。そんなことを親友であるイチロウ氏に駄弁ると、彼が満面の笑みを浮かべて、「あのさ、そこまでナポリタンに憧れているのであれば、これを使え。」と教えてくれたのが、マ・マー製「ケチャッピー・ナポリタン」というソース。

私が内心出来合いのソースに頼るのは、己の主義に反していなあと困惑の表情を浮かべていると、何かを察したイチロウ氏が、「まあ良いから。四の五の言わすに一度試してみな。悪いことは云わないから....」と笑っている。そこまで仰るのであればと、某日スーパーに食材を買いに行った際に探してみたところ、確かにあった。早速購入して、このソースを使ってナポリタンを拵えてみることにした。





包装にかかれている通りにその手順で作成。私は頭を使わずただ手を動かしただけw。実食してみると、うむむ、確かに旨い。うま味、適度な酸味と甘みの按配。私がイメージしていた喫茶店で供されるナポリタンに仕上がっていた。大変な満足感とほろ苦い敗北感。これまで自分で色々試行錯誤してきたつもりだけれど、これ以上の味を自分では作れないな。この味を知ったからには、今度からナポリタンを拵える際には、このソース一択しかないだろうな。あと追い求めるとしたら、具材のバリエーションくらいか.......。
ナポリタンが憧れの料理から、一気に身近なものになってしまったのだが、嬉しいような寂しいような。ヒトの感覚とはまあそのくらいいい加減なものなんだけれど。

さてこれから夏に向かって、何を拵えて何を食べて行こうか。独り留守番飯の道はまだまだつづくのであった。

おしまい




                                                     


2025年5月6日火曜日

GWの真っ只中にしまなみ海道に遊ぶ

 長男が、連休を利用し帰省。彼のリクエストはしまなみ海道に行ってみたいとのことだった。GWの真っ只中にしまなみ海道へ行くなんざ、わざわざ渋滞に巻き込まれに行くようなものなのにと内心ウンザリしたが、その経験も宜かろうと何も言わずに付き合うこととした。

広島県側から一度今治側まで往き、どこかの島に降りて、尾道で休息し、帰路とする行程。


来島海峡




生口島瀬戸田町にあるお食事処「ちどり」さん

名物「たこ天卵とじ丼」

これなかなか旨しw



瀬戸田町のサンセットビーチ。
瀬戸田町は、自転車天国の観光地化に成功の様子。
外国人のバイカーが、たくさんやって来ていた。

自転車客が沢山いるためクルマのドライバーにとっては細心の注意が必要で景色に見惚れている場合ではない。




尾道に立ち寄り夕方の商店街をぶらりと散策。休息するために、甘味処「ととや」さんに立ち寄る。普段はあまり甘いものは食さないが、連れどもに付き合って私は白玉クリーム餡蜜を所望す。フロア係の男性が申し訳なさそうに、先に注文した長男の「いちじく白玉かき氷」で「白玉を切らしてしまいました」と応じる。私が一瞬混乱して白玉なしの餡蜜で良いよとすると、「それはメニューにないもので」と。機転を効かせた長男が「じゃあオレのかき氷の白玉を譲るわ。白玉なしのいちじくカキ氷でお願いします。」と話を繋ぎ無事オーダーを完了。
運ばれて来た白玉クリーム餡蜜の白玉6つのうち、3つを長男にシェアしめでたくそれぞれの品が完成。
この餡蜜は品の良い甘みで良かった。連れどもがそれぞれに注文したかき氷も評判がよく「また来たいね」との感想あり。私たちのやりとりを見ていた男性店員が、にこにこしながら「次回は是非これらもお楽しみください」と白玉入りの甘味を示した。なかなか平和な時間を過ごせた。「ありがとう。また来ますね」と言い残しその店を辞す。
駐車場まで海岸辺りをゆっくりと歩く。向島と尾道側を行き来する小型フェリーが接岸している。尾道らしい光景なのだが、ニュースによるとひとつの航路は廃止されたとか。長男が「オヤジは海のそばで生まれ育って、今も海を観ながら生活してるだろ?飽きないか?」と笑いながら尋ねた。「ちっとも。全く飽きないねw。」と応じる。

“逆に海の見えない都会に住んで楽しいかい?”と聞き返しかけたが、不粋な質問に思え止めておいた。


護岸壁の一箇所にこんなスナップショットが埋め込まれていた。うむむ、やるな尾道。観光地化の手を緩めずw何度となく観た「東京物語」。私と息子どもの平凡な家族物語のプロットと重ね合わせてみたけれど、まあ言葉にするほどのこともないかw。終わり。