2026年9月4日金曜日

夏の印象

 

夏の印象

ある夏の日――大学1年の学期末試験が終わった翌日、ボクは運転免許の学科試験を受けるために、前日に引き続き徹夜で勉強をして、朝早くからひとりバスに乗り、街外れの運転免許センターに向かった。

恐らく、生まれて初めての社会手続きであり、初めて乗るバスで時間内に見知らぬ場所へ向かうことに、一夜漬けによる疲労も重なって、相当な緊張感を抱えていたことを覚えている。

少しでも緊張感を和らげ、気分を軽くしようとして、窓外の景色を眺めながら、その頃ハマっていたSteely Danの『Aja』をウォークマンで流していた。

バスは街の中心街から次第に郊外へ向かい、窓外の景色は、初めて見る海辺の風景に変わっていった。

時間内に免許センターに辿り着かないと、これからの計画がすべて水の泡になってしまう。この日、首尾よく運転免許を交付してもらえなければ、翌日、同郷の寮仲間とレンタカーを借りてドライブで帰省するという、今思うと少々無謀な計画が灰燼に帰すことになるのだった。

ボクは、この計画の一発勝負に挑んでいたのであり、やるせなくなるような内的な緊張感を覚えながらも、耳から聴こえてくるSteely Danの、どこか泥臭くも洗練された大人の男の世界観に気持ちを強くしながら、目的地へ向かったのであった。

幸いなことに、事前に調べたとおり、バスは受付時間内に目的地へ辿り着き、係員に誘導されるままに列に並び、手続きを済ませた。

待合で待っていると、ひとりの背の高い女の子が不安そうに佇んでいた。

「ああ、この子も運転免許試験を初めて受けるんだな。ということは、ボクと同じ年頃か……。やっぱり初めてのことで相当緊張してるんだ。ボクと同じじゃないか」

そして、しばらく周囲を見渡すと、受験者の誰もが不安そうに緊張した様子を示していた。

そんな様子を見ていると、ボクは「やるしかない」と腹を括ることができた。


運転免許の学科試験をなんとか終えたのは、午後1時過ぎだったろうか。

手応えはなんとも言えず、疲労困憊の状態で、合格発表があるまでの2時間程度を免許センター内で待たなければならなかった。

やることもないので、売店でコーヒー牛乳と菓子パンを買って、センターの道路向こうの海辺沿いの堤防に腰掛け、ぼんやりと海を眺めた。

あの時、何を考えていたんだろう?

免許試験の合否を気にしていたのか、その晩のメシをどうしようか、などと考えていたのか。今となっては全く記憶していないのだが、少なくとも、合否発表までの時間が長く、手持ち無沙汰だったことは間違いない。

待ちきれなくなり、合否発表の30分前にはセンター内の発表場所に戻った。

そこにはすでにたくさんの受験者が集まっており、どの顔も浮かぬ様子で、当てもなくその辺りをぶらぶらしていた。

ふと後ろを見ると、今朝待合で見かけた背の高い女の子が立っていた。

「ああ、あの子も不安なんだなぁ」

頭の中で、その子に声をかける自分の姿を想像しかけていたのだけど、よく見ると、その女の子のそばに中年の女性が寄り添っているのが見えた。

その女性は微笑んではいたが、どこか気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。

その2人の様子を見た時、ボクなりに状況を察し、その女の子に興醒めしたというか、一種の苛立ちにも似た感情を覚えた。

声をかけてみるというボクの淡くあまい期待は、青い夏空に消えたかのようだった。

ボクは、合格発表ボードに自分の受験番号を確認すると、誘導されるままに運転免許の交付を受け、再びバスに乗って大学寮に帰ったのだった。


ボクが大学寮にたどり着いた頃、太陽は西に傾きつつあったが、地面から上がってくる熱気と、辺りで競うかのように鳴り止まぬ蝉の声は、真夏のエネルギーがそこらじゅうに満たされたままのようであった。

寮内に入ると、多くの寮生はすでに帰省の途についたようであり、閑散とした様子で静まり返っていた。

「ああ、なんだか夏に乗り遅れてしまったなあ」

ボクは、西日の刺す居室に入ると、ホッとため息をついて、荷物をベッドに放り投げた。

そして、Tシャツ短パンに着替え、今度はLPレコードで『Aja』をかけ、クタクタになった身体をベッドに預けた。

「さて、これからどうしようか?」

「晩飯は寮メシはもう止まっているからな。誰がここに残ってるかな? 街に飯でも食いに出るか……」

などと当てもなく思案していたが、

「そうだ……」

と、まずは明日からの帰省の支度をしなければ、とゆるゆると起き上がったのだった。

まずは、屋上に干した衣類を取り込まないとな……。

ボクは、ぼんやりとトボトボと屋上に向かう階段を登っていったのであった。




ボクが屋上にある洗濯室を通って、外に設けられた物干場に向かおうとした時、突然、大音量でその当時流行っていたユーロビートが流れてきた。

一体誰だ!?

そう思って洗濯室を出ると、右手前方の手摺りに身体をもたせかけ、屋上から遠望できる街を眺めているヤツがいた。

ボクは、その男が誰であるか分かると、たぶん笑顔満面で、

「いやあw! まだいたの? そこで何してるの?」

と声をかけた。

ヤツはこちらへ振り向き、ふてぶてしいのだけど少年のような笑みを浮かべ、

「マサキじゃないか? おまえこそ何してんだ」

と、タバコを咥えたまま器用に答えた。

ヤツとは、同級生のMだった。

彼はウェイブのかかった茶髪にサングラスをかけ、上半身は裸の短パン姿であった。細身の身体は色白であったが、露出した肌は陽射しを浴びて、やや赤みを帯びて輝いていた。

彼の足元には、サンオイルのボトルと大型のラジカセが置いてあった。

咥えていたタバコを吸い終わると、薄いタバコケースからもう一本取り出し、親指の上でタバコの吸い口をトントンと叩く。それを口端で咥えると、短パンの後ろポケットからジッポのライターを取り出し、ややしかめ面をしながらタバコを燻らせた。

ふー。

ボクはさらにニコニコした表情で待ち、Mの質問に答えた。

「おお、そりゃ良かったじゃないか……w」

「ようやった」

と、大人が子どもを褒めるような態度や物言いで、Mは応じた。

「で、Mはここで何してるのさ?」

というボクの問いに対して、彼はちょっと不良ぶった笑みを浮かべた。

「ほら、マサキもオレがウィンドサーフィン始めたの知ってるだろう? マサキ! もう夏だぞw。サーフィンやってるのに、こんなにヒョロついた身体になまっちろかったらカッコ悪いし、第一オンナにモテんだろうw? だから、さっきから焼いてるんだよ!」

ボクは内心、彼の肌質であれば、彼が望むような小麦色の肌にはなれないだろうなと思い、真っ赤になったMを想像すると可笑しさを覚えた。

だが、ボクが何かを抑えているのを察した彼は、ちょっとキッとした表情を作り、

「マサキ、オマエ何が可笑しいんだ?」

と聞いてきた。

ボクは堪えきれなくなって、でも遠慮気味にウフフと吹き出してしまった。

彼はぷいとまた手摺りの方を向き、タバコを燻らせながら、辺りの景色を眺め始めた。

Mとはいつもこんな感じで付き合っていた。

Mの性格は、根っこは真面目なところがあるのに、その行動は大胆不敵に映り、当時の流行り言葉である「ツッパリ」風の態度を好んだ。

ボクとはあまり行動をともにしなかったが、時々ボクの居室にふらりとやってきては、ボクと音楽の話やコミックの話をした。

そして、彼の言動におかしみを感じてボクが微笑むと、彼は瞬間湯沸かし器のように立腹したように、

「何笑ってんだ! 帰るわ!」

と言って去っていく。

そんな交流を繰り返していた。

その時もいつもの調子で、彼とボクは話していたのだった。

太陽はさらに傾き、西陽はボクとMの身体に容赦なく突き刺さり、話しているうちにその暑さに耐えられなくなっていた。

「じゃあ!」

とボクが踵を返し、洗濯室に再び入ろうとした直後だった。

Mは刹那に、

「あはは!」

と嬌声をあげ、ホースを持ち、散水栓を全開に開いて、辺りに猛烈な勢いで水を撒き散らし始めた。

「マサキももう少しここにいろよw! ほら〜天然サウナだぞ〜w!」

「ああ、M、今晩一緒に飯食わないか〜?」

と問いかけるも、彼はまだキャッキャと笑いながら、

「この俺様を放っておくオンナはいないだろw! デートだよ、先輩のセリカを借りたんだ! 海までドライブw。そのあとは雰囲気次第w。すまんw」

と、水蒸気の立ち上る様子に満足そうな笑みを浮かべていた。

ボクは、

「確か、寮則では、寮生のクルマの運転は禁忌なんだけどなあ」

と、翌日の自分の計画はどこか棚に上げて、Mの予定を揶揄したくなったのだが、

「Mだもんなw」

と愉快な気分になり、居室に戻ったのであった。


その夜、翌日にドライブを共にする予定のTと打ち合わせをし終えると、ボクは居室に戻り、ビールを呑みながら夕方の続きで『Aja』を聴き直していた。

消灯直前にMが突然入ってきた。

ボクが「あれ?」という顔をしていると、彼は問わず語りに、

「ナンパに失敗して、あてが外れたので、門限前に寮に帰ってきた」

と苦笑いを浮かべていた。

ボクも「そうなんだ」と笑顔で応じ、次の日からTとドライブしながら、途中までMも乗って帰らないかと誘うと、彼は意外にも渡りに船と言わんばかりに、

「その話に乗った」

と応じた。

結局、翌日レンタカーを借り、3人で交代しながら国道を岡山から広島まで4時間かけて帰ることになるのだが、普通であれば、ここから『スタンド・バイ・ミー』的な珍道中が始まりそうなのだが、実際はそうならなかったw。

最初にTが運転し、次にボクの番が回ってきたのであるが、自動車学校以来4ヶ月の間クルマに触れたことのなかったボクは、クラッチの接続にドタバタしてエンストを起こすわ、坂道発進を失敗するわ、キープレフトしすぎて、路肩をヨタヨタ歩いているばあさんに接触しそうになったり。

後部座席にどっかり座っていたMの、

「おい! マサキ!」

との怒声が飛び出し、そのうち我慢ができなくなったMが、

「お前、クビだ! オレに運転変われ!」

とのことで。

ボクのドライブデビューは、ものの30分で終了。

ボクはしょんぼりと後部座席に退場させられたのであったw。

その後、このドライブはTとMにより無難に進行し、ボクらは広島駅で解散し、それぞれの家路についた。

ボクにとってMとの濃密な交流――それは寮の屋上での僅か10数分程度のものであったはずだが、夏の強い陽射しに焼きつけられたように、ボクの心の中にこの記憶の断片がいつまでも貼りついている。

毎年、梅雨前線が北上し、太平洋高気圧が辺りに充満したその日、強い陽射しを浴びて路上から立ち上る埃混じりのすえた匂いを孕んだ空気を吸い、辺りで一斉に鳴き始めた蝉の声を聴いていると、ふと脳裏にあの夏の日の屋上のシーンが蘇るのだった。

そして、ボクは、その夕方は決まって『Aja』をかけながらクルマを運転し、帰路につくのだった。

おわり


2026年8月28日金曜日

ポルシェ914をあきらめたオヤジの今日的事情

 

1. ボクとクルマの関係性



この頃は、すっかりクルマというものに興味がなくなった。色々なコンピュータシステムを積んで、ハイブリッドだの、EVだのと駆動システムが変わって、年々進む安全基準の厳格化でボディサイズは大きくなり、その総合的な結果として、販売価格は高額化している。

メーカー側も開発費が莫大になってしまい経営的な判断で合併再編が繰り返された結果、市場に出てくるクルマは似たり寄ったりで没個性化あるいは逆に個性を強調するがあまりにグロテスクとまでは言わないものの美しいとは言えないクルマも多々見受けられる。

特に流行りとは言え昨今のSUV風クルマの跋扈はやめてほしいw 日本の道路事情は変わっていないのに、クルマだけ図体がデカくなってしまっているので、小径に入ると離合がしにくいし、立体駐車場に停められないなど不具合も少なくない。

だから、還暦オヤジは、もうクルマなんてどうでも良くなってしまっている。今は通勤などの日常生活にどうしても必要なために乗っているが、そんな生活から早く卒業できないものかしらとさえ思っている。

そんなオヤジにもクルマに憧れる時代があった。物心ついた頃から、助手席に乗せてもらうことが好きで、フロントガラス越しに見る風景を眺めたり、走っているクルマの名前を当てたりするのが好きだった。小学校高学年では、「サーキットの狼」という漫画に夢中になり、「スーパーカーブーム」にハマり、スーパーカー・ショウに出かけて写真を撮りまくったり、近くの自動車工場に持ち込まれる外車に見惚れたり。

高校・大学に進めば、デートカーブームがあり、そして何よりカーグラフィックに代表されるクルマ情報誌が成長したスーパーカー世代の夢をつないでくれた。

社会人となり、自分である程度収入を得られるようになると、「一生に一度はポルシェを所有したいものだ」と当てのない夢を描いたものだった。その夢は、目の前の現実:結婚し子どもが生まれると、目の前の生活にお金は消えてゆき、ポルシェを所有するなどという淡い夢はいつの間にかどこかへ消え、そのうちにクルマそのものに興味を失ってしまい今日に至ってしまっている。

2. ポルシェ914との邂逅



大学1年か2年生だったと記憶しているが、その頃毎週末にクラブ活動で大学のグランドに通った。そこの駐車場に毎回のようにパタパタというエグゾーストサウンドを響かせてやってくる一台のクルマがあった。確かベージュ色のボディーカラーにルーフはブラックの塗装で、低い車高の二人乗りのスポーツカーだった。スーパーカー世代のはしくれであった私にはそれがポルシェ914であることがすぐにわかった。所有者はおそらく大学関係者であったろうが、線の細い優男で、華奢なフォルムを持つそのクルマにその男性が妙に合っていてとてもカッコよかった。

当時としても発売以来10数年は経っていたはずで、周囲に駐車されているクルマと比べると、そのいで立ちは少々クラシックで頼り気のない佇まいが、却っておしゃれであり可愛らしさを感じさせた。夕暮れ時になると、再びパタパタというエグゾーストサウンドを響かせながらそのクルマがどこかに走り去っていくのであるが、その残音を聞きながら「ああ、オレもあのクルマに乗ってどこかへドライブに出かけたいな」「夏の夕暮れなどは、あのパタパタサウンドを響かせながら海岸べりの道をゆっくりと走らせたら、さぞかし気分良いだろうな」と思ったものだ。

それから20数年が経ち、ボクは家庭を持ち日々の仕事も多忙を極めていた。クルマの買い替えを考えて、休日になると家内と近所のディーラー巡りをしていた頃のこと。ある日、イタリア輸入車の販売店を訪れた時のことだった。小型のフィアットやアルファロメオが陳列しているフロアの片隅に、なぜかぽつんとポルシェ914が置かれてあった。

「あーっ」と思い、フィアットやアルファロメオの展示車の見物もそこそこに、そのクルマに近づき、ボディーや内装・インパネ周りをじっくりと見回った。ボディーは赤、ルーフは黒で傷一つ目立たずきれいに塗装されていた。シートもインパネもドアの内側のウレタン部分も、流れた歳月を感じさせるもののきれいに手が入れなおされていた。

しばらく声にならないうめき声を心の中で発しながら熱心に観ていると、店の若い店員が近づいてきて、「お客様、ポルシェ914に興味が御有りのようですね。弊社はこのたびヴィンテージカーのレストアと販売を本格的に行う部門を立ち上げまして、販売を展開しています。県内外から愛好家の方々がたくさんお見えになり、気に入ったものがあれば購入されていますよ。ちょうどお客様と同じような年代の方が、こういったヴィンテージカーを所有したいという機運があるようですね……」「もしよろしかったら、この店舗の近くの倉庫に何台かヴィンテージカーを展示していますから、ご覧になっていかれますか?」

ボクとしては断る理由は何もなく、ほいほいとその若い店員の後をついて行ったのだった。

その倉庫の中には、あるわあるわ……。ロータスヨーロッパ、BMW02、モーガン、チンクエチェント、アルファロメオ・ジュリエッタ……。かつて夢をみていたクルマがきれいにレストアをほどこされ、眠っていた。

若い店員が再び近づいてきて、「お客様、何かお気に召しましたクルマはございますか?」と尋ねた。ボクは「うんとですね。どのクルマも素晴らしいけれど、やっぱり最初に観た914が良いですね……。」

「そうですか。それは良かったです。今だったら販売価格400万円にしていますから、けっしてお買い求めしにくくはないはずです。弊社はさらにお買い求めされやすいように、低金利のローンも設定できますよ……。」

「きた〜! 悪魔のささやき……」

400万円か〜、決して出せない金額ではない…。昔あこがれたクルマ、そしていつかはポルシェ所有を夢想していたボクにとっては、絶好のチャンスだと思われた。普段は眺めて幸せな気分になり、週末はこの914を駆り出して海沿いの国道をゆっくりと走る。その気になれば、そんな生活が送れるはず……。

914をドライブしている自分を想像し相好が崩れるのを辛うじて抑えながら、その若い店員には努めてすました顔で、「うん、ちょっと考えますね。今日は良いものを見せてくださって、ありがとう」とその店舗を後にした。

それからのボクは、ポルシェ914の購入について真剣に考えた。妻にも一方的に「買っちゃうから」と宣言もした。妻は「そうなの?」とまったく相手にしてくれなかったが…。休みになると何度かその店舗前をチャリで通りかかり、そのクルマがまだ売れていないことも確認したりした。

しかし、真剣に914の購入を考えれば考えるほど、その夢はどんどん遠ざかっていった。

まず、販売から40年以上経っているヴィンテージカーを所有するためには、屋根付きのガレージが必要となるが、我が家にはない。電気系統などのトラブルも必至だろうが、そのようなヴィンテージカーを嫌な顔をせずに面倒を観てくれる町工場のおっさんを私は知らない。だから、一からそんな町工場を探さないといけない。本当に購入しようとすれば、どこか屋根付きガレージのある戸建てあるいはマンションの一室を借りるか、購入するしかない。それはそれで素敵で夢のようなカーライフだと思えたが、実際にそうすると、ガレージの維持費だけでも馬鹿にならないだろう……。それに、その時期は子どもの受験と大学進学時期と重なり、家計費に新たな負担が今後のしかかってくるだろうと思われた。

どう考えてもその時期の自分には914の購入は無理だった。頭の中でどう算段しても、あの店舗にある914は購入できても、その後ずっと914を維持し続ける見通しは全く立たなかった。

「うーむ、悔しいが、仕方がない。自分の人生においてはご縁が無かったとあきらめるほかはない」。自分のなかでひとり盛り上がり、自分で静かにその火を消したのであった。

3. 代償行為としてのロードバイク遊び



その頃、私の年齢で言うと50歳前後であるが、私の同僚であり学生時代からの親友であるイチロウが、ロードバイクにハマり始めていた。熱心にロードバイクを弄っているイチロウの横で、私はさほど関心もなく傍観していたのであるが、無関心である私に向かって、イチロウが熱心に仲間になるように「勧誘」を始めた。

「マサキよ、自転車は良いぞう。自分の二の足でペダルをこいで自分のペースで走るだろう。クルマとは違う風景が流れてなあ、気が付かなかったものを発見するんだよ。同じ道沿いでもさ、ヒョイッと路地に入れば全然それまでに知らなかった世界が広がっているんだよ」

「この前なんか、知らず知らずに旧道を走っていると、ちょっとした標識があってな、よく見ると旧なんとか街道と記されているのよ。へええ〜なんて思って、新しい発見があったりしてさ、そういう楽しみは絶対クルマでは味わえないよな。」

「だからさ、そろそろお前も一台どうだい?最初はGIANTの24インチの折り畳みバイクぐらいから、どうよ?」

“はいはい。始まったw。こいつは学生時代からそうだった。最初は、高校時代のロキシーミュージックの福岡公演に行こう!から始まった。押しは強くないのに、じわじわとボクにその対象となる魅力を語って聞かせ、こっちがその気を見せないと、ボクが取っかかりやすいところからじわっと攻めてくる。そしていつの間にか自分の趣味をこちらに移植させるんだから。この度の折り畳みバイクから始めてみないか?はまさにそのとっかかりだ”

「GIANTの24インチの折り畳みバイクは優れモノでさ。ある程度の走破性は確保しつつも、折りたためて輪行できるから、どこへでもいけちゃう。ちょっと走ってさ、しんどくなれば電車やバスに乗せて帰ってこれるのよ。楽ちんだろうw」「だからさ、お前も持っていても損はないよ。乗らないときには、物置にしまっておけるんだから……。」

その時には、しばらく先の結末も見えているような気がしたが、最終的にはイチロウの提案に絆されて、そのGIANTの折り畳みバイクを購入してしまった。

それが運のつきで、そのあとCINELLIのカーボンフレームのロードバイクを購入するに至る。

実際に自転車に乗り始めると、ボクも直ぐにハマってしまい、年に数回、一番頻度が多い時期は月一でイチロウと計画を立てては往復100km前後の道を走った。ある時には、山口県の海沿いを向かい風と波しぶきがかかる中を走り、またある時には真夏の昼間に広島県の島しょ部沿いを脱水になりながら走った。

そうやって走っていると、折り畳みバイクでは物足りなくなり、もっと早く走りたい・もっと遠くまで行きたいとなり、2〜3年後に本格的にロードバイクを所有することになった。イチロウにその旨を相談するとニンマリとした笑みを浮かべ、「待ってました」とばかりに、数社のイタリアンバイクのブランドを教えてくれた。そして二人でイチロウが懇意にしている自転車店に出向き、店のおやっさんから勧められたのが、CINELLIだった。

その店のおやっさんは我々を出迎えると、泰然とした物言いで「マサキさん、今ねお勧めなのが、このフレームなんですよねえ。きれいでしょう。CINELLIのカーボンでね。お勧めです……。」

ボクとしては、コルナゴやピナレロ、デローザを勧められると思っていたのであるが、聞きなれないCINELLI。でも、王道のメーカーでないのが、却ってボク好みで、そのおっさんの勧めるカーボンフレームを土台にバイクを組み立ててもらうことにした。ただし、ギアにしても、ホイールにしてもそこは安価なものから高額なものもあり、下手したら80〜100万は完成にかかってしまう。そんな小遣いは自分にはないので、段階を踏んで数年かけて各パーツを性能の良いものに変えていく方針とした。

このバイクを手に入れて益々行動範囲は広がった。山口県の走行会で両足が攣ってしまい危うくゴールにたどり着けなくなりそうになったこと、愛媛県今治市から対岸の尾道へのしまなみ海道のツーリング大会参加、そして琵琶湖一周所謂「琵琶一」のツーリング大会に出て、初めて訪れた湖東地方の郷土料理に舌鼓を打ったこと。ボクなりの自転車生活上のハイライトがいくつもあった。

CINELLIのロードバイクは2年おき程度に各パーツのグレードアップを図り、5年後には満足いく完成車となった。その過程で、僕なりに気が付いたことがあった。「ああ、スーパーカーを所有することは夢で終わったけれど、ロードバイクという形でイタリアの高級車を所有できたんだ。そしてエンジンは己の二つの脚になっちまったけれど、乗り物に乗って風景を楽しんでいる。形は変わったけれど、若いころに望んでいたことを歳を取ってもちゃんとできているんだ」と。

そう思える瞬間が確かにあって、密やかに満足を得られた。

そんなハードながらも楽しいロードバイク生活に陰りが見え始めたのが、2021年から2023年まで猛威を振るった新型コロナのパンデミックだった。特に始まりのころは一度罹ると死を覚悟しなくてはいけないような流行であったので、社会全体がシュリンクし、特に日本では「自粛」「自粛警察」なる言葉が流行り、そんな時期に能天気にロードバイクで駆けるなんて遊びをしている場合ではなくなった。

また、何度かの流行期を経るにしたがって、仕事の場面においても厳しい局面を何度も味わうことになり、すっかりとバイクに乗る気持ちが覚めてしまった。

ロードバイクというのは体的にはかなり大変な遊びで、ロードバイクを楽しむためにはそれなりの準備・体力トレーニングが必要で、2〜3か月乗っていないと、脚力はてき面落ちてしまい、元の状態に戻すのにまた数か月かかってしまう。パンデミック時期にロードバイクから離れてしまうと、再開する気力が湧いてこず、この期間は完全にロードバイクから離れてしまった。脚力の衰え、そして年齢も50歳代終盤に差し掛かり加齢による気力体力の衰えも否めなかった。

2024年のある日、久しぶりにCINELLIに跨ることがあり、家の周辺を流してみたことがあった。相変わらずギアはスムーズであり、ペダルを踏みこめば踏み込むほどどんどん前に進んでくれる。だけれど、ペダルを踏みこめば踏み込むほど、ギアの性能に自分の脚が追い付いていけない感覚があった。

「あー、これ。中島悟の引退と同じじゃん。マシンはまだまだスピードを求めているのに、自分の体がそれを拒否している感じ。オレももう引退だわ〜」

そうなんだよね。60近いオッサンがロードバイクにしゃにむに乗って悦に入っているのって、本人は自己陶酔できるが、傍で見ている者からすると滑稽に映っているかもしれないなあ。オッサンがピチピチのジャージ着て自転車に乗っているのも無様なのかも……。

ただロードバイクの楽しみを知るとあの世界から離れるのはどこか寂しさを感じてもいた。

「あ、そうだ! ガンガンに走らなくても、ゆっくりと旅を楽しむグラベルロードバイクがあるじゃん。速く走るだけが能じゃないんだよ。もともとレースをしたいとのめりこんだわけではなかったのだもの。これからは流れる風景をより楽しみながら、ゆっくりとしたポタリングを楽しめば良いんだよ。」

2025年の春にCINELLIで世話になっているお店に出向き相談すると、BIANCHIのオールロードなるアルミフレームのバイクを勧めてくれた。型落ちの個体であったが、3割の値引きをしてくれるとのことで、私はその話に乗った。それから、冬場は休んでいるが、春から夏、秋の時期、月1回程度でこのバイクでヨタヨタと走らせている。そこには期待していた通りの緩やかな景色の流れがあって、ロードバイクでは得ることのなかった別の世界が見え始めているのであった。

4. オヤジの今日的クルマ選び



1. トヨタ販売店にて


このような経緯から、40代後半から60代にかけてのクルマ選びは生活上の必要性とチャリが積めることが条件となった。国産のミニバンを2台乗り継いで、子どもが進学や就職してからは国産のワゴン車に乗っている。そしてもう一台、普段は妻が乗っている小型のアウディが我が家にはある。それぞれに5年目の車検を乗り越えて6年目に突入している。

先日、夏休暇を利用して帰省してきた次男が、おずおずと「来年どうも他県に転勤になりそうで、どうも田舎なので日常的にクルマが必要になりそうなんだ。」「申し訳ないけれど、家のクルマ使わせてくれないかな…………?」と言った。

家のクルマと言われても、我が家には2台しかクルマは無いわけで、ボクは通勤上必要だし、妻だって日常生活の用事、それからそろそろ介護一歩手前の義父母の様子を見に帰るためにクルマは手放せない状態なのだよ。

と、いうことはもう一台新たに購入する必要となるわけだ。ボクが次男に「お前少しでも貯金できたか?」と尋ねると、「それが………、ない」という。

“なんたること!” “でも、社会人2年目だものな…..。確かに身に覚えがある。そんなものか…..”

しゃーないな。家のクルマをやつに渡して、新たに我が家分を購入するか、あるいは奴のために手頃な値段のクルマを購入するか、ということで話はまとまった。

ここで素直に告白しておくと、身に覚えがあるとはまさにこのことで、かつて僕自身も親からクルマを買ってもらったことがあるのだ。まったく「因果応報」である。たとえヤツにクルマを買い与えることになっても、「甘やかせている」と世間から非難を浴びようが、このオヤジだから仕方がないかと思えた。

その話の流れで、妻との間では買い換えを考慮しても良いであろう小型のアウディを次男に渡し、その代替えとなるクルマを探してみようということになった。

先日、休日を利用して妻と一緒にディーラー巡りをした。

最初に訪れたのは、トヨタ系列の販売店。ヤリスあるいはアクアの試乗を目的にした。小回りの利くクルマで、立体駐車場に駐車できることが妻の条件であった。

昼過ぎに店舗に訪れると、クルマを駐車するや否や、二人の男性がクルマの傍まで出迎えた。店内に案内されてテーブル席に通されると、私が店長の○○です。私は販売主任の○○です、と店舗トップの二人が挨拶に来たではないか……。あまりの威勢の良さにこちらとしては少々気圧される気分(いわゆるドン引きってやつw)だった。

来店の目的を先方に伝えると、販売主任がにこやかにも少々困った様子で試乗用のヤリスもアクアも現在店舗に置いていないのだという。

ああ、そうですか。そうですよね、前もって試乗は予約していないといけませんよねと、ボクも理解を示し、じゃあまたと言いかけた途端に、販売主任が「ち、ちょっと待ってくださいよ〜、他店に問い合わせてみますから」と慌てふためいて席を離れると、数分後に帰ってきて「30分くらいお待ちください。そうすれば当店に廻せますから」という。

妻と顔を見合わせて、どちらともなく「今日別にそれほど用事がないので、待ちますよ」と応じた。ありがとうございますと、主任さんはカウンターに戻り何らかの手配をしたのち、三度ボクたちのテーブルに戻ってきた。

そのあとはお定まりの、こちら側の購買意欲、購入の意図などを尋ねてきた。差し支えない範囲で経緯などを話していると、妻がふいに「こちらのお店の主力商品は何ですか?」と主任さんに尋ねた。

主任さん、「ええ、当店はクラウンでございます」とやや誇らしげに応じたところ、妻は「あら?」という感じで興味津々のような表情を浮かべながら質問を重ねていった。

主任さんは嬉しそうに「現在クラウンは4種類の車種をラインアップしておりまして、そうですね….、やはりセダンタイプが一番のグレードになりますでしょうか…..?」などと答えている。「来月○○日には、その4車種全部揃えましてね、乗り比べ試乗会をしますのでぜひお越しください。またご案内を出しますのでこちら用紙にご記入をおねがいします」とつづけた。妻は、まったくよせば良いのに「あら〜、私ぜひ来たいわ」などとこちらの顔を見ている。

“もう、馬鹿な奴だな…..。よせ。今回はクラウンの選択肢は端から無いのだ……。営業マンをその気にさせたら後が面倒くさいだろう…..”と心で唸るが、その営業マンを前にして口にも出せず、「クラウン今確かに人気ですよねえ。だけど、その日は私別の用事が入っていたような…」とお茶を濁した。

そんな表面的には能天気、しかし内心では三者三様の思惑が絡む会話をしているうちに、ヤリスの試乗車が廻ってきた。

ボクが運転することになり旧国道とバイパスを少し運転した。ボクの感想は、さすがトヨタのベーシックカー。小さいながらも良く出来ている。これだったら日常生活使いに十分だ。なー、と助手席に乗っている妻を横目で見ると彼女は小首を傾げている。

店に戻ると、彼女曰く「うーん、ちょっとロードノイズが気になったのと、ちょっと頼りないというか、道路の継ぎ目のところで跳ねるような感じがした…」と率直すぎる感想を述べるではないか!

ボクは思わず、それはねえ、日本の小型車はあんなもんよ。前後のタイヤ幅が短いのだから、道路の継ぎ目でバンピーになるのは仕方ないのよと語気を強めた。

主任さんも「流石にアウディと比べられると乗り心地は少々物足りないですねえ」とボクの発言に重ねる。

妻、「ああ月一回高速を使って実家に帰らないといけないのだけど、あのクルマじゃあ怖いわ〜」だと。「他に何かないですかねえ。立体駐車場にも入るようなクルマは?」

主任さん、「そうですねえ、あとはアクアくらいですかねえ…」と言い黙りこくってしまった。

アクアの試乗も考えられたが、ヤリスに対する妻の反応を見るにその結果は徒労に終わることは必至で、3人とも次の試乗の提案をする者はいなかった…。

なんとなく三者三様に気まずくなり、じゃあ都合が良ければクラウンの試乗会でお会いしましょうwということになり、その店舗を離れた。

再びクルマに乗り込み、次に予定していた店舗に向かったのだったが、行すがら「オレさ、クラウンは全然考えてないよ」と妻に向かってボソッと言った。それに対し妻は「だってさ、マサキだってそろそろクラウンに乗って良い年頃になったじゃない。乗れる時に乗っておかないとそのうち死んじゃうよ。後で後悔しても遅いよ」だと。

コヤツも昭和世代じゃのう…。

オッサンの年齢になったらみんなクラウンに乗りたがると思っていやがるw。

おぬしも幼少期に「いつかはクラウン」というトヨタのキャッチコピーに洗脳された昭和のおばちゃんになっちまいやがってるw。思わず苦笑してしまった。

結婚して家族が出来たら、カローラ、次にマークII、そしてあがりがクラウン…。それが昭和のオッサンの夢であり目標だったんだよね。で、それを見ながら育ったスーパーカーブーム世代のボク達は、バカにしたり反発を感じて大きくなった世代なんだよ。クラウンがボクのゴールじゃないんだよなぁ…w。

それ以上言い合ってもお互いに不快な気分になりそうになったので、「まだ、その「いつか」は来てないよ」とだけ返し、次の目的地であるレクサスの販売店に向かったのであった。候補となるLBXについての説明をしながら……。

2) レクサス販売店にて

「あのね、レクサスLBXって言うのを観に行ってみようや。今のアウディとサイズ感が近いんだよね。SUV風なのに車高は1.55mを切るんだよ。ただ幅が1.8mを超えちゃうんだよね……。あ!立体駐車場はちょっと厳しいかな。」「あ、でもさいつも使ってる立体駐車場は、最近SUV専用の駐車庫も限定50台で作ったってネットに出ていたから、そこに行く時は午前中から行って停めるとか工夫したら良いんじゃないかな…」

ボクは事前にネットで調べた内容を妻に説明しながら、何故か冷や汗をかいていた。

妻は窓外のクルマの流れを眺めながら、ボクの説明には然程興味がないような様子で、「どうして最近のクルマって、みんな目が吊り上がったようなデザインなのかな?みんなやけにイカつくて、ちっとも可愛くないよねえ。好きになれないわ〜」「私ねえ、丸っこいライトのクルマが良いなあ〜」

“ええっ? 今度はそっちかい!”

あのさ、デザインというのはトレンドがあるからねえ。どこかのメーカーがあるクルマに採用し手ごたえがあるとブランドの統一性を持たせるために全車種に採用するし、いつの間にか業界全体が影響受けてしまうんだよね…。

「でも、私嫌だな〜」

“知らんがな〜w”

その辺のおばちゃんの意見なんて、メーカーのデザイナーが聴いているわけないだろう。クルマのフロント部分だけでなく、全体的なフォルムやラインの流れを見て判断すれば良いんだよ。

この女子にそんなこと言って通じないんだろうな、と思い、妻の感想とも愚痴ともつかぬ物言いについては、聞き流すことにした。だって、久しぶりのディーラー廻り・クルマ選びなんだから楽しもうよ。

「私ねえ、(ライトが)丸めの可愛いクルマが良いなあ〜」

おいおい、この後に及んでもうひとつハードルを上げるなよ。昨今そんなデザインのクルマそんなにないだろ❗️

ボクは、2店目を目の前にして早くも疲労感を覚えるのだった。「まあ、取り敢えずLBXを見てみようや」と返すのが精一杯だ。

レクサス販売店の玄関にクルマを寄せると、光沢のあるグレーのスカートスーツに身を包んだ女性が出てきて、駐車スペースに誘導してくれた。

私が車のドアを開けるのをしばらく待ち、私が地面に足を降ろすと、「いらっしゃいませ。今日はご予約がございましたか?」「ご予約はないのですね、今日のご用件はどういったことでしょう?」

私が、来店の意図を伝えると、「さようでございますか。ありがとうございます。生憎営業のものは皆出払っておりまして、私がご案内いたしますので、どうぞ中でお待ちください…」と店内の一角のテーブル席に案内してくれた。

営業担当不在で十分w。先ほどの妻、営業マン、ボクの心理的な三つ巴戦を繰り返さずに済む。こっちは、妻に考える材料を提供すれば事足りるのだもの。さっさと実車を見させてもらって退散したい……。

レクサスにはこれまで用事がなく、10年以上ぶりに訪れたのであるが、店内は高級ホテルのロビーの様で豪華な仕立て。各テーブル席、ソファには来客で溢れており、レクサスブランドの相変わらずの人気の高さが窺えた。

先ほどの女性が再びやってきて「しばらくお待ちください。只今、クルマをご用意しています。今日は試乗は出来ませんが、実車を見ていただけるのは可能でございます。それまで、何かお飲み物をご用意いたします」と我々の注文に応じると再び受付に入っていった。

妻、「ねえねえ、レクサスに来るお客さんって、独特よねえ…….。だってさあ……」とひそひそ話を始める。彼女がにやにやしながら語る、レクサスブランドの顧客の在り様については、具体的に書くのは憚られるので割愛するが、まったくボクも同じような事を思っていたので、笑みを返した。

再び、先ほどの女性が我々の所にやってきて、先ほど注文した飲み物と茶菓子をテーブルに並べた。「もう少々お待ちください。只今玄関にクルマを準備いたしております」

妻、「流石レクサス…….。お茶菓子がゴディバのクッキーじゃん。さっきの店は、森永のエリーゼだったね。」と小声で笑っている。

“もう、良しなさいってば” ボクは半ば呆れて無視をした。

そのあと、先ほどの女性に案内されて、玄関横の駐車スペースに停められたLBXを見学した。革張りのシート、ドア周りの内装、インパネの下半分は革張りで装飾されており、豪華さを演出、シートの形状も体にフィットしなかなか収まりが良かった。コンパクトな割に、後部座席の足元も十分な空間を確保しており、我々の求めている一台にかなり近かった。

案内してくれた女性は、ドアの外側で「不勉強で申し訳ございません」と言いながらも事前勉強した様子の情報を一生懸命説明してくれた。

よく見ると、その女性は額から汗が滲み、一生懸命笑顔を保ちながらもとても暑そうな様子であった。炎天下の中で、しっかりとした化粧に夏ものとは言え上下のスーツをきっちりと着こなしている。

さぞ、つらいだろうな…..。のちに知ることになるが、その日は記録的な猛暑日で、時刻は午後2時を回り外に出ると陽射しが肌に突き刺さるようだった。

私からでもなく妻からでもなく、彼女に「どうぞ、あなたもクルマの中にお入りなさい。暑くて大変でしょう」と勧めるが、本人は丁寧に断り、頭髪から額に汗をひたらせながら一生懸命説明を続けている。

ああ、考えてみればこの子もうちの子どもと同じ年頃じゃないか。よく訓練されているのはわかるけど、きっとひたむきな子なんだろうな。悪いことしちゃったな。こういうお店はちゃんと予約してくるべきだった…..。

妻も、そのお店を出た後、「あの子なかなかいい子だったわ。あのくらいうちの子もちゃんと仕事してくれてたら良いんだけどね」とぽつりと言った。

続けて、「それにしても、レクサスに集まるあの客層。どうも馴染めないわ〜。どうも一緒にされたくないわ〜。レクサスはうちの選択肢にないわね」

“おいおいおい…..” 別にレクサスに集まる客たちとサークル作るわけではなかろう…。クルマの出来と客はまったく別!同列に語るなw。

そういえば、今日は昼ごはんを食べそびれた〜腹が減ったし疲れた……。

「腹が減ったから、何か食べに行かないか?」と隣の座席に座る妻に話しかけると、妻曰く「さっきのゴディバのクッキーでお腹が持ち直した。私は大丈夫よ。次行こう、次!」と何やら元気になっており、そのことが余計にボクをげんなりとさせるのであった。

この章はもうちょっと続く…..とほほ。

3) Mini店にて

その次に訪れたのは、Mini店だった。店の玄関に寄せると、白の綿シャツに紺色のパンツのスポーティーな格好をした女性が我々を出迎え、店内の一角のテーブル席に案内してくれた。少々お待ちください、担当者がじきに参りますと告げて去った。店内は、どこかスポーツカーのガレージをイメージさせる仕立てが施されており、レクサス店とはまったく違う雰囲気があった。客層は我々よりも一回り若そうな女性客が目立った。

「ちょっと、あれを見てよ」と妻がこちらに笑みを浮かべてある方向を目で示している。

「あれ、ひょっとしたら、Paul Smith versionじゃないかなw」

振り返ると、紺色のボディーに抹茶色のルーフカラーの一台が展示してあった。

「ポールスミスが監修したんだってね。やっぱり色遣いが綺麗だわ。好きだなあ」と妻が機嫌よさそうに笑っている。

“へえ〜、そんなものかい……”

やがて一人の男性が近づいてきて、名刺を渡しながら挨拶した。ウェーブの茶髪で二段カット、そしてやはり綿シャツにグレーのタイトなパンツを履いた今風の30代前半の男性だった。

妻が、来店目的を伝えて、実はポールスミスバージョンが見せてもらえればと思ってと重ねた。

その男性は、我々のテーブル席の向こう側に腰を落ち着かせると、硬いとも真剣なまなざしを崩さず、MINIを所有したことはあるか?買い替えか、買い増しかと問いながらこちらの購買意欲を確かめているようであった。

“むむっ、このオトコ、ディーラーの営業マンをするよりも、証券会社のディーリングルームに座ってモニターを睨んでいた方が似合っているのではないか?道間違ってないか?”と思ってしまった。

彼は、MINIのご経験がないのであれば、MINIの歴史からご説明しましょうと続け、MINIは以前はローバー社が生産していましたが…..と続けた。

よせよせw、ローバー社から始めやがったw。違うだろう?MINIの歴史を語るなら、BMCからだろうw? それでもって、1960年代のジョン・クーパー率いるMINIのスポーツバージョンがラリー大会で優勝する輝かしい歴史があることを言わないと。だめだよ、いきなりローバー社から始めたら、そのあとBMWが経営を引き取り、今の形になったっていう風に伝えなきゃ。このおっさん、スーパーカーブーム世代・カーグラフィック世代なんだよ。

まあ、あちらも説明のリズムがあるだろうから、そんな突っ込みは心にしまっておいた。

妻が、待ちきれずポール・スミス・エディションに興味があるんですと伝えると、彼は表情を変えず、「そうですか。実はローバー時代にもポールスミス監修のクルマがあったんですが…」と続ける。

もうよせよせ、それも知っているとボクの心が笑っている。

それでは、ということで、彼が4doorの試乗車を用意してくれて、案内してくれた。

妻が運転席に座り、彼が助手席、そしてボクが後部座席に乗り込んだ。まずは、彼が操作方法、スイッチの位置、そしてインパネの中央部に設置された独特の円形液晶画面の説明をした。「ええ、このインパネ部分はMINI特有のデザインをそのままに引き継いだものです…そこに英国の伝統を感じさせるでしょう?」

わかった、わかった。それも知っている。ローバーMINIを所有していた先輩がいて何度も乗させてもらっているから覚えている。あのね、MINI、MINIというけれど、BMWが引き継いでから、中身はドイツ車だし、ボディーサイズも肥大化してしまって、ボクら世代のおっさんは、「もうここは別物。ミニじゃなくて、デカ」って揶揄されているのよ。良いから早く路上に出てみよ。

もちろんそんなことは言えず、ボクも熱心さを装って、そのアニキの説明を聴いた。アニキのナビゲートで妻が運転しながら、乗り心地を確かめた。

“確かに、良いよ。乗り心地は硬めで安定しているし、おそらく運転席からの視界の確保も良好の様子だった。また、ドライバーにとってクルマのサイズ感が把握しやすく、小道での離合や駐車も容易そうだった。”

運転する妻も、「スイッチ類に慣れる必要はあるけれど、運転しやすい」とそこそこの満足感を吐露していた。

店に戻ると、そのアニキが運転を代わり、安全装備やバック駐車時のアシスト機能などを説明・実演してくれて、ボクも妻も「おお〜!」と感嘆の声を上げて、試乗はおしまい。

おっさん・おばちゃんの無知そうな驚きに、そのアニキはずいぶん気を良くした様子で、今のMINIは2年前に安全装備が一新され、初代モデルと似て非なるものに仕上がっていること。そして止せばいいのに「ドアの開閉時に気が付いたか?ドアの装甲が分厚くなっているだろう?横からの衝突にも人間を守ってくれるように分厚くしているぞ。国産車だとこうはいかないだろう?」などと表情は変えないが誇らしげに説明を加えた。

先ほどのテーブル席に戻り、さらに話が続く。妻が随分気に入った、でもポールスミスエディションに興味が湧いているなどというものだから、そのアニキはさらに気を良くしたようで、ちょっと見積もりを出してくると席を離れ、その金額の提示に我々が多少引き気味であると察すると、「上席と値段について相談してくる」と再び席を離れて、切りの良い金額を提示した。そして、表情を変えず「先からお話を伺っていると、随分MINIを気に入ってくださっているようで、かなりの確率で欲しくなっていらっしゃるでしょう」と次第におっさん・おばちゃんを洗脳しかけてきた。

よせ、よせw。いたいけな初老の夫婦を洗脳してどうするw?

ボクも妻もどちらともなく目配せをして、そのアニキに「ちょっと検討します」と伝えてその店を去った。

店を出たころには午後5時をまわり、強い陽光にも陰りが見え始めていた。ボクはすっかり疲れ果ててしまい、「もうママ、家に帰らない?早めの晩飯でも食べながら相談しようや」と伝え、帰路についた。

帰宅後、夕食を食べながら、その日にもらったパンフレット類を見比べながらお互いの感想を語り合った。

妻は、「今日の中ではやっぱりMINIが良かったわ」「ポールスミスエディション良かったね。さっき長男にLINEしたら、おれもそれに乗りたいだって」

じゃあ、良かったじゃん。もうMINIのPaul Smith Editionで良いんじゃない?別に普段僕が乗るわけではないし、妻や子どもが乗って満足するなら、それが家族の安寧に繋がる。親父にとってそれが一番何よりのこと…。じゃあ、あのアニキに連絡入れるか…..、どこかあのアニキとは馬が合わないけれど…..、家族の平和が一番優先事項だものなあ。

と、ひとりうんうんと頷いていると、次の妻の言葉に愕然とした。

「だけどね、よく考えると、やっぱり私の年にminiは派手すぎるわ〜。あのスイッチ類も慣れそうにない…。もうちょっと若かったら考えられるんだけどねえ〜」

ええっ? もうminiで良いんじゃないの。スイッチ類なんてすぐ慣れるさ。立体駐車場にも収まるし、高速道路も快適に走れるだろう?第一丸目のライトじゃないか…..? なんなのよ….。

と返すも、本人はその意思を曲げそうもなかった。

「だから、次男に何か新しいクルマを買ってあげてちょうだい。私はいまのアウディをもうしばらく乗ることにするわ」

もう……。じゃあ次男にその旨LINEを入れてみよう……。

しかし、次男からは既読はつくものの、いつものごとく返信はなかった。

一体今日の行程はなんだったのよ? 我が家のクルマ購入問題は宙に浮いたまま、なんの方向性も結論も出ぬままにあたりを漂っていたのだった。

ってな具合でしてね、昭和の気分を十分に残した令和のお父さんは、ああでもないこうでもないと報われぬ苦労を重ねていらっしゃるのでございますよ。これが昭和のオヤジであれば、このうっぷんをですな、週末のゴルフや釣りで発散させるとか、妻に黙って通う場末のスナックなんかで厚化粧のママさんに「たあさん、しっかりしなよ」とたしなめ慰められながら、角瓶もしくはオールドの水割りをちびちびやりながら溜飲をさげることも出来たでしょうな。

しかし、この令和のオヤジ、ゴルフもできなきゃ、釣りに行く暇もない。ましてや、ママさんが常連を慰めてくれる店なんざ、どこを見回してもないご時世となりましたな。哀れ令和のオヤジの安寧はいつ訪れるのか、どこにあるのか、正しく五里霧中、暗中模索の状況が続いているのであります。さて佳境を迎えた令和の還暦オヤジ物語はどこに向かうのでありましょうか?令和のオヤジの成り行きは明日の心だ〜

(と小沢昭一の「小沢昭一的こころ」風に結んで、この章はめでたくおしまい)


5. そして令和のオヤジは、Bianchiのオールロードで駆ける



914に憧れていたオトコは、その夢を果たせぬまま、気がついてみれば家庭や生活状況に

翻弄されながら、その都度なんとか折り合いをつけてクルマを選び乗り継いで来たことにな

る。ひたすらに家庭の安寧を図るために。

それって考えてみると昭和の小市民的なオヤジ像と重なるところがあり、スーパーカーブーム世代が反発を感じていた「いつかはクラウン」と懸命に生きていた昭和オヤジ達と選ぶクルマこそ違えど、その心の有り様は大して変わりはないのではないかと思えるようになった。 

ただし、今のところボクはクラウンを選ぶ気持ちにはなっていないけれどねw

そして、ボクがクルマに求めるものは若い頃も還暦のオッサンになった今も変わりはしないのだ。

移動する空間の中で、流れる景色を眺めて季節の移り変わりを楽しんだり、好きな音楽に浸ったり。同伴者がいれば同じ景色を眺め語りあったり。そして何よりも大切であったのは、生活上の忙しさからしばし離れてひとりきりになれること。1人きりになって、謂わば日常の中の「非日常性」を得ていたことがボクにとっては大切だったのだろう。若い頃は友人や女の子とドライブするのが好きだったけれど、歳を取るにつれて、ひとりでのドライブがより一層好きになっている。仕事や家庭生活に翻弄されているオヤジにとって、ひとりきりになれる時間は大変貴重なのだ。

そんなオヤジにとって、ロードバイクはうってつけだった。チャリは、全く持ってひとりきりで孤独な遊びでたとえ誰かとつるんで走っていても、連れと会話している訳ではなく、黙々と自分の身体と対話している感覚なのだ。


ボクは、ロードバイクで山坂道を走るのが実は好きである。長い坂道をぜいぜい荒い呼吸をし

ながらペダルを漕いでいると、次第に両耳にギュッギュッと頚動脈の拍動が聞こえてくる。あ

ゝ、自分の心肺機能が限界に近づきつつあるのが分かる。究極の身体との対話が始まっている。

あともう少し頑張ろうか?それとも足を着いて止まろうか…。そんなもうひとりの自分との会

話もずっと続いている。やがて坂道のピークに達すると達成感とともに安堵感が訪れる。

そしてあとは重力に従って「自由落下」、その時におそらく脳内はドパミンとアドレナリンが大量表出されているようで五感が研ぎ澄まされているのが分かる。陽射しを浴びた周囲の木々の緑がより鮮明に映るし、辺りの野鳥の囀りや木々のざわつきの音がいつにも増してクリアに聴こえてくる。そして下り坂で加速しスピードが増してくると、次第に空気の塊に自分が包まれているような感覚を覚える。

それは正しく「生」を感じる体験なのである。

今はもう体力的な衰えは否めずBianchi のオールロードで、ヨタヨタと走っているのが精一杯となった。ゆっくりと走っているとこれまでとは違う景色が見えるものだ。

まず、ロードバイクに乗ったひと周りりふた周り下の人たちに抜き去られても全く気にならなくなった。これは自分にとっては全く不思議な感覚で、抜き去られた後のあの妙な不快感・敗北感がないのだ。もう「外部」の人間という感じ、「引退」するってこういうことなんだろうなと思う。

それから良い景色に出会うと立ち止まってしっかりとその景色を楽しむようになった。先を急がなくなった。

ああこんなことを書いていると本当にジジイになっちまったようだw

でもずっと若い頃から本質的なところは変わらず、余計なところが削ぎ落とされた感覚なのだ。

子どもの頃からひとりで遊んだり空想したりすることが多かったし、歳を経ると、ドライブや

出張や旅行で移動している時にもひとりでぼんやり景色を眺めたり、物思いに浸っていたりす

ることが多い。そんな時間がずっと好きだった、てことになる。

今では、オールロードバイクに乗って走りながら五感を使って感じたり考えている時間が何よりも貴重で愛おしくなっている。

ああ、ボクは本質的に引きこもりが好きなのだ。

このように書いてしまうと気恥ずかしいので、ちょっと別のことも書き記して終わりにしたい。先にボクが山坂道で体験していることを書いたけど、一連の走行を終えて山から降りて来るシーンでとても好きな光景がある。山から降りて来る道は川沿いの左右が山の稜線が走る谷沿いを降りて来ることが多い。

そうするとその山を下るに連れてボクの視界には平野部が広がり、遠くには見慣れた海、そして手前には市街地が見えて来る。更に下ると交通音や街の雑音が次第に大きくなって、だんだんとボクは人の営みの光景や雑音に溢れた世界に戻ることになる。その世界に戻る時、ボクはなんとも言えぬ幸福感に満たされた気分に浸っているのだ。


青年は荒野を目指す。

果たして、オヤジは何処を目指すのだろう?

上手くまだ言葉に出来ないけれど、今は仮に「この愛おしい世界」としておこうかw?


(おしまい)


2026年2月17日火曜日

梅香

 


近所の畑で、梅の花がほころび始めている。 まだ冬の名残が肌に触れる頃だというのに、枝先の白はひっそりと光を帯び、春の気配を先取りするように咲いていた。例年より少し早い気がする。その早咲きの気まぐれが、今年は胸に深く沁みた。

 

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ — 菅原道真

この歌が、今年ほど切実に響いたことはない。 1月3日、この梅畑の主であった伯母が亡くなった。 誰よりも梅を愛し、春を待ちわびていた人だった。その主を失っても、梅は春を忘れず、淡々と咲き始めている。その姿が、いっそう愛おしく思える。 どうかその香りが、浄土にいる伯母へ、そして伯母と双子のように寄り添い合って生きた亡き母のもとへ、そっと届いてくれたらと願わずにはいられない。

伯母が他界してからしばらく、私は深い悲しみの底に沈み、思考が止まってしまったようだった。 外から見れば、きっと奇妙に映っただろう。仕事にも手がつかず、ただ時間だけが空虚に過ぎていった。

このままではいけないと思い、私は歎異抄(現代語訳)を開き、そして七日ごとの法要に足を運ぶことにした。 歎異抄は、唯円が親鸞聖人の言葉を記したものだ。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、凡夫も悪人も浄土へ導かれる——阿弥陀仏のお力に抱かれて生かされている、と説く。 読み進めるうちに、私はふと気づいた。 自分は環境や人との関わりに支えられて生きているのだと。その事実に気づき、感謝できるなら、人はもっと自由に生きられるのではないかと。



七日ごとの法要では、ご住職が「仏説阿弥陀経」を唱える。釈迦如来が弟子の舎利弗に語った極楽浄土の景色がそこに描かれているという。 お経のあとには法話があり、少しの歓談を経て寺をあとにする。伯母の長男と私の二人で、週末ごとに六度ほど通った。

その時間を重ねるうちに、悲しみは少しずつ輪郭を変え、心の奥で固まっていた何かが、ゆっくりと溶け始めた。 止まっていた内側の時間が、また静かに流れ出したようだった。



寂しさは今も消えない。 けれど、亡き人が大切にしてきたものを、私もまた大切にし、引き継いでいくこと——それがこれからの私の支えであり、歩むべき道なのだと思う。 春が来るたび、この畑の梅を、伯母に代わって私が愛でていきたい。


2025年9月18日木曜日

小さな学校の同窓会2025 in 福岡



9
14日(日)に高校時代の同窓会が福岡で開催され、その会に参加するべく16:03広島発ののぞみに乗り福岡に向かった。連休の中日であるためか、のぞみの車中は意外にも乗客がまばらでやや拍子抜けであったが、取りあえずビールを呑んで先ほどまでの忙しない気分から旅のリラックスモードに入った。

 この度の高校同窓会は、ボクたちが丁度還暦を迎えた年となり、其々の者にとっても人生における一区切り或は記念となる集まりだった。その日集まる面々は皆似たような環境に育ち、思春期のひと時を同じ場所で寝食を共にし、その後同じような道を選択し、多少の違いはあれど大半の同世代が体験したような社会情勢を目撃し、同じような人生の喜びや苦労を味わってきた筈だった。そしてそれぞれの目下の人生の課題も共通するものが多いと思われた。現時点において、それぞれにどんな風貌になりどんなことを考え語るのか大変楽しみであった。

 

17:09に博多駅に到着。その日投宿するホテルにチェックインするべく、地下鉄に移動した。

車内は、外国人観光客が沢山乗り合わせてい、福岡という街がすっかり国際都市に変貌していることを実感。これまでにも仕事の用事で何度か訪れていたが、ここ数年のこの街の変貌ぶりに内心驚く。中洲川端駅を降りて、地上に出るとそこにも外国の方が多数認められた。田舎者のボクとしては、多少なりとも気後れを感じずにはいられなかった。Googleマップを道案内に目的のホテルに到着。暫し休憩を取りつつ、会場となる和食レストランの場所と経路を検索し確認しておく。

 

18:20頃にホテルを出ると、川向うからジャズの音色が聴こえてきた。どうもジャズ・フェスが開催されているようで、両岸の歩道には多くの人が訪れて街が先ほどにもまして賑わっていた。都会の空気を感じながら再び地下鉄中洲川端駅に向かい、そこから隣の天神駅に向かい、同駅から徒歩で和食レストランに向かった。

 


18:40頃に、会場になるレストランに到着。仲井さんに案内されて、会場に向かうと、受付には、この度の幹事役のドテ、そして受付係をしてくれていたメイコとマキが笑顔で迎えてくれた。「あ、マサキ君おひさしぶり」「あ、どうも」と挨拶を済ませて、テーブル席にたどり着く。既に、トリイとタチタが待っていて、お互いに「やあ」「おひさしぶり」と挨拶をした。早速タチタが、トリイを交えて色々と話を始めていたが、次々に同窓生が集まってきて、「やあやあ」とお互いに挨拶を交わし始めている。そうなるとお互いにご無沙汰である筈なのに、いつの間にか10代の頃の空気に戻っていく。

 

19:00に幹事役のドテの挨拶と乾杯発声で会は賑々しく開始。隣になったメイコと簡単な近況を話しながら、追加のビールを仲居さんにビールを注文。それが届いたところで各席に其々に挨拶をして廻った。

 

皆それぞれに仲良く同じ年月を経てそれなり容姿に変化を認めつつも、話してみると笑顔や話しぶりは10代の頃と少しも変わりはなかった。

すっかり軽いノリのオヤジ風になっているマサオ、松本幸四郎似で真面目だけれどユーモアセンス抜群のコウイチ、相変わらずの落ちつきと賢しこさを示すタカコ、私の中ではハンサムで(タチタに言わせると悪童だったw)今では穏やかなおっちゃん風のトリイ、相変わらず綺麗で美人マダム風になったメイコ。

濁声で破天荒な雰囲気のおっちゃんなんだけれど、業界では精力的に活動しているタチバナ、スポーツマンだったけど今ではのんびりとしたおっさんになっているトウヤマ、昔はトリックスター的な存在だったけれど今ではすっかり落ち着いたおじさん風のドテ。

可愛くてでも芯の強いミカ、明るくて真面目でひた向きに見えるマキ、いつまでもスポーツマンで仕事も遊びもエネルギッシュにこなしているタカヒロ、ダンディで今でも空手の稽古を続けているカシワギ、そして美人で若々しくお茶目なサトエ。

おだやかでマイペースながらも仕事熱心なオノ、いつまでも少年風の雰囲気を残したタチタ、情熱とこだわりのウメモト、関西風の常識人おっちゃんになっているヒラキ、すっかり広島のおっちゃん化したモトムラ(毎度カメラマンに徹してくれて、ありがとう)、ボクらの学年一の秀才だけれど今ではたおやかな女性になっているトキコ。

 皆んな10代のあの頃と変わらぬ様子が、とても嬉しかった。

そのうち、参加者が思い思いに集まりながら、それぞれの話題で盛り上がっていた。タチバナに言わせると、本当に仲の良い学年らしい。同じ高校の各学年同窓会において、ボクたちの学年が一番出席率が高いのだという。改めて見渡すに、タカヒロやカシワギがこの会の雰囲気をリードし、タチバナやタチタ、ドテなどがその場の雰囲気を程よくかき回してくれている。この雰囲気は高校時代の学年の雰囲気と少しも変わらない。彼らがその雰囲気をこの同窓会にもたらしてくれているからこそ、あれから何十年経っても集まれば、直ぐに十代の気分に戻りまるで昨日の話を続けているような感覚にさせて貰える。

 

どんな話も面白かった。ぼくの座った席では中年オトコ独特の下ネタ話で盛り上がったけれど、個別の話題はここに書き記さないでおこうと思う。ちょっと残念だったのは、
今でも連絡を時々取り合っているコウイチやタカヒロとゆっくり話す時間が持てなかった事、そしてミサキと会えないことだった。でも今でも繋がっているからこそ、これからは個別に会う機会を作ろうと思う。

 

その後、今回の同窓会は、ドテの素晴らしいコーディネートで2次会のバー、3次会のカラオケ、そして締めの豚骨ラーメンで終了しお開きとなった。ドテ君本当にありがとう。

 


直接話題には上らなかったけれど、皆それぞれに各自の居場所で頑張ってきたという相互承認を得られたのではないかと思えたし、これからもそれぞれに精一杯生きていくのだろうと確信が持てるひと時の邂逅であったように思えた。

そう思うと、高校時代の仲間がより一層愛おしく思えた夜だった。

2025年8月17日日曜日

ある夏の夕べに思ったこと

 🗓️ 2025年7月19日(土)

今日は、心からリラックスできる素敵な夕べだった。

結婚30周年の記念に、家内とフレンチレストランでディナーをすることにしていた。25周年の時は、世界的な流行り病の影響で外食もままならず、同じレストランのデリバリーを取り寄せて、ささやかに自宅で祝ったのを思い出す。今回は、久しぶりにきちんとした形で外食をしようと、同じレストランを予約した。

私たちは普段あまり外食をしない。思い返せば、夫婦でディナー外食をしたのは、家内が長男を妊娠して臨月を迎えた頃、「今後しばらくは二人でゆっくり食事することもないだろう」とフレンチを食べたのが最後だったかもしれない。

そんな思い出も胸に、今回は30年の感謝をきちんと伝えようと密かに思っていたのだけれど、予約の翌日、家内から「次男が帰ってくるから、席をもう一つ追加して」と言われた。ちょっと残念な気持ちもあったけれど、「まあしょうがないか。奴もあの店好きだし、久しぶりの帰省だし」と、素直に席を取り直した。

当日、少し早めに仕事を切り上げて帰宅し、3人でレストランへ。夏の残照が美しい中、店に到着。顔なじみのシェフが迎えてくれた(といっても、数年ぶりの訪問なので、常連というほどではないけれど)。席に着くと、シェフから「息子さんから記念のワインをオーダーされています」と告げられ、驚いて次男を見た。彼は「初ボーナスが出たし、先輩に相談したら30年もののワインがいいって言われたから」と、さらりと言ってのけた。

……なんだか胸がいっぱいになって、言葉にならなかった。

乾杯のとき、家内への感謝の言葉もどこかへ飛んでしまい、「30年おめでとう。ありがとう…」と、むにゃむにゃとしか言えなかった。でも、それでよかったのかもしれない。

ディナーは、次男の近況報告が中心になってしまい、夫婦の思い出話はあまりできなかったけれど、料理はどれも素晴らしかった。特に鮎のソテーと玄米リゾットは絶品。鮎の皮はパリッと、身はふっくら。リゾットには鮎のハラワタの旨味と苦味が溶け込んでいて、「日本の夏」が皿の上に表現されていた。

シェフのSNSをフォローしていて、鮎釣りの投稿を見ていたので、今回その鮎料理を味わえたのは嬉しかった。




次男が選んでくれた1995年のブルゴーニュのピノノワールも、深みがあって美味しかった。ワイン通ではないので細かいことはわからないけれど、記念の一本として心に残る味だった。

次男がこんな気遣いをするようになったことに、成長を感じると同時に、夫婦で過ごした30年の年月をしみじみと振り返った。子育ての中で衝突もあったけれど、結果的にはそれなりに良い形になっているのかもしれない。妻の功績が大きいことは間違いない。

長男は今回は帰省しなかったけれど、二人ともまだまだ成長途中。これからも見守っていく必要がある。家族という形態としても、これからも紆余曲折を経て成長していくものなのだろう。

そんなことを思った、夏のある夕べだった。

おしまい


2025年7月1日火曜日

時空を超えての再会:アルバム LUIZ ECA & Cordasが手元に届く

ちょっと嬉しいことがあった。



2021年5月にHMVのsiteで注文したルイスエサの「luiz eca& cordas」が2025年6月に手元に届いたのだ。私はオーダーしていたことをすっかり忘れていて、着払いの小包がが手元に届いた時には強い不審を感じたのであったが、開封し中の品物を確認し注文した時に、はっきりと思い出したのだった。オーダー後、何度かHMVから商品の入荷が遅れているとのメールが届きキャンセルの意思確認があったのだが、そのままにしておいたのだった。そのうちにHMVからのチェックもせずにいたものだから、いつの間にか4年の歳月が流れていた。この度その荷物を受け取った時には、タイムマシンで送られて来たみたいでとても不思議な気分になった。4年前のオーダー履歴が先方の会社に残っていたことも驚くが、このアルバムに収めれられている曲を知ったのは学生時代だから40年前のこと。親友であるイチロウ氏がそのアルバムをよく聴いていて、彼の部屋や一緒にドライブした折に私も聴かせて貰っていた。次にこのアルバムの存在を意識したのは、2015年ルイスエサのアルバム「Luiz Eca, Piano E Cordas」を手に入れて、その演奏にいたく感動してこのブログに記したところ、次郎氏からコメントを寄せられて、このアルバム名を教えて貰ていた。40年前にイチロウ氏にこのアルバムの存在を教えられ、10年前にジロウ氏にアルバム名を教えられ、その間ずっと手に入れようと画策し、その都度手に入らず諦めてを繰り返していた。それから私が実際にその音源を手に入れるのに足かけ40年の時が過ぎたことになる。私の情念が時空を超えて続いていたことに不思議ささえ感じてしまった。



このアルバムに収められている曲の多くは、色々なコンピレーションアルバムに採用されているので、これまでにも何度も聴いており馴染みのある作品ばかりであるが、あらために全曲を聴き直してみると、其々の曲の美しさとそのアレンジの緻密さを再発見し新たな感動を覚える。ストリングスのオーケストレーションはピアノトリオの伴奏としてだけではなく、旋律に寄り添うだけでなく時に対峙し重層的に緻密に絡みながら彩りと深みを与え室内楽や交響曲に通じるような構築化が施されている。本当にルイス・エサの音楽的世界にみりょうされずにはいられない。


このアルバムは、どの楽曲も素晴らしいのであるが、今回特に印象に残った曲としては、4曲ほどあげておく。

#9 Consolacao 

この曲はバーデン・パウエルの作曲だったからしら。アップテンポで躍動的なリズムに美しく内省的なピアノのタッチ、ストリングスが重層的に重なり緊張感と共にある種クールな陶酔感をもたらしてくれているようで、洗練されたアレンジだなと思った。

#11 Quase um adepts

この曲のピアノも繊細で内省的なタッチで演奏、そしてストリングスが旋律に寄り添うように伴奏を紡いだ後に、半ばで旋律をより重層的に引き続いて展開し情感を高めた後に、ピアノに静かに引き渡し静かに終える。


#12 Amonde

この曲は、このアルバムの最後を飾るにふさわしい。ジャズワルツのようなテンポにピアノの可憐な演奏、途中からソロバイオリンがピアノに寄り添うように或は会話するような二重奏に進み、やがて両者をストリングスが包み込むように重なり、やがてどこか彼方に飛翔し消えていくような浮遊感を味わってフェードアウト。美しい。

#2 Imagem

このアルバムの中でも特に有名な曲だと思う。色々なコンピレーションアルバムに採録されていたように記憶している。40年前にイチロウ氏から聴かせて貰ったこのアルバムの中で、最も印象に残った、心に刻印された曲。二人でドライブに出かけた折に前方に広がる景色を眺めながらこの曲が流れてくると、気分が高まりなんとも云えない気分になったものだった。この曲は軽やかなハイハットのドラム、ピアノのサンバのリズムを刻む左手と内省的で華麗な右手の旋律、重層的にゆったりと流れるようなストリングス。静かな情熱があふれ出ているようだ。ルイス・エサの音楽性が凝縮されているように感じられる。

感情的に裏打ちされた音楽的に記憶というのは、脳の奥底でいつまでも保持されて、ふとしたことをきっかけに蘇り、その時のエピソードや映像的な記憶を呼び起こすものなのだなとあらため実感した次第である。



おわり