2015年8月14日金曜日

乗りバカ “イチロウ・マサキ、島伝いに走る”編~その2~


本浦地区・桂浜を通り過ごし、更に二人で鹿島を目指す。

 

桂浜を過ぎてすぐに短い上り坂のトンネルがあり、右にカーブして入江に入り、入江を過ぎると再び岬というほどではないが山の斜面を削った坂道を上りピークを過ぎると次の入江に入るということを繰り返した。鹿島に辿り着くまでおよそ5-6か所そのような運動を繰り返しただろうか。 小さい入江の外れの浜辺では、家族連れが海水浴とバーべキューを楽しんでいる光景が認められた。イチロウが、「もう家族でバーベキューなんてしなくなったよなあ」と言っている。そうだよな、お互いに子どもが大きくなって野外でキャンプやバーべキューをするというイベントもしなくなった。過ぎ去りし日の事を思えば少々さびしいが、だからこうして休みの日にオッサン二人でチャリを転がすことも、赦されるようになったw。

 

大きな入江では、大きな集落に小規模な造船所や漁港があった。こんなところにもと云えば大変失礼なのだけれど、恐らく遣唐使船が瀬戸内海を行き交っていた昔から脈々と人々の暮らしが続いていて改めて凄いことだと思う。

 

そんなことを思いながらひたすらにペダルを漕いだ。

 

いよいよ鹿島が目の前に見えて来た。倉橋島から鹿島に渡る前に鹿老渡という地区があって、小さな独立した島になっているのだけれど、この島の正式な名前をボクは知らない。県道は東側の弧を描くような浜に沿って走っているのだが、この浜辺が入江の白浜になっていてたいへん美しいのだが、一家族が海水浴をしているほかは静かな佇まいであった。鹿老渡地区の集落に入り左手に曲がるとちょっとした登り坂で、この登り坂をゆるゆると登ると、鹿島大橋に辿り着いた。

 


この橋、クルマがやっと離合できる道路幅なのだけれど、橋脚がやけに高い。先についたイチロウは自転車を停めて、橋の下の海を覗き込んで笑っているが、高所恐怖症のボクにはそんな芸当が出来ない。一息入れて橋の入り口からイチロウを写し、さっさと橋の真ん中を通って鹿島入りしてしまったw。

 

 
 
橋を渡ると、少し走って鹿島西端の小さな漁港がある集落をゴールとした。
 
 

到着時刻;午前1110分頃、runtasticによれば、走行距離;40.6km、走行時間1時間58分、平均時速20.5/hrとなっていた。
 
 
 
 
 
 

当初予定していたよりも早いペースでやって来れた。

陽は随分高くなり、辺りは非常に眩しかった。小さな島の漁港は人影もなくひっそりと静まり返っていた。岸壁から海を見ると大きなボラや小さなフグがゆったりと泳いでいた。海水は透明で大変美しかった。そうか!自転車で来ずにクルマでやって来て、潜って遊んでも良かったのか……。奴は、「子どもの頃、磯遊びが好きで大学は水産学部に入りたかったのだよ」と何時か語っていた……

 

暫く、雑貨屋さんと思しき建物の軒下に出来た日陰で休息を取ることにした。軒先には、自動販売機があり、冷えたスポーツドリンク500mlを途中の補給用に、そして疲労回復にと、糖分とビタミンCとアスパラギン酸入り栄養炭酸ドリンク500mlを購入する。イチロウは、奴には珍しくコカ・コーラの100円缶を買って飲んでいる。不思議に思って質すと、「ツール・ド・フランスで、選手がサポートカーから手渡しでコカ・コーラを貰って飲んでいたのよ」と笑っている。この辺りの彼の行動が無邪気と云えば無邪気で、面白い奴だと毎回のように思う。

 

30分程度休んだところで腰を上げて復路に向けて出発する。イチロウが「桂浜に気に入っている食堂があるんだよ、そこで昼飯を喰おうぜ」という。「それ良いな」と後に続く。

 

再び走りはじめ、ペダルを回す両脚は軽く十分に疲労は回復したように思えていた。「さっき飲んだアスパラギン酸入り炭酸のおかげよ」なんてイチロウに軽口を叩いたまでは良かったのであったが、鹿島大橋を渡るために登り坂を上がり始め、両大腿に力を入れた途端に両大腿部の膝関節部分の筋肉が攣り始めた。

 

これまでの経験で慌てて自転車を降りるよりは、そのまま力を入れない程度でペダルを回し続けて攣縮が治まるのを待った方が良いので、痙攣が悪化しないように踏み込まず軽くペダルを廻し続けることにした。この作戦で痙攣は悪化せずに済んたのであるが、推進力は得られずヨタヨタと漕ぎ続けることになった。イチロウ、「大丈夫か?」と前後しながら付き合ってくれる。

 

この辺り、普段鍛えているイチロウと不摂生なボクとの間の脚力の差が出てしまい、全くもって恥ずかしいやら情けないやらなのだが、取りあえず大きなトラブル・リタイヤにならないように適度に力をセーブしながら進むしかなかった。往路はそれなりにこなしていた入江と入江の間の坂道が、非常に堪えた。スピードは出ないがそれでも着実に前に進む。約50分して、桂浜に辿り着く。

 

時刻は1230分頃、浜辺からはバーべキューをしているのであろう香ばしい匂いが漂ってきた。桂浜の傍のちょっとした商店・民家が並んでいる通りに、イチロウ推奨の小さな食堂があった。

 

しまった!その食堂の名前もチエックせず写真も撮り忘れたw!カウンター8-10席と4人掛けテーブルが3つくらいの間口の細長いお店で、日替わり定食、お寿司、丼物を主なメニューに用意しているようであった。そこそこお客が入っていて、地元のヒト・如何にも里帰りした雰囲気のヒトたちが利用しているようであった。

 


二人して日替わり定食を注文、野菜と白身の天麩羅、卵焼きとウインナーが盛られた皿、タコと豆腐、筍の炊き合わせの鉢、味噌汁、漬け物、ごはんが運ばれてきた。750円也。値段と内容に納得、食べ終わって「刺身定食 1250円」という札に気が付いて、ちょっとした後悔も生じたが、田舎浜辺の食堂できちんとしたものが食べられたことや店の雰囲気に大満足。今まで何度もこの辺りには来ていたのにちっとも気が付かなかった。イチロウの嗅覚って本当に鋭く、こういう良い店を見つけるのは学生時代から得意としていたな。良く、イチロウが独りで“徘徊”した際に見つけた食堂に後から連れて行って貰ったものだ。どのお店も旨かったものだw。

 

その浜辺の食堂で日替わり定食を平らげた後、暫く休ませて貰った。この浜辺の食堂で昼飯を食べて、この度の酷暑の中のバイクツーリングはその目的を果たした。35℃を超える暑さの中でどうなることだろうか?と多少の心配もあったけれど、やはりやって来て良かった。十二分に夏の海辺の雰囲気を堪能出来た。また来年の夏もバイクでやってくるだろうな。

 

30分程度休ませて貰って、午後1時過ぎにその店を離れた。正午を過ぎて益々陽射しは強くなり気温も更に上がったようであった。路面から上がってくる湿度たっぷりの熱気が復路の我々を襲う事になり、ボクはゴール間際で軽い熱中症症状を自覚することになるのだけれど、書く方も読まされる方もあんまり楽しい話になりそうにないので、この辺りあっさりと割愛。

 


午後230分頃ゴールに辿り着き、その場にへたり込んで苦楽を共にした愛車を記念に写真に治めた。シャワーを浴び一息ついたところで、職場の居室に入ると、イチロウがクーラーを付けて涼んでいる。復路の最終盤では、イチロウに引き離され姿かたちが見えなくなっていたので、イチロウはそのまま自宅まで更に20数キロの途を帰ってしまったのだと思い込んでいたのだが、流石のイチロウも午後から強い陽射しと路面から上がってくる熱気に体力を奪われてそのまま自宅まで更にペダルを漕ぎ続ける気には馴れなかったらしい。

 

「なんだそうだったのか。あのまま帰ったかと思っていたw。変態野郎だと思ってたのだが….。」と茶化すと、奴も笑っている。

「じゃあ」という事で、イチロウとイチロウの愛車を回収して“我がチームカー”で引き上げることとした。

 

イチロウ、途中で買った白くまアイスを食べながら、「このクルマ、クーラーが効いて楽チンだようw」と子供っぽく喜んでいる。奴にとって“クーラーが効くクルマ”ということについても書き記さねばならないことがあるのだが、それに触れるとこの冗長な駄文が更に長くなってしまうので、その話はまた何れの機会に書くことにしようと思う。

 

さて冒頭に書いた何故イチロウがこの度ボクをバイクツーリングに誘う事になったのかについて一言付記しておかねばならない。帰り道の道すがら雑談の中で奴が云うには、彼の愛娘さんが、夏休みの御稽古ごと合宿でこの数日不在とのことだったらしい。それで遊び相手としてこのボクに白羽の矢が立ったという事なのだが、奴め、何時もこのオイラに「徳を積んでいるか?」と聴いてくるくせに、こういう時くらい自分がちゃんと「徳を積む」べきではなかったのかという疑問が湧いてくる。喉まで出かかった素朴な疑問であったのだが、イチロウの無邪気で満足そうに笑っている笑顔を横目で見ていたら、「まあ良いか」と思われ、その疑問は宙に浮いたままとなった。

 

(おしまい)

2015年8月12日水曜日

乗りバカ日誌;“イチロウ・マサキの島伝い80㎞の旅”編

何を思ったのか、イチロウが突然「今度の日曜日に自転車に乗ろうぜ」と言った。「徳を積んでポイントちゃんと稼いでいるか?」と笑っている。

 
「乗ろうぜ」と言われても、8月になって連日気温35℃超の気温が毎日続いている。それに「徳を積んだか?」と突然言われて、慌てて振り返ってみるに、あの「ポイント10day」以来、どのくらいカミさんに対してポイントを稼いだか心許なかった。

 
続けてイチロウが「しまなみ海道の大三島が良いか?それとも倉橋島から鹿島を目指すのが良いか?」等と具体的に提案してきている。奴め何を思ったか………。この辺りおよその事情に察しが付いたのはツーリングが終わってからのことだったが、この時点では奴は何時もの“黙して語らず”の野郎だったものだから、バイクツーリングの発案の背景・事情については特に聴かなかった。

 
その晩、カミさんにその週末にイチロウとバイクツーリングに出かけることへの承認を問うと「熱中症で死んだら、小栗旬似の新しい旦那を連れて来い」というわけの分からない条件付きで許可するとの返事だったw。

 
翌日、バイクツーリングに行ける旨イチロウに返事をしてコースについて話し合った結果、イチロウの当日の勤務都合もあり、しまなみ海道・大三島はこの度はパスすることにして、倉橋島経由で鹿島を目指すことになった。


江田島をスタートして海沿いの県道をひたすら南下、途中江田島・能美島(陸続き)から早瀬大橋を渡り倉橋島に入り、更に南下して藤之脇地区から瀬戸内の愛媛県側を臨む本浦地区までの長い峠を越える。その本浦地区から鹿島まで入江と入江を結ぶ大小の坂道をこなしながら、鹿島という小さい離島を目指す。

特に倉橋島本浦地区から鹿島に向かう道程は、桂浜という松林の残る海水浴場、小規模の造船所(この小規模の造船所の発祥は、モノの本によると古くは遣唐使船を作っていた頃からの歴史があるらしい)、そのほか鄙びた漁港などが残る入江が数か所あり、走る者の目を楽しませてくれる。ただ先に触れたように、入江と入江を結ぶ道は大小の坂があるので、このアップダウンをこなしていると、着実に両脚に負荷がジャブのように効いてくる、バイク乗りにとってはちょっとしたチャレンジグなコースにはなっていると思う。


 
この倉橋島~鹿島コースは、瀬戸内好きのイチロウやボクにとって大変大好きなコースであり、出来れば夏の間に一度は走っておきたいところなのである。イチロウもボクも各自単独で“鹿島詣で”をしたことはあるのだが、二人つるんで走ったことがこれまでになかった。

この度は、ふたりして瀬戸内の風情を楽しめるツーリングになりそうだった。

 
89日午前845分頃に職場に集合して、午前9時頃出発。

これは何時もの事でそろそろ反省と熟考を必要としているところなのだけれど、前日の大酒が祟ってか、両脚が重い。ボクが先行し緩々とポタリングペースで走り始める。天候は快晴で気温も早くも30℃を越えようかという按配であった。江田島から倉橋島に向かって県道を南下していく過程で、南からの向かい風を受けて少々走り辛かった。ただ、その風が次第に熱くなる体熱を取り除いてくれるで、それほど気温は苦にならなかった。


 イチロウはボクのペースに配慮してくれているみたいで、ボクの後から伴奏するように走行してくれている。江田島(能美島)と倉橋島を繋ぐ早瀬大橋までは、ほぼ起伏は少なくほぼフラットである。順調に南下し、スタート地点から167㎞地点で早瀬大橋に差し掛かる。

 
橋までのなだらかなループ上の登り坂~アーチ状の橋をゆっくりと上がる。どうもダンシングが苦手であっさりとインナーにギアを入れてゆるゆると上がったのだが、後ろから伴奏してくれているイチロウにとっては随分走りつらかっただろうなw。左の写真は、どういうタイミングなのか分からないが、イチロウが私の後ろ姿を撮ってくれたもの。


 
倉橋島に入ると、早瀬地区から藤之脇地区にかけては、最近新たに造成された山側の多少起伏のある道を進む。旧道は住宅地を縫うように通された細い道であったのだが、それに比べると随分走りやすかった。

この道を進むと、この度の最大の難所藤之脇地区から愛媛県側の海を臨む本浦地区に進む長い峠道に差し掛かる。スタート地点から22㎞~24㎞区間の約2㎞程度の緩やかな上り勾配である。交通車輛は然程多くないが、どの車もそれなりのスピードで上がっていくため、イチロウからの声掛けで歩道にバイクを進め、夫々のペースでこの登り坂に挑むことにした。ここの写真を撮っていないので、どんな具合かお示し出来ないのだが、バイク猛者たちもそれなりにキツイ坂だと感じると思う。イチロウに先行してもらい、ボクはぼくなりのペースで進む。右手下に青々とした早稲田を眺め草の匂いを嗅ぎつつ少しずつ高度を稼いでいくと、左右の稜線が狭まり、両側の雑木林からセミの鳴き声が激しく迫ってきた。本当に正しく“蝉しぐれ”状態。


 峠道のピークに辿り着くとなだらかな下り勾配を持つ全長200300m程度の長く暗いトンネルがあった。そのトンネルでは、先ほどの蝉しぐれから解放されて、火照った体を冷やしてくれてほっと一息つけた。そして、そのトンネルを抜けると路肩で先行していたイチロウが待っていてくれた。

暗闇から出ると、眼前には静かに青白く輝く海原が広がっていた。
 

マサキ心の俳句:蝉しぐれ/ 峠を越えると/ 青い海

 
ええ、さてw。

長く険しい上り坂を克服した後に、この静かに広がる瀬戸の海を観ることが出来るだけで、ここまでやって来て良かったなあとしみじみと感じた。この峠からの眺めを是非、コウイチやジロウ達に見せてやりたいと思う。バイク愛好家にはあまり有名でないコースかもしれないけれど、この峠からの眺望、そして本浦地区から鹿島までの続く海沿いの道は瀬戸内情緒を十分に楽しめる箇所だと思う。チャンスがあったら彼らを連れて来てやりたいものだ。

 
一息入れて、イチロウと共に長い下り坂を降りて本浦地区に入る。ここは、旧倉橋町役場の置かれた地区であり、民家も多い。本土から離れた愛媛県側にこの島の中心地として栄えたところを見ると、如何にこの島が交通手段を船に便り瀬戸内海を東西行き来する海運の地として、或は、豊かな海からの水産物に恵まれた漁業の地として生きて来たのかが分かるような気がする。その昔、遣唐使船がこの島の船大工によって造られたということなのだから、歴史的にも古い土地柄なんだな。

 
旧役場の前を通ると左に折れて、海岸沿いを桂浜に向かって走る。白い浜辺とそれに沿って松林が設けられていて誠に美しい。浜辺に沿った道端には、家族連れ海水浴客たち、帰省客と思しきヒト達が歩いていた。午前10時過ぎにこの浜辺に面した通りを通過したが、強い陽射しと海面からの反射した光によって辺りは眩しく輝いていた。

 
浜辺に松林(松原)という取り合わせは日本各所に見られる光景だけれど、特にこの瀬戸内海各所に認められる典型的な風景らしい。

中国山地で多田羅の民が、砂鉄を掘り出すのと鉄の製造に山肌を盛んに削った。削られた土砂が雨などで河川を下って瀬戸内海に流れ込み、瀬戸内海の砂浜を形成したのだそうな。ついでに言うと、海底では、中国山地から栄養分を多く含んだ土砂によって海藻が育ち、その海藻原が魚介たちのゆりかごのようになっている。

 
この浜辺を見ていると、ヒトの営みと自然の成り立ちとの間に絶妙なバランスを保ちながら瀬戸内海地方が長らく栄えてきたことを我々に教えてくれているようで素晴らしい。本土から離れているせいなのか、それとも以前ほどレジャーとしての海水浴が人気がなくなっているのせいなのか分からないが、海水浴客はそれほど多くなく、まばらであった。

静かに日本らしく・瀬戸内らしい鄙びたこの浜辺が何時までもこのままで保存されると良いなと思う。

 この桂浜には、倉橋温泉という名のレストハウスがありひとつの観光ポイントで、そこの食堂が出す“生しらす丼”なるものがイチロウやボクにとって非常に気になるところであったのだが、先に述べたようにまだ午前10時過ぎあることや目的地はその先の鹿島であることから、休憩は取らずに通過し先を急ぐことにしたのだった。

先を行くイチロウが私を振り返り見ながら、「是非マサキを連れて行ってやりたい食堂があるからな、期待してろよw」という言葉を楽しみにしつつ......。

 


(つづく)

2015年8月7日金曜日

ある反知性的な家族像の断片




その日も暑い一日だった。

仕事を終えて帰宅後、夕食時、テレビニュースを見ながら・・・・・。

 

長男「アベちゃん、大変じゃね。演説の中に、非核三原則が入ってなかったといって、あっちこっちから集中砲火浴びてるじゃん。あんな短い論文の中に漏れなくあれもこれも入れるって書く方は大変じゃないか。ちょっとこの部分が抜け落ちているからって、突っ込まれとったら文章なんて書けんわ。」

 

このオトコ、一浪中で予備校通い。夏期講習で私立大学入試用の小論文セミナーを取って、ここ1週間程度悪戦苦闘中。ジャイアンツの大ファンであるが、どうも巨人軍の阿部選手と総理大臣を同じ目線で見ているらしい。

 

家内「あんたみたいに何も考えず、ぼさーっとしている奴は、真っ先に戦争に引っ張られて行くんよ。今日なんか、このバカ(長男の意)、予備校の授業がないのを良いことにずっと家で遊んでいたんよ。全然勉強しなかった。」

 

長男「ちゃんとしとったよ・・・・・(怒)。」

 

家内「それにしても○○という国会議員って、バカじゃねえ。戦争反対運動をしている学生に対して批難しとった。あんな風に高学歴のヒトに限って洗脳されとるんよ。勉強ばっかりしていたから、何も考えず洗脳されるんよ。」

 

私“え?愚息に勉強をしないことを非難しておいて、一方で猛勉強して俗にいう一流大学出身のインテリ階層と見做されるヒト達をまとめて非難している。そういうのを二重拘束という・・・・・・。”“でも、若いヒト達が戦争に行きたくない、と声を上げるのは当然じゃないか。”

 

 家内「大体、オトコはバカなんよ。直ぐなんかあったら戦争・戦争と走るんだから。その点女は、戦争絶対反対だからね、この世の中にオンナばっかりだったら戦争なんてなくなるのにね。今日の原爆の報道番組を見て改めてそう思ったわ。」

 

私“全く仰せの通りでございますル・・・・・”

 

家内「お義母さん今まで、あんまり話したくないと言っていたから、知らなかったけど、原爆投下の時もその後の事も本当に大変だったんだね。他県で生まれて住んでいるとそういう教育受けなかったから、全く知らなかった事も多かったわ。お義母さんが、何にも話したくない気持ちになるのも、分かるような気がした。折角広島に何かの縁で住むようになったのだから、もっとちゃんと知っておかないといけないと思ったよ。」

 

私“そうそう・・・・・”

 

家内「ちょっとマサキも黙っていないで、このバカ(長男の意)に何か言ってよ。」

 

私“えっ?この話の流れで何を話すのよ、いつも話を持ち上げ思う存分に極論をぶっておいて、いきなりこっちに話を振ってくる。それってムチャブリだわ。苦笑)”

 

 「ええっとだなあ。俺おまえが子どもの頃から勉強しろと言ってきたよな。本当の意味で自由になるために勉強しろ、ってさ。勉強と言っても学校の勉強だけじゃなくて、色々な本を読んだり色々なヒトと交わる経験をして、色々な知識を身に付けるという意味での勉強をしろって言ってきた。そういう勉強を通して己の知性や感性を磨いて、自分の価値基準で物事を判断できるようになることが、本当の精神的自由なんだと思うよ。そのために大学に行って勉強してこいと言ってきたわけ。」

 

“この辺り、全く自分の事を棚に上げて話している(笑)”

 

長男、明らかに“?”という顔になっている。

 

「例の代議士はなあ、確かに高学歴だけど知性がないんだよ。己の知識を統合する知性がさ。学校の勉強が出来ると洗脳されやすいというのはちょっと無茶な論だと思うけど。」「ただ、あの人を見ていて良く分かることは、学校の勉強出来ることイコール知性が高い、じゃないということだけどね。」

 

「それから、洗脳の件なんだけれど、洗脳は何も政府からだけではなくて、マスコミだって油断していたら国民を洗脳するんだよ。去年の新聞社の事件があっただろう。さりげなく事実を曲げて己の主張を刷り込んでくることもあることを知っておかないとなあ。物事には色々な側面があるのだから、情報や知識は多方面から得るように意識しておかないと。一方的な情報を刷り込まれて洗脳されてしまうかもしんないよ」

 

家内「もう新聞なんか要らんよ。誰も読まないし、揚げものする時の敷物にしかならんし、月々何千円か払って資源ごみ作っているようなものだもの。もう断ろうか?」

 

長男「でもスポーツ欄とテレビ欄は読んでいるよ。有ったほうが便利だからさ、断らんといて。」

 

“嗚呼、何たるバカ家族の会話、反知性的な我が家なるかな・・・・・。”

 

私「まあ、お前には折角生きていくのであれば自由に生きて行って欲しいけどねえ。そのためにも取りあえずは目の前のこと、しっかりやれよ・・・」

 

(と、若かりし頃の自分の事を完全に棚に上げていうw)

 

長男、辟易した表情で「ハイハイ」と言い残し、家内を一瞥し何故か私の方にペロッと舌を出して退散。

 

私と家内は、その後、ニュース番組で放送された広島市内の御幸橋の傍にある原爆投下直後のその辺りを写した写真掲示版についてしばらく語り合った。

 

そこには映し出されてはいないが、そのフレームの外にはその当時15歳だった母親がその橋の向う側の地区で被爆直後に彷徨う後ろ姿や、原爆だけではなく日本各所で空襲を受けて被害に遭われた人びとの姿があるような気がした。

 

あれから70年、先人たちの努力のおかげで、この国の民は自由な議論や経済的な繁栄を享受し、例えば我が家のような反知性的でおバカな会話を楽しむ家族が安心して暮らすことが出来ているのだと思う。

 

本当にこの国の先人たちに感謝せずにはいられない。8月6日に思う。

 

 

 

 

2015年8月5日水曜日

no tittle


ここしばらく快晴の日が続き、気温も35度を越えて猛暑日が続いている。この暑さには参るが、冷夏になるよりは暑い夏の方が個人的には嬉しい。

 


一昨日、昨日と仕事を早く切り上げることが出来て、美しい夕日に出会う事が出来た。空気中に水蒸気を多く含んでいるせいなのか、靄がかかったような薄い水色の空に、輪郭が多少ぼやけて赤からオレンジ色の鮮やか色彩を放つ夕日を観ることが出来た。スマホのカメラで美しいと感じた夕日に向かってシャッターを切ったが、映された写真の出来栄えは私の肉眼でとらえたほどの感動を納めてくれてはおらず、その写真の出来栄えにがっかりした。誰にかに私の感動をそのまま伝えることが出来ず、何とももどかしい。「私の伝えたかった色彩はこんなものではないのだ」と。


 

一方で、私の肉眼を通して心の映し出された夕焼けの美しさというものは、私のフィルター通して感じられたもので案外写真に納めた色合いが正しいのかもしれないなどと思ったりする。結局のところ、私が肉眼で見た美しい景色というものは、私が美しいと思えるだけで他者から見るとそれほど感動を起こさせるような眺めではないのかもしれない。

 

かつてユリウス・カエサルが、その背景となるシチュエーションは失念したのだが、「ヒトは見たい現実しか見えないものだ」と言ったのだという。美しいと思えた私の現実は私だけのモノで、他者から同じ夕日を観ても感動に値しない眺めなのかもしれない。

 

今夏のこの国の議論についても、同じことが言えそうだと、夕日を眺めながらふと思ったら、少し気持ちが落ち着いた。