その日も暑い一日だった。
仕事を終えて帰宅後、夕食時、テレビニュースを見ながら・・・・・。
長男「アベちゃん、大変じゃね。演説の中に、非核三原則が入ってなかったといって、あっちこっちから集中砲火浴びてるじゃん。あんな短い論文の中に漏れなくあれもこれも入れるって書く方は大変じゃないか。ちょっとこの部分が抜け落ちているからって、突っ込まれとったら文章なんて書けんわ。」
このオトコ、一浪中で予備校通い。夏期講習で私立大学入試用の小論文セミナーを取って、ここ1週間程度悪戦苦闘中。ジャイアンツの大ファンであるが、どうも巨人軍の阿部選手と総理大臣を同じ目線で見ているらしい。
家内「あんたみたいに何も考えず、ぼさーっとしている奴は、真っ先に戦争に引っ張られて行くんよ。今日なんか、このバカ(長男の意)、予備校の授業がないのを良いことにずっと家で遊んでいたんよ。全然勉強しなかった。」
長男「ちゃんとしとったよ・・・・・(怒)。」
家内「それにしても○○という国会議員って、バカじゃねえ。戦争反対運動をしている学生に対して批難しとった。あんな風に高学歴のヒトに限って洗脳されとるんよ。勉強ばっかりしていたから、何も考えず洗脳されるんよ。」
私“え?愚息に勉強をしないことを非難しておいて、一方で猛勉強して俗にいう一流大学出身のインテリ階層と見做されるヒト達をまとめて非難している。そういうのを二重拘束という・・・・・・。”“でも、若いヒト達が戦争に行きたくない、と声を上げるのは当然じゃないか。”
家内「大体、オトコはバカなんよ。直ぐなんかあったら戦争・戦争と走るんだから。その点女は、戦争絶対反対だからね、この世の中にオンナばっかりだったら戦争なんてなくなるのにね。今日の原爆の報道番組を見て改めてそう思ったわ。」
私“全く仰せの通りでございますル・・・・・”
家内「お義母さん今まで、あんまり話したくないと言っていたから、知らなかったけど、原爆投下の時もその後の事も本当に大変だったんだね。他県で生まれて住んでいるとそういう教育受けなかったから、全く知らなかった事も多かったわ。お義母さんが、何にも話したくない気持ちになるのも、分かるような気がした。折角広島に何かの縁で住むようになったのだから、もっとちゃんと知っておかないといけないと思ったよ。」
私“そうそう・・・・・”
家内「ちょっとマサキも黙っていないで、このバカ(長男の意)に何か言ってよ。」
私“えっ?この話の流れで何を話すのよ、いつも話を持ち上げ思う存分に極論をぶっておいて、いきなりこっちに話を振ってくる。それってムチャブリだわ。苦笑)”
「ええっとだなあ。俺おまえが子どもの頃から勉強しろと言ってきたよな。本当の意味で自由になるために勉強しろ、ってさ。勉強と言っても学校の勉強だけじゃなくて、色々な本を読んだり色々なヒトと交わる経験をして、色々な知識を身に付けるという意味での勉強をしろって言ってきた。そういう勉強を通して己の知性や感性を磨いて、自分の価値基準で物事を判断できるようになることが、本当の精神的自由なんだと思うよ。そのために大学に行って勉強してこいと言ってきたわけ。」
“この辺り、全く自分の事を棚に上げて話している(笑)”
長男、明らかに“?”という顔になっている。
「例の代議士はなあ、確かに高学歴だけど知性がないんだよ。己の知識を統合する知性がさ。学校の勉強が出来ると洗脳されやすいというのはちょっと無茶な論だと思うけど。」「ただ、あの人を見ていて良く分かることは、学校の勉強出来ることイコール知性が高い、じゃないということだけどね。」
「それから、洗脳の件なんだけれど、洗脳は何も政府からだけではなくて、マスコミだって油断していたら国民を洗脳するんだよ。去年の新聞社の事件があっただろう。さりげなく事実を曲げて己の主張を刷り込んでくることもあることを知っておかないとなあ。物事には色々な側面があるのだから、情報や知識は多方面から得るように意識しておかないと。一方的な情報を刷り込まれて洗脳されてしまうかもしんないよ」
家内「もう新聞なんか要らんよ。誰も読まないし、揚げものする時の敷物にしかならんし、月々何千円か払って資源ごみ作っているようなものだもの。もう断ろうか?」
長男「でもスポーツ欄とテレビ欄は読んでいるよ。有ったほうが便利だからさ、断らんといて。」
“嗚呼、何たるバカ家族の会話、反知性的な我が家なるかな・・・・・。”
私「まあ、お前には折角生きていくのであれば自由に生きて行って欲しいけどねえ。そのためにも取りあえずは目の前のこと、しっかりやれよ・・・」
(と、若かりし頃の自分の事を完全に棚に上げていうw)
長男、辟易した表情で「ハイハイ」と言い残し、家内を一瞥し何故か私の方にペロッと舌を出して退散。
私と家内は、その後、ニュース番組で放送された広島市内の御幸橋の傍にある原爆投下直後のその辺りを写した写真掲示版についてしばらく語り合った。
そこには映し出されてはいないが、そのフレームの外にはその当時15歳だった母親がその橋の向う側の地区で被爆直後に彷徨う後ろ姿や、原爆だけではなく日本各所で空襲を受けて被害に遭われた人びとの姿があるような気がした。
あれから70年、先人たちの努力のおかげで、この国の民は自由な議論や経済的な繁栄を享受し、例えば我が家のような反知性的でおバカな会話を楽しむ家族が安心して暮らすことが出来ているのだと思う。
本当にこの国の先人たちに感謝せずにはいられない。8月6日に思う。
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