2015年8月12日水曜日

乗りバカ日誌;“イチロウ・マサキの島伝い80㎞の旅”編

何を思ったのか、イチロウが突然「今度の日曜日に自転車に乗ろうぜ」と言った。「徳を積んでポイントちゃんと稼いでいるか?」と笑っている。

 
「乗ろうぜ」と言われても、8月になって連日気温35℃超の気温が毎日続いている。それに「徳を積んだか?」と突然言われて、慌てて振り返ってみるに、あの「ポイント10day」以来、どのくらいカミさんに対してポイントを稼いだか心許なかった。

 
続けてイチロウが「しまなみ海道の大三島が良いか?それとも倉橋島から鹿島を目指すのが良いか?」等と具体的に提案してきている。奴め何を思ったか………。この辺りおよその事情に察しが付いたのはツーリングが終わってからのことだったが、この時点では奴は何時もの“黙して語らず”の野郎だったものだから、バイクツーリングの発案の背景・事情については特に聴かなかった。

 
その晩、カミさんにその週末にイチロウとバイクツーリングに出かけることへの承認を問うと「熱中症で死んだら、小栗旬似の新しい旦那を連れて来い」というわけの分からない条件付きで許可するとの返事だったw。

 
翌日、バイクツーリングに行ける旨イチロウに返事をしてコースについて話し合った結果、イチロウの当日の勤務都合もあり、しまなみ海道・大三島はこの度はパスすることにして、倉橋島経由で鹿島を目指すことになった。


江田島をスタートして海沿いの県道をひたすら南下、途中江田島・能美島(陸続き)から早瀬大橋を渡り倉橋島に入り、更に南下して藤之脇地区から瀬戸内の愛媛県側を臨む本浦地区までの長い峠を越える。その本浦地区から鹿島まで入江と入江を結ぶ大小の坂道をこなしながら、鹿島という小さい離島を目指す。

特に倉橋島本浦地区から鹿島に向かう道程は、桂浜という松林の残る海水浴場、小規模の造船所(この小規模の造船所の発祥は、モノの本によると古くは遣唐使船を作っていた頃からの歴史があるらしい)、そのほか鄙びた漁港などが残る入江が数か所あり、走る者の目を楽しませてくれる。ただ先に触れたように、入江と入江を結ぶ道は大小の坂があるので、このアップダウンをこなしていると、着実に両脚に負荷がジャブのように効いてくる、バイク乗りにとってはちょっとしたチャレンジグなコースにはなっていると思う。


 
この倉橋島~鹿島コースは、瀬戸内好きのイチロウやボクにとって大変大好きなコースであり、出来れば夏の間に一度は走っておきたいところなのである。イチロウもボクも各自単独で“鹿島詣で”をしたことはあるのだが、二人つるんで走ったことがこれまでになかった。

この度は、ふたりして瀬戸内の風情を楽しめるツーリングになりそうだった。

 
89日午前845分頃に職場に集合して、午前9時頃出発。

これは何時もの事でそろそろ反省と熟考を必要としているところなのだけれど、前日の大酒が祟ってか、両脚が重い。ボクが先行し緩々とポタリングペースで走り始める。天候は快晴で気温も早くも30℃を越えようかという按配であった。江田島から倉橋島に向かって県道を南下していく過程で、南からの向かい風を受けて少々走り辛かった。ただ、その風が次第に熱くなる体熱を取り除いてくれるで、それほど気温は苦にならなかった。


 イチロウはボクのペースに配慮してくれているみたいで、ボクの後から伴奏するように走行してくれている。江田島(能美島)と倉橋島を繋ぐ早瀬大橋までは、ほぼ起伏は少なくほぼフラットである。順調に南下し、スタート地点から167㎞地点で早瀬大橋に差し掛かる。

 
橋までのなだらかなループ上の登り坂~アーチ状の橋をゆっくりと上がる。どうもダンシングが苦手であっさりとインナーにギアを入れてゆるゆると上がったのだが、後ろから伴奏してくれているイチロウにとっては随分走りつらかっただろうなw。左の写真は、どういうタイミングなのか分からないが、イチロウが私の後ろ姿を撮ってくれたもの。


 
倉橋島に入ると、早瀬地区から藤之脇地区にかけては、最近新たに造成された山側の多少起伏のある道を進む。旧道は住宅地を縫うように通された細い道であったのだが、それに比べると随分走りやすかった。

この道を進むと、この度の最大の難所藤之脇地区から愛媛県側の海を臨む本浦地区に進む長い峠道に差し掛かる。スタート地点から22㎞~24㎞区間の約2㎞程度の緩やかな上り勾配である。交通車輛は然程多くないが、どの車もそれなりのスピードで上がっていくため、イチロウからの声掛けで歩道にバイクを進め、夫々のペースでこの登り坂に挑むことにした。ここの写真を撮っていないので、どんな具合かお示し出来ないのだが、バイク猛者たちもそれなりにキツイ坂だと感じると思う。イチロウに先行してもらい、ボクはぼくなりのペースで進む。右手下に青々とした早稲田を眺め草の匂いを嗅ぎつつ少しずつ高度を稼いでいくと、左右の稜線が狭まり、両側の雑木林からセミの鳴き声が激しく迫ってきた。本当に正しく“蝉しぐれ”状態。


 峠道のピークに辿り着くとなだらかな下り勾配を持つ全長200300m程度の長く暗いトンネルがあった。そのトンネルでは、先ほどの蝉しぐれから解放されて、火照った体を冷やしてくれてほっと一息つけた。そして、そのトンネルを抜けると路肩で先行していたイチロウが待っていてくれた。

暗闇から出ると、眼前には静かに青白く輝く海原が広がっていた。
 

マサキ心の俳句:蝉しぐれ/ 峠を越えると/ 青い海

 
ええ、さてw。

長く険しい上り坂を克服した後に、この静かに広がる瀬戸の海を観ることが出来るだけで、ここまでやって来て良かったなあとしみじみと感じた。この峠からの眺めを是非、コウイチやジロウ達に見せてやりたいと思う。バイク愛好家にはあまり有名でないコースかもしれないけれど、この峠からの眺望、そして本浦地区から鹿島までの続く海沿いの道は瀬戸内情緒を十分に楽しめる箇所だと思う。チャンスがあったら彼らを連れて来てやりたいものだ。

 
一息入れて、イチロウと共に長い下り坂を降りて本浦地区に入る。ここは、旧倉橋町役場の置かれた地区であり、民家も多い。本土から離れた愛媛県側にこの島の中心地として栄えたところを見ると、如何にこの島が交通手段を船に便り瀬戸内海を東西行き来する海運の地として、或は、豊かな海からの水産物に恵まれた漁業の地として生きて来たのかが分かるような気がする。その昔、遣唐使船がこの島の船大工によって造られたということなのだから、歴史的にも古い土地柄なんだな。

 
旧役場の前を通ると左に折れて、海岸沿いを桂浜に向かって走る。白い浜辺とそれに沿って松林が設けられていて誠に美しい。浜辺に沿った道端には、家族連れ海水浴客たち、帰省客と思しきヒト達が歩いていた。午前10時過ぎにこの浜辺に面した通りを通過したが、強い陽射しと海面からの反射した光によって辺りは眩しく輝いていた。

 
浜辺に松林(松原)という取り合わせは日本各所に見られる光景だけれど、特にこの瀬戸内海各所に認められる典型的な風景らしい。

中国山地で多田羅の民が、砂鉄を掘り出すのと鉄の製造に山肌を盛んに削った。削られた土砂が雨などで河川を下って瀬戸内海に流れ込み、瀬戸内海の砂浜を形成したのだそうな。ついでに言うと、海底では、中国山地から栄養分を多く含んだ土砂によって海藻が育ち、その海藻原が魚介たちのゆりかごのようになっている。

 
この浜辺を見ていると、ヒトの営みと自然の成り立ちとの間に絶妙なバランスを保ちながら瀬戸内海地方が長らく栄えてきたことを我々に教えてくれているようで素晴らしい。本土から離れているせいなのか、それとも以前ほどレジャーとしての海水浴が人気がなくなっているのせいなのか分からないが、海水浴客はそれほど多くなく、まばらであった。

静かに日本らしく・瀬戸内らしい鄙びたこの浜辺が何時までもこのままで保存されると良いなと思う。

 この桂浜には、倉橋温泉という名のレストハウスがありひとつの観光ポイントで、そこの食堂が出す“生しらす丼”なるものがイチロウやボクにとって非常に気になるところであったのだが、先に述べたようにまだ午前10時過ぎあることや目的地はその先の鹿島であることから、休憩は取らずに通過し先を急ぐことにしたのだった。

先を行くイチロウが私を振り返り見ながら、「是非マサキを連れて行ってやりたい食堂があるからな、期待してろよw」という言葉を楽しみにしつつ......。

 


(つづく)

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