ここしばらく快晴の日が続き、気温も35度を越えて猛暑日が続いている。この暑さには参るが、冷夏になるよりは暑い夏の方が個人的には嬉しい。
一昨日、昨日と仕事を早く切り上げることが出来て、美しい夕日に出会う事が出来た。空気中に水蒸気を多く含んでいるせいなのか、靄がかかったような薄い水色の空に、輪郭が多少ぼやけて赤からオレンジ色の鮮やか色彩を放つ夕日を観ることが出来た。スマホのカメラで美しいと感じた夕日に向かってシャッターを切ったが、映された写真の出来栄えは私の肉眼でとらえたほどの感動を納めてくれてはおらず、その写真の出来栄えにがっかりした。誰にかに私の感動をそのまま伝えることが出来ず、何とももどかしい。「私の伝えたかった色彩はこんなものではないのだ」と。
一方で、私の肉眼を通して心の映し出された夕焼けの美しさというものは、私のフィルター通して感じられたもので案外写真に納めた色合いが正しいのかもしれないなどと思ったりする。結局のところ、私が肉眼で見た美しい景色というものは、私が美しいと思えるだけで他者から見るとそれほど感動を起こさせるような眺めではないのかもしれない。
かつてユリウス・カエサルが、その背景となるシチュエーションは失念したのだが、「ヒトは見たい現実しか見えないものだ」と言ったのだという。美しいと思えた私の現実は私だけのモノで、他者から同じ夕日を観ても感動に値しない眺めなのかもしれない。
今夏のこの国の議論についても、同じことが言えそうだと、夕日を眺めながらふと思ったら、少し気持ちが落ち着いた。
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