或る晩の夕食後に、突然次男が、時折指を縺れさせながらピアノを弾き始めた。この頃は、奴はほとんど家でピアノを弾かなくなっていたので、“珍しいこともあるものだ”と耳をすませて聴いていたのだが、隣で家内が云うのには、彼が所属する学校吹奏楽部の定期演奏会で、合唱を披露することになり、そのピアノ伴奏を仰せつかったのだという。何となく聴いたことのあるメロディーで、練習の合間に彼に質すと松田聖子さんが歌ってヒットした「瑠璃色の地球」なのだという。“ああ、そんな曲もあったなあ”と思ったのだが、どういう経緯でその曲が選ばれたのかと問うも、相変わらず二親に対して無口な野郎は「わからん」と応じたのだが、こちらの何か言いたげな気配を察してか、「今年は趣向を変えて、オープニングからいきなりこの曲の合唱をするのだ」と続けた。
“へー、そうなのか。そりゃあ大役を仰せつかったものだ”と思う。
「それにしても本番を間近に控えて、そんなに弾けなくて大丈夫なのか」と問うと、奴曰く「大丈夫だ」という。「何せ、ホールのピアノはスタインウェイだから弾きやすいのだ」と余裕を見せて笑っている。それはまったく「大丈夫だ」の根拠になっていない気がしたのだが、それ以上は突込みを入れずフーンと応じておいた。
その週末・日曜日(正確には次の日・月曜日も)に次男の所属する吹奏楽部の定期演奏会の本番となり、家内と共に観覧する。その演奏会は、市の中心部にあるホールで毎年開かれ、今回のチケットを見ると23回目となっていた。例年会場ホールの観客席はほぼ満員となり、座席指定ではないので、到着順に席が埋まることになる。家内に「良い席を取ろう」と促され開場3時間前からホールロビーに並ぶこととする。私たちが到着した頃には、既に他の部員の父兄30数人が列に並んでいて、私たちが着いた後も次々と部員の両親や縁者と思われるヒト達、他校の吹奏楽部員と思しき生徒さんたちが続々と集まってきていた。家内は、顔見知りのお母さん方が見えると次々に「あら~」と声を出し、おしゃべりを始めて楽しそうに過ごしているのだが、私としては全くの手持無沙汰であり、携帯していた単行本を読んだり居眠りをするなどして時間を潰して過ごそうと思っていた。それでも、隣の家内が、普段より親しく付き合わせてもらっている他の親御さんたちに挨拶をすれば、こちら同伴者としても、ぼさーっとしている訳にもいかず、つい愛想笑いなどを浮かべて、「こんにちは」と会釈をせざるを得なくなる。そんな事をしていたら、結局は携帯した単行本はあまり読めず、暇なのだが落ち着かない待ち時間となった。それなりに時間は過ぎて開場時刻となり、事前に夫婦で意図していた1階中央からやや左側の座席を無事に確保すことが出来た。
次男はクラリネットパートの一員であり、吹奏楽では座席からステージに向かって左側に配置されることが多いので、中央やや左側の席が本人を視認しやすい。開演までの余った時間を使い、配られたパンフレットに目を通す。次男が言っていたように、演目は「瑠璃色の地球」の合唱で始まり、毎年8月に開催される吹奏楽コンクールの課題曲や自由曲、そしてクラシック曲などが並べられた第1部とポピュラー曲・ジャズスタンダード曲、映画音楽を集めた第2部で構成されたものとなっていた。ホールは、開演時間が近づくにつれて次第に座席が埋まり、開演直前にはほぼ満席状態となっていた。ご年配の方から他の学校の中高生・小学生に至るまで幅広い年代の者が集まっている。地元の吹奏楽好きの方々の間では、それなりに人気のあるコンサートとして認識されているようであった。
やがて開演となり、会場内が暗転し緞帳が静かに上がった。スモークが焚かれて背後の壁にはスライドで地球の写真が掲げられている。吹奏楽部員達が楽器も持たず立って正面を向いている。ピアノ伴奏が始まり、ハミングの後「夜明けの来ない夜はないさ、あなたがポツリ云う……..。朝日が水平線から光の矢を放ち…….(大体こんな感じだったかな・笑)」といった歌詞で合唱が始まる。男性3部合唱(男子校なので)。じっくり聞こうにも、伴奏(次男が弾く)が気になって集中できず(笑)。後半の盛り上がるパートで和音の連打部分があり、練習ではいつもトチルところなのだけれど、本番では上手く誤魔化しやがったw。聴いている親としては薄らと背中に汗をかく(笑)。ただ、次男の伴奏は横に置いておくが、合唱用に編曲されたこの「瑠璃色の地球」という曲はなかなか良い感じであった。松田聖子さんがヒットさせた頃、私は20代前半だったか。そもそもアイドル歌手に興味なく過ごしていたので、これまでにまともに聴いたこともなかったのだが、改めに聴いてみると誠に良いメロディーである。そして、彼らは合唱部ではないので大変上手とまでは言えないが、それでも10代のオトコどもがハモりながら一生懸命に歌っている演奏というのはなかなか聴きごたえがあって、素直に感動して目頭が熱くなってしまった。それにしても若い頃には、合唱なんぞ全く感動することなんてなかったのに、この頃良いメロディーを持つ合唱を聴いていると恥ずかしながら素直に感動してしまうことが増えた。齢を取ったのだなと思う。
その後も、良い演奏曲構成になっていて、どの演奏曲にも吹奏楽部生徒さんたちのひたむきさやエネルギーが伝わって来て良い演奏会だったと思う。
演奏会が終わり家路をたどる道すがら、夫婦で話すに、今年の演奏会は例年になく力が入っていて良い演奏会だったなと。次男は今年高校2年生になったので、こうやって子どもの演奏を楽しめるのも後1回限りだなと。そう思うと、少し寂しいね、と。よく中年夫婦にありがちな会話をした。
振り返ってみるに、子どもが楽器を習ってくれたおかげで、色々な子どもの発表行事を楽しみながら過ごすことが出来た。それまでは知らなかったクラシック曲や吹奏楽曲、そして「瑠璃色の地球」のよう優れた日本の歌謡曲・流行歌を再認識することが出来た。Mother’s mother is a childという言葉があるらしいけれど、全くその通りだと思う。子どものおかげで、色々な経験や知識を増やすことが出来たと思う。そう云う意味では、絶対本人には言わないがw、「有難う」と言いたい。
その日の夜、夜9時過ぎに帰宅した次男は、「疲れた」と言ってリビングに敷いてあるマットに寝そべりながら何やらスマホをいじくっていた。どうも部活の仲間や他校の吹奏楽部の生徒とLineでやり取りをしているらしく、親のいう感想や質問を適当に受け流して、専ら仲間とのSNSを介した会話に夢中になっているようだった。「う、うん」としか応じず愛想はなく全く可愛げのない奴であるが(笑)、何時の間にか別の世界を作って仲間との繋がりが第一優先、親の事などは二の次三の次なったようだ。
“ふーん、17年も経つとこんな風になるんだ、親の知らない世界を造っていくんだな”と身に覚えのある当たり前の事にちょっとした感動を覚えながら眺めていると、隣で「この○○子って、誰?」と家内が鋭い声を発している。何事かと思えば、その日の演奏会に次男宛の差し入れが数個届いた中に聞き覚えのない女性(女の子?)の名前の記されたお菓子がひとつあったらしい。次男、「別に…。知り合いだよ。」と動じることもなく応じている。私は、ニヤニヤして二人のやり取りを聴いていたのであるが、男親としては“母親って、どうしてそっとしておけば良いことまで突込みをいれるのか?”と可笑しくなった。
さて、その日から数日経って何時もの毎日に戻ったのだが、妙にあの「瑠璃色の地球」の合唱が脳裏に残り耳から離れなくなった。You tubeで検索してみると、合唱曲バージョンが複数upされていた。どの演奏も聴きごたえがあったのだが、合唱関係者の間でも曲としてもなかなか人気のある演奏曲目のようであった。
ついその事を家内に知らせてやろうとlineで伝えて、その後数回のやり取りをしたのだが、会話の最後になって、「20年間ありがとう」と記されていた。
“?”
しまった、すっかり失念していたが、どうもその日は、20回目の結婚記念日だったらしい。普段より記念日誕生日を気にする風でもなかったので、こちらとしても全く無防備で不意打ちを食らったかたちとなり、適当な言葉が出て来なかった。「こちらこそありがとう」と言葉の上では、サラリと返事したのだが、その後で独りで暫くぼんやりと考えてしまうことがあった。
子育てがそろそろ終わりかけている「動物のツガイ」は、その役目が終わると、「ツガイ」として一体何をして過ごせば良いのか?。大抵の動物であればしばらくして寿命が尽きてしまうのだろうけれど、人間の場合平均的寿命を考えると後30年もある。さてどうしたものか…..。
「瑠璃色の地球」の中での“私”は、「あなたがそこ居たから生きて来られた」と謳い、そして最後に「私たちの星を守りたい」などと謳い終わっている。
“そうか、これからは夫婦関係・親子関係という身近で俗っぽい視点から転じて、地球のこと、人類の事、そして環境を守ることに発想を転換していけば良いのか”等と、これからの己の役割ついておバカにも無理矢理こじつけようとしたのだが、“そんなのおいらのガラじゃないし”と我に返り、独り笑ってみた。
それにしても、他人様と20年も良くも一緒に付き合って来られたものだと思う。人付き合いがどちらかと云えば苦手であった私が、他人様とこうして20年も付き合えるなんて、我ながら凄いじゃん、夫婦って凄い関係じゃないか!と独りで感動を盛り上げようと思ったのだが、そこまで思ったところで、ふと横を見ると、途中数年のブランクはあったものの35年以上の間、ほぼ毎日のように顔を合わせているオノコがここいることに気が付いて、また独りで笑ってしまった。
おしまい
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