2017年3月28日火曜日

一枚の写真





3月の終わりに、若い頃に所属していた職場の同窓会出席のために岡山に1泊。茜に染まる岡山平野を眺めていると、丁度新幹線と瀬戸大橋線が岡山駅に入ってくるところが見えた。



学生時代に一人旅をしたことが何度かあった。単行本と少量のアルコールを携えて、夜行特急に乗り、過ぎ去る街路灯を眺めてみたり、或はビジネスホテルの一室でぼんやりとしたり。



やがて旅を終えて自分の居場所を思い定めて目の前のことに専念してみたものの、いつかはその専念するべきものも終わりつつあるような。



さて、これから何をすべきか、しばし夕暮れの街を眺めながら思案してみるけれど、さりとてはっきりと明確なものが思い浮かぶわけでもなく。ただ、少なくとも言えることは、また一人旅に出て行くことなのだと心の奥底にしまい込んだことくらいか。

2017年3月19日日曜日

琵琶湖のほとりにて~おっさん二人の旅はこれからもつづく~


琵琶湖1周ロングライド2017 148㎞の走行を無事完走し、私とイチロウはホテルで荷造りと着替えを済ませ、夕食までの時間を再び長浜市の商店街にてブラブラとして過ごした。午後4時過ぎの商店街は観光客がまばらで静かな佇まいがあり、本格的な観光シーズン入りは長浜曳山祭りのある4月からであろうと思われた。




長浜を含めた湖東地方は何度訪れても良い処だと思う。古い面影を色濃く残す水辺の街並、出会うヒトの訪問者に対する暖かな人情、風土や人情の表現と思われる上品だけれど優しく丸い味わいの料理の品々。馬鹿の一つ覚えみたいだけど、「往く春を近江のヒトと惜しみける/ 芭蕉」の句が脳裏に蘇る。近江地方には、大阪や京都とは違う落ち着いた情緒があり、旅の者を和ませてくれる雰囲気がある。来る場所であり、またここから北に西に東に旅立つ場所なんだろう。



午後530分に、これまたイチロウが事前に予約してくれていた近江牛専門店「せんなり亭橙」さんに赴く。疲れを癒すために最後にすき焼きを食べて帰ろうということになっていた。



玄関を入り上がり座敷の一室に通された。ちょっとイチロウが写っている写真しか残していないので、部屋の様子を写真でお示しできないのが残念なのだけれど、床の間に金色で中心が丸く切り取られた、如何にも羽柴秀吉さん好みを意識した掛物が掲げられていて、それは全く厭味でなく華やかな印象を持つ一室で大変面白かった。世話をしてくださる店の女性が、穏やか中にも気さくな応対をして下さる方で、「この辺りは年に2回くらいは大雪になりましてね。雪下ろしが大変なんですよ」などと長浜の様子を話してくださった。イチロウは、なぜか旅先では話し上手になり、上手に合いの手を入れたり適度に質問を入れたりし、その場の和やかな雰囲気を保ってくれる。私は、そんな両者のやり取りを頷きながら眺めていた。



二人でそれぞれにノンアルコールビールを注文し、すき焼きを待ちながら、恒例の反省会を始める。



私にとって今回のびわイチは2度目の出場で、コースを知っていたので自分なりのペース配分で走り切ることが出来た。イチロウ・ジロウと比較するから、自分のヘタレ具合が目立ってしまうのだけれど、一般の方々と走ればそんなにもヘタレにならずに済んで結構イケてたと思うw。イチロウ・ジロウの自転車走力は既に上級者クラスなのであって、彼らと比較すると辛くなってしまうが、私も初級よりやや上のクラスには入れているのではないかなと勝手に思った。ちょっとゴーマン気味に言ってしまうと、びわイチコースはそろそろ卒業しても良いのかもしれないな。 そんなことをイチロウに語った。イチロウも「うんうん」と応じてくれて「今日は調子よかったな。最後も結構早く走れていたよ。もうマサキはもう少し上を目指さないとな」などと語ってくれた。




しばらくすると、すき焼きの用意が出来て、先ほどの女性が最初の一枚の牛肉を焼いて給仕してくれた。それぞれにその一枚の肉を溶き卵の中に浸して口にし、思わず「旨い!」と顔を綻ばせたw。この近江牛肉、これはベジタリアン以外の誰もが旨いと認めるブランド肉だろうから、これ以上は書きませぬw。家で食べるすき焼きも良いけど、こういう名店で“よそ行き”のすき焼きに憧れがあったしw本当に旨いよね。



先ほどイチロウに「びわイチ」はそろそろ卒業だなとつい言ってしまったけれど、そうすると近江に来る口実が無くなるか。そう言ってしまった後で、何とも言えぬ寂寥感が残った。びわイチに来ることを目的にやって来たのか、近江に来る口実として「びわイチ出場」を利用していたのか、自分の中では明瞭な答えはないのだけれど、でも強いていうならば、やっぱり私にとっては後者だったように思う。



前回も書いたのだけれど、私は近江偏愛主義者なのです。早春の近江地方は旅人にとっては、味わい深く捨てがたい魅力があるのです。ああ、やっぱりこれからもやって来たいところだ。そういえば、まだイチロウたちには近江八幡も見せてないしなあ、あの街の良さも奴らに知ってもらいたい。うーん、どうすべか……..



  後日イチロウと雑談した折に、びわイチの想い出に話題が及び、「琵琶湖1周ロングライド」は卒業としても、もう一つ上の「センチュリーライド」に出場しても良いのではないかと提案があった。



そう云えばそうだった、まだその手があった。私自身もステップアップしても良いよな。そうだ、わが愛車をアルミフレームからカーボンフレームにして…..,それからそれから、今シーズンは山坂道を走ることを意識して、など新たなるモチベーションが湧いてきたぞw



たらふく近江牛肉によるすき焼きを堪能し、「せんなり亭橙」さんを辞す。とっぷりと暮れた長浜商店街をホテルまで辿り、預けた荷物を引き取って、いよいよ午後650分長浜発の琵琶湖線に乗るべく駅に向かう。




大変充足感を感じつつ、この度の私的「琵琶湖一周ロングライド」の旅はこの辺りおしまい。今回の旅も大変楽しかったし、大袈裟に言ってしまえば人生における命の洗濯とエネルギーの再充填をさせて貰った。



おわりに大会関係者の皆様、長浜で熱くもてなしてくださった方々、そして企画・コーディネート一切を何時ものように取り仕切ってくれたイチロウに深く深く感謝申し上げます。




またイチロウとどこかに出かけるべしw



(終わり)

びわ湖一周ロングライド2017~気持ちよく琵琶湖を走る~


312日、午前5;00に起床。暫くぼーっとした後、シャワーを浴びて、着替えなどの身支度、チェックアウトの準備をして、午前6;00にロビーにイチロウと集合。

午前6;00過ぎにホテルを出るが、辺りはまだ薄暗く、外気は身を切るような寒さ、恐らく気温は0℃くらいだったのだろう。6;20分頃にスタートポイントの豊公園に着き、夫々に参加受付手続きを行う。受付を見ると1000番~4000番台までナンバーがあり、この大会の人気の高さを窺わせた。登録が済んだ後、配られたゼッケンを羽織ったウインドブレーカーにピン止めした。




私たちは、6;40スタート組であったが、前の組とも重なって、スタートゲートまで長い列が出来ている。スタートゲートまでの待つ間も冷気で体が冷えてくるため、時々脚の屈伸運動をしながら下肢を温めて待った。



待つ間に次第に辺りは明るくなり、対岸湖西地方の山々が見え始め、美しい湖畔の風景にしばし見惚れる。

スタート付近には、スタート進行役の男性の威勢の良いアナウンスが聴こえ、イチロウと「ああこの声、懐かしいね」なぞと言い、次第にスタート気分が盛り上がる。



午前7;05にスタート、びわ湖を反時計周りに琵琶湖の南では琵琶湖大橋を渡るショートカットでの1周148㎞の走行を開始。まずは湖北に向かう。豊公園を出て一般道を出ると、早くも長い自転車の列となっていた。全体的に緩やかなペースであったが、私は先のことも考えて、しばらくそのペースで走行することした。びわ湖の朝日を浴びて輝く静かな湖面、左手には峰に残雪を被った青い山々の美しい風景が広がり、目を楽しませてくれた。



しばらくそのまま走行していると、ライトグリーンのウィンドブレーカーを来たオジサンが、私たちの集団を抜き始め、イチロウもすかさずそのオジサンを追いかけるようにペースアップ、しばらくしてその二人が前方に見えなくなった。



私は、そのまま自分のペースに合う集団を見つめてはゆっくりと走行、湖北地方の、このコースの中で恐らく一番景色が良いと思われる区間を楽しもうと思っていた。北に進むにつれて、植生も白樺の並木が見える箇所、白鳥の飛来している休耕田、そして眼前に迫ってくる北部の山々、国道8号を左折して進み県道336号線の北湖岸沿いを進む箇所から見るびわ湖の風景などスタートから第1エイドステーションまでの道程は見どころが多く、走っていて本当に楽しかった。



午前8;15頃に第1エイドステーション/ 道の駅あぢかまの里に到着(走行距離27.3㎞)に到着。チェックを受けて、補給食を取り、その後トイレに並んでいると、イチロウを発見。私を待っていてくれたらしいが、トイレ渋滞が想像以上にひどく随分時間を取られたと。結局、このエイドポイントで25分程度を費やし、イチロウと共に8:40に出発。



ほんのしばらく共に走行したが、岩熊トンネルに上がるちょっとした坂道でふたたびイチロウに先行してもらい、その後は夫々のペースで走行を続ける。トンネルを抜けて、左折し田畑の広がる集落を抜けると、県道357の湖岸道路に入る。この辺りは、ところどころにキャップ場がありリゾート地になっているようであった。湖岸道脇に自転車を停めて、景色を楽しむ参加者も見られ、参加者がそれぞれのペースでこのサイクリングを楽しんでいる様子が認めれられた。この湖岸道を楽しんでいると、白髪に白髭のオジサンがやって来て、そこそこのペースで走ってくれるため、この方をペースメーカーに第2エイドステーションまで走る。湖岸道が終わると、県道54号沿いの湖岸道/途中サイクリングロードを南下。左手に広い広いびわ湖、右手に湖西の山々を眺めながら、平坦な道のりを自動車の往来を気にすることなく、大変気持ちよく走る。




午前10;30頃に第2エイドステーション/ 琵琶湖子どもの国(61.6㎞)に到着。まずまずのペースと思われた。今度は、15分の休憩で出たいと、チェックを受けた後補給食を食べながら、トイレに並ぶ。イチロウとは会えず既に出発しているものと判断。トイレを済ませて、10:45頃に出発。



この先、しばらく進むと近江高島の旧街道沿いの街並を楽しんだ後、国道161号線に出る。やや自動車の往来が多く気を遣う。前回走った際には、天候が曇り風も強かったためこの区間はやや辛かった記憶があるが、この度は天候は晴れて風もほとんどなく精神的な負荷は少なかった。その後北陸本線の高架沿いを走るのだが、微妙なアップダウンがあり両脚への負担を感じた。ただ前回は大熊トンネルでの上り坂で両脚が攣ってしまいこの微妙なアップダウンで両脚が再度攣り始めて誠に難儀し、ともに走行していたイチロウ・ジロウに心配をかけたのだが、この度は体調も良く無難にペースをキープできた。所々の曲がり角で、前回の走行時に、イチロウ・ジロウが笑いながら私を待っていてくれた光景が思い出されて懐かしく感じる余裕があった。



ただし、この区間は琵琶湖大橋までは視界が高架や市街地の建物で遮られることや、そろそろ両脚に疲れを感じられる頃であり、初めての参加者には精神的に負担がかかる箇所だと思われる。ひたすら左手前方に琵琶湖大橋が見えてくることを目標にペダルを踏む。

午前11:55頃についに琵琶湖大橋のトップに到着。到着時、気温は恐らく10℃前後であったが、天気は快晴で風はほとんどなく、左右に琵琶湖を囲む青い山々が遠望出来誠に絶景。




“本当に来て良かったなあ。出てくるまでは多少のすったもんだあったけど、この景色眺めたら、日頃の諸々の苦労も報われる。命の洗濯ができました!”



もうしばらくゆっくりと眺めていたかったが、先を急がねば。イチロウもどこかで待っているだろうし、出走前に目標を立てた午後3;30分までにはゴールしたい。



琵琶湖を360℃一望したあと、再び自転車に跨り先を進む。





午後12;30頃に第3エイドポイント/ 鮎家の里(100.6㎞)に到着。自転車を自転車止めに置いた直後に、イチロウが出迎えてくれる。イチロウは、12時前にはこのエイドポイントに到達していたらしい。なんでも、第2エイドポイントを出てしばらくすると、東京からやって来たお兄さんと湖西岸沿いを抜きつ抜かれつのデットヒート(本人曰く、お互いが交互に牽引しながらw)し、南側に下ってきたらしい。もの凄いハイペースでやって来たことになる。呆気にとらわれる想いがした。私がこのエイドポイントに到達したのは彼から遅れる事40分余りになっているから、イチロウはもう出たかろ?先に行っていいよと伝えると、彼曰く「もう良いんだ。もう充分。これからの残り40㎞はマサキと一緒に走るべ」などと言っていた。




この第3エイドポイントで本格的な昼食休憩。支給されたものはカレーライスと小鮎の唐揚げ。この大会での最大の楽しみは小鮎の唐揚げで、食べてみるとちょっとした苦みと共に香ばしさが口の中に広がって誠に旨かった。それまでの走行で蓄積された疲労が一気に取れる感じがした。イチロウに少々我慢して貰って、30分ほど休息を取らせてもらう。



午後1;00に第3エイドポイントをイチロウと共に出発。湖岸沿い県道559号線を私が先行して北上する。途中振り返りながら「イチロウに先に行っていぞ」と声をかけるが、彼「いやいやまだいいべ」と笑いながら応じていた。近江八幡市長命寺町付近から左折し、県道25号に入る。ここから先は湖岸の山坂道になり、コース終盤の疲れた両脚にはさらに負担がかかる箇所。25号線に入った直後に、イチロウに合図を送ると、彼「?そうか、じゃあ行くべ」と言い残し、ペースを上げて先に行った。



この山坂道、前回は心が折れそうになったが、今回は多少のペースは落ちたものの、前方の往く同じペースのヒトを目標に走行を続けるとそれほど辛くなく通り抜けることが出来た。やはり、前回の経験がありある程度先が読めることと、2週間前の合宿で山坂道を走っていたのが良かったと思われた。



この山坂道からは、左手に琵琶湖、右手に広い田畑をみながら平坦な道路をひたすら進む。午後2時前後に第4エイドステーション/ 湖岸緑地南三ツ屋公園(124.7㎞)に到着。再びイチロウと合流。支給された近江牛コロッケを食べて、10分程度休息。ここまで来たら残り24㎞弱となり、目標にしていた午後3;30までのゴールも叶いそうであった。両脚の張りはあったが、お尻の痛みはそれほどでもなく最後まで耐えられそうだった。疲労は感じていたが、気分的には軽かった。再度イチロウに「先に行けよ」と言ったが、「いやいや、最後は一緒にゴールするべ」と言っていた。“じゃあ、引っ張れるところまで引っ張っていこうと決めた。




午後210分過ぎに第4エイドステーションを出発し、ゴールに向かう。ここから長浜市の豊公園までは、全くの平坦な湖岸道路を北上する。やや走っていて飽きてしまうのだけれど、後ろにイチロウが控えていては最後のひと踏ん張りをするしかなく、本来の己の巡航ペースよりはハイピッチでペダルを漕いだ。何組かパスしていって力が付きかけた時に、イチロウに「もう先に行っていいぞ」と声をかけたが、イチロウは笑いながら「まだまだ。マサキの後ろを走っていると、スリップストリームが働いて、スゲー楽なんだ」と応じた。



彦根付近で私より早いペースの男女ペアに抜かれ、必死で追いかけるもジワジワと引きはなされた。彦根市街地を過ぎて県道25号から左折し湖岸の径に入るのだが、舗装が荒れていて自転車が軽くバウンドしなかなか前に進まず、そのペアに引き離されついて行くのを断念した。その女性の健脚振りには舌を巻くと共に何やら己の脚力のなさに情けない想いをした。



しばらくすると再び自動車道と合流し、そこでイチロウがラストスパートをかけて私を引き離した。私はそこからはウィニングラン気分で本来のペースで走る。やがて左手に豊公園の建物や林木が見えてきてた。



午後305分に無事にゴールゲートに到着。148㎞をトラブルなく完走。朝威勢の良い声で私たちを見送ってくれた男性が、やはり元気な声で「お疲れ様~。ゴール、おめでとう」と声を掛けてくれる。充実した達成感あり。思わず柄にもなく、手を挙げて迎えてくれた人たちに手を振って応えた。



大会本部が設置された広場に帰り、ゴールのチェックを受けて完走認定証を貰い、イチロウと合流。イチロウがにっこりと「あのさ、さっき俺たちを抜かしていった一群、まとめてぶっちぎってやってたからなw」いう。



“本当にこのオトコ、自転車に乗らせるとタフガイになっちゃって”と可笑しく思う。

前日までは、弱気な事をぬかしつつ、いざとなれば韋駄天になってしまう。「ホントに早やすぎなんだよ」と笑い返すと、イチロウやや気恥ずかし気に「いやあ、前に誰かいると、つい抜かしてしまいたくなるんだよなあw」と。



ふたりで、それぞれに記念写真を1枚取ってもらい、お互いに意気揚々と気分良くホテルに戻ったのであった。

(おしまい)


2017年3月14日火曜日

びわ湖一周ロングライド2017~長浜を食べて歩く②~


午後5時を過ぎ、肌寒さと歩き疲れたこともあり、少々夕食の予約時間よりも早かったが、夕食に向かうことにした。お店は事前にイチロウが予約を入れてくれていた大通寺そばの郷土料理屋「住茂登」さん。




「この時期にこの地方に来たならば、やはり鴨鍋と鮒ずしを喰わずしてどうするの!」とイチロウは強く言ったのだけれど、その割には彼自身も多少の躊躇いがあるようで、通された座敷に座っても、私に「さあどうする?どうする?」などと聴いてくる。イチロウはなんでも食える奴で、普段より私に対して「お口の王子様」と私の“食域”の狭さを嗤うのだから、例え私が途中でドロップアウトをしても、彼がカバーするだろうに。



「どうしたんだ、何時もならこういうところに来たら、とてつもなく食欲が出てなんでも食べるはずなのに、今日はどうしたんだ?」と私が茶化すと、イチロウ、少し真顔になって「俺だって年なんだ」などと弱気なことをいう。



私自身、鴨鍋はさておき、小泉武夫先生なぞのエッセイを読むと、発酵食品の代表格として近江地方の鮒ずしが何度か登場していて、一度は挑戦してみたかった。問題はどのくらいの量が供されるかであって、一切れ二切れならイケそうな気がしていた。



結局のところ、二人とも料理は、「湖魚尽くしコース」と「鴨鍋ひとり様用」を注文した。ふたりで夫々にビールの中ジョッキを頼み、それとは別にイチロウはウーロン茶、私は地元の銘酒「七本槍」2合を飲み物として選んだ。



料理の合間に、翌日のびわイチの打合せを簡単にする。私としては、夫々のペースで走行した方が良いと彼に言った。イチロウにとっても私を気にして走るのはストレスであろうし、私も自分の脚力に合わせて走行した方が途中で脚のトラブルを起こさずに完走できるだろう。イチロウは意外にも「オレは分からん。膝の調子が今ひとつだからな。途中で棄権するかもしれんよ」などと弱気なことを言っている。



「俺も年なんだよな」。今回、事前合宿の時もそうだったのだが、イチロウのテンションが全く上がっていなかった。本来であれば、私が「そんな弱気でどーするの!」などと発破をかけなければいけないのだが、彼と私の間では実力差が有り過ぎて、そんなセリフも吐けなかった。ここにジロウが居てくれたら、イチロウの自転車に対するスポーツ的モチベーションを高めてくれる筈なのだが。やはりこの度のイチロウの気分が盛り上がりに欠けるのは、ジロウ不在が大きな要素なのだろうなと勝手に察した。




そんなことを話したり、独りで勝手にこちらで推察している間に、注文した料理が運ばれてきた。鮒の子まぶしに始まり、イサザの茶と醤油で炊いたもの、小鮎の甘露煮、ホンモロコのやはり茶と醤油で炊いたもの、そしてホンモロコの塩焼きが運ばれてきた。



どれも本当に美味しい。淡水魚の臭みはないどころか絶妙な味付け、ホンモロコの塩焼きではこの魚の独特の香りが鼻腔に広がって感動した。そして、湖魚尽くしのハイライトが、びわマスの刺身(軽く塩漬けしたもの)と鮒ずし。




びわマスの刺身は、ねっとりとして絶妙な塩加減で絶品だった。鮒ずしは、仲居をして下さった女性が「お米と一緒に一年間付け込んで作りました、骨も解けて食べられます」と説明してくださった。イチロウが少し驚くのを横目に、私が躊躇わずにその薄く切ったものを一切れ口に入れてみた。当初懸念してた臭みはほとんど感じられず、しょっぱく柔らかい肉片と続いて飯(いい)のヨーグルトのような酸味と食感が口の中に広がった。ああ、これは美味だわ。ゴートチーズよりも食べやすい。慌てて、これを味わうために注文していた銘酒「七本槍」を口に入れると、さらに先ほどの風味を優しくアシストしてくれた。この感動は幸せと呼ぶ外なし。



時間にしてほんの数秒のことだけれど、その私の様子を観ていたイチロウに、「良いからやってみろ」と合図を送ると、イチロウも続いて鮒ずしをその口にした。私がすかさず、七本槍を彼の御猪口に注いでやり、イチロウがそれを口にして咀嚼嚥下すると、目を潤ませながらも輝かせて「これは、納得だわ。物凄く納得。美味い!」と宣言したw。



イチロウ「ここの鮒ずしはホントに旨いね。恐らく各所で色々な味わいがあるんだろうけれど、ここのは旨い。」と。時間的には、これらの料理と前後して、鴨鍋も運ばれていた。お店の方が云うには、「ここで扱っているのは、自然の鴨(野生の?)だけなのだ」と言われた。鍋の中にはだし汁とネギなどの野菜と、鴨のレバーとつみれが入っていて、沸騰したら鴨のロース肉をしゃぶしゃぶにして召し上がって下さいとの事であった。云われた通りにして食べると、これまた大変に旨い。これまた事前に懸念していた獣の臭みがしない。ジビエが苦手な私でも何の抵抗もなく食べれる。だし汁も上品な味付けであった。店のヒトによると「自然の鴨の肉だから、灰汁がでないでしょう」と。言われてみれば、確かに鍋の中に灰汁は全く浮いて来なかった。




これらの料理をアシストしてくれた銘酒「七本槍」もここに記しておこう。温燗にすると軽やかな味わいで、料理を引き立ててくれて大変素晴らしかった。



うーん、本当に素晴らしいお店でした、住茂登さん。そして、ここの店を発見したイチロウの嗅覚には改めて脱帽。おかげでなんの苦労をすることもなく、早春の琵琶湖料理を堪能させていただきました。両者に心から多謝。



当初期待していた以上の料理を堪能出来て二人とも大満足であった。店を引き上げる時に、夫々にお店のヒト達に素直に感動したことを伝えて、そしてレジ横に置いてあった「鮒ずしケーキ」なるお菓子をお土産に買って辞したのであった。




時刻はまだ午後8時前だった。ホテルへの帰り道、駅の方に向かって大半のお店が閉まり静かになった商店街をブラブラと歩いた。風はほとんどなかったが身を切るような冷気が辺りを包んできたのであったが、先ほどの料理で温まった身体には心地よかった。



商店街のあちこちに「ユネスコ無形文化財登録 曳山祭り」というポスターが貼ってあった。思わず私がこの辺りに「曳山という山があるのかな?」とイチロウに尋ねると、彼はおかしそうに「曳山ってさ、山車のことだろう」と教えてくれた。ああ、なるほどよくポスターを観てみると、白化粧をした子どもの背景に山車らしきものが写っていた。この事なんだな。自分の無知ぶりをイチロウに何時ものごとく指摘されてすこし気恥ずかしくなった。



イチロウとはずっとこんな感じ。どこに出かけても毎度毎度のことなのだが、二人の関係は落語で登場する「ご隠居と町内のハチ公」みたいなものなのだ。



ただ改めて感じるのだが、私は少々歴史に興味がありそこから文化や風土に関心が広がり、イチロウは生物学や博学に興味がありそこから文化人類学や民俗学に関心が広がっている。

だから、興味の重なり合うところがあるからこうして肩を並べて歩くように付き合ってきたのだけれど、不思議といえば不思議だし貴重と言えば貴重な存在である。しかし、何処かに一緒に出掛ける時は、ほとんど彼がプラニングとコーディネイトの一切の仕切ってくれて、私はそれに乗っかっているだけから彼に負担ばかりかけて申し訳なく思うのだけれど、ではイチロウにとってその対価はなんぞや…..?




“あー”、と勝手に答えを見つけてしまってイチロウに気が付かれないように独りで笑ってしまった/ 私なりの解については、誰にも言わず黙っておこう。



しばらく二人の会話が途切れて、黙って歩いていると、どこからか太鼓と横笛の音がかすかに聞こえてきた。その音のする方へ惹かれるように或る角を曲がり数歩進むと、ある民家の中からその音色がしているのだった。



「ああ、曳山祭りのお囃子の稽古中のようだね」とイチロウが呟いた。


湖北地方の早春の静かな夜だった。


(びわ湖一周ロングライド2017~前夜編~ おわり)


(あとがき)
この項を書きながら、小腹が空いたので、自身用のお土産として持ち帰った「サラダパン」を食べてみた。刻んだたくあん、マヨネーズ、マーガリン、そして少し甘みのあるパンを咀嚼ていると、まろやかで優しい味が口の中に広がった。「つるや」さん、ゴメンナサイ。今までこのパンの美味しさをちゃんと理解出来てなかった。このパンの良さは、その味が少しも尖がってなくて、丸いことなのだと。近江人が創意工夫して作り上げたこの味わいは、この地方の風土にも通じているようで、そう思うと春の近江地方の自然やお店や街角で出会った人々が醸し出す人情が脳裏に浮かび、また再訪してみたいと思わせるのだった。

びわ湖一周ロングライド2017~長浜を食べて歩く①~

今回初めて知ったのだけれど、長浜も旧市街地の街並を美観地区のように残して観光に力を入れているようである。そしてしばらく歩くと、訪れることを前々から楽しみにしていた翼果楼があった。




イチロウ・ジロウが3年前に初めてびわイチに出場することになって、その時私も物見遊山のつもりで長浜に一緒について来たのだが、諸々の事情で私だけが長浜入りが遅くなってしまった。先に到着していたイチロウ・ジロウ達は長浜名物のものを私が到着する前に食べつくしてしまって、私はその分け前に有りつけなかった。その中にこの翼果楼のサバそうめんなるものがあって、私としては大変悔しい想いを残した。翌年は私もびわイチに彼らと共に出場することになったのであったが、その時は私の大チョンボ~サイクルジャージなどを忘れ、急遽彦根のスポーツ品店に立ち寄って購入する~があり、長浜入りが大変遅れてしまい、またもやサバそうめんを喰いそびれてしまった。



三度目の正直、三年越しの片想いとしてのサバそうめんだった。



満を持して出向いた翼果楼は古い町家をそのままに店舗にした様子で、引き戸の入り口を入ると、土間があり、そこから一段上がって座敷があり、各所にテーブルが設えてある。奥野テーブルに案内してもらったのだが、聴いて想像していたものとは違い、なかなか風情のある建物で、なんだか感動してしまった。座敷の座卓に着くと、迷わずビールとサバそうめん、そしてイチロウ推奨の鮒の子まぶし(ニゴロブナの洗いの切り身にフナのタマゴをまぶしたもの)を注文した。




まずは、鮒の子まぶしが前菜のごとく運ばれてくる。私は海辺で育ちで、普段からあまり淡水魚を食してこなかったオトコ(私)には、鮒を食べる、ましてやその魚卵まで食べちゃうことに、何かしらの抵抗感があったのは事実なのだけれど、ニゴロブナの切り身は癖がなく淡泊で、そこに塩分の効いた魚卵の組み合わせなかなか乙な味がした



そして、終に待ち焦がれたサバそうめんが運ばれてきた。もっとだし汁がにゅう麺のようにたっぷりあるのかと想像していたが、汁はそうめんが全部吸っている感じでそうめんがべっこう色にテカっていた。その麺の上に、焼いて醤油汁で煮込んだ様子のサバの切り身が乗っている。そうめんは、柔らかくふんわりとした食感でとても優しい味で意外にも魚の臭みがなくて食べやすい。さばの切り身は、醤油辛いものを想像していたのに全然そんな粗野な感じがなく品がある絶妙な味付けであった。これは、本当に旨い。イチロウが初めて長浜に来た時に、これを食べて感動し同じ日にアンコールした気持ちが良くわかったw。長浜に来たら絶対喰わずには済まされない一品だと思う。積年の片想いが成就した満足感で急速に平和な気分になれた。




翼果楼を辞して、再び長浜旧市街地をブラブラと散策した。次に向かったのは、「サラダパン」で有名な「つるや」さん。北国街道を今度は南に下り、しばらく歩くとその支店があった。イチロウの事前の仕込みネタで「サバサンド」なるもの、そして有名な「サラダパン」とその名も「サンドウイッチ」なるものを購入することが目的だったのだけれど、後者2品はそのお店では扱っていないとのことで、そのお店では「サバサンド」のみ注文。このサンド、丸い形をした食パンに焼きサバを解したものにマヨネーズの中に野菜が刻まれて和えてあるソースがかけられたのもを挟まれていた。これを翌朝の朝食にしたのだけれど、これまたとても旨かった。



その後、そのお店のヒトに「サラダパン」と「サンドウイッチ」なる調理パンを駅前のスーパーが取り扱っていることを聴き、それを求めて再び駅前まで歩く。「サラダパン」は、コッペパンを切ってその中に刻んだたくあんをマヨネーズと恐らくマーガリンで和えたものが挟み込まれているパン。3年前にイチロウからすこしお裾分けを貰って食したが、その時はあまりピンと来なかった。「サンドウイッチ」なるものは、先ほどの薄切りの丸い食パンに薄いハムとマヨネーズ味のソースが挟んである調理パン。折角のことなのでイチロウに倣い、それぞれひとつずつ購入し3日の日持ちがするようなので、自分へのお土産とした。



それらのパンをホテルに一度置きに帰り、再び北国街道を東西に区画された界隈を散策する。湖魚を扱った魚屋、ガラス細工店、喫茶店、御菓子屋、鮨屋を左右に眺めながらぶらぶらと当てもなく縦横に歩き回った。ところどころ現代風の建物に置き換わっているものの、古い町家作りの建物が現存し、古くからの味わいのある街並みが残されていた。そう、この街は北国街道の宿場町として古くから開かれた街だったんだね。




午後4;30を過ぎて、長浜の市街地の東側にある山―伊吹山の残雪が西日に照らされて赤く染まり始めた。自然と脚が伊吹山側に向いて、威厳のある山塊全体を眺められる地点まで歩きたくなった。長浜駅から向かって東側に位置する大通寺、そして長浜八幡神社を通り越して、2車線の南北の道路を横切ると、ところどころ畠と農家風の住宅が残る地区に入った。




辺りは次第に暮れ、冷たい空気が体に凍みてきたが、赤く染まった残雪を頂きに残す伊吹山の稜線がしっかりと見え、ある満足感と安らぎのようなものを感じていた。しばらく我を忘れて伊吹山に見惚れていたのであるが、ふと辺りを見回すと、周囲には人家が立ち並んでいるのにもかかわらず人影もなく生活音もしない静寂があり、微かにただ水の流れる音が聴こえてきた。よく見るとこの辺りの家々の間には水路が張り巡らされていて、この地方が水郷であることを想い出させてくれた。しずかな早春の湖北地方の夕暮れ風景がそこにあった。


(つづく)

びわ湖一周ロングライド2017~前日長浜に入るの事~


311日午前1120分頃、イチロウと広島駅で合流する。この度は、Gilberto’s関東組は諸事情にて不参加となり、Gilberto’s西日本支部のイチロウと私のみが「びわイチ」に出場することになっていた。



この度でイチロウにとっては3回目、私にとっては2度目の「びわイチ」出場となったせいもあるのか、事前の盛り上がりとしては今ひとつだった。「びわイチ」一か月前になってコンディション作りを始め、事前合宿まで組んだのに、二人の間ではそれでも盛り上がらず、出場キャンセルも含めて「どうするべ」と煮え切らない状態であった。“ふたりとも齢を取って若くないしねえ、必死こいてペダル回すよりも、ボチボチ漕いでた方が良いわなあ…..”など、詮もなきことをどちらともなく言っていた。



それでも大会に出ることを前提に休みを確保し、宿まで予約している訳で、大会をキャンセルしてその代案に妙案は浮かばず、やはり当初の予定通りに出るかと決めたのが大会日3日前のことだった。




午前11:50広島始発のぞみ号指定席に乗り込み出発。今回は、事前にサイクルジャージなどの着替えは事前に宅配便で送ったので、所持品はバックと輪行袋のみ。前回のようなドタバタハプニングは起こらず、順調な滑り出しだった。あれよあれよという間に、京都駅に着き、そこからは、琵琶湖線新快速14:00発長浜行に乗り換えた。京都駅に辿り着くころには、日常生活の諸々の気分からは解放されてすっかり旅モードになっていた。京都駅ホームで電車を待つ間、俄かテッチャンになって、何枚か写真を撮る。近くにひとり、高校生らしき見るからにホンマモンのテッチャンがいて、デジカメで到着する電車を撮っていた。私は田舎育ちで電車と縁がなく育ったものだから、鉄道ファンである少年に対して、その趣味を都会に住む者の特権とを思われて妙に羨ましく憧れのような心情をずっと抱いてきた。だから、目の前のテッチャン少年を素直に「良いなあ」と思える。




14;00発の琵琶湖線新快速は程なくやって来て、私たち二人は輪行バックの置き場所を確保するために先頭車両に乗り込んだ。輪行バッグの置き場所を確保して一息ついた頃、電車は京都駅を離れた。客室と運転席を挟む窓は開放されていたので、進行前方の景色が丸見えで二人とも喜んだ。前方を眺めていると、真っ直ぐに伸びた線路前方に真っ暗な長いトンネルが見えて来て、そこの闇を通り抜けると、そこは滋賀だった。京都駅から大津駅まで約10分!こんなに近かったのだねと驚いた。


大津を過ぎて、暫く行くと左手に琵琶湖が見えてきた。左手には、手前から干拓によって広げられたであろう広い農耕地、そしてその奥に湖、湖西地方の峰に雪を残した山々。右手にも広い平野とやはり雪化粧を残した山々が見えた。何度来ても眺め良い景色だった。




そんな車窓の風景に独り感心していたのだが、ふとイチロウに目を転ずると、先ほどから何度も運転席を覗き込みながらニコニコしている。私が、「どうしたの?」と目で合図すると、彼曰く「あのさ、Iさんがたまんないのwカッコ良いんだわw」と堪らなく嬉しそうに小声で返してきた。




イチロウの覗いた先を見ると、その電車の運転手の運転諸動作のことのようだった。各駅に着くと、左側運転席横の小窓を下げて後方確認、ふたたび運転席に着くと、右人差し指で信号を確認し、そして運転席右前方に掲げられた到着時刻表を人差し指で撫でるように確認し発車。走行中も各所の信号と時刻表を右人差し指を指して確認動作。ごく軽く右手を人差し指を残して握り、しかも伸ばした人差し指はピンとではなくて軽く曲がっている、そしてその人差し指での指し方も手のひらを返すように即ち人差し指の背(爪)側で指しているような恰好で、その所作は見ようによってはキザなんだけど、Iさんのプロとして美意識が感じられた。イチロウと二人で「歌舞伎役者みたいだね」と笑った。でもさ、ユーロ鉄道や米国大陸横断鉄道の運転手ではこんなにカッコ良く運転しないんじゃないの?これね、日本の職人気質に共通する美意識なんじゃないの?など、イチロウと二人で好き勝手な空想を働かせてはローカル線の旅を楽しんでいた。




やがて列車は、米原で8両編成から4両編成に切り離され、ドアも自動開閉から手動開閉(とはいっても、お客がボタンを押すだけだけど)となり、益々ローカル線チックになった。米原を離れると、左手の琵琶湖が近づいて湖畔の松並木が見え、右手前方には頂に雪化粧をした高い山(後で調べると伊吹山)が近づいてきた。



午後15;10に長浜駅に到着。明るい陽射しであったが、空気は冷たく肌寒かった。「ああここまで来ると寒いね。長浜は北国なんだな。この辺りも日本海側の気候なんだね。」とイチロウが感嘆していた。



長浜駅東に延びるメイン道路を100m程度歩いたところに、私たちが宿泊するビジネスホテルがあった。それぞれに部屋に入り旅装をほどいて、自転車を組み立てたところで、長浜の町散策に出かけた。




私は、長浜に来るのはこれで3回目であったが、その街を散策するのは初めてであった。長浜の旧市街地は碁盤の目のように区画が整理されていて、ホテルからもう一区画東に先ほどのメイン道路を往くと、その道路を南北に横切るように旧北国街道の道標が立った通りにぶつかった。その北国街道を左に曲がると、古い町家風の建物が残る通りがあった。

(つづく)

2017年3月10日金曜日

“青春の輝き” 21 years old after turning 30


「結構Carpentersが好きである」、などと50過ぎたオッサンが真顔で告白すると、周囲の音楽好きの連中はドン引きするだろうなw



私自身も音楽好きだった学生時代には、Carpentersの音楽は甘ったるいアメリカン・ポップスとして感じられてあの頃の志向に合わなかったし、こんな音楽聴くのはダサいと全く気にも留めていなかった。60年代から70年代の彼らの全盛期の頃は、ロック音楽やディスコミュージックなどが全盛で、そんな時世において彼らの音楽が、「自分の子ども達に聴かせても良い」とどちらかといえば青年世代よりも親世代からの支持が大きかったらしい。だから、血気盛んな青年(私も含めて)たちから敬遠されるというのも仕方なかったと思う。

1983年にカレン・カーペンターが突然死したことをテレビのニュースで見たことを覚えているが、当時私自身はあまり気に留めていなかったと思う。



後年社会人になった頃、何かのきっかけで彼女の死が神経性食欲不振症/ 過食症によるものであることを知り、彼女の穏やかで美しい声に潜むある種の翳りについて少しばかり理解出来る気がして、少しだけ知人にCDを借りて聴き直したことがあった。なかなか良いバラードが幾つかあって、少しばかり彼らの音楽を見直すようになった。



特に、カレン自身も好きだったと云われる「I need to be in love/ 青春の輝き(邦題)」の歌詞を見直すと、彼女の心のある部分と重なるような気がしている/ I know I ask perfection of a quite imperfect world and fool enough to think what I’ ll find……



さてその後時代は下り、嫁と結婚して間もない頃、義父からCarpentersのベスト盤CDを特に理由なく貰い、代々のクルマのステレオHDに取り入れて、時折聴くようになっていた。



機会は少なかったが、家族を連れてのロングドライブなどでは車内でかける音楽の重要なレパートリーになった。それこそ“子ども達に聴かせても安心な曲”として。



そしてさらに時代はもう少し下って、次男が中学高等校に入学後吹奏楽部に入ったのだが、彼らのバンドのレパートリーのひとつとしてCarpentersの「青春の輝き」がしばしば演奏された。特に卒業式の式典前のウェルカム音楽として毎年演奏されて、式に出席された親御さんたちからの評判が良かったらしい。




先日、次男が高校を卒業した。私は職場に少々無理を言って時間を作ってもらい、その卒業式に出席した。式典開始40分前に会場に到着し、次男の後輩たちが奏でるウエルカム・ミュージックを聴いていたのであるが、あの部員たちの中に次男が居ないことを確かめると少々感傷的な気分になった。そして、その演奏の最後から二番目に「青春のかがやき」が流れた時には、全く不覚ながら目頭が熱くなってしまった。



ふーむ、次男の10代の青春を想い、子育て真っ盛りの時代のことを振り返らざるを得なかった-振り返ってみると、子育て時代は私にとって第2の青春だったのかもしれない。



今朝、スマホを取り出してF.B.を開けてみると、「マサキさん、おめでとうございます~」じゃじゃーんみたいなノリで、F.Bチームから誕生日を知らせるメッセージがあった。

“別に目出度くも何ともないけれどね”とそのままにほおっておいたのだが、その後、幾人かの知人からそれぞれお祝いメッセージを頂き、流石に無視するわけにもいかず、それらのメッセージに返礼を返すべく、お礼を送った。その中のお一人にこう返事した。



“この頃は、書類なぞに自分の年齢を書き込むの時にぞっとする想いがしています。今後は、21years old after turning 30 at my ageとでも書こうかしら”と。



何気なく書いたつもりのメッセージだったのだが、はたとあることに気が付いてしまって、すこし気持ちが軽くなったような気がした。



「中年になってから、まだ21歳じゃないのw。中年の青春真っ只中なんだよね~。子育て時期を第2の青春だとしたら、中年になってからの20代は中年としての第3の青春を楽しめば良いんだよな」と。




そんなことを思い立って色々と連想が進み、次男と少々企んで、家内にちょっとしたプレゼントをしたのだった。

「ありがとう。これからもよろしく」と。

2017年3月9日木曜日

ミニ合宿 in Etajima ④


倉橋本浦地区から鹿島まで距離にして1415㎞くらいか。途中3つの浦とそれを結ぶ山を削って通された勾配道をそれぞれのペースで進んだ。私は登り坂になると相も変わらず極端にペースダウンしていたのであるが、そのうちちょっとしたコツを掴んで、精神的には楽になっていた。地形にもよるのだろうがこれらの登り坂は最初の数mは勾配がきついのだがそれを過ぎると傾斜が緩くなっていて、最初ダンシングするなりして力を入れて漕いでいるとやがては楽な勾配になり両脚への負担感が軽くなる。その事を知ってしまえば、先が読めて精神的な負担が軽減した。




鹿島大橋のたもとで先に着いたイチロウが一休みし写真を撮っていたので、私も休息がてら何枚か写メをする。春先の穏やかな海の景色が眼下に広がっていた。




その後は、その橋を渡って鹿島入りし、最南端の集落まで数分走行。本浦地区を12:00前に出て、13;00過ぎに折り返し地点に到着。この地区は、小石で積み上げられた段々畑が見どころらしいのだけれど、ところどころそんな石積が見えた。折り返し地点の名の知らぬ集落にある漁港の海岸縁に、オレンジのジャンパーを来たオジサンたちが数名、防波堤に腰を掛けて昼食を摂っていた。なんだかただならぬ雰囲気があり、彼らに一礼の挨拶をしたが、彼らからの返事は無し。漁師のオジサンたちにしては御揃いのジャンパーが漁師の雰囲気とは違うものを感じさせていた。コンクリートの防波堤の切れ目に設けられた階段の踊り場にデカい猪の死体が転がってい、その後から出て来た同じオレンジのジャンパーを来たオジサンが散弾銃を携えているのが見て取れ、“猟友会のヒト達であることが判明した。



近年倉橋島と能美島、江田島では猪が増えて、畑作物の被害が出ているとの事であった。私なぞの夜に山道を運転していると、たまにデカい猪が悠然と道を横切るのを目撃するのだけれど、“まだ人口が多い頃は猪なんか出なかったのにな”となんだかうら寂しく感じるのであった。こうれ過疎の島になっちまって久しいが、いずれはヒトが居なくなって辺りは草木の中に消えちまうのか、等と栄枯盛衰の想いに駆られてしまう。




それでも、眼前の光景は、静かな海辺の寒村風景であり、私にとっては馴染みのある平和的なものであり心を和ませてくれた。



そこで20分程度休息を取り、13;00頃に出発し復路を辿った。私の体調も良くペース配分を考えながら走ったせいか、必ず生じた両大腿部の痙攣は一度も生じず、107㎞を踏破。15;30分頃にゴールしたのであった。



この度の合宿は大成功と思われ、ある懸念を除いて「びわイチ」に向けて上々の準備が出来たと思われた。


(取りあえず、本項のお話はおしまい)