倉橋本浦地区から鹿島まで距離にして14-15㎞くらいか。途中3つの浦とそれを結ぶ山を削って通された勾配道をそれぞれのペースで進んだ。私は登り坂になると相も変わらず極端にペースダウンしていたのであるが、そのうちちょっとしたコツを掴んで、精神的には楽になっていた。地形にもよるのだろうがこれらの登り坂は最初の数mは勾配がきついのだがそれを過ぎると傾斜が緩くなっていて、最初ダンシングするなりして力を入れて漕いでいるとやがては楽な勾配になり両脚への負担感が軽くなる。その事を知ってしまえば、先が読めて精神的な負担が軽減した。
鹿島大橋のたもとで先に着いたイチロウが一休みし写真を撮っていたので、私も休息がてら何枚か写メをする。春先の穏やかな海の景色が眼下に広がっていた。
その後は、その橋を渡って鹿島入りし、最南端の集落まで数分走行。本浦地区を12:00前に出て、13;00過ぎに折り返し地点に到着。この地区は、小石で積み上げられた段々畑が見どころらしいのだけれど、ところどころそんな石積が見えた。折り返し地点の名の知らぬ集落にある漁港の海岸縁に、オレンジのジャンパーを来たオジサンたちが数名、防波堤に腰を掛けて昼食を摂っていた。なんだかただならぬ雰囲気があり、彼らに一礼の挨拶をしたが、彼らからの返事は無し。漁師のオジサンたちにしては御揃いのジャンパーが漁師の雰囲気とは違うものを感じさせていた。コンクリートの防波堤の切れ目に設けられた階段の踊り場にデカい猪の死体が転がってい、その後から出て来た同じオレンジのジャンパーを来たオジサンが散弾銃を携えているのが見て取れ、“猟友会のヒト達であることが判明した。
近年倉橋島と能美島、江田島では猪が増えて、畑作物の被害が出ているとの事であった。私なぞの夜に山道を運転していると、たまにデカい猪が悠然と道を横切るのを目撃するのだけれど、“まだ人口が多い頃は猪なんか出なかったのにな”となんだかうら寂しく感じるのであった。こうれ過疎の島になっちまって久しいが、いずれはヒトが居なくなって辺りは草木の中に消えちまうのか、等と栄枯盛衰の想いに駆られてしまう。
それでも、眼前の光景は、静かな海辺の寒村風景であり、私にとっては馴染みのある平和的なものであり心を和ませてくれた。
そこで20分程度休息を取り、13;00頃に出発し復路を辿った。私の体調も良くペース配分を考えながら走ったせいか、必ず生じた両大腿部の痙攣は一度も生じず、107㎞を踏破。15;30分頃にゴールしたのであった。
この度の合宿は大成功と思われ、ある懸念を除いて「びわイチ」に向けて上々の準備が出来たと思われた。
(取りあえず、本項のお話はおしまい)
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