2017年3月10日金曜日

“青春の輝き” 21 years old after turning 30


「結構Carpentersが好きである」、などと50過ぎたオッサンが真顔で告白すると、周囲の音楽好きの連中はドン引きするだろうなw



私自身も音楽好きだった学生時代には、Carpentersの音楽は甘ったるいアメリカン・ポップスとして感じられてあの頃の志向に合わなかったし、こんな音楽聴くのはダサいと全く気にも留めていなかった。60年代から70年代の彼らの全盛期の頃は、ロック音楽やディスコミュージックなどが全盛で、そんな時世において彼らの音楽が、「自分の子ども達に聴かせても良い」とどちらかといえば青年世代よりも親世代からの支持が大きかったらしい。だから、血気盛んな青年(私も含めて)たちから敬遠されるというのも仕方なかったと思う。

1983年にカレン・カーペンターが突然死したことをテレビのニュースで見たことを覚えているが、当時私自身はあまり気に留めていなかったと思う。



後年社会人になった頃、何かのきっかけで彼女の死が神経性食欲不振症/ 過食症によるものであることを知り、彼女の穏やかで美しい声に潜むある種の翳りについて少しばかり理解出来る気がして、少しだけ知人にCDを借りて聴き直したことがあった。なかなか良いバラードが幾つかあって、少しばかり彼らの音楽を見直すようになった。



特に、カレン自身も好きだったと云われる「I need to be in love/ 青春の輝き(邦題)」の歌詞を見直すと、彼女の心のある部分と重なるような気がしている/ I know I ask perfection of a quite imperfect world and fool enough to think what I’ ll find……



さてその後時代は下り、嫁と結婚して間もない頃、義父からCarpentersのベスト盤CDを特に理由なく貰い、代々のクルマのステレオHDに取り入れて、時折聴くようになっていた。



機会は少なかったが、家族を連れてのロングドライブなどでは車内でかける音楽の重要なレパートリーになった。それこそ“子ども達に聴かせても安心な曲”として。



そしてさらに時代はもう少し下って、次男が中学高等校に入学後吹奏楽部に入ったのだが、彼らのバンドのレパートリーのひとつとしてCarpentersの「青春の輝き」がしばしば演奏された。特に卒業式の式典前のウェルカム音楽として毎年演奏されて、式に出席された親御さんたちからの評判が良かったらしい。




先日、次男が高校を卒業した。私は職場に少々無理を言って時間を作ってもらい、その卒業式に出席した。式典開始40分前に会場に到着し、次男の後輩たちが奏でるウエルカム・ミュージックを聴いていたのであるが、あの部員たちの中に次男が居ないことを確かめると少々感傷的な気分になった。そして、その演奏の最後から二番目に「青春のかがやき」が流れた時には、全く不覚ながら目頭が熱くなってしまった。



ふーむ、次男の10代の青春を想い、子育て真っ盛りの時代のことを振り返らざるを得なかった-振り返ってみると、子育て時代は私にとって第2の青春だったのかもしれない。



今朝、スマホを取り出してF.B.を開けてみると、「マサキさん、おめでとうございます~」じゃじゃーんみたいなノリで、F.Bチームから誕生日を知らせるメッセージがあった。

“別に目出度くも何ともないけれどね”とそのままにほおっておいたのだが、その後、幾人かの知人からそれぞれお祝いメッセージを頂き、流石に無視するわけにもいかず、それらのメッセージに返礼を返すべく、お礼を送った。その中のお一人にこう返事した。



“この頃は、書類なぞに自分の年齢を書き込むの時にぞっとする想いがしています。今後は、21years old after turning 30 at my ageとでも書こうかしら”と。



何気なく書いたつもりのメッセージだったのだが、はたとあることに気が付いてしまって、すこし気持ちが軽くなったような気がした。



「中年になってから、まだ21歳じゃないのw。中年の青春真っ只中なんだよね~。子育て時期を第2の青春だとしたら、中年になってからの20代は中年としての第3の青春を楽しめば良いんだよな」と。




そんなことを思い立って色々と連想が進み、次男と少々企んで、家内にちょっとしたプレゼントをしたのだった。

「ありがとう。これからもよろしく」と。

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