2022年4月4日月曜日

アメリカ音楽界隈を徘徊するのこと ~その1~

本日は、ここ数日の暖かい春の陽気から一転し、にわか雨と時折冷たい風が吹く少々荒れ模様の天候であったが、夕方から雨が上がり穏やかな西日が射している。

世の中の情勢(流行り病、ウクライナの戦争、そしてまたもや東北地方に大きな地震の発生など)に心を痛めつつも、幸いなことに私の身の周りには大事件は生じず、今のところは日常のルーチンを淡々とこなす日々を送ることが出来ている。

最近は、仕事の行き帰りやちょっとした余暇の時間を使って、アメリカのルーツミュージックを少しずつ聴いている。Ry Cooderのアルバム作品や前回紹介した「はじめてのアメリカ音楽史/ ジェームス・M・バーダマン、田中哲彦 著、ちくま新書」を水先案内人として、今まで聴いて来なかった音楽を貪るように聴きまくっている状態なのだが、敢えて各ジャンルを系統立てるのではなく、ブルーズに耳を傾けたかと思えば次にカントリー系を聴くような感じで、色々なジャンルに手を出している。それは音楽的放浪というよりは、徘徊の状態なのだろうと思う。ここでふと気が付いたのだけれど、こんなに音楽を無秩序に聴きまくっている状態って、ある意味「現実逃避」なのかもしれない。でも、こういう状況下であれば、それはそれで良いではないか。ふと、人生を全う出来ると仮定して、あとどのくらいの音楽アルバム作品に出会えるのか雑駁な計算をしたところ、アルバム1作品/1週間として(時間的、経済的な制約があるからね)月4作品、1年に48作品、平均寿命を考慮すると後1248作品程度となるらしい。これを多いとするかたったそれだけとするか。途中でアクシデントに遭遇すれば、この数はこなすことが出来ない訳で、いずれにしても、その時が来ることも覚悟しつつも、その時までは自分の目下の課題にこれまで通り取り組みつつも、楽しみもきちんと確保しておくことが大切だと思っている。

 前振りがいつものごとく長くなってしまった。そろそろ本題に入り、この度は前回のブログ以降に聴いて来たアルバム作品について振り返ってみたいと思う。

 

1. Classic African American Gospel from Smithsonian Folkways


以下、私が知ったかぶりをして記載する内容については、全て先に挙げた「はじめてのアメリカ音楽史」からの引用である(著者のお二人に感謝)。

Gospelとは、good spell = good news であり日本語でいうところの「福音」なのだそうな。その音楽の源を紐解けば、アフリカから奴隷として強制的に連れて来られたアフリカ系アメリカ人の苦難な歴史を背景にしているのだけれど、その人々をプランテーション主がキリスト教(主にプロテスタントのメソジスト派やバプティスト派)に改宗させる過程があった。一方で18世紀前後に米国内において信仰復興運動があり、主にキャンプミーティング(野外集会)において、説教する者とその説教を聴いて、祈ったり、叫んだり、慈悲を乞う者がいた。そうした宗教的情熱が、即興の歌に転化し、身振りを伴い始め、その場に居た者たちの興奮の渦となった。Call and response, シンコペーション、唱和などの音楽的特徴は、アフリカ系アメリカ人の生み出した音楽的特徴なのだが、ヨーロッパ系アメリカ人がもたらした讃美歌の影響を受けつつ、イエスキリストを讃える音楽としてのgospelは、「希望の音楽」でもあるらしい。この音源では、録音年代は新旧混じっていて、より原初的なもの、黒人スピリチュアル音楽的なもの、現代でも我々が時々聴くことが出来るようなアンプリファイドされたものまで聴けて、多少なりとも民族音楽に興味のある私などは大変興味深かった。民衆への布教活動・その心を掴む手段として音楽というものが大変重要な要素なのではないかと、ふと仏教徒(浄土真宗)に属する私などは思ってしまった。蛇足として述べるならば、浄土真宗のお経(仏説阿弥陀経、正信偈など)を聴いていると、Gospelとはずいぶん違うけれども、その節回しや、必ず「南無阿弥陀仏」と唱和するところなどは音楽的だなあと以前からずっと思っていた。

 

2.The essential Mahalia Jackson/ Mahalia Jackson

 


マヘリア・ジャクソンは、「ゴスペル界の女王」と称されるゴスペルの代表的歌手だそうである。ニューオリンズ生まれ、貧困の家庭で生まれ、幼少期より教会の聖歌隊で歌っていたそうで、
16歳の時にシカゴに移住しホテルの洗濯女、メイドなどにつき日々の糧を得つつ、シカゴの聖歌隊で歌っていたところ、その才能を発見されゴスペル歌手として花を咲かせたと。後に60年代の黒人解放運動にも尽力し、1963年のキング牧師の「私には夢がある」の一節で有名な「ワシントン大行進」に参加、登壇しその歌声で全米から集まった5万人の黒人聴衆の気分を高揚させたのだとか。実際に、この音源に耳を傾けていると。その力強く澄んだ歌声に引き込まれそうな説得力を有しているのが分かる気がした。理屈やテクニックではない、それは肉体に宿る魂を根源とした強い意志としか言いようがないのだろう、何かの音楽媒体を通して聴くよりも、野外でも良いし劇場でもよい実際の生で聴くことが出来たなら、もっと心を強く動かされただろうなと思う。

 

 ただ、正直に告白すると、このアフリカ系アメリカ人による音楽なるものに対して、私の感受性には限界を感じるのも確かなのである。私が音楽を聴く態度(聞き流し、環境的な一部として音楽を聴くことが多い)に馴染みにくいことや、それからこれは本当にどうしようもない事だしどこかで気恥ずかしさもあるのだけれど、私の体質に馴染まないようである。このヒトの音楽性に大いなる敬意を抱いているのだけれど、彼女が残した音楽を私の日常生活の御伴(つまりへービーローテーションで聴くこと)とすることはないだろうなあ。この素晴らしい音楽を私の体質が受け付けられないことに対しては、我ながら情けない事と感じているのだが。

3.The Best Blind Blake/ Blind Blake

 


ギターによるラグタイムを確立したヒトらしく、
1926年から1931年の演奏を収めた音源。演奏を聴いていると、曲の構成力の卓越性、抜群のリズム感、そしてブルージーな歌声に引き込まれてしまう。

 ゴスペルが「聖」なる音楽であるのに対して、ブルース(ズ)は「俗」の音楽であり、政治的なメッセージもなければ歴史的事件に対するコメントはない。ひたすら個人的な苦悩を感情的に述べる、性愛的な事柄を歌っているらしい。そこには生身の人間としての在り方が表されているのが魅力的であり人々の共感を生んでいるのだろう。

 このブラインド・ブレイクの演奏は、どこか卓越したギターテクニックも魅力的なのだが、その曲想が軽快で明るくあり、私のようなものでも非常に楽しめる演奏になっている。何だか、1920年代に生きたディープサウスのアフリカ系アメリカ人の息遣いが聞こえてきそうである。この音源は何度繰り返して聴いても楽しめて飽きがこないと思えた。そうだな、敢えて例えるなら、サッチモの音楽に共通しているところがあると個人的には感じられた。

 

4.King of the Blues/ Blind Lemmon Jefferson

 


ブラインド・レモン・ジェファソンは、ブルーズの初期段階のカントリーブルースと呼ばれた頃の先駆者の一人らしい。テキサス州出身。メロディの繰り返しが多いが、この辺りがカントリーブルーズの特徴らしく、その歌声は力強く、ブラインド・ブレイクに比べるとより感情的のように映る。個人的な好みは別にしても(笑)、ブルーズの初期段階を知るにはとても良い音源だと思った。

 ブルーズの歴史の流れを雑駁に整理すると、ミシシッピ川のデルタ地帯で生まれ(デルタ・ブルース)、それが南部の都会メンフィスに出て(メンフィス・ブルーズ)、1930年代にアフリカ系アメリカ人の大移動もあり、北部都市のセントルイス、シカゴ、デトロイトへ広がり(シティ・ブルーズ)、大戦後アンプリファイドされた演奏がシカゴを中心に広がり(シカゴ・ブルーズ)となって、その後はモダン・ブルースと呼ばれるようなものになるらしい。

 レモン・ジェファーソンは、電気ギターを取り入れた先駆者の一人でもあるらしい。次に述べるマディ・ウォターズにしてもそうなのだけれど、聴き手/ 評論家は、その特徴を表現するために、デルタ・ブルーズなどシカゴ・ブルーズなどとジャンル分けしてしまう訳だけれど、演奏する方はそのキャリアの中で色々な音楽表現や手段を取り入れていくわけで、ある意味で独りの演奏家をジャンル分けをするのは意味をなさないのだろうと思う。また、米国音楽の発展において、アフリカ系アメリカ人の存在は大変大きく、彼ら無くしては現代の米国音楽の隆盛はなかったことには間違いがないのだろうけれど、ヨーロッパ系の移民が持ち込んだ音楽・讃美歌、バラッド、音楽理論と交わることがなければ、彼らの音楽自体も発展しなかっただろうと思わる。

5.The Best of Muddy Waters/ Muddy Waters

 


マディ・ウォターズ(
19131983)は、デルタ・ブルーズからシカゴ・ブルーズへの橋渡し役を担ったヒトらしい。この音源は19481954年までの彼の絶頂期の演奏を収録されたものらしい。彼は、戦後南部からシカゴに出てエレクトリック・ギターを手にし、また、ブルーズ・ハーブ、ベース、ドラム、ピアノなどのエレクトリックバンド編成を確立、ソリッドなビートとドライブ感を生み出したという。また、50年代の英国の若者たちが彼の演奏に夢中になったそうで、その中に後のローリングストーンズがいたのだという(これ全部受け売りですw)。

 実際に彼の演奏を聴いてみると、私がイメージするブルーズってこんな演奏だと思えるものになっている。所謂泣きのギター、ブルージーなハープ(ハーモニカ)、泥臭さを感じる濁声のヴォーカル、ははあ、これがシカゴブルーズなのだな、これを当時の英国や米国の若者を魅了したのだな。ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドも幼いころから聴いて魅了されたのだろうなと。

 ブルーズの歴史を辿るのであれば、次にあの大スター、BB・キングの音源を求めていくべきところなのだけれど、シカゴ・ブルーズまでたどり着いて、何故か再びデルタ・ブルースに舞い戻りたくなってしまった。

この辺り「音楽放浪」ではなくて、あくまでも「徘徊」なのですw。どうももうしばらく南部辺りを徘徊していたい。本当は、既に主にヨーロッパ系移民たちが作り上げたカントリー/ブルーグラス、フォークにも手を出していたのだけれど、それはまた後日述べることにして、この度は最後に次の音源を紹介して終わりたい。

 

6.Classic Delta and Deep South Blues from Smithsonian Folkways

 


どうも私には、ブルーズのなかではデルタ・ブルーズ
/ ディープサウスブルーズと呼ばれるものが肌に合うらしい。アンプリファイドがなされていない楽器で、歌詞の内容はべつにしても、どこか洗練されていない素朴な雰囲気が漂うのは土地柄ゆえなのかもしれない(ただし、当時の彼の地でアフリカ系アメリカ人の置かれた立場は、差別・貧困・暴力など過酷としか表現しようのないものだけれど)。彼らの演奏にはなにか不思議と心に直接響いてくるものがある。Son HouseBukka WhiteBig Joe Williams 等々、まだまだ聴いてみたいレジェンドがいる。都会のブルーズは遠慮して、折に触れて彼らの音源を見つけ出して聴いて行こうかなと思っている。

 しかし、Smithsonian Folkways という団体。色々検索しているとよくヒットするのだけれど、随分興味深い音源を保有している団体のようで、凄い。この度はCD化されたものApple musicからダウンロードしたのだけれど、この団体のホームページにたどり着くと、豊富な音源が有料ダウンロード出来るようである。あれこれ手を出してみたい音源があって、ちょっと危険であるw/ 私の小遣いでは限界がすぐ来そうなので、今後新たな音源を求める際にこのサイトを利用するか否か非常に悩ましい。際限がなくなりそうw

 

この度は、以上に留めておく。次は、ヨーロッパ系移民が生み出した音楽界隈を徘徊してみたいと思っている。

 

(つづく)