2018年3月27日火曜日

朝練とちょっとした思案と


322日より、天候が安定し連日快晴が続いていた。幸いにしてその週末は休日が取れていて、日曜日にはどこか自転車走行に出かけようと思っていた。

週末が近づくにつれて、イチロウから「マサキは良いな。何処に走りに行くんだ。ちきしょう、オレの分まで走ってくれろ」などとツッコミが入っていた。彼には家族サービスの予定があるらしく自転車に乗れないとの事で、私としてはニコニコと笑みを返すしかなかった。

ところが幸か不幸か、325日の日曜日は、彼の家族サービス予定が変更になってしまい、彼は自転車に乗れるようになったのだが、今度は私の方が家族サービスに時間を割かなければならぬ状況になった。

「それでは」ということで、その日曜日は早起きをして午前6時から午前9時までの予定で共に朝練をしようということになった。私は、予防線を張るべく、家族にその予定を言い含めておいた。

当日、午前550分に覚醒し起床。するりとベッドから起き出して、夏物ジャージに冬物ジャージ上下を着用し、615分に出発。

当日のコース予定は、西区田方~安佐南区大塚~伴南~戸山地区~湯来・湯山街道沼田分れ~極楽寺山の峠越え~廿日市市市街地を経て帰宅するルートで、約54㎞程度距離だった。

午前650分頃に、大塚駅界隈でイチロウと合流。伴南から戸山地区を抜ける峠に差し掛かるが、意外にも昨シーズン何度も上った坂なのに、登坂がキツイ。“こんなにこの坂きつかったっけ、こんなに長かったけ?”数か月経つと、全く感覚を忘れている。ペースキープを意識してペダルを漕ぎ続けた。イチロウは、私の後を着かず離れず静かについて来ていた。この坂は、残りの3分の1が急勾配になっていて、毎度この勾配に苦しめられるのだが、この度はまるで初めて上がった時のように苦しんでしまい、僅かではあるが蛇行してしまった。

それでも何とかこの坂を征服し戸山地区まで一気に降りたのが、720分頃。

三叉路を左折し、湯来・湯山街道・沼田分れを目指す。ここからしばらく左右に田圃風景を楽しみながらダラダラ坂を登坂、なるべくインナーを使わず且つ失速をしないように意識しながら上がって行くのだが、ここも記憶していたよりも勾配がきつく長く感じられた。

“己の感覚的記憶って当てにならねえ~”

スイスイとは言わないまでも、去年の夏頃はそんなに辛くなかったのにねえ。この12月は、寒気と降雪で山坂道を回避せざるを得なかったこと、そして何よりも脚の故障で自転車に乗る機会が余りなかった。その影響で、随分脚力が落ちてしまっていたんだな。

この緩やかな勾配を持つ峠を上り切ると今度はなだらかな下り坂になっている。両脚を休ませるためにペダルを廻すのを止め、自然に任せて下って行ったのだが、どうも自分の覚えている感覚よりもスピードが出てしまう。あれ?スピード感覚も忘れている。

今シーズンは一からやり直しかいな…….w.”

湯来・湯原街道の沼田分れの三叉路まで下ってきたところで、小休止。時刻は午前750分頃。ここまで行程は順調と言えば順調であったのだが、当初の時間的目算を過ったのか、これからがこの朝練のメインイベントである極楽寺山の峠までの登坂が残っているのだが、この峠を越えて午前9時までに帰宅するのはどうあまく見積もっても無理だと思われた。



イチロウが気にしてくれて「どうする?」「引き返すか?」と私に尋ねてくれたのだが、来た道を引き返しても軽く1時間半かかってしまうだろう。この湯来湯原街道を下り五日市に出て帰路に着くの手もあったが、それでは全くつまらなかった。この度は極楽寺山に上がるのが主目的であり、それを逃すのは如何にも残念なことであった。

自転車野郎は、そこに坂があるから上るのであって、坂を目の前にして下るのは、表現が難しいけれど、何もしなかったことに等しい。暫くは挫折感を味わい後悔の念に苛まれるだろう。そうかと言って、帰宅に遅刻してしまえば、ちょっとした家庭内不和になるのは必定であり、その日半日は不快な気分で過ごすことになりそうだった。こんな良い天気の日に、女房の小言を聴きながら過ごすのも不愉快である。

“どうするべ…….”イチロウも心配な顔つきをして私を見ている。引き返しても1時間半かかり、30分の遅刻、進めば……。登坂を30分、下って廿日市のバイパスまで15分弱、そこから帰路に着いて30分だとすると、15分の遅刻か……….。うむ?たった15分の遅刻なら、許容範囲か………..w

“引くも地獄なら、進んで峠を突破してしまおう、その方が後悔せずに済みそうだわいw”嫁さんの顔が脳裏に浮かんだが、頭の中に浮かんだその表象を振り払った。

「イチロウさ、行くべ。峠さ越えるべ。」「但し、ピークまで30分で乗り切るべ。」

イチロウ、「本当に良いのか?」と尚も心配そうに問い返すも、私が簡単に目論見を伝えると、早速バイクに跨り出発の準備に取り掛かった。「正面突破して帰還せん!」ということで、極楽寺山への登り坂の登坂を開始したのが、午前8:00だった。

この坂道、やまの稜線の間を縫うように走っているのだけれど、山陰になっていて陽が当たらずとても寒かった。ダラダラ坂から始まって、やがて勾配9°くらいの直線箇所が1/3くらい、集落に入ると道幅が狭くなって勾配は穏やかになるのだが、最後の1/3くらいは針葉樹林を縫うように少し勾配がきつくなる。当初は、私が先行し、それにイチロウが付き合うように上っていたが、直線箇所になって私のペースが落ちると、彼はダンシングしながらペースを上げてやがて姿が見えなくなった。

普段であれば、イチロウに千切られると、精神的なダメージをくらい失速してしまうのであったが、自ら設定した30分で峠まで上り切るという動機があったため、自分のペースキープに徹することで、精神的なダメージは然程感じずに済んだ。黙々とペダルを廻し登坂を続け、峠に達したのが、丁度830分。

先行したイチロウは、峠の見晴らしの良いところで待ってくれていた。私も自転車を停め、峠から南に展望できる廿日市市街地、瀬戸内海、そして宮島の景色を眺めた。空は晴天で空気は澄みわたり朝の冷気は気持ち良かった。暖かい陽光が体を包み込んでくれてい、下界は陽の光で輝きを増していた。脳内にエンドルフィンが沢山分泌されていたのだろうけれど、何とも言えぬ充実感と高揚感があった。

しばらくこの光景を眺めながらイチロウと何事が語っていたかったが、残念ながら先を急がねばならなかった。恐らく1分も止まらずに、下り坂を下って行った。最初は木立の中のつづら折り部分を対向車に気を付けながら、ブレーキをかけてゆっくりと下り、やがては道幅の広くなるものの勾配のきつい下り道に進んだ。

この勾配のきつい下り坂、距離にして100150m程度の坂に差し掛かった時に、ふと“ここもこんなに勾配がきつかったのか、よくもまあ去年は何度も登ってきたもんだ!”と思った瞬間に、急に笑いが込み上げてきた。昨シーズンは、こんな急な坂に好き好んで上がってきたのだから。毎回キツイキツイと思いながらも、この坂の登坂を繰り返した。また、今シーズンも“苦しい”と思いながら何度も上がってくるんだろうな。ホントに我ながらバカだと思う。他者に「そんなにしんどい想いをして坂道を上るのが、何が楽しいの?」と聴かれても、納得され得るような答えを未だに持っていない。

ただ、苦しい想いをして山坂道を上り峠に達した時の達成感、そして下界を眺めた時の高揚感、下り坂を空気を切って滑走していく時の爽快感、それから山坂道から街に帰還する時の充足感(ホールディングされたような感覚)、これらは多分他のアウトドアスポーツでも体験できるような内的体験の話であり、自転車特有の体験ではないのだけれど、私の場合はたまたま自転車を通じて体験した。多分これからもこの感覚的体験を求めていくのだろう。

さて私たち二人は順調にその坂道を下り、やがて廿日市を横切る西広島バイパス辺りまで降りて来た。午前9時を周り、春の陽光が益々強くなって辺りを照らしていた。交通量も増えてい、気持ちの良い朝に人々が其々の活動を開始しているようであり、その街の賑やかな活気が我々を迎えてくれているようであった。

西広島バイパスを横切る交差点の信号待ちで自転車を停めた時、私が後ろに付けたイチロウを振り返り、「何だか俺たち早朝のお勤めを終えた修行僧みたいじゃねw?」というと、彼も私の感覚を理解してくれたみたいで「ホントじゃね」と笑顔で応じた。

その後、私たちは多くを語らず、東へ延びる裏通りを全力で駆け抜け、それぞれの家庭に帰還したのであった。

おわり

(追記)

私の帰宅は午前915分頃、ほんの少しだけ家族の雰囲気は怪しかったものの、なんとか予定通りの家族サービスに取り掛かり、最後はニコニコ状態で1日を終えた。めでたしめでたしw

2018年3月21日水曜日

本格的な銀輪シーズン到来w!~その2~


318日(日)、時間にして3時間、65㎞程度自転車走行す。

前々日より晴天となり、気分は自転車でどこかへ出かけたくなった。職場から島伝いに南下して、倉橋島へ渡り本浦地区・桂浜まで走ることにした。

当日の天気は曇り、気温16/ 4℃、西からの風あり。着用ジャージをどうするか少々悩んだが、最終的に半袖ジャージの上に冬用ジャージを羽織り、シューズに防寒カバーを着用した。




午前10時ジャストに出発。

往路は、26.7㎞。江田島宮ノ原地区から中央地区に抜けるなだらかな2㎞程度のアップダウン、早瀬大橋の1.5㎞程度のなだらかなアップダウン、そして倉橋の宇和木地区から本浦地区に抜ける峠道約3㎞弱のアップダウンがある他はほぼフラットなコース。右斜めからの向かい風を受けながら走行。途中、父子連れ一組、単独1組、10数人程度の集団一組のツーリング者を見かける。近年この界隈は広島や呉からのサイクリング愛好家が多数やってきて、ちょっとしたサイクリングのメッカとなりつつある。

私は、順調に気持ちよく南下を続けた。この度の主目的は倉橋島宇和木地区からの峠道を上ることであり、大げさに言ってしまえばこれからのサイクリングシーズンに入る当たっての己の力量をこの坂で推し量って置こうと思った。

以前は、早瀬大橋のループ坂を上がるのでさえ辛かったのであるが、無理なく良いペースで上がれたのに気を良くして、宇和木地区を目指す。この頃になって、両脚の程よく暖まりコンデションが整ってきた。

宇和木地区の交差点を過ぎしばらくすると峠坂に差し掛かるのであるが、早めにギアをインナーに入れてケイデンスを一定に保つべく意識してペダルを廻した。両脚にかかる負担感は以前と変わらない感じであったが、自分の中では順調にピークに達することが出来き良い感触を得ることが出来た。


そのまま本浦地区まで降りて、浜辺の通り沿いにある食堂「かず」前に到着。時間は午前11時過ぎ。往路の所要時間:01時間2分。当初の見込みよりも随分早く到達。ここに来たら「かず」で定食を食べながら休息を取ることが楽しみなのだけれど、限られた時間の中でもう少し走行距離を稼ぎたい。“睨みかず”をしながら、携行のアミノサプリと自販で刈ったコーラのミニ缶で水分と栄養補給とし、10分程度の休息後復路に入る。


復路は、本浦地区から海沿いに左に瀬戸内海を観ながら宇和木地区までの17㎞弱を含む39.1㎞。本浦地区から宇和木地区までの海岸に沿った道は、浦の集落を結ぶ上下の勾配が結構きつい道だった。幸い自動車の交通量が少なくクルマの往来を気にせずに走行でき、目の前の上り坂に集中したり、時々左に広がる海を眺めながら気分を紛らわせたり、走っていて楽しかった。良い練習コースになりそうで、次回こちらに来る際にはこの道を使おうかしら。この道を走行している間に、サイクリングで単独走行のヒト二組、10人弱のグループ一組とすれ違った。結構皆さんこの道使ってるんだな。



手元の時計で、本浦―宇和木地区間は45分で通過。そこそこ良いペースで走れた。ただここの辺りから、腰痛と両脚疲労感、それに空腹感を感じ始めていた。この地区から往路でたどった道を北上していったのだが、風が左前方から吹き体に更なる負担感を感じさせた。

随分ペースダウンしてしまったのだが、昨年12月にBORA ONEなるカーボンホイールとPIRELLIタイヤに交換したのだが、これらの足回りのなせる業なのだろうけれど、前への推進力が落ちずに進んでくれる感触あり。大げさに言ってしまえば、疲れた両脚をマシンが許してくれない-もっと進めとマシンが体に応答している感じで、これには参ったw。以前から気になったけれど、マシンの性能に己の体力がついて行っていない感じなのだ。まだまだ鍛えないといけんわいと大いに反省する。


江田島中央地区まで戻って来た時点で、空腹と疲労がピークに達し、同地区内にあるコンビニで栄養補給(プリン、おにぎり一個)と休息を取る。しばらく駐車スペースにしゃがみこんで休息し腰と肩をストレッチし、再出発。



ゴールに着いたのは、午後1時ちょっと過ぎ。

休息を含めて走行時間3時間、距離65㎞。獲得標高往路367m、復路628mということだった。手前勝手な印象だけど、“シーズン初めのコンディションとしてこんなものか”と、まずまずの手ごたえを得ることが出来た。

(おわり)

本格的な銀輪シーズンの到来w! その1

3月に入り急速に気温は上がり、昼間の最高気温が20℃近くまで上昇、梅の開花が例年に比べて遅いような印象を持っていたが、3月下旬には桜の開花予想が聴かれるようになった。思いのほか急速に本格的な春が近づいているようである。

先週始め、311日にびわイチに参加したイチロウが出勤してきて、びわイチでの様子を断片的に報告してくれた。



彼曰く「あのな、ヤマグチ君が滅茶苦茶速くなってたぞ!オレとかジロウを完全にジジイ扱いなんだよw。スゲー飛ばしてな、各エイドステーションで、俺たちに大丈夫ですか、大丈夫ですか?なんて、気を遣いやがってな……w 本人は『そんなに練習していない』って言ってやがったけれど、よく見ると自転車に電動・無線ギアに着けていて、あれで走ってないわけないだろうが!って思ってさ。」「もう次回は、リベンジしてやらんといけん。そこでだなあ、次回はこちらもリーサルウェポン出すからなと言ってやったんだ。だから、マサキ乗鞍までに磨いておけよw!」


私「え?なんでオレがリーサルウェポンなのよw。俺が乗鞍ヒルクライム出るの、言ってしまったのかよ。黙っとけって言っただろ?。」

イチロウ「ああ、言った言った。大いに言った。だって悔しいだろ?ヤマグチ君をぎゃふんと言わせんといけないだろ。ジジイ扱いされたんだぞw。」

私「オレはジジイ扱いされるの別に良いんだけどねw。まだ乗鞍走ったことがないし、完走できるかもわからないんだぞw」

イチロウ「良いから、良いから。これから夏までに鍛えれば大丈夫だってw だから気合入れてトレーニングするぞ!目にもの見せてやるわw」

そんな具合で、8月下旬に開催される乗鞍ヒルクライムに向けて自転車練習に励むことになった。標高差1000ml程度、距離にして20㎞、上り勾配47°途中1013°の激坂箇所が複数あるコースを私はこれまでに経験したことがなく、果たして上り切ることが出来るのか?現実的に考えれば考える程、今の自分には無理なような気がしてならない。

イチロウは、びわイチから帰って以来意気軒昂で私を焚き付けるように、「なーに、80分から120分くらい我慢すれば良いのだから、ロングライドに比べたら勝負は速いんだからさ。大丈夫だって」などと宣う。

そう言われてしまうと、「そんなものかね」と相槌を打つしかないのだが、イチロウの「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ」が曲者でw、彼の言うように彼自身にとっては大丈夫で且つ私自身にとっても結果的には何とか『大丈夫』であったとしても、その過程で何度苦しい想いをしたことか…..w そんな私をみて、彼は「予定調和的に旨くいけば良いんだよ」などと独り納得しているのだ。

兎にも角にも、イチロウは乗鞍ヒルクライムに向けて普段よりも増して自転車のトレーニングに力を入れ始めた。その傍らで私もうかうかとしているわけにも行かなくなったので、少しずつ自転車に乗り始めたところである。週2回程度のローラー台でのペダリング、週11時間程度の坂道走行、(出来れば、月16080㎞走行)などのルーチンとしたいと思っている。



さて、今シーズンはどんな銀輪シーズンになることやら。何度も大汗をかいて激しく脈打つ鼓動を感じならが長い上り坂を漕ぎ上がって行く己の姿を予想するのであるが、そうした苦しみも想像しながらも、一方で、登った後の達成感を味わいながら気持ち良く風を切って下って行く視覚的表象も脳裏に浮かんで何とも言えぬ愉快な気分も沸き起こってくるのであった。

(追記)
上に挙げた品々は、びわイチに参加したイチロウがお土産としてくれたもの。

1)しがふなずしキャラメル
 私がびわイチをドタキャンした“ペナルティー”として、イチロウ・ジロウ達が買ってくれたという。想像していたよりも、匂いは気にならず。ヨーグルト味に少し醤油のような出汁のようなコクがあって食べていて楽しい。滋味豊かでなんだか元気が出てくる。自転車走行に携帯して栄養補給に良さそうだ。イチロウ、ジロウ、ヤマグチ青年、楽しい“ペナルティー”をありがとう

2)小鮎のオイル漬け
 これはイチロウからのお土産。オイルサーディンに似ているけれど、これは塩分控えめで、はらわたの苦みがウイスキーに合うよとはイチロウの感想。早速試してみたのだけれど、確かに合うw!オイルサーディンに比べると、その肉は柔らかく塩分控えめ。 オイルサーディンをイメージすると塩分が足りないような気もしたが、これ以上の塩分や味付をしてしまうと却って鮎の風味を破壊してしまう事になりそうで、ギリギリの味付けのような気もした。すこし、淡水魚独特の風味が気になるようであれば、柑橘類の汁をふりかけるか、黒コショウを振りかけても良い気がする。私は、後半アクセントつけに黒コショウを振りかけた。とっても美味しかった。春の近江へ誘われているような幸せな気分になった。イチロウのセンスに脱帽、本当にありがとう。


2018年3月19日月曜日

この春と義理と~その3~


310日に開催された上司の退官記念祝賀会に出席し、同日は岡山市内にある家内の実家に宿泊した。

家内は実家の用事がある度に帰省していたのであるが、ここ数年子どもの受験があり、家族そろっての妻の実家への帰省・訪問が出来ずにいた。改めて思うに“義理”を欠いていた。

それならば、この際義父母への義理もこの際果たしてしまおうと、義父母宅へ1泊お世話になることにした。

その夜は、義父母宅への到着が午前0時を過ぎていたので、そのまま爆睡。

翌朝午前8時に起床し、今に入ると義父が既にテレビを見ていた。「昨日退院したばかりでなあ。まだ微熱が出て気怠いよ」という。見ると本人は病み上がりといった雰囲気で、顔がむくみ気怠そうに体を動かしている。「せっかく来てくれたのに、相手が出来そうにない。すまんねえ。」という。

何か義父孝行にお相手をせねばと想いつつも、本人の様子から一日ゴロゴロと横になって休んでいた方がよさそうだと察した。義父よりの「折角良い天気だから、皆でどこか遊びに行っておいで」と言葉に甘え、妻、次男と岡山の児島地区までドライブすることにした。

外に出ると、空気はひんやりとしていたが晴天で誠に気持ち良し、絶好のドライブ日和であった。岡山らしい風景を楽しみたいと思い、県道の児島・水島線なる道路を選んでクルマを進める。この道で妹尾駅付近を過ぎると、両側には田園風景が広がり眺めていて目に優しい、広い岡山平野を実感できる。しばらくぶりに走ってみると、住宅や商業用建物が増えてはいるが、まだ耕作地は残されていて、岡山の地が実り豊かなところであることを教えてくれる。




11時過ぎに児島駅近くの喫茶店「イーハトーブ」に到着。20代の学生時代によくここに通ったものだ。ケーキと紅茶の美味しいお店で、岡山市内からのドライブの休息に利用したものだった。店内に入ると、見覚えのある女性が我々を笑顔で迎えてくれた。確かこのヒトあの当時からいた筈、30年近く経っているのか、ずっとこの店を切り盛りしてこられたんだなと思うと、感慨深いものがあった。昨今個人経営の喫茶店が少なくなっているように思うのだけれど、そう云う意味でもこのお店は貴重だと思う。

店内のテーブル席の一画に座らせてもらい、3人が其々ケーキや紅茶、パフェなどを注文した。

私たちの後から少しずつ、他の客が入店し始める。私よりも年配の男性、中高年の女性グループなど、微妙に年齢層が高いw。若いヒト世代には喫茶文化はないのかしら….、そうなのかもね。




店内の調度や久しぶりの次男との会話を楽しみながら、運ばれてきたスコーン、ケーキを食べつつ暫し寛いだ時間を楽しみ、その店を離れる。



次に向かったのが、児島ジーンズストリート。岡山県児島地区は国産ジーンズの生産で有名で、近年では児島ジーンズとして売り出し、愛好家には有名となっている。私はジーンズへのこだわりはないけれど、でもこんな風に愛着のある街が地元の産品で全国的に売り出していることは喜ばしく、その様子を観てみたいと思った。




児島市街地商店地区から旧野崎邸に繋がる小路に大小のジーンズショップが点在。私のしるブランドとしては、BIG JOHN、桃太郎ジーンズなどがあり、ぶらぶらと通りを歩きながら、その2店舗に入ってみる。濃紺のデニム生地に糊がばっちり決まったジーンズは格好良く見えたが、その値段を見てびっくり! これは普段履きには使えませんw ファッションセンスのある方が着用したらよさそうで、私などのような服飾にセンスなく物ぐさなオヤジには必要のないものに思えた。

でも店舗や通りにはジーンズ好きのオジサンや若いカップルも多く訪れていて、このジーンズストリートと売り出している商工プロジェクトが成功することを密かにいる想いだった。

その次に向かったのが、妻のリクエストで児島地区から玉野市に海岸沿いに走ったところにある王子が岳の展望台。若い頃10代から30代前半にかけて岡山に在住しこの界隈には頻繁に来ていたのに、この山の展望台に上がるのはこの度が初めてであった。




展望台付近を散策しながら、春の瀬戸内海を眺めるのは誠に気持ち良かった。穏やかな日差しを浴びて水面が輝き、視界のずっと先には瀬戸大橋が遠望出来た。




山の一区画を利用して公園化されており、その遊歩道を数分歩くと別の展望台があり、その近くの急斜面ではパラグライダーを楽しむ人たちがいた。海側から山の斜面に向かって吹く風を利用して上昇していくパラグライダーのゆったりとした動きが何んとも気持ちよさそうであった。妻は独身の頃の想い出を私や次男に楽しそうに喋っていたのであったが、先に書いたように私はここに初めて来たのであり、彼女が当地で作った楽しい思い出を誰と作ったのかはこの際詮索しないでおこうw。


今回は、普段は私の誘いに乗ってこない次男が珍しく一緒にドライブに出かけて来た。このドライブの間、奴は口数少なく私や妻の手前勝手な思い出話にも付き合っていたが、一体何を思いながら親が連れまわした景色を眺めていたのだろう?

この1年浪人生活を送り、早々と浪人生活2年目を過ごすことが決まってしまい、普段は楽天的な物言いする奴も今回は流石に意気消沈しているようにも見えた。私も学生時代に大小の挫折を味わったことがあるが、春先の海をぼんやりと眺めて気持ちを取り直した(取り直すことが出来た)ことがあった。この風景が、奴の気持ちを少しでも穏やかにしてくれたなら良いのだがと、時々私の視界に入るその横顔を眺めていた。

夕方近くになり王子が岳から下りて、しばらく海沿いの道を走って玉野に向かいそこから国道30号線を使って岡山市内に戻った。

私が、「国道30号線の両側に広がる平野と田圃の風景が若い頃から好きだったのだよ」と助手席に座る次男に話しかけると、奴め柄にもなくしみじみとした様子で、「今日のドライブは本当に楽しかったよ」とボソリと呟いたのだった。

(おわり)






2018年3月13日火曜日

この春と義理と~その2~


3月10日午後4時過ぎに、上司の退官記念祝賀会が開かれる倉敷国際ホテル前に到着。倉敷駅前通りを歩いたのは何年ぶりのことだったろう。随分と街の風景が変わっていた。通り沿いには何軒かホテルが立ってい、この街を訪れる観光客も随分と増えているのだろう。大原美術館を中心に美観地区を残そうとした大原さんはエライ。会が始まるまで少しあるので、美観地区の端を少しだけ歩く。



午後430分前に会場のホテルに入り、受付を済ませてロビーで待っていると、同じくその上司のゆかりのある方々-懐かしい先輩、同輩、後輩の姿があり、手短に挨拶を交わす。




午後430分より、第一部としてその上司の記念講演あり。20年前に赴任してこられたころと変わらない容姿と穏やかな語り口に接し、その当時の事を思い出す。その当時の苦い思い出や、楽しかった思い出が蘇り、感慨深いものがあったけれど、こうして20年経て現在の己を省みると、その上司に対する感謝の念が改めて込み上げてきた。



記念講演の後、記念写真撮影があり、懇親会へと進んだ。

その会の準主役たちは、来賓扱いのその上司の先輩や同輩の方々と現在の直接の部下たちのような雰囲気となっていたこともあり、その上司への挨拶を遠慮した方がよさそうに思われて、同じテーブルに着席した年代の近いヒト達と歓談する。どの面々も数年から10数年ぶりの再会でちょっとした同窓会となる。来賓からの祝辞は、どれもその上司の若かりし頃の興味深いエピソードが散りばめられてい、それらから察せられるその人柄は赴任後の立ち振る舞いと共通するところがあり、大変興味深かった。私なりに総括すると、優しい方ではあったが、青年期の気分を色濃く残しエネルギーに溢れた方だったのだと思われた。

 

 その上司が赴任されて定年を迎えられるまで20年、そのヒトにとっても一区切りとなられたのだと思うが、私にとっても何やら一区切りのような気がする。漠然と何らかの形で70歳くらいまでは働くつもりではいるのだけれど、これからの20年どのようにやっていこうか?

 因みに、その上司の後任は私と全く同じ年のIさんで、一緒に働く機会はなかったものの、私の恩師のお弟子さんーつまりは兄弟弟子みたいな存在だった。彼は若い頃から優秀の誉れが高くエース的存在だった。人柄も明るく周囲への目配りが行き届き、物事の処理にそつがなく、グループにおいてはリーダーシップの執れるヒトだった。その上司の後、その部門を率いるにはうってつけと思われた。同輩の私でも素直にそう思えていたので、彼の次期部長就任には心からの祝福を持ってそのニュースを聞いた。懇親会途中で、彼に接する機会が有ったので、「おめでとうございます」と挨拶をすると、「またー、マサキさん。」とむにゃむにゃと笑っていた。「ボクは力ないけど、私設応援団のつもりですから」と続けると、「分かった。分かった。」と更に笑っていた。彼や私の年齢からすると定年までは後10数年であり、彼の活躍を間接的に眺めていくことになるのだろうけれど、彼ならば大きな仕事をされそうで、心からその前途を祝したい気分であったし、私も『自分の居場所』で頑張らねばという気分を持つことが出来た。



上司の退官記念祝賀会は、和やかなうちにお開きとなり一同解散となったところで、その上司にご挨拶に赴く。「本当に楽しい思い出をありがとうございました。私の人生にとって宝物のような日々でした」と挨拶すると、その上司も「いや、マサキ君、ありがとね。楽しかったよ」と応じていただいた。

本当にどうもありがとうございました。



その会には2次会も設定されており、いつもだと2次会出席を遠慮していたのだが、最後だと思い、他のヒトについて2次会に向かった。美観地区界隈には落ち着いた暗闇の佇まいがあり、冷たく乾いた空気が心地よかった

この春と義理と~その1~


随分、このブログの更新を怠ってしまった。



今年に入って早々に、坐骨神経痛らしき症状に悩まされてしまい意欲まで削がれてしまった。知人の整形外科医に相談すると、取りあえず安静にして過ごせ、特に「自転車はしばらく休め」とのことだった。全くがっくり来てしまった。311日にイチロウ・ジロウと今年もびわイチに出場するつもりでいたのだが、先行きが怪しくなったものだと思った。

そしてしばらく後に、大学時代の先輩から私の職場に電話があり、彼から連絡が入るなんて珍しいことがあるものだと電話に出ると、彼曰く「310日(土)にお世話になった上司が今年度末で定年退官となる、ついては310日にその記念祝賀会を開く旨葉書がそちらに行っている筈。君からの返信がないが、どうするのだ?」「君は、随分お世話になった筈だから、よもや欠席する筈はないよな。」とのソフトな詰問があった。




通知はがきの件は、全く知らなかったのであるが(後で私の職場の事務がその葉書を私に渡しそびれていたことが発覚)、その先輩からの話を聴きながら11日のびわイチのことが脳裏をちらついてどのように合理的に欠席を言い出そうかと想いつつも、次第に「オイラもエエ歳したオトナの端くれなのだから、社会的常識、社会的マナーとして、お世話になった上司にお礼のご挨拶をせねばなるまいな」という想いが強まり、「びわイチ」を振り払うようにその先輩に「この私め、当然○○さんの退官記念祝賀会に出席させていただきます。」と返事をしたものだった。その先輩「それはそうだろう。実は(上司の)○○さんも、『マサキ君は来ると思うよ』と言ってたからな」と言って電話を切った。



冷や汗ものの電話やりとりだった。それにしても、よりにも依って310日なんだ?3月に入り卒業・送別会・謝恩会のシーズンだから会場の確保に大変だったろう事は察するも、4月じゃ何故いけないの?などと心の中で愚痴ってはみても、それはそれで仕方がない。



それでは、その記念祝賀会に出た後に夜間滋賀県まで移動するか?と目論み、何度も同会一次会の終わりそうな時刻とJRの時刻表を見比べてみたものの、どうやってもイチロウが予約してくれていた宿がある彦根市までには届きそうにもなかった。



どうやら今年の「びわイチ」の出場は無理なようであった。イチロウに事情を説明したところ、大変残念がってくれて「数年前のびわイチではジャージを忘れてあたふたさせたが、この度はその身までおいて来やがったか。」と笑っていた。



「じゃあ、その代わりにだな…..」と彼が提案しきたのが、毎年8月に開催される乗鞍ヒルクライムへの出場。「ええ?」としばらく逡巡したのであるが、どうもこの度の「びわイチ」をドタキャンしたことに対する彼への罪悪感と贖罪意識が働いてしまい、思わずネット出場予約のボタンをポチってしまったのであった。あーあ、新たなプレッシャーを自ら抱えてしまったw




今年もヒトとの交じり合いの中で義理に振り回されているおバカな己に辟易とするのであったw。