2018年3月27日火曜日

朝練とちょっとした思案と


322日より、天候が安定し連日快晴が続いていた。幸いにしてその週末は休日が取れていて、日曜日にはどこか自転車走行に出かけようと思っていた。

週末が近づくにつれて、イチロウから「マサキは良いな。何処に走りに行くんだ。ちきしょう、オレの分まで走ってくれろ」などとツッコミが入っていた。彼には家族サービスの予定があるらしく自転車に乗れないとの事で、私としてはニコニコと笑みを返すしかなかった。

ところが幸か不幸か、325日の日曜日は、彼の家族サービス予定が変更になってしまい、彼は自転車に乗れるようになったのだが、今度は私の方が家族サービスに時間を割かなければならぬ状況になった。

「それでは」ということで、その日曜日は早起きをして午前6時から午前9時までの予定で共に朝練をしようということになった。私は、予防線を張るべく、家族にその予定を言い含めておいた。

当日、午前550分に覚醒し起床。するりとベッドから起き出して、夏物ジャージに冬物ジャージ上下を着用し、615分に出発。

当日のコース予定は、西区田方~安佐南区大塚~伴南~戸山地区~湯来・湯山街道沼田分れ~極楽寺山の峠越え~廿日市市市街地を経て帰宅するルートで、約54㎞程度距離だった。

午前650分頃に、大塚駅界隈でイチロウと合流。伴南から戸山地区を抜ける峠に差し掛かるが、意外にも昨シーズン何度も上った坂なのに、登坂がキツイ。“こんなにこの坂きつかったっけ、こんなに長かったけ?”数か月経つと、全く感覚を忘れている。ペースキープを意識してペダルを漕ぎ続けた。イチロウは、私の後を着かず離れず静かについて来ていた。この坂は、残りの3分の1が急勾配になっていて、毎度この勾配に苦しめられるのだが、この度はまるで初めて上がった時のように苦しんでしまい、僅かではあるが蛇行してしまった。

それでも何とかこの坂を征服し戸山地区まで一気に降りたのが、720分頃。

三叉路を左折し、湯来・湯山街道・沼田分れを目指す。ここからしばらく左右に田圃風景を楽しみながらダラダラ坂を登坂、なるべくインナーを使わず且つ失速をしないように意識しながら上がって行くのだが、ここも記憶していたよりも勾配がきつく長く感じられた。

“己の感覚的記憶って当てにならねえ~”

スイスイとは言わないまでも、去年の夏頃はそんなに辛くなかったのにねえ。この12月は、寒気と降雪で山坂道を回避せざるを得なかったこと、そして何よりも脚の故障で自転車に乗る機会が余りなかった。その影響で、随分脚力が落ちてしまっていたんだな。

この緩やかな勾配を持つ峠を上り切ると今度はなだらかな下り坂になっている。両脚を休ませるためにペダルを廻すのを止め、自然に任せて下って行ったのだが、どうも自分の覚えている感覚よりもスピードが出てしまう。あれ?スピード感覚も忘れている。

今シーズンは一からやり直しかいな…….w.”

湯来・湯原街道の沼田分れの三叉路まで下ってきたところで、小休止。時刻は午前750分頃。ここまで行程は順調と言えば順調であったのだが、当初の時間的目算を過ったのか、これからがこの朝練のメインイベントである極楽寺山の峠までの登坂が残っているのだが、この峠を越えて午前9時までに帰宅するのはどうあまく見積もっても無理だと思われた。



イチロウが気にしてくれて「どうする?」「引き返すか?」と私に尋ねてくれたのだが、来た道を引き返しても軽く1時間半かかってしまうだろう。この湯来湯原街道を下り五日市に出て帰路に着くの手もあったが、それでは全くつまらなかった。この度は極楽寺山に上がるのが主目的であり、それを逃すのは如何にも残念なことであった。

自転車野郎は、そこに坂があるから上るのであって、坂を目の前にして下るのは、表現が難しいけれど、何もしなかったことに等しい。暫くは挫折感を味わい後悔の念に苛まれるだろう。そうかと言って、帰宅に遅刻してしまえば、ちょっとした家庭内不和になるのは必定であり、その日半日は不快な気分で過ごすことになりそうだった。こんな良い天気の日に、女房の小言を聴きながら過ごすのも不愉快である。

“どうするべ…….”イチロウも心配な顔つきをして私を見ている。引き返しても1時間半かかり、30分の遅刻、進めば……。登坂を30分、下って廿日市のバイパスまで15分弱、そこから帰路に着いて30分だとすると、15分の遅刻か……….。うむ?たった15分の遅刻なら、許容範囲か………..w

“引くも地獄なら、進んで峠を突破してしまおう、その方が後悔せずに済みそうだわいw”嫁さんの顔が脳裏に浮かんだが、頭の中に浮かんだその表象を振り払った。

「イチロウさ、行くべ。峠さ越えるべ。」「但し、ピークまで30分で乗り切るべ。」

イチロウ、「本当に良いのか?」と尚も心配そうに問い返すも、私が簡単に目論見を伝えると、早速バイクに跨り出発の準備に取り掛かった。「正面突破して帰還せん!」ということで、極楽寺山への登り坂の登坂を開始したのが、午前8:00だった。

この坂道、やまの稜線の間を縫うように走っているのだけれど、山陰になっていて陽が当たらずとても寒かった。ダラダラ坂から始まって、やがて勾配9°くらいの直線箇所が1/3くらい、集落に入ると道幅が狭くなって勾配は穏やかになるのだが、最後の1/3くらいは針葉樹林を縫うように少し勾配がきつくなる。当初は、私が先行し、それにイチロウが付き合うように上っていたが、直線箇所になって私のペースが落ちると、彼はダンシングしながらペースを上げてやがて姿が見えなくなった。

普段であれば、イチロウに千切られると、精神的なダメージをくらい失速してしまうのであったが、自ら設定した30分で峠まで上り切るという動機があったため、自分のペースキープに徹することで、精神的なダメージは然程感じずに済んだ。黙々とペダルを廻し登坂を続け、峠に達したのが、丁度830分。

先行したイチロウは、峠の見晴らしの良いところで待ってくれていた。私も自転車を停め、峠から南に展望できる廿日市市街地、瀬戸内海、そして宮島の景色を眺めた。空は晴天で空気は澄みわたり朝の冷気は気持ち良かった。暖かい陽光が体を包み込んでくれてい、下界は陽の光で輝きを増していた。脳内にエンドルフィンが沢山分泌されていたのだろうけれど、何とも言えぬ充実感と高揚感があった。

しばらくこの光景を眺めながらイチロウと何事が語っていたかったが、残念ながら先を急がねばならなかった。恐らく1分も止まらずに、下り坂を下って行った。最初は木立の中のつづら折り部分を対向車に気を付けながら、ブレーキをかけてゆっくりと下り、やがては道幅の広くなるものの勾配のきつい下り道に進んだ。

この勾配のきつい下り坂、距離にして100150m程度の坂に差し掛かった時に、ふと“ここもこんなに勾配がきつかったのか、よくもまあ去年は何度も登ってきたもんだ!”と思った瞬間に、急に笑いが込み上げてきた。昨シーズンは、こんな急な坂に好き好んで上がってきたのだから。毎回キツイキツイと思いながらも、この坂の登坂を繰り返した。また、今シーズンも“苦しい”と思いながら何度も上がってくるんだろうな。ホントに我ながらバカだと思う。他者に「そんなにしんどい想いをして坂道を上るのが、何が楽しいの?」と聴かれても、納得され得るような答えを未だに持っていない。

ただ、苦しい想いをして山坂道を上り峠に達した時の達成感、そして下界を眺めた時の高揚感、下り坂を空気を切って滑走していく時の爽快感、それから山坂道から街に帰還する時の充足感(ホールディングされたような感覚)、これらは多分他のアウトドアスポーツでも体験できるような内的体験の話であり、自転車特有の体験ではないのだけれど、私の場合はたまたま自転車を通じて体験した。多分これからもこの感覚的体験を求めていくのだろう。

さて私たち二人は順調にその坂道を下り、やがて廿日市を横切る西広島バイパス辺りまで降りて来た。午前9時を周り、春の陽光が益々強くなって辺りを照らしていた。交通量も増えてい、気持ちの良い朝に人々が其々の活動を開始しているようであり、その街の賑やかな活気が我々を迎えてくれているようであった。

西広島バイパスを横切る交差点の信号待ちで自転車を停めた時、私が後ろに付けたイチロウを振り返り、「何だか俺たち早朝のお勤めを終えた修行僧みたいじゃねw?」というと、彼も私の感覚を理解してくれたみたいで「ホントじゃね」と笑顔で応じた。

その後、私たちは多くを語らず、東へ延びる裏通りを全力で駆け抜け、それぞれの家庭に帰還したのであった。

おわり

(追記)

私の帰宅は午前915分頃、ほんの少しだけ家族の雰囲気は怪しかったものの、なんとか予定通りの家族サービスに取り掛かり、最後はニコニコ状態で1日を終えた。めでたしめでたしw

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