2015年2月22日日曜日

乗りバカ日誌;イチロウ・マサキの“わが心の旅(予告編)”


228日のコンサート・Gilberto’sオフ会に向けて、十分とは言えないもののそれなりの“準備が出来た”とマサキが独り悦に入ったある日の午前の事であった。マサキが気分よくルーチン業務に一区切りがつけて居室に戻ったところ、たまたま後からイチロウ編集長が満面の笑みを浮かべて入ってきた。


 「おお、マサキ、何々他人の褌で喜んでいたのではなかったのか、熱心に勉強してたんだなw。よしよし、後残り1週間まだまだ勉強してもらうぞ」と。


 「まあな。え?」“何だよ、こちらは一仕事つけたところなのよ。もう時間がないよ、これ以上予備学習出来るわけないじゃん”。イチロウ編集長、また何やらアイデアを思いついたようだが、直接マサキには何も言わず、再び彼は彼のルーチン業務に戻っていった。
 


その日の昼休み終わり頃、マサキは前日までのブログ執筆による疲労のためか転寝をしていたが、気が付くとP.C.のメールボックスにあるメールが届いていた。曰く、

 



『マサキさん、毎回楽しみに拝見させていただいております。

 さて、私のこころの風景は「JR尾道駅から見た尾道水道」です。関東出身の私は高校生という多感な時期に親元を離れ岡山での寮生活を始めたのでした。両親や兄弟、地元の友人と別れ、これからの将来への不安と期待、自由と不自由を抱えながら瀬戸内の地で新たな生活を踏み出したのです。たまの休日に自転車で街中に出かける途中、山陽本線の踏切を横切るのですが、すれ違う電車の行き先に「松永行き」や「糸崎行き」といった標示を見るにつけ、海なし県で育った私は、港町の終着駅の憧憬を想像したものです。確か高校2年生の夏休みだったでしょうか、ふと思い立ちその「糸崎行き」の普通電車に乗り小さな一人旅に出たのでした。その時に何故か理由は思い出せないのですが、糸崎まで行くことはせず尾道駅で電車を降りました。真夏の午後の瀬戸内独特の凪により、息をするのも苦しいようなじっとりした空気が駅前を包んでいました。そこから少し歩き、尾道水道を行き来する小さな船を独りぼーっと眺めて30分ほど過ごし、とんぼ返りで岡山行きの電車に乗り寮まで帰ったのですが、あの時の一人旅以来、自分が自分自身の脚で立って歩いて行かなければならないのだという意識が少しずつ芽生えていったような気がします。その後30数年を経ていつの間にか再び瀬戸内の地に根を下ろし家庭を持つようになりました。人生とは不思議なものです。

 マサキさん、尾道の駅前はあの頃と比べて随分と変わってしまいましたが、私の青春時代の出発点のひとつでもあるあの尾道水道の風景を眺めて来て下さい。』

とある。

 
“ふむふむ、良いですね、尾道。”早速、イチロウ編集長とこのメールの件について協議し、早速このメールに対しての返信をしたためる。

 

『拝復、I様。

 
お便りありがとうございました。青春期・親元を離れて寮生活を送っていた高校生時代、その時の孤独感、将来への不安と覚悟を心の内に秘めながら独り尾道を訪れたのですね。そしてその港町の空気によって醸し出される旅情が、それまでの幼き心との決別を促してくれたのですね。大変感銘いたしました。早速当番組(ブログw)で取り上げさせていただきます。Gilberto’s西日本支部の者が、I様のご期待に添うべく、岡山から尾道までの約100㎞をバイクで走らせていただきます。その模様は後日、「乗りバカ日誌:イチロウ・マサキ、わが心の旅編でご報告いたします。どうぞご期待くださいませw』

 

てなことで、228日のMika Samba Jazz Trioコンサート・Gilberto’sオフ会の楽しんだ後、翌日31日、イチロウと共にバイクで岡山から尾道を自転車で走ることになったのであった。

 


トホホ、時間は極めて少なくなっているけれど、心の旅・自転車編についても事前取材が必要になってきたよ。“他人の褌”を履いて喜んでいるのか、誰かがマサキに己の褌を履かせて喜んでいるのか、こうなると訳が分からなくなるw。

 

でも、やりましょう、旧山陽道を辿りながら尾道を目指す旅;わが心の旅を…..w

 

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