諸々のルーチン業務を片付けて、一部やり残したものに後ろ髪を引かれる想いを持ったが、それを断ち切って広島発ののぞみに乗ったのが、午後5時13分。16号車の座席はまだまばらで、指定されたE席に座り、お弁当とおつまみを少々、ビール500mlを一本、幻想小説「タタール人の砂漠」の単行本をテーブルにセットすると、疲れが押し寄せて何処にでもいる疲れた中年オトコの風体となった。
ここ数年、東京がどうでも良くなっていてw、無理に行きたい場所でもなくなり東京行きが気の重いことになっていた。
1週間前に代理出張を仰せつかり、東京で開催される同業者の集まりに出ることになったのであるが、よく考えてみると1年ぶりの東京行きであった。昨年2月の出張の折には記録的な降雪となり、ちょっとした冒険譚となったのだったが、今回は天気予報によると穏やかな天気となりそうであった。
目の前にあるものを腹におさめたら、後は予約した宿に入り寝るだけと思い定めた。Twitterで詮もなきことを呟き、ビールとおつまみでチビチビやりつつ、幻想小説を読み始める。タタール人云々ということだから、東ヨーロッパの或はウクライナ辺りのお話かと読み進めるが、任官したばかりのジョバンニ中尉殿が故郷を離れ国境の砦に着任しひたすら後悔をしている出だしで、物語がなかなか展開しない。新大阪に通過すれども、まだ中尉殿は着任した砦で後悔している、「これはダメだw」と諦め、本を閉じる。
新大阪からは、東京へ向かうビジネスマン諸氏がどっと車内に入りほぼ満席状態となった。車窓の外は既に日が暮れて暗闇状態、米原あたりで降雪のためにスピードを落とすとの車内アナウンスがあり、“ああ、そうなの”と独り相槌を打っていると、右斜め前のいがぐり頭のビジネスマンが、P.C.を広げ時折専門書を見ては何やら打ち込んでいる。
“ああ、この光景はどこかで見たような・・・・・・・・”
ボクが生まれて初めて上京したのは、高校2年のやはり2月だった。地方のガキにとって、東京に行く理由は、勉強するか仕事をするかのどちらかのイメージで、今思えば随分と初心なガキだった。その時は、当時東京の大学に通うために下町で下宿(本当に下宿生活をしていたw)していた兄の処へ社会見学のつもりで遊びに行くことになっていたのであったが、やはり新大阪から企業戦士(ああ、これもう死語だろうなw)然としたオジサンたちが沢山乗り込んで、思い思いに書類を広げたり、明らかに英会話のリスニングテープを聴き込んでいるヒト達を見て妙に緊張したものだったw。
その後、結局は東京知らず・企業勤務知らずの人生を歩むことになったのであったが、東京に向かう新幹線の中で彼らのようなビジネスマンに出くわす度に、意味もなく気おくれする心理的反射は相変わらずであるw。
そんなことを独り思い出し苦笑いをしながら、斜め前で猛烈に作業している男性を眺めていたのであるが、軽い酔いとともに更に疲れが出てしまって、その後はうたた寝をしてしまったようだ。
気が付くと新横浜を通過したようであり、そろそろ今晩のお宿のオリエンテーションを確認しゴミを片付けと荷物まとめに取り掛かった。品川を過ぎた辺りで、スマホをチェックすると、待ち受けの左上にとりマークが出ている。
“?”
開けてみると、“もしやトウキョウ?”“ミズクサイ、これから飲みますか?”等のメッセージが入っている。おお、コウスケがレスポンスを返してくれている。そうか、近江浪士の彼が江戸に潜伏したまま行方知れずとなっていたのに、健勝に過ごしていたのだな。大変嬉しくなるが、この田舎者が大都会で無事に彼に落ち合う事が出来るのか?それにもう夜9時を回っているし・・・・・、などと逡巡していると東京駅に到着したところで、コウスケより直接telの入電あり。
「どこに泊まるの?八重洲口界隈?じゃあ、ちょっとだけ。銀座でちょっと呑みましょう」と嬉しい提案を言ってくれる。本人は無茶ブリで申し訳ないと言ってくれているが、断る理由がなく、喜んでその提案に乗った。
彼曰く、「現在渋谷で飲んでいるが、これから出て向かうから数寄屋橋近くのソニービル前で待ち合わせましょうと、八重洲からだと徒歩10分くらいだよ」と告げて電話を切った。
“そうか、10分なら近くなのね”と思いつつ、まずはホテルに向かう。八重洲北口から銀座とは反対の方角に徒歩10分のところのビジネスホテルに迷うことなく到着、荷物を下ろして、ソニービルなるものに向かう。ソニービルなるもの東京人にとっては目を瞑ってでも行けるところなのであろうが、田舎者のボクにとっては初めての処で自信がなく、スマホのナビを頼りに向かうが、10分歩けどもゴールに至らず。ああそうか、ホテルが八重洲口から徒歩10分だから、合計20分歩くんだと妙に納得し八重洲口、有楽町駅を右手に見ながら進んでいった。ふと見ると、数寄屋橋の名前の高架が見えて、そのそばに確かにソニービルがありました。交差点の向うに、ぽつねんと長身のオトコが佇んでいる、あ、居たね、コウスケw!つい嬉しくなって手を振ってしまった(この辺りが正しく田舎者w)。
信号が変わるのを待って交差点を渡り、無事10時前にコウスケと合流し、コウスケお勧めのスタンドバーに入る。
「ここはカウンターで立って飲むのが良いんですよ」とコウスケがレクチャーしてくれ、そのとおりにする。なかなか良い雰囲気のバーであり、彼が「ここのが日本一旨い」と勧めるハイボールを注文する。
そこで、時系列は前後しながらお互いの近況やプライベートな事を少々雑談(この辺りは割愛)し、2月28日の岡山ライブ前後の旅程の事、出演trioのプロフィールなどのブリーフィングを受け益々Gilberto’sの岡山集結に向けて気分が盛り上がった。その他、テノーリオ・ジュニオールという数奇な運命を辿ったブラジルのピアニストの話も大変興味深かったな。「彼のCDが1枚、簡単に手に入るよ」とのことで、この1枚は帰宅して早速ポチってしまったw。
「普段は、独り呑みが多いんだ、ちょっとネクラなところがあって……」などとコウスケが笑って言ってたけれど、ネクラのオトコではないし、寧ろ細部にまで気配りが出来るヒトだから、飲むときぐらいリラックスしたいだろうし、それには独りでヤルのが一番良いのだろうなと思ったりした。
“終電に間に合うように、解散するべし”と決めて臨んだコウスケとの再会であったが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、気が付くと11時30分を回っていた。慌ててお開きとしたのであったが、翌日のメッセージには、終電に間に合わずタクシーで帰宅したようであり、本当に申し訳ないことをした。
コウスケと別れた後、ゆっくりと散歩しながらホテルに戻った。出発前は、東京に出向くことに気が重たかったのだが、コウスケという思わぬ友軍が現れてくれてすっかりと気分が軽くなってきた。八重洲口界隈を改めて見直すと、再開発が進んでいて巨大なビルが立ち並んでいた。このスカイライン・光景はやはりここにしかないよな……..。
“そうだ、明日は会議が終わったら少し小旅行でもしてみるかw”と楽しげなアイデアが湧いてきた。
トウキョウに対して、勉強や仕事の場所だと初心な気持ちを抱いていた時代もとっくに過ぎ去って、田舎者でも田舎ものなりにそれなりに楽しめる処なのだと再度認識させられたような気がした。
この場を借りて、コウスケの心配りに感謝。
(つづく)
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