コウスケと二人で、岩城港でDコースのフィニッシュを無事に終えて、FBにその旨投稿。
すぐにジロウからコメントが入り、Eコース組は最後のエイドポイントに達したところだという。“彼らはハードなコースだからな、トラブルなく完走されんことを”と念じる。
岩城島のフィニッシュポイントでは、飲み物と軽食が振る舞われた。やはりここでも中学生らしき子供がご婦人方に交じってボランティア活動している。野菜天麩羅うどん、レモン豚丼、大学芋らしきスナック、レモンジュレなど・・・・・。そして、地元に伝わる太鼓の演奏、やはりここでも小学生らしき子どもが演技していた。
地方でも特に島嶼部では、他地域と比べて更に高齢過疎化が進んでいるだろうに、岩城島には元気な子どもたちが沢山いて、こうして活躍している。“とても良いことだ”と思った。
コウスケと二人して、事前に期待していたレモン豚丼と海苔の味噌汁、緑茶ボトルを受け取って、海際に座っていただく。辺りにはガイジンサンのグループものんびりと寛いだ雰囲気で食べていた。海は静かで波が立たず、光を浴びて水面が輝いていた。
このレモン豚丼、おそらく塩レモン汁に付けたものを焼いて、ごはんの上にのっけ、丼つゆに近い醤油だれがかけてあり、刻み葱と刻み海苔がまぶしてあった。あっさりとした味わいで誠に美味。それからあまり飲んだことがなかったけれど、海苔入りの味噌汁も甘くて磯の香りがして美味しかった。こういうローカル食って良いなあ。疲れが癒された。
岩城島からは、チャーター船で今治港まで運ばれる予定となっていた。1時30分発第1便と3時出発の第2便があったが、私たちは第2便に予約していた。事前に参加者に送られた大会パンフレットによれば、チャーター船の変更は当日可能と記されていたので、食事を済ませると大会事務局にその旨交渉に行ったが、「船の乗船者数にゆとりがあれば・・・」との事であった。
結局同じように希望された参加者が殺到して、私たちは選に漏れて、第1便を見送り予定通り第2便に乗ることになった。
ここが唯一の作戦失敗ポイントであった。Eコース組はスタートポイント近くのしまなみアースランドにフィニッシュするはずで、午後3時30分くらいには到着するはずだろう。Dコースの私たちが、第1便に乗ることが出来たら同じころには彼らのフィニッシュポイントまで帰ることが出来て、その後の行動も早めることが出来た筈なのに・・・・。3時第2便にしようと提案したのは私だったので、コウスケをはじめ他のメンバーに申し訳ないことをした。
午後2時にチャーター便は岩城港にやって来て、コウスケと私は早々と船に乗り込み、休息を取る。かなりコウスケの腰痛は酷い様子で座って休息を取りたかったようだ。私も、ゴールをした直後は然程疲労を感じていなかったが、美味しい食事をいただいて一息ついたら、疲労が出てきたようで眠気と妙な腰痛を覚えた。船内の席に座ったら、知らず知らず居眠りをしていたようだった。
午後3時に岩城島を予定通り出発。“ここから今治港まで1時間30分の船旅か・・・”と思った瞬間にやり忘れたことを思い出したが後の祭り。
コウスケに、事前学習した岩城島にある旧松山藩の本陣跡を見せるのを忘れていた(笑)!それから「たくさんある島々の中で、何故岩城島に本陣が置かれたのか?」を地元のヒトに尋ねるのを忘れていた。
しまった、無事にフィニッシュして頭がぼんやりとしていたんだな・・・・・・。
船はゆっくりと進んでいるようであった。右手に伯方島、大島が見え、薄曇りに西日が射して紫色に変わっていく海を照らしていた。隣に座るコウスケはうたた寝をしたり、i-phoneを動かしたりしていたので特に声をかけなかった。
瀬戸内の景色は、何処を見ても美しいと思う。
中学生の頃、NHKの「みんなの歌」という番組で、芥川也寸志作曲「ここは瀬戸内」という歌が放送されていた。子どもながらに「日本の歌曲も良いな」と思ったものだ。
とても良い歌なので印象に強くその一節が脳裏から離れない。ネットで調べてみたのだけれど、どうもこの曲の音源は簡単に手に入りそうになかった(NHKの「みんなの歌」のサイトにリクエストをすれば、再放送するかもしれないらしい(笑))。
チャーター船から眺める島々の景色は美しく、頭の中でその歌を口ずさんでみた。
1時間30分の船旅を終えて、今朝通った来島海峡が遠くに見えて今治港が近づいてきた。港に近づくアナウンスが流れて、コウスケとデッキ部分に降りる。所狭しと自転車が並べられ、そうそう観れない光景なので記念写真を一枚。
今治港からは、乗船前に貰った地図を頼りにしまなみアースランドに向かって自転車で移動した。昨晩、散策した通りに出ると方向が判り、迷うことなく同ポイントまでたどり着くことが出来た。駐車場に辿り着くと、イチロウが出迎えてくれて、撤収作業に入る。既に、ジロウとヤマグチ青年は自転車を送るために西濃運輸に行き手続きをしているのだという。
急いで、撤収し彼ら二人を迎えに行くことになった。
スタートポイント付近で、自転車の発想準備を終えたジロウとヤマグチ青年をピックアップし、そこから広島市に向かう。関東組3人はその晩は広島市内のホテルに宿泊し疲労回復に努めるのだとか、翌日空路にて東京に帰還する予定となっていた。
今治ICからしまなみ海道に入り、最初の来島海峡S.A.で小休止と土産物を購入。そこで、イチロウが前回下見の際に気にかけていた「鯛カマラーメン」を試したので、少しおすそ分けをいただく。鯛のカマのから揚げのトッピング、伯方の塩を使った塩ラーメンで期待以上に美味い。私が食べていると、ジロウ、コウスケ、ヤマグチ青年も気が付いて寄ってきたので、残りを3人で平らげてしまった(笑)。お返しに外の売店で、ジャコ天カツバーガーなるものをイチロウにお返しする。これを私は食さなかったが、後にお土産で買って帰ったジャコ天カツを食べてみると、フワフワモチモチの食感で旨かった。イチロウ曰く「こちらのバーガーの方が、ラーメンよりも旨かった」とのこと。
その後、2台連ねて広島市を目指す。隣には再びコウスケが同乗してくれていた。ふたりで何を話したか、音楽の話、イチロウ・ジロウ兄弟のこと、夫々の家族のこと、他愛もの無い内容だったと記憶している。コウスケとゆっくり話をするのはこれで2回目であったが、彼はバランスの取れたオトコで対人関係・話題の選び方が、よそよそしくもなくかといって、私のように図々しく対人距離を狭めていくようなやり方はしない。いつもユーモアのある穏やかさで私に接してくれていた。付き合っていて気持ちの良いオトコである。
山陽高速道路を下りやがて広島市内の街灯りが見えるころ、彼がポツリと「何だか久しぶりに街の灯を見たような気がする。都会に戻ってきた感じだ」と言った。「ボクは都会じゃないと暮らしていけないな」と。
“広島は決して都会じゃないけれど、でも私はむしろ田舎じゃないと暮らしていけないな”と時折しみじみと思っている。そして、私は、今日見てきた様な、しまなみの島々、そして瀬戸内の風景に強い愛着を感じている。
コウスケのポツリと言った言葉の中に彼の生き様を少し理解できるような気がしたし、私には私の生活ペースがあるのだと再認識できた。そう思うと、このGilberto’sのつながりも不思議だと言えば不思議な関係で面白いものだと思える。
その晩、関東組3人が宿泊するホテルに到着したのが、午後8時過ぎで、午後9時から打ち上げ会を開くことを確認し、一度解散となった。
折しも広島市内に入ったころから大雨となっていた。自宅に戻りタクシーを頼もうにも配車センターに電話がなかなかつながらず時間を消耗、やっとつながると係りのヒトがいうには「40分から50分待ちの状況なのだ」という。
“これだったら、一度自宅に帰る必要もなかったか(トホホ)。”“皆の労をねぎらうのが目的であって、何が何でも酒を飲みたいのではないけんね”と自分に強く言い聞かせ(笑)、仕方ないので再び打ち上げ会場近くまでクルマで出ることにした。
午後9時過ぎ、指定場所の居酒屋に迷いながらも到着。思い思いの飲み物を注文し、瀬戸内のお魚をつつきながら、しまなみ海道国際サイクリング大会を皆で振り返る。イチロウが、最後の難所・登り坂で脚を攣ってしまい非常に悔しがっていたこと、ヤマグチ青年がチューブ入りのコンデンス・ミルクを途中で切らしてしまい、後半パワーが落ちてしまったこと等々、面白おかしく語り合った。
やがては次のサイクリング大会への話題が及ぶ。まずは琵琶湖一周バイクツーリング大会に再び参集しようではないか、来年しまなみ国際サイクリング大会が開催されたら、皆でしまなみ海道を今治から尾道まで突っ切るコースに出ようではないか、等々次回の会に向けて話は盛り上がっていった。
11時前にして打ち上げ会はお開き。私はイチロウを自宅まで送り、ジロウとヤマグチ青年はホテルへ、そしてアルコール好きのコウスケは盛り場に、夫々が消えていった。
自宅に戻り、家族が既に休んでいることを良いことに、シャワーを浴びてさっぱりした後、昨晩の部屋呑みした残りのウヰスキーと「タイヤカス」を取り出して疲れて高揚した気分を鎮める。
“何となくノリで参加したサイクリング大会だったけれど、本当に良いイベントだったなあ。ジロウやコウスケとも更に打ち解けた気がする。この年になってこういう繋がりが出来るなんて、何と果報者なことよ、このオイラは………。”
残ったウイスキーを飲みほし、私のしまなみ海道サイクリング大会は目出度く終了したのであった。
~Gilberto's +One、しまなみ海道シリーズ、完~
~Gilberto's +One、しまなみ海道シリーズ、完~
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