2024年12月9日月曜日

独り留守番飯アウォード in 2024 その2

2024年に独り留守番飯として自ら拵え喰ったものを、これまで4期に分けて書き綴り、勝手に上半期と下半期にそれぞれ自己大満足を得られた優秀作品を発表するという、極私的な自画自賛企画。この度は、下半期の優秀作品を発表する。

 

それでは、下半期の優秀賞は……
   その作品は、29th.11.2024に拵えた「小田巻蒸し/茶碗蒸し」でーす!!


私は、ガキの頃から茶碗蒸しが大好きだった。田舎町に生まれ育ったのだが、父親は宴会好きなところがあり、来客があると大人数であれば町内の仕出し屋に仕出し料理を注文するか、ごく親しい知人・友人が訪ねてくると、母親に料理を作らせた。母親は、文句も言わず来客へのもてなし料理を作ったものだが、寒い時期になるとその料理の一品として茶碗蒸しがメニューに上がった。その折には、母からちょっとした手伝いを命じられたのだが、茶わん蒸しを作る際には、生の銀杏の殻わりと薄皮を取り除く作業があった。この生銀杏の皮取りをしていると、あの独特の臭みが指先に残り閉口したものだったが、出来上がった茶碗蒸しは大変優しい味がして、いつの間にか私の好物になった。後年、進学で実家を離れたが、帰省の折には必ず母に茶碗蒸しを所望するようになった。

この茶碗蒸し、具材の量や、蒸らす火加減により出来不出来が生じ易いもので、作り馴れた母でさえ、時に素が立つことや却って火加減が弱くしっかりと固まらないことがあった。母親が、うまく出来上がらないと大変悔しそうな声を出すことがあった。そうなのだよ、茶碗蒸しは、具材準備に手間暇がかかる割に、最後の蒸らしの段階になってその努力の成果が報われない失敗を生じてしまうことがあり、そのためもあって一般家庭ではなかなか食卓に上らないことになると思われる。

結婚後、夫婦の会話のなかで、私が茶碗蒸しが大の好物であることは家内に伝えていたのであるが、幾年経っても我が家の食卓に登場することはなかった。ある時その理由を家内に質したところ、家内曰く「だってね、茶碗蒸しって手間暇かかる割に、腹の足しにはならないし。電子レンジにせよ、ガス火にしても調理器具によって蒸らす条件が変わってくるのよね。腹を空かせたオトコども(私、息子二人)を喰わせないといけないんだから、作るのパスしてしまうのよね」と笑いながら言った。

家内にそう言われると、食べさせてもらう立場の人間としては、内心悲しい想いもするものの、「全くその通りだ」と認めざるを得なかった。

 

11月上旬の県北へのドライブの折にゲットした松茸。私のエクスキューズとして年末年始に息子どもが帰省した折に食わせてやりたいとの理由付けだったが、私が食したいとは言わなかった。この作戦が功を奏し家内の承認を得られたのだが、だからその理由付けのせいで未だその松茸は喰わず仕舞いw、我が家の冷蔵庫の中で冷凍保存されている。

その冷凍保存となった松茸を、私としては密かに茶碗蒸しに入れて息子どもに食わせてやりたいなと漠然と思いついた。秋に購入した松茸を冷凍保存し、正月などに茶碗蒸しの具材とするやり方は、母がかつて考えたアイデアだった。

11月は、その母が亡くなって一周忌の命日を迎えたのであった。実家で法事の準備をあれこれと進めていくうちに、記憶の断片として先に述べた茶碗蒸しの思い出が蘇ってきたのだった。集まって下さる来客に仕出しのお弁当を用意することとしたが、何かもう一品暖かいものを、出来れば母がかつて作ってもてなした様に茶碗蒸しを付けて差し上げたいところだった。生憎私自身は茶碗蒸しを拵えたことがなかったので、あくまでも私の想いに留まっただけのことではあるが、幸いにして当日は家内が「鯛の潮汁」を作ってくれて、弁当の他に何か温かいもの一品をという想いはカタチを変えて供することが出来、来客に喜んでいただけたのだった(妻には感謝)。法事を無事に済ませて、この1年間の諸々の気忙しさ・心理的な重たさの一部から解放された(財産の整理とは、想像以上に心理的に重たい作業だった)のだが、よくよく考えてみればそんなに好きな茶碗蒸しならば、黙って拵えてもらうことを待つよりも、自分で拵えられるようになれば良いだけのことではないか。この単純な理屈が解り、「茶碗蒸しは、俺が作るわ。今後は俺の担当にする」と11月下旬のある日に家内に宣言した。

早速、1129日の留守番飯として試作することにした。ネット上に諸氏が掲載してくれているレシピを参考に、卵汁と出汁の分量比を確認し、ガス火を使った蒸し方法を自分の定番とした。この度作ったものは、多分ご存知と思うがうどんが入った茶碗蒸し、即ち「小田巻蒸し」と呼ばれる料理。これだと「腹の足しにならない」部分が解消され、食べ応えのある一品になる筈だった。生憎、うどんの他に使えそうな具材が無かったので、冷蔵庫の中で眠っていたカニカマを利用した。うどんを茹で、出汁を作って、それらを一度覚まし、冷めた出汁と卵汁の分量をきちんと図り混ぜ合わせ、冷めたうどんが横たわる丼に茶こしで卵汁と出汁の混合液を濾しながら入れ、その丼にアルミホイルを被せ沸騰したお湯を張った深い鍋に入れて、弱火で20分ほど蒸した。20分後に恐る恐る丼のアルミホイルの蓋を開けてみる。

 おお!なんという美しいサーフェイスw!箸を刺して固まり具合を確認すると透き通った出汁が溢れしっかりと固まっている。初回にしては完璧な出来具合だった。実食してみると食感はプリンと柔らかく、塩加減もいう事なしw 我ながら素晴らしい~w。どの作業工程も気を抜くことなくしっかりとこなせば、茶碗蒸しは再現できそうだった。今度は正調の茶碗蒸しを作ってみるかなどとひとり良い気分になっていた。

 翌日、我が親友に「茶碗蒸しを作ったぞw!」と意気揚々と報告したのだが、彼が多少申し訳なさそうにしつつも毅然と、「言っちゃ悪いんだけれどさ、ビギナーズラックってものがあるからなあw」「3回連続成功したら、あんたを茶碗蒸し師と認定して進ぜよう」などと言うではないかw。尤、彼の奥様が大の茶碗蒸し好きで、よく家庭で作ってくれるそうなのだが、彼は彼なりに奥様のご苦労を知っていた。だからこそのコメントだったのであるが、私としては全くおっしゃる通りで、茶碗蒸しが一度成功したからと言って次回が上手くいく確信もなく、「まったくごもっとも」と認めざるを得なかった。

 ということで、「茶碗蒸し師」の称号を得るべく、今後も茶碗蒸しを作り続けることにしたのだったw。下の写真は、12月6日の夜に作ったもの。これもうまく出来たw!茶碗蒸し師への修行は、なかなか良い滑り出し。いずれは松茸入りの茶碗蒸し拵えてみせるぞ!と己に誓うのであった。

アホなアウォード話に付き合わせて大変申し訳なかったのですが、前項の大分時代の上司の食にまつわる話にせよ、私の茶碗蒸しの想い出にせよ、当たり前のことだけれどそのヒトの食にまつわる性向は、そのヒトとその母親の関係性が強く影響されているのだとつくづく感じたのでした。私は美食家になるほどの感性は持ち得なかったけれど、腹が減れば自分で拵えては己の腹を満たすという習慣を身に着けることが出来たのは、亡母の影響大であり、そのことも彼女には感謝せねばならないのだろうとこの度改めて気が付いたのであった。

 ひとり留守番飯2024シリーズ おしまい

 

2024年12月7日土曜日

独り留守番飯アウォード in 2024 その1

2024年に独り留守番飯として自ら拵え喰ったものを、これまで4期に分けて書き記してきたのだけれど、自己大満足を得られた品をまだ載せていない。上半期と下半期に分けて夫々ここに優秀作品として発表し、己の人生続く限りの後世に伝えておきたいと思う(大げさないい回しw)。
   

 

この度は、上半期の優秀賞から……
   その作品は、20th.03.2024に拵えた「肉豆腐」でーす!!


この品、私が長らく憧れて来た一品。これまでの人生で20代に一度しか食べたことがなかった。ポピュラーな料理名なのだけれど、あまり家庭では食卓に上がらないものなのではないか?お店でも、高級割烹でも出さないし、今流行りの居酒屋でも提供されないだろうし、勝手な想像ながら小料理屋と呼ばれる高級と大衆の間の中間層的なお店でしかだされないのではないか?しかもこういった類のお店は今のご時世からして絶滅危惧種だし、そもそも「肉豆腐」なる料理が昭和の匂いプンプンで人々から忘れ去れているのではないか?(スミマセン、私の偏見が多分にあります)そう思えてくると、無性に「肉豆腐」に対する憧憬の念がこの時期に沸き起こってしまったのだった。

ここで一般的な疑問が湧いてくるのであるが、果たして「肉豆腐」と「すき焼き」には違いがあるのか?ないのか?というものだろう。うーむ。すき焼きには、その名のごとく作り方や具材に各御家庭の流儀があって夫々に正しいのだと思うのだが、その作り方においての最大公約数としては、平たい鍋の中に牛肉、ネギ、シラタキ、豆腐、春菊(その他、白菜やキノコ類、或は地域によってはゴボウを入れることも)などを醤油と砂糖などで味付けをされて火にかけられたものに生卵に潜らせて食せば、すき焼きを喰ったことになるだろう。一方、肉豆腐といえば、牛肉と豆腐を中心に同じような味付けをして煮込めば、肉豆腐が成立する。一体何が違うのだ?

この度、ネット上に掲載されている「肉豆腐」のレシピやyou tubeの動画を参考に実際に拵えてみることにした。詳細は割愛だけれども、まずは出汁を取り、そこに焼き豆腐(この度は厚揚げ豆腐をフライパンでじっくり炒めたものを使用)、焼き目を付けたネギ、そしてちょっと霜降りの薄切りの牛肉をフライパンで炒め、醤油・お酒・みりん・砂糖で味付けしたもの、をひとつの鍋で煮込んだ。味付け全体にはやはりみりんと砂糖、お酒とした。が、ここでポイントなのがこの料理はあくまでも煮物であるということ。全体的には薄味で仕上げる。こうすると生卵に潜らせなくても飽きが来ずに食べることが出来る。ごはんのおかずに良し、酒の肴にも良し、である。そうなのだよ、すき焼きって、最初に儀式としてカンカンに熱した鍋に油を布いてそこでネギを焼き目がついてネギの香りが立つまで焼いて、そこを見計らって薄切り牛肉を敷き詰め、その上から割り下を指してすこし火を通す、そこで一同が最初の箸入れをする儀式めいた過程があり、そのあと牛肉の脂とうま味が残った鍋にシラタキや豆腐、野菜を投入して火が通ったら食べる(これ、あくまでも私の個人的な好みというか流儀ですw)。これがワンクール目。その後は食材がなくなるまで或は腹が満たされるまでこのクールをひたすら繰り返すことになるのだけれど、正直なところ、最初のワンクールでもう充分なのだよ。すき焼きは、食べる前の高揚感とは裏腹に、それを食べる醍醐味は最初のワンクールで尽きてしまう。即ちすぐに飽きてしまうのだよ。後は惰性です。

 

その点、肉豆腐はそこそこの高揚感(オレだけかw)を持って臨み、その歓びは持続していくのです!これが、すき焼きと肉豆腐の最大の違いです!寒い夜に、厚い白ご飯のおかずとしてか、熱燗の肴として密やかにしみじみと食べるのには、すき焼きよりも肉豆腐が相応しい!という我ながらしっかりとした偏見に満ちた考察が出来たのであった。


すこし長くなるけれど、二十代の頃に一度だけ食べたことある肉豆腐についての忘れ得ぬ思い出話を少し書き残しておきたい。私は社会人3年目になった時に出向を命じられて1年ほど大分県に移り住んだことがあった。そこの部署には、生まれも育ちも九州である50代の男性上司がいた。20年も上の大先輩に向かって適切な表現かは分からないが、大変優秀な方でその道ではよく知られた方であり、物事の判断には明確な基準を毅然とした態度で示す性向に、若い私なぞは職場ではある種の緊張を覚えることしばしばだった。一方で仕事を離れると、子どものような人懐こさや明け透けな態度も示してくださった。学閥の異なる私が謂わばアウェイで働いているのを蔭にも日向にも気を配って下さり、私が異動直後の日の浅いうちに彼の居室に挨拶に出向いたその日から月一程度で彼の直属で働く若い同僚と共に食事に誘ってくださるようになった。

大変美食家の方で、当時あまり食べたことのないものを食べさせてくれたのだが、或る日私が田舎者宜しく「〇〇さん(上司のこと)は、色々と美味しいものをよくご存じなのですね?」と問うと、その方は「それはねえ、マサキさん(若輩者の私を必ず君ではなく、さん付けで呼んでくださった)、ボクの子どものころは悲惨だったの。母親は小学校の校長まで務めたエライ女だったんだけどね、料理をまったくしなかった。だから、ボクは小学校時代から学校が終わって家に帰ると包丁を握って、妹の食事の分まで面倒をみなくちゃいけなかたのよ。だからね、それ以来旨いものに餓えてね、自分で稼ぐようになってから方々食べ歩いたのよ。これ、ただのコンプレックスなの。そう云う意味じゃあ、母親を恨んでるのよ。」などとおっしゃられるのだった。若い私としては、どう返したものか分からず、「はあ」、としか返事がしようがなかった。

ある日、その上司が私のところにやってきて、ニコニコとした笑顔で「マサキさん、今晩暇?面白い店に連れて行ってあげるよ」「その店、ヒステリーの母娘がやっている店でねえ。大のオトコが、そのママに説教されて時に涙を流して嬉しそうに飯を喰っている処なのよ。ちょっと屈折した世界観を観に行かない?」と言った。サドマゾの店か?果たしてそんな店で飯が喰えるのか?と半ば戸惑いながらも、この上司に付いて行けばご馳走に有りつけるのは間違いない訳で、当然そのお誘いに応じお供したのだった。

そのお店は大分市内の盛り場の一画にある所謂小料理屋で、引き戸をガラガラと開けると正面にカウンター席56席、その手前に四人掛けのテーブル席が34つあったと記憶している。やや薄暗くやや古びた佇まいのお店で、カウンターには、34つお惣菜が入った大皿が並べられ、カウンター越しの奥には赤い口紅に派手なアイシャドウを引き、髪は茶髪に染めてアップに結ったどう見ても80代の女性とその左隣には4050代の思しき全く化粧っけのなく、表情まで乏しい地味な女性が立っていた。

80代の女性がやや鋭い表情を崩さず、カウンター席に座った客の相手をしており、4050代の女性が黙々と料理を運んだり、テーブルを拭いたりしている様子が見られた。カウンターの23人の男性客は、いずれもややくたびれた中年風で、如何にも単身赴任でこの地にやって来て、晩飯と呑みを兼ねた食事をしている様子であった。

私と上司は向かい合わせのテーブル席で、上司はにやにやしつつ、私は神妙な面持ちで世間話をし、何気にその店の女性店主とその娘、そして常連客のやり取りを観察することになったのだが、ここのお店で上司が頼んだのが「肉豆腐」とお酒だった。

そのお店で常連の中年サラリーマンのオッサンどもが小声で、おっかさん代わりにその店の老年女性店主に愚痴を聞いてもらったり、説教を返してもらったりしている様子には、どこか学生気分が抜けきっていない私にはとても不思議な光景だった。こんなお店よりも若い姉ちゃんがいるお店に行った方がさぞ楽しかろうにと思えた。

一方で平成にはなっていたけれども、昭和の雰囲気が多分に残っているこの時代には如何に在りそうな光景だった。普通の小料理店ではあったけれど、今振り返っても可笑しな世界で、其処には中年おっさん共のマゾスティックな喜びが静かに横たわっているようなところだった。中高年になった今私がそこに足しげく通いたいか?}と問われたならば、しばらく考えて「1回だけで良いw」と答えるだろう。また覗いてみたいけれど、常連客にはなりたくないw

 

今脳裏によみがえるあのお店の独特の雰囲気と「肉豆腐」は妙にマッチしていた。だけれど私の場合は、誰にも説教されず、静かに熱燗2合と肉豆腐を口にしていたい。このたび肉豆腐を自分で拵えて食べていたら、この時のエピソードを思い出したのだけれど、よくよく考えてみると30年以上も前の話で、あのお店はもうないだろう。そしてあの素晴らしい上司は今もお元気に過ごされているだろうか?いつの間にか、私にとって肉豆腐とは、忘れ得ぬ想い出と時間の流れを感じさせる食べ物となっていた。

おわり

2024年12月6日金曜日

独り留守番飯 10-12.2024

独り留守番飯も2024の秋以降のものについて記載することになった。この秋は、夏に続き比較的温暖で、そして雨が多かった。私が住む地域では、12月に入り紅葉が本格化したとのニュースがあったくらい。例年この時期になると、松茸の情報に色めき立ちながらも結局は高価故に、週末に店頭に並べられた松茸をただ指を銜えて眺めているだけでやり過ごしてしまうということがこの四半世紀以上(大げさな書き方になったw)続いていた。今秋は、温暖と適度な雨量の影響で松茸が11月上旬に入ってもその収穫が続き、例年に比しその量も多いというローカルニュースが聴かれた。長年松茸熱愛ウォッチャー(私の事w)がこの温暖な秋のおかげで、11月上旬に格安となった松茸をカミさんの了解のもとにゲット出来たのは、僥倖の至りと言わねばなるまいw。このくだり、本項には直接は関係ないのだが触れておきたいエピソードだった。さて、独り留守番飯に話題は移すのであるが、その写真をi-phoneのアルバムの中から探してみたが、写真に残している品は以下の数点のみ。本当に忙しかったんだよねえ。今年の前半に比べると、あまり食べるものに気持ちを注ぐゆとりがなかったののだと思う。

26th.10.2024
牛丼w!若い頃は何度も某有名チェーン店のお世話になり、いわばオトコにとって、安い、早い、旨いのキャッチコピーともに定番の飯だった。それでももう食べなくなって30年余りになるだろう。ふと「一体正当な牛丼ってどんなものなのだろう?」と疑念が湧き、作ってみた次第。はい、期待通りの旨さではあったが、飯を掻き込みながら次に疑問が湧いたのが、「一体正当な牛丼を食べささせてくれる老舗の牛丼屋ってどこかにあるんだろうか?」ということだった。浅草?築地場外市場?多分ある筈で、いつか上京するチャンスが出来たら、探してみるのも良いかも。
27th.10.2024
豚丼。翌日に豚丼作っているw 豚肉ロース、しめじ、エノキ、玉葱を入れてますねw。焼き肉のタレで味付けしたのではないかしら。余りのすきっ腹に食欲全開だったのだろうな。全く記憶のかけらもないw。
03th.11.2024
天ぷら(風)うどんw。鳥のササミ肉と玉葱のみじん切りを薄力粉を水だけで溶いたの衣につけて、揚げ焼きにしたものをトッピング。出汁は某メーカーのあごだし粉末を煮だして拵えた。天ぷら食べたいけれど、物理的に許されない状況で編み出した作戦。その作戦は功を奏し、とても旨いうどんに仕上がった。ひそやかに満足した一品。

14th.11.2024
きつねうどんところっこ(くろかわ)の甘酢和え。お揚げは甘辛く煮て、出汁は前項と同じものを用いて、最高のうまさ。きつねうどんって、あまり派手ではないけれど実はとても旨いたべものだとしみじみと思った。右隣の小鉢に入ったものは、下に掲載した、くろっこ(くろかわ)というキノコの一種。
この度、その前週末に広島県北をドライブ中に立ち寄った
キノコ専門店で初めて知った。店の女性に、少し苦いけれど酢の物にしたら美味しいですよと勧められた。その晩はキノコ鍋で我が家は盛り上がったのだけれど、このくろっこは苦くて鍋には合わなかった。後日、店の女性のアドバイスを想い出し甘酢和えにしたのだけれど、この一品、その苦味が甘酢に緩和されて絶妙な按配となった。甘めのうどんを食べながら、この甘酢和えを食べていると良いアクセント・箸休めになってうどんとの調和が取れていた。やはり地元の方が旨いと思うものは、本当に旨いのだよ。食いしん坊としてはそういう感性を持ちたいと改めて思った次第。 
                                        
26th.11.2024
塩サバのペペロンチーノ。冷凍庫の底で眠っていた塩サバを食べるのになんとかせねばならぬと悩んだ挙句に作ってしまったペペロンチーノ。狙いは悪くなかったが、ヒトに供することが出来るかと云えば、課題が残った。青魚の臭みがやや強調されて、気にならないヒトは気にならないが、気になるヒトには気になる。つまり万人受けしない。即ち広く美味しいとは認めて貰えない。当夜は、レモン汁をかけてみたけれど、もっと調理工程で工夫が必要。あ!と後で気が付いたのだけれど、塩サバは別にソテーしておいてトッピングするだけにすると良いのかもしれぬ。今回は、茹でたパスタを煮汁と共に塩サバをソテーしたフライパンに投入したものだから、独特の風味がパスタ全体を支配したのかもしれないと自己反省。いつか再挑戦せねば。

このシリーズの最後が、この1品になり、華やかなエンディングとはならず我ながら情けないのだが、これが私のありのままの日常なればそれも仕方なし。
ただ、こうやって1年間独りで拵えて食べた記憶を辿ってみると、目の前に生じる諸々の出来事を全力で対処しては腹を空かせ、ひと時でも己の飯を拵えることに夢中になりその出来をあれこれ考えながら腹いっぱい食べて、それが束の間の気分転換だったり楽しみになっていたのだと改めて認識できた。その事を確認出来ただけでも良かった。これからもこの独り留守番飯を我が人生の営みの一部としてリタイヤ出来るまで続けていくのだろう。

さて、年末に向けて独り留守番飯に何を拵えるかそろそろ考えねばならぬ時期なのだけれど、果たしてこの年の瀬を順調に過ごせるかどうかまだ先が読めぬ。いつものごとく行き当たりばったりの独り留守番飯になるには相違ないが、それでも、うっすらと考えているのは年越しそばシリーズで、好きな蕎麦は拵えて食べてみたい願望がうっすらと頭をもたげている。この時期だったら、鰊蕎麦が私のファーストラインに上がってくるが、その後も、鴨南蛮蕎麦、天ぷらもどき蕎麦や肉蕎麦なども独り留守番飯のラインに載せ、それらを拵えて喰っていきたい........。

忙しい忙しいと言いながらも、あれこれ食べたいものが頭に浮かんでくるのだから、まあ大丈夫なのだろうw。

(終わり)



独り留守番飯 06-09.2024

独り留守番飯も、それなりに季節に応じて多少の変化が出てくる訳で、特にこの夏は記録的な暑さで、そういう時にはあっさりしたものが欲しくなるもの。特に胡瓜を始めとする夏野菜を欲し、自分ながらに楽しんだと記憶している。
12th.07.2024
冷やし中華!実はそれほど好物とは云えないが、やはり夏季に1度は食していたいもの。トッピングは市販物の焼き豚と錦糸卵(になっていないがw)。多分、この時は胡瓜を切らしていたので乗っけていない。まあ、冷やし中華を食べたぞ、と自分の中で季節的な句読点をうつw
15th.07.2024
冷たいお蕎麦w。ネギと天かすをトッピング。腹が減って忙しい時に、速攻で茹でて冷水で締めて、さっと喰らう。これ日本蕎麦の醍醐味。そして後にお腹の負担感なし。水が豊富に使える郷土だからこそ、こんな食べ方が出来るのです。良いですねえ、日本に生まれて良かったwとジジイなぞは思うのです。
25th.07.2024
ちりめん・アスパラ・トマト・サニーレタスのサラダ、(一応)だし巻き卵、コンビニのサバの塩焼き、胡瓜とわかめの酢の物、そしてごはん。相変わらずイケてない玉子焼きw。憧れの食べ物に日本旅館の朝飯というものがあって、一度きっちりとそのようなものを作ってみようかとあれこれ思った記憶在り。
05th.08.2024
カレーライス・ナスとマッシュローム、アスパラ添え。カレーと云えば、どこのご家庭にも或は作り手にもこだわりがある筈。余程のことが無い限り美味しく食べられる。一般向けにカレー粉を開発したヒト(日本人の筈)は本当にエライ!私は、ハウスバーモントカレーのルウ一択なのですが.......w
08th.08.2024
冷やし素麺、冷奴、野菜の煮びたし。余りの暑さに食欲が落ちていたかw?冷奴の旨さを知ったのは、実はある美味しい醤油と出会ってから。醤油の良し悪しで味は決まることを実感。そして野菜の煮びたし、ナス、アスパラ、獅子唐、カボチャなどを甘酢を潜らせると、なんと豊かな味わいになることか。これを考えたヒトエライと思う。

11th.08.2024
米ナスの味噌焼き。他にも何か食べた筈だが失念。晩夏にさしかかり、一度食べておきたいのは各種のナス。米茄子に甘辛い味噌を塗って、オーブンで焼くだけ。味噌と茄子の甘い果肉が織りなす味わいは口福と呼ぶしかないよね。ここに1合のお酒があれば最高なのだが、あくまで留守番中なのでね、禁酒です。
14th.08.2024
冷たい蕎麦とだし巻き卵、胡瓜・わかめ・竹輪の酢の物。だし巻き卵の再挑戦が主眼の飯。それなりに綺麗な卵焼きに仕上がっているものの、まだまだ。卵料理は、目玉焼きにしても卵焼きにしてもホンマに難しい。今後の課題になりそう.......。
16th.08.2024
シンガポールライス、茄子とわかめの酢の物、豚肉・ネギ・茄子・トマトの炒め物。シンガポールライス、残念ながら現地で食べたことはないのだけれど、大好きです。炊飯器ひとつで出来るのも素晴らしい。そして私の夏の定番の炒め物。今見返すと、なかなか良いもの食べてるw

24th.08.2024
トマトとソーセージのパスタ。ナポリタンを諦めたのか、こんなもの作っている。トマトに少々の赤ワインを加えたんだろうね。調理工程は全く覚えていないのだけれど。ささっと作るのが、一人晩飯の作法なものゆえ。


 

09th.09.2024
もやしたっぷりのソース焼きそばと冷奴。焼きそばには隠し味に少しの醤油を垂らしている。安定的な旨さ。そして口直しの冷奴はこの時は木綿豆腐をチョイスしている。この頃、いろいろな美味しい豆腐が売られていて、木綿豆腐もかなり旨いものが出てきているねえ。生産者に深く頭を垂れる想いがします。


あれ!? i-phoneのアルバムに収めた写真を見ると9月はこの一品だけになっている。その他独り留守番飯で何喰っていたのか全く記憶にない。まあ碌なもの喰ってなかったんだろうし、毎回同じようなものを喰ってわざわざ写真に撮るほどでもなかったのかもしれない。公私共に忙しかったのは確かなのです。

つづく

2024年12月5日木曜日

独り留守番飯 04-06.2024


前の項でも書いたけれど、この1年は目の前の課題に忙殺された毎日。年の瀬になって、ふと「オレこの1年何やってたんだっけ?」と思ったのがきっかけで、せめて何喰ってたか想い出したら、その折々の出来事や活動を思い出せるのではないかと想い、備忘録としてこのシリーズを書き始めた。ここの載せるものが全てではなく、カップラーメンやコンビニ弁当で済ませたことも多々あった。会心の作ばかりではないけれど、印象に残った自作飯をメモ書きしている。この度は4月から6月にかけてのもの。
22th.04.2024
もやしたっぷりのソース焼きそば。フライパンで具材を別々に炒めて、最後に絡める。ソバのパリパリ感ともやしのシャキシャキ感が命。好みでネギはマシマシ気味に。これは我ながらうまくいきましたw。旨かったなあ。これはいつでも再現可能。
05th.05.2024
再度チャレンジしたナポリタン。またしても失敗してしまった。敗因は凝りすぎw、具材にせよ、調味料にせよ、盛り過ぎたw。シンプル且つ正調の味付けってものがなかなかうまくいかない。またいつか再挑戦せねば。
24th.05.2024
ベーコン、しめじ、オリーブ入りのペペロンチーノ。この時期、ペペロンチーノに非常に嵌り我が独り飯のメニューに再三にわたり登場。この品の他、色々な具材で試してみたけれど、結局のところ、シンプルな具材なしのペペロンチーノが一番旨いことに気が付いた次第。
01th.06.2024
つけ麺、蒟蒻のピリ辛炒め、ワカメ、シラス入りサラダ。そろそろ暑くなって、蒟蒻ピリ辛炒めが食べたくなって、それに合わせてつけ麺を選んだと記憶している。この頃の若いヒトは、つけ麺がお好きなようだけれど、おっさんとしてはどうでもよかですw。でも、この3品の組み合わせは悪くなかったw。

04th.06.2024
前回・前々回の失敗が余程悔しかったのかw、またまたナポリタン。具材や調味料をシンプルにしてみた。味が単調になってしまうのを恐れて目玉焼きをトッピングしているw。あ、今初めて気が付いたのだけれど、ナポリタンに強く憧れつつも、本当はあんまり好きじゃないのかもしれない、オレw
07th.06.2024
好きなパスタといえば、やはりカルボナーラでせうw。カルボナーラについての想い出・思い入れについては別のところに書かせて貰った(って、別に文筆業をしているわけではありませんw)。カルボナーラソースを簡単に拵えることが出来るレシピを知ってそれに準じて作った。ああ、本当に旨かったな、コレw!

11th.06.2024
大分蒸し暑くなって、そろそろ冷たいものが欲しくなってきた頃に拵えたもの。私は麺類の中では日本蕎麦が一番好きというか満足できる(随分歳を取ったんだろうねw)それとこの夏に嵌っていたのが胡瓜の酢の物。これらだけではお腹が冷えると思い、だし巻き卵を作ってみたのだけれど。これがご覧の通り大失敗。卵料理は本当に難しいわあ。
21th.06.2024
ぶっかけうどん(生卵、海苔、天かすをトッピング)と胡瓜の酢の物。某うどんチェーン店のおかげで今やポピュラーとなったぶっかけうどん。お店では何がしかの天ぷらをトッピングしたいが、独り飯で天ぷらを拵える時間もなし。天かすで十分。安定した旨さ、そして嵌っている酢の物w

23th.06.2024
これねえ、「デュクセル」という名の料理。豚のロース肉ソテーに卵とじがなさている。高校時代の寮飯で初めて出会った。何故これをデュクセルと呼んでいたのか分からず、このたびネットで調べたけれどよく分からず仕舞いw。それから味、当時からあんまり美味しいとは思わなかった。ただあれは冷めたものをたべされられたからではないか?と想い、このたび初めて作ってみたのだけれど、どうもやっぱり然程うまくない。暖かいとかえって卵の風味(臭み)が強調されただけだった。どう改善して良いものかもわからないw、いっそトンカツや、とん平焼きとか調理法を変えて喰った方が良いのではないか?と真 剣に考え込んでしまった一品w             

つづく







 























2024年12月4日水曜日

独り留守番飯 01-03. 2024

 個人的には、色々なトラブルに出くわして、とても忙しかった一年。そして残すところあと1カ月。この1年、職場の留守番の夜に1人で拵えて食べたものをちょっと振り返ってみようという話。

05th.01.2024
ネギマとお蕎麦。
これは本当に旨かった。葱鮪は、憧れの食べ物で、長い間食べたくて仕方がなかったが、近くにそんなものを出してくれるお店を知らない。では、ということで自分で拵えたもの。
06th.01.2024
七草粥とカジキのバターソテー。
年末年始に美味しいものをたくさん食べて、少々胃がお疲れ気味の時に拵えて食べる七草粥は季節の節目を感じられると共にお腹の一休みには有難いもの。旨かったけれど、副菜が少々胃に重たかった。これでは意味ないじゃんw
20th.01.2024
レタス入り炒飯とセロリと胡瓜の酢の物、野菜スープ。そういえば、最近町中華に行ったことがないなと想い、街中華への憧憬を込めて拵えたもの。


26th.01.2024
塩ゆで豚とタルタルソース、蒟蒻のピリ辛炒め、野菜スープ
YOU TUBEの動画に触発されて作ったもの。どれも美味しかったけれど、どちらかと云えば夏に向いた食べ物だったな。また蒟蒻のピリ辛炒めはいずれまた作ることになるだろう。


01.02.2024
鶏肉のチャーシュー麺。何故作ったのかな?覚えていないが、岡山の笠岡ラーメンに触発されて自分なりに拵えたと記憶している。鶏肉チャーシューが入った笠岡ラーメンは、とても美味しいですぞw。


16th.02.2024
「資さんうどん」の肉うどんにお揚げプラス。北九州を中心にフランチャイズ展開しているうどん屋さんが冷凍うどんとして通販しているものを購入。私は山口県内で初めて「資さんうどん」に出会ってすっかり虜になってしまった。うどん麺は柔らかめなんだけれどしっかりとコシは残している。そして優しい味の出汁。うどん好きの方は、シコシコとしたコシを要求な
さるが、そうじゃないやらかなうどんも旨いのだよ。少なくとも地元の方はそれを愛している。食べ物は、地元民が旨いというものを素直に旨いと思える感性も必要なのです、と独り密かに想っている。ああ、また「資さんうどん」を訪問したいな。だけれど地元にはまだないのです。
22th.02.2024
2月に仕事上の用事で東京へ出張。1泊2日の駆け足旅であったが、東京の去り際に同地在住の友人とわずかの時間のランデブー。その際に「お土産に。」と渡してくれたレトルト詰めされたカレー。都内に2店舗構える老舗「デリー」で供されるカレー。このカシミールカレーstrong hotはその中でも一番の辛口

別れ際に彼が「相当辛いですよ。大丈夫ですか?」と二度も警告してくれたのだが、実は辛いもの苦手な私が、彼の優しさに触れてつい「大丈夫だよ」と応じてしまった。当夜彼が勧めてくれた。ジャガイモ、鶏肉、卵をトッピングして試したところ、最初に期待以上のうまみとコク、その直後から上品な辛さが口腔内に広がり、1人前食べ終わる頃には全身汗だく状態。
トッピングの3品との相性もバッチリで、嵌ってしまったw。  
              次回は是非彼とこのお店に訪問し、その他の品もいただいて
              みたいと思ったのであった。

03th.03.2024
卵かけご飯とベーコン・トマト・サニーレタスのシーザーサラダ、豆腐とわかめ、玉葱の味噌汁。この日にどうしてこんなメニューになったのかは記憶にないが、多分卵かけご飯が無性に食べたくなったのだろうと思う。卵かけご飯無性に食べたくなること日本人だったらあるんじゃないかと勝手に思う
05th.03.2024
オムライス。このオムライスが、というかオムレツを作るが私は大の苦手で、薄皮のタマゴ焼きに包むタイプにせよ、半熟オムレツにするか悩みつつ、どちらを選択しても結局うまくいかず、未だに克服できていない。この後も3度ほどトライするが、いずれも満足のいくものが出来なかった。
12th.03.2024
カレー蕎麦にカジキ・フライをトッピング。カレー南蛮蕎麦って旨いよね。出汁+カレー粉の組み合わせてこんなに旨い汁が出来るなんて、考案した先人は本当に偉い。それにカジキフライが相性よく、この組み合わせは偶然だったけれど、大満足だった。
17th.03.2024
ソーセージ、玉葱、トマト、ピーマンのトマトソース・パスタ。この頃パスタをよく食べていたな。手軽で簡単。独り飯には、短時間で仕上げてさっさと勢いよく平らげてしまうのが、宜しいかと思う。
19th.03.2024
前々から憧れていたのがナポリタン。よく喫茶店などの供されるものなんだけれど、よく考えてみたらこれまでこれをお店でオーダーしたことがなかった。つまり食べたことがなかった。喫茶店好きの私としては不覚だった。それで想像しながら作ってみたのだけれど、大失敗。味に凝り過ぎてこれではナポリタンとは呼べぬ。いつかまた再チャレンジせねば。
20th.03.2024
卵かけご飯、暖かい奴、卵スープ、釜揚げしらす、胡瓜の漬物(キューちゃん)。暖かい奴豆腐が好きである。レンジでチンして、めんつゆと薬味を入れて出来上がり。簡単に作れて、ご飯のおかずにも酒の肴にも最適。寒い日にこの一品があれば、顔が綻んでしまう。

つづく










































2022年5月3日火曜日

アメリカ音楽界隈を徘徊するのこと~その2~

4月に入り、私が住む地方では気温が急激に上がったかと思えば、気圧の谷続いて台風1号の影響により雨が降り、急激に気温が下がり肌寒く、何とも忙しい天候となっている。例年、春の訪れの兆しを探し求めながら過ごし、野鳥のさえずりや草花の賑わいを見つけては楽しんでいるのであるが、この度は例年に比べて私の現実生活も忙しいようで、ふと職場の周りを歩いていると、うぐいすやセキレイのさえずりや花壇の花々の開花にはっとさせられることがある。

2月からあれこれとアメリカ・ルーツミュージックを聴き漁ってきたが、アフリカ系アメリカ人が遺した音楽についてはひと段落をつけて、3月中旬よりヨーロッパ系アメリカ人が遺した音楽を聴き始めた。これまでカントリー、ブルーグラス、フォークなどは、私にとってあまり興味が持てるジャンルではなかった。

 これらの音楽ジャンルに興味が持てなかった理由として、音楽的物心がついた中学生当時1981年頃に見たアメリカ映画「Blues Brothers」、1980年代に流行したブリティッシュロックやテクノポップ、それから当時の日米の貿易摩擦などの世相などの影響もあったのかもしれない。

 Blues Brothers」は、ダン・エイクロイドとジョン・ベルーシが主演で、二人組の主人公が経営の行き詰まった孤児院を救うためにリズム&ブルース・バンドを結成しハチャメチャな珍道中を繰り広げる、ミュージカルそしてロードムービー仕立てのストーリーだった。その中では、二人の主人公にとって、ブルーズなどのアフリカ系アメリカ人音楽がとてもクールで最高なものとして、一方でカントリーミュージックはどこか田舎臭く粗野なものとして描かれていた。それ以来私も、最近に至るまでそのような感覚を持つようになってしまった。

 ずっと後年になり30代半ばに仕事の出張と休養を兼ねてカナダ旅行をしたことがあった。カルガリーからバンフへ同僚とレンタカーで移動している際に、カーラジオから流れてくるカントリーミュージックを聴きながら、車窓に広がるなだらかな起伏のある牧草地帯と眺めていたのであるが、その長閑な景色とカントリーミュージックがとてもマッチしており、その風土に育まれた音楽は、その土地で聴いてみると良いものだ、もし私がアメリカの中西部で生まれ育っていたならば、カントリーミュージックを好んで聞いていたのかもしれないと思ったものだった。

 それ以来、私の中にある様々な偏見はひとつ払拭されていたのであったが、これまでの生活リズムや環境などから、進んでカントリーやフォークを聴く機会がなかった。この度アメリカのルーツミュージック音楽を徘徊してみようと思い立たなければ、これらの音楽をこの先も聴かずに人生を終えたと思える。この度色々と探していると新たな発見もあり大変楽しく、それらの音楽に対して愛おしささえ感じることとなった。

 カントリーミュージックのルーツは、イングランド、ウェールズ、スコットランドやアイルランドからの移民が本国から持ってきた民族音楽から発展したものらしい。彼らの多くは、アメリカ東部のアパラチア山脈周辺に入植した者が多く、彼らが祖国の民謡を歌い継いで、それがカントリーに発展したという。歌い手の出身は米国南部諸州が多く、ブルーズなどの影響も受けおり、1940年代よりヒルビリーとかマウンテンミュージックと呼称され、これらの音楽からブルーグラスが派生したという。

 この度は、これらの音楽の源流も確認してみたいと思ったところから、以下のような音源を購入し聴いてみた。以下の説明の多くは前回と同様に「はじめてのアメリカ音楽史/ ジェームス・M・バーダマン、田中哲彦 著 ちくま新書」、Wikipediaからの引用です

 1. Classic English and Scottish Ballads from Smithsonian Folkways/ from The Francis James Child Collection

Francis James Child(18251895)は、文献学者でハバード大学の教授だったヒト。19世紀後半(18571858)にイングランド・スコットランドに古くから伝わる(大体16世紀から18世紀にかけて生まれたものが多いという)バラッド(民話・叙事詩)、伝承歌を収集・整理し305編にまとめた。その後、時代は下って1940年代以降、様々なフォーク系アーチストがチャイルド・コレクションを取り上げて演奏録音しているようである。19世紀より、民俗学が隆盛したのだろうと思うが、チャイルドは、日本でいうところの柳田國男みたいなヒトだったのだろうと勝手思っている。このアルバムに収められている演奏は195060年代を主に、2000年代まで様々な年代にレコーディングされたものであるが、哀調を帯びた旋律が繰り返されるなどどこか郷愁を誘うメロディが多い。主にブリテン諸島からの移住者がアパラチア山系の入植地で、こんな音楽を奏で苦労の多い日々を過ごしながらも自らを癒していたのだろうかと想像すると何だか愛おしくなってしまう。

 

2. Classic Celtic Music from Smithsonian Folkways

私は、ケルトという言葉に弱い。それには理由があるのだけれど、それを述べるのと長くなってしまいそうなので、この度は割愛する。ケルトとは、古代ローマ帝国時代の文献にも登場する西ヨーロッパ全域に活動していた古い民族ならびにその土地の呼称で、時代は下って現在ではブリテン諸島のスコットランド、アイルランドに残された文化を呼ぶときにそう呼ばれている。現在では、主にアイルランドの伝統文化を指すことが多い。物の本によると、現在のアイルランドの人口が約400万人に対して、アイルランド系米国人の人口は約2000万人と云われ、如何に本国から米国に渡った移民者が多いことが窺える。そのきっかけは19世紀にアイルランドで起こった大飢饉によるもので、アイルランドの農村の崩壊と共に生活の糧を求めて米国への移民する者が急増したらしい。その後に、アイルランド本国で起こった艱難辛苦、苦難を乗り越えて20世紀初頭に果たした独立の過程とアイデンティティーを求めての文化運動についても興味深いのだが、それについても割愛。アイルランド移民の多くは、米国東海岸諸州に定住したらしいのだが、彼のコミュニティーの中で故郷の音楽が演奏され・歌い継がれてきたのであろうことは、想像に難くない。一般的に彼らの音楽が、現代のアメリカのフォークやロックに影響を与えたとされるが、現時点では私には具体的に分からない。今後良い文献を探して深堀出来ればと思う。

このアルバムでは、繰り返される旋律で構成されたメロディ、哀調を帯びたスローテンポな曲がフィドル、バグパイプなどの演奏や独唱で聴かれる。1970年代後半からワールドミュージックとしてのケルト音楽が世界的に脚光を浴びることになるのだが、それらのムーブメントの中心的役割を果たしたグループのひとつであるBothy Bandの都会的に洗練された演奏と比べると、このアルバムに収録された多くの演奏は、より素朴さと哀愁を帯びたものが多く、19世紀半ばにアイリッシュ米国人が持ち込んだ本来のアイルランド農村地域に残っていた音楽により近いものなのではないかと思えた。

 

3. Classic Bluegrass from Smithsonian Folkways Vol 1, Vo2

カントリーミュージックは、イギリス諸地方からアパラチア山系に入植してきたヒト達が、彼らの故郷から持ち込んだバラッド、民謡などを歌い継ぎ、それらの音楽から発展してきた。ブルーズなどの影響も認められるが、基本的には南部白人文化が素地になっている。彼らの農業中心の生活で保守的な傾向から、イギリスのバラッドのテーマが良く残されているのだという。

カントリーミュージックは、当初ヒルビリー(1920年代)、その後マウンテンミュージック、カントリー&ウエスタン(1940年~1950年代)と呼称が変遷、40年代からブルーグラスというサブジャンルが派生したという。

この度は、ブルーグラスに興味を持ち、Smithsonian folkways collectionを購入し聴いてみた。馴染みやすいメロディに男性ボーカルの高くも優し気なハーモニー、フィドル、バンジョー、マンドリンなどのテクニックを競うかのような速弾き、総じて明るくて長閑な曲調が多いような印象。明るい陽射しの春の午後に聴いていると穏やかな気分に浸ることが出来る。60年代以降の都会の若い人たちには、カントリーミュージックがどこか保守的で田舎臭く映り、あまり受けなかったらしい。

 そうなのかもしれない、これらの演奏をクルマに同乗していたうちの愚息に聴かせたら、「もう無理」と途中で変えられてしまったw。でも、私としては聴いていて悪くないと思うのだが、ああ、そうか! 私自身が、いつの間にか田舎暮らしの初老オトコになってしまってい、その曲調が私の精神状態に丁度合っているのかもしれない

否!その音楽性が素晴らしいから、現在まで米国人の多くを魅了し続けているのであったw

 

4. Classic Railroad Songs form Smithsonian Folkways

米国における鉄道の始まりは1830年であり、それまでは、水路を主体とした貧弱な交通しかなく、以後蒸気機関車による鉄道網が全米に急速に広がった。鉄道の発展によって、ヒトの移動だけではなく、物や情報の伝達速度も飛躍的に速くなったのだろう。20世紀半ばに旅客機やクルマにその主役を取って代わられるまで、人々の鉄道に対する憧憬は強かったに違いない。旅情、人生の出会いや別れ、ニュースや知人・家族からの知らせなど、人々の様々な思考や心情を鉄道に投影されていたに違いなく、歌に表す大きな表象となったのだろう。この音源では、労働歌、バラッド、ブルーズ、カントリーなど、様々な音楽形態の曲が聴かれるが、そのどれもが素朴なれど、逆に曲に込めた人々の心情がストレートに表れているようで好ましく、聴き終わった後に優しい気分になる。また、Pete Seegar,Lead Belly,Woody Guthrieなど現代フォークのレジェンドたちの演奏をこのアルバムで知ることが出来たのは良かった。


5. This Land Is Your Land: The Asch Recordings, Vol.1/ Woody Guthrie

Woody Guthrie(19121967)は、「現代フォークの祖」と評されたフォーク歌手で、1930年代から活動。30年代の不況下で放浪するHoboと呼ばれる人たちと共に米国内をギターを持って放浪し、土着のメロディーに新しい歌詞をつけて貧困や政治、旅情や自然を歌ったのだという。このHoboという言葉、この度初めて知った。不況下において、無賃で列車に乗り込み、季節労働や日雇いで糧を得る貧しいヒト達がいたんだね。フォークソングは、メッセージ性が強く往々にして反体制的な行動と共にあったみたいなのだけれど、ウディ・ガスリーも時に労働運動に関わった。下層労働者に対する仲間意識が強く、そういった人々がいることを繰り返し発信したのだという。音楽的に成功を収めるが、生涯大都市に近づかず放浪を続けたらしい。若き日のBob Dylanが彼を敬愛し、晩年病床に伏せていたガスリーを幾度となく尋ねたのだという。実際にこの音源を聴いていると、曲調は全体的に明るく穏やかな曲調が多く激しくプロテストした内容になっていないので聴きやすい。無名の民の中にあるメロディーや心情に沿った歌のようであり、その点が普遍性を持った音楽となっているような気がした。


こうやって、ルーツミュージックを色々つまみ食いのように聴き漁ってきて思う事は、一人の天才が築き上げた音楽も確かに凄いのだけれど、なんだか無名の一般庶民によって長年歌い継がれてきた音楽っていうのもなかなか素晴らしいなということである。そこには時代や状況に翻弄された苦労の多い人生から生まれてきた人々の喜びや悲しみなどの心情が直に込められている。聴き手としては、何世代にも亘って音楽として受け継がれてきた無名の人々を「心」を受け取っているようであり、その事を想うと何とも言えず深い感銘を受けてしまうのである。

ボクの「アメリカ音楽界隈の徘徊」はもうしばらく続く。