2024年に独り留守番飯として自ら拵え喰ったものを、これまで4期に分けて書き記してきたのだけれど、自己大満足を得られた品をまだ載せていない。上半期と下半期に分けて夫々ここに優秀作品として発表し、己の人生続く限りの後世に伝えておきたいと思う(大げさないい回しw)。
この度は、上半期の優秀賞から……。
その作品は、20th.03.2024に拵えた「肉豆腐」でーす!!
この品、私が長らく憧れて来た一品。これまでの人生で20代に一度しか食べたことがなかった。ポピュラーな料理名なのだけれど、あまり家庭では食卓に上がらないものなのではないか?お店でも、高級割烹でも出さないし、今流行りの居酒屋でも提供されないだろうし、勝手な想像ながら小料理屋と呼ばれる高級と大衆の間の中間層的なお店でしかだされないのではないか?しかもこういった類のお店は今のご時世からして絶滅危惧種だし、そもそも「肉豆腐」なる料理が昭和の匂いプンプンで人々から忘れ去れているのではないか?(スミマセン、私の偏見が多分にあります)そう思えてくると、無性に「肉豆腐」に対する憧憬の念がこの時期に沸き起こってしまったのだった。
ここで一般的な疑問が湧いてくるのであるが、果たして「肉豆腐」と「すき焼き」には違いがあるのか?ないのか?というものだろう。うーむ。すき焼きには、その名のごとく作り方や具材に各御家庭の流儀があって夫々に正しいのだと思うのだが、その作り方においての最大公約数としては、平たい鍋の中に牛肉、ネギ、シラタキ、豆腐、春菊(その他、白菜やキノコ類、或は地域によってはゴボウを入れることも)などを醤油と砂糖などで味付けをされて火にかけられたものに生卵に潜らせて食せば、すき焼きを喰ったことになるだろう。一方、肉豆腐といえば、牛肉と豆腐を中心に同じような味付けをして煮込めば、肉豆腐が成立する。一体何が違うのだ?
この度、ネット上に掲載されている「肉豆腐」のレシピやyou tubeの動画を参考に実際に拵えてみることにした。詳細は割愛だけれども、まずは出汁を取り、そこに焼き豆腐(この度は厚揚げ豆腐をフライパンでじっくり炒めたものを使用)、焼き目を付けたネギ、そしてちょっと霜降りの薄切りの牛肉をフライパンで炒め、醤油・お酒・みりん・砂糖で味付けしたもの、をひとつの鍋で煮込んだ。味付け全体にはやはりみりんと砂糖、お酒とした。が、ここでポイントなのがこの料理はあくまでも煮物であるということ。全体的には薄味で仕上げる。こうすると生卵に潜らせなくても飽きが来ずに食べることが出来る。ごはんのおかずに良し、酒の肴にも良し、である。そうなのだよ、すき焼きって、最初に儀式としてカンカンに熱した鍋に油を布いてそこでネギを焼き目がついてネギの香りが立つまで焼いて、そこを見計らって薄切り牛肉を敷き詰め、その上から割り下を指してすこし火を通す、そこで一同が最初の箸入れをする儀式めいた過程があり、そのあと牛肉の脂とうま味が残った鍋にシラタキや豆腐、野菜を投入して火が通ったら食べる(これ、あくまでも私の個人的な好みというか流儀ですw)。これがワンクール目。その後は食材がなくなるまで或は腹が満たされるまでこのクールをひたすら繰り返すことになるのだけれど、正直なところ、最初のワンクールでもう充分なのだよ。すき焼きは、食べる前の高揚感とは裏腹に、それを食べる醍醐味は最初のワンクールで尽きてしまう。即ちすぐに飽きてしまうのだよ。後は惰性です。
その点、肉豆腐はそこそこの高揚感(オレだけかw)を持って臨み、その歓びは持続していくのです!これが、すき焼きと肉豆腐の最大の違いです!寒い夜に、厚い白ご飯のおかずとしてか、熱燗の肴として密やかにしみじみと食べるのには、すき焼きよりも肉豆腐が相応しい!という我ながらしっかりとした偏見に満ちた考察が出来たのであった。
すこし長くなるけれど、二十代の頃に一度だけ食べたことある肉豆腐についての忘れ得ぬ思い出話を少し書き残しておきたい。私は社会人3年目になった時に出向を命じられて1年ほど大分県に移り住んだことがあった。そこの部署には、生まれも育ちも九州である50代の男性上司がいた。20年も上の大先輩に向かって適切な表現かは分からないが、大変優秀な方でその道ではよく知られた方であり、物事の判断には明確な基準を毅然とした態度で示す性向に、若い私なぞは職場ではある種の緊張を覚えることしばしばだった。一方で仕事を離れると、子どものような人懐こさや明け透けな態度も示してくださった。学閥の異なる私が謂わばアウェイで働いているのを蔭にも日向にも気を配って下さり、私が異動直後の日の浅いうちに彼の居室に挨拶に出向いたその日から月一程度で彼の直属で働く若い同僚と共に食事に誘ってくださるようになった。
大変美食家の方で、当時あまり食べたことのないものを食べさせてくれたのだが、或る日私が田舎者宜しく「〇〇さん(上司のこと)は、色々と美味しいものをよくご存じなのですね?」と問うと、その方は「それはねえ、マサキさん(若輩者の私を必ず君ではなく、さん付けで呼んでくださった)、ボクの子どものころは悲惨だったの。母親は小学校の校長まで務めたエライ女だったんだけどね、料理をまったくしなかった。だから、ボクは小学校時代から学校が終わって家に帰ると包丁を握って、妹の食事の分まで面倒をみなくちゃいけなかたのよ。だからね、それ以来旨いものに餓えてね、自分で稼ぐようになってから方々食べ歩いたのよ。これ、ただのコンプレックスなの。そう云う意味じゃあ、母親を恨んでるのよ。」などとおっしゃられるのだった。若い私としては、どう返したものか分からず、「はあ」、としか返事がしようがなかった。
ある日、その上司が私のところにやってきて、ニコニコとした笑顔で「マサキさん、今晩暇?面白い店に連れて行ってあげるよ」「その店、ヒステリーの母娘がやっている店でねえ。大のオトコが、そのママに説教されて時に涙を流して嬉しそうに飯を喰っている処なのよ。ちょっと屈折した世界観を観に行かない?」と言った。サドマゾの店か?果たしてそんな店で飯が喰えるのか?と半ば戸惑いながらも、この上司に付いて行けばご馳走に有りつけるのは間違いない訳で、当然そのお誘いに応じお供したのだった。
そのお店は大分市内の盛り場の一画にある所謂小料理屋で、引き戸をガラガラと開けると正面にカウンター席5-6席、その手前に四人掛けのテーブル席が3-4つあったと記憶している。やや薄暗くやや古びた佇まいのお店で、カウンターには、3つ4つお惣菜が入った大皿が並べられ、カウンター越しの奥には赤い口紅に派手なアイシャドウを引き、髪は茶髪に染めてアップに結ったどう見ても80代の女性とその左隣には40-50代の思しき全く化粧っけのなく、表情まで乏しい地味な女性が立っていた。
80代の女性がやや鋭い表情を崩さず、カウンター席に座った客の相手をしており、40-50代の女性が黙々と料理を運んだり、テーブルを拭いたりしている様子が見られた。カウンターの2-3人の男性客は、いずれもややくたびれた中年風で、如何にも単身赴任でこの地にやって来て、晩飯と呑みを兼ねた食事をしている様子であった。
私と上司は向かい合わせのテーブル席で、上司はにやにやしつつ、私は神妙な面持ちで世間話をし、何気にその店の女性店主とその娘、そして常連客のやり取りを観察することになったのだが、ここのお店で上司が頼んだのが「肉豆腐」とお酒だった。
そのお店で常連の中年サラリーマンのオッサンどもが小声で、おっかさん代わりにその店の老年女性店主に愚痴を聞いてもらったり、説教を返してもらったりしている様子には、どこか学生気分が抜けきっていない私にはとても不思議な光景だった。こんなお店よりも若い姉ちゃんがいるお店に行った方がさぞ楽しかろうにと思えた。
一方で平成にはなっていたけれども、昭和の雰囲気が多分に残っているこの時代には如何に在りそうな光景だった。普通の小料理店ではあったけれど、今振り返っても可笑しな世界で、其処には中年おっさん共のマゾスティックな喜びが静かに横たわっているようなところだった。中高年になった今私がそこに足しげく通いたいか?}と問われたならば、しばらく考えて「1回だけで良いw」と答えるだろう。また覗いてみたいけれど、常連客にはなりたくないw
今脳裏によみがえるあのお店の独特の雰囲気と「肉豆腐」は妙にマッチしていた。だけれど私の場合は、誰にも説教されず、静かに熱燗2合と肉豆腐を口にしていたい。このたび肉豆腐を自分で拵えて食べていたら、この時のエピソードを思い出したのだけれど、よくよく考えてみると30年以上も前の話で、あのお店はもうないだろう。そしてあの素晴らしい上司は今もお元気に過ごされているだろうか?いつの間にか、私にとって肉豆腐とは、忘れ得ぬ想い出と時間の流れを感じさせる食べ物となっていた。
おわり

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