2024年に独り留守番飯として自ら拵え喰ったものを、これまで4期に分けて書き綴り、勝手に上半期と下半期にそれぞれ自己大満足を得られた優秀作品を発表するという、極私的な自画自賛企画。この度は、下半期の優秀作品を発表する。
それでは、下半期の優秀賞は……。
その作品は、29th.11.2024に拵えた「小田巻蒸し/茶碗蒸し」でーす!!
私は、ガキの頃から茶碗蒸しが大好きだった。田舎町に生まれ育ったのだが、父親は宴会好きなところがあり、来客があると大人数であれば町内の仕出し屋に仕出し料理を注文するか、ごく親しい知人・友人が訪ねてくると、母親に料理を作らせた。母親は、文句も言わず来客へのもてなし料理を作ったものだが、寒い時期になるとその料理の一品として茶碗蒸しがメニューに上がった。その折には、母からちょっとした手伝いを命じられたのだが、茶わん蒸しを作る際には、生の銀杏の殻わりと薄皮を取り除く作業があった。この生銀杏の皮取りをしていると、あの独特の臭みが指先に残り閉口したものだったが、出来上がった茶碗蒸しは大変優しい味がして、いつの間にか私の好物になった。後年、進学で実家を離れたが、帰省の折には必ず母に茶碗蒸しを所望するようになった。
この茶碗蒸し、具材の量や、蒸らす火加減により出来不出来が生じ易いもので、作り馴れた母でさえ、時に素が立つことや却って火加減が弱くしっかりと固まらないことがあった。母親が、うまく出来上がらないと大変悔しそうな声を出すことがあった。そうなのだよ、茶碗蒸しは、具材準備に手間暇がかかる割に、最後の蒸らしの段階になってその努力の成果が報われない失敗を生じてしまうことがあり、そのためもあって一般家庭ではなかなか食卓に上らないことになると思われる。
結婚後、夫婦の会話のなかで、私が茶碗蒸しが大の好物であることは家内に伝えていたのであるが、幾年経っても我が家の食卓に登場することはなかった。ある時その理由を家内に質したところ、家内曰く「だってね、茶碗蒸しって手間暇かかる割に、腹の足しにはならないし。電子レンジにせよ、ガス火にしても調理器具によって蒸らす条件が変わってくるのよね。腹を空かせたオトコども(私、息子二人)を喰わせないといけないんだから、作るのパスしてしまうのよね」と笑いながら言った。
家内にそう言われると、食べさせてもらう立場の人間としては、内心悲しい想いもするものの、「全くその通りだ」と認めざるを得なかった。
11月上旬の県北へのドライブの折にゲットした松茸。私のエクスキューズとして年末年始に息子どもが帰省した折に食わせてやりたいとの理由付けだったが、私が食したいとは言わなかった。この作戦が功を奏し家内の承認を得られたのだが、だからその理由付けのせいで未だその松茸は喰わず仕舞いw、我が家の冷蔵庫の中で冷凍保存されている。
その冷凍保存となった松茸を、私としては密かに茶碗蒸しに入れて息子どもに食わせてやりたいなと漠然と思いついた。秋に購入した松茸を冷凍保存し、正月などに茶碗蒸しの具材とするやり方は、母がかつて考えたアイデアだった。
11月は、その母が亡くなって一周忌の命日を迎えたのであった。実家で法事の準備をあれこれと進めていくうちに、記憶の断片として先に述べた茶碗蒸しの思い出が蘇ってきたのだった。集まって下さる来客に仕出しのお弁当を用意することとしたが、何かもう一品暖かいものを、出来れば母がかつて作ってもてなした様に茶碗蒸しを付けて差し上げたいところだった。生憎私自身は茶碗蒸しを拵えたことがなかったので、あくまでも私の想いに留まっただけのことではあるが、幸いにして当日は家内が「鯛の潮汁」を作ってくれて、弁当の他に何か温かいもの一品をという想いはカタチを変えて供することが出来、来客に喜んでいただけたのだった(妻には感謝)。法事を無事に済ませて、この1年間の諸々の気忙しさ・心理的な重たさの一部から解放された(財産の整理とは、想像以上に心理的に重たい作業だった)のだが、よくよく考えてみればそんなに好きな茶碗蒸しならば、黙って拵えてもらうことを待つよりも、自分で拵えられるようになれば良いだけのことではないか。この単純な理屈が解り、「茶碗蒸しは、俺が作るわ。今後は俺の担当にする」と11月下旬のある日に家内に宣言した。
早速、11月29日の留守番飯として試作することにした。ネット上に諸氏が掲載してくれているレシピを参考に、卵汁と出汁の分量比を確認し、ガス火を使った蒸し方法を自分の定番とした。この度作ったものは、多分ご存知と思うがうどんが入った茶碗蒸し、即ち「小田巻蒸し」と呼ばれる料理。これだと「腹の足しにならない」部分が解消され、食べ応えのある一品になる筈だった。生憎、うどんの他に使えそうな具材が無かったので、冷蔵庫の中で眠っていたカニカマを利用した。うどんを茹で、出汁を作って、それらを一度覚まし、冷めた出汁と卵汁の分量をきちんと図り混ぜ合わせ、冷めたうどんが横たわる丼に茶こしで卵汁と出汁の混合液を濾しながら入れ、その丼にアルミホイルを被せ沸騰したお湯を張った深い鍋に入れて、弱火で20分ほど蒸した。20分後に恐る恐る丼のアルミホイルの蓋を開けてみる。
おお!なんという美しいサーフェイスw!箸を刺して固まり具合を確認すると透き通った出汁が溢れしっかりと固まっている。初回にしては完璧な出来具合だった。実食してみると食感はプリンと柔らかく、塩加減もいう事なしw 我ながら素晴らしい~w。どの作業工程も気を抜くことなくしっかりとこなせば、茶碗蒸しは再現できそうだった。今度は正調の茶碗蒸しを作ってみるかなどとひとり良い気分になっていた。
翌日、我が親友に「茶碗蒸しを作ったぞw!」と意気揚々と報告したのだが、彼が多少申し訳なさそうにしつつも毅然と、「言っちゃ悪いんだけれどさ、ビギナーズラックってものがあるからなあw」「3回連続成功したら、あんたを茶碗蒸し師と認定して進ぜよう」などと言うではないかw。尤、彼の奥様が大の茶碗蒸し好きで、よく家庭で作ってくれるそうなのだが、彼は彼なりに奥様のご苦労を知っていた。だからこそのコメントだったのであるが、私としては全くおっしゃる通りで、茶碗蒸しが一度成功したからと言って次回が上手くいく確信もなく、「まったくごもっとも」と認めざるを得なかった。
ということで、「茶碗蒸し師」の称号を得るべく、今後も茶碗蒸しを作り続けることにしたのだったw。下の写真は、12月6日の夜に作ったもの。これもうまく出来たw!茶碗蒸し師への修行は、なかなか良い滑り出し。いずれは松茸入りの茶碗蒸し拵えてみせるぞ!と己に誓うのであった。
アホなアウォード話に付き合わせて大変申し訳なかったのですが、前項の大分時代の上司の食にまつわる話にせよ、私の茶碗蒸しの想い出にせよ、当たり前のことだけれどそのヒトの食にまつわる性向は、そのヒトとその母親の関係性が強く影響されているのだとつくづく感じたのでした。私は美食家になるほどの感性は持ち得なかったけれど、腹が減れば自分で拵えては己の腹を満たすという習慣を身に着けることが出来たのは、亡母の影響大であり、そのことも彼女には感謝せねばならないのだろうとこの度改めて気が付いたのであった。
ひとり留守番飯2024シリーズ おしまい


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