今年5月のある日、九州地方に住むタカヒロがmessengerで「イチロウとマサキの都合が良ければ、7月2日土曜日に会わないか?イチロウとマサキの都合が良いのであれば、仕事の用事を入れるから。」と連絡を寄越した。
タカヒロは学生時代からの友人であり、F.B.で時々連絡を取り合っている。彼とは、学生時代には所属するクラブや普段交友する仲間が異なることもあり、仲は良かったが特別親密というほどでもなかった。むしろ就職して以降から就職場所が同じであったこともあり、時々食事や飲み会を共にするようになり、お互いに学生時代以上の親密さを感じるようになったのだと思う。それも数年間の事で、夫々の事情で再び疎遠となっていたのであるが、2年前の同窓会で再会し彼が私やイチロウのことを大変懐かしがってくれてい、時折「私やイチロウと飯が食べたい」とF.B.でコメントしてくれていた。
結局、当日はイチロウには既に先約がありタカヒロに断りを入れたのであったが、それでもタカヒロは「マサキと呑みたいから。」と、仕事上の用事を入れ当日広島にやってくることになったのであった。
ある時、私と関西に住むコウイチとmessengerで会話しているうちにタカヒロの事に話題が及び、彼が「タカヒロと会うのなら、俺も翌日ゴルフがあるけど、広島に行けなくもない。」と言った。更に2-3やり取りをしている間に、彼はあっという間に当日の宿泊の予約を入れたみたいであった。夕方広島に来て私たちと飲み食いして、翌朝7時の新幹線で関西に戻り、他のゴルフ仲間とラウンドする予定にしたとの事。
普段常識的で落ち着いた態度や抑制的な行動を示すコウイチが、そんなにも大胆な行動を取ろうとすることにあっけに取られる想いがし大変驚いたが、彼に会えるとなればやはり大変嬉しかった。
彼ら二人とのやり取りを横で眺めている恰好になったイチロウは、彼にしては珍しく「ええんか!羨ましいな、チクショウ」と本当に残念そうに感想を漏らしていた。
“じゃあ、イチロウはイチロウの約束をキャンセルして、こっちに参加すればいいんだぜえ”と大仰な態度で彼に水を向けたりもし、彼も一瞬そんな迷いを抱いたものだが、でも先約は先約だから仕方なしということになった。
一方で、イチロウと私にはちょっとした懸念があった。
2年置きに高校同窓会が開催されているのだが、この度の私の歓待がパーフェクト過ぎて、「次々回の同窓会は広島でマサキが幹事で開催してしまおう」という話の流れが出来上がったら、“ちょっとやばいな(笑)”ということであった。イチロウや私には、対人マネージメント能力は皆無であることをお互いに重々自覚しているのだ。
そんなちょっとした懸念を抱きつつも、やはりタカヒロやコウイチとの再会が楽しみであり、“どんな店に二人を連れて行こうか?和食が良いか、フレンチが良いか?2次会はタカヒロの好きなワインが飲めるところにしたいから、1次会は和食に連れて行ってワインは呑ませないでおこう”などとあれこれ思案して、あるお店に予約を入れた。
この頃は、すっかり外食や外呑みをしなくなったので私自身のレパートリーはあまりないものだから、予約を入れたお店もこれまでに行ったことがなくオトコどもの期待に沿えるお店であるのかどうか、そして本格的な梅雨が始まり当日の天候が大雨になって、久しぶりの再会に文字通り水をさすようなことにならないかが、約束の日が近づくにつれて気がかりになっていた。
7月2日当日は、幸いにも終日陽が射したり厚い雲が上空を覆うような梅雨の中休みのような天候で、天気は持ちそうであった。午後6時過ぎにタカヒロをホテルまで迎えに行き、そこから予約を入れたお店にエスコートすることにし、多少広島の地理を知っている筈のコウイチには大変申し訳なかったが、広島駅から直に現地に来てもらうこととした。
タカヒロは、約束の時間に日焼けした身体にネックレスを付け、白いシャツ、ジーンズの軽装で現れた。「よう、久しぶりだなあ、マサキ」と学生の頃と変わらないクリクリとした眼で顔全体を綻ばせて挨拶をくれた。家内が現地のお店まで送ってくれて、予約時間を10分程度遅れて到着。コウイチは既に店に入っていて、案内されたテーブル席で待っていてくれた。
「よう。」コウイチは、これからゴルフに行くよという風なスポーティな出で立ちでやって来ていた。
ふたりとも普段から節制し運動をしているので、学生時代とほとんど変わらない体型を維持していて若々しい。
お互いの挨拶が終わると、早速ビールを夫々に注文しスタート。予約していたコースの料理に舌鼓を打ちつつ、お互いの近況や学生時代の想い出話で盛り上がる。次第に、同窓会になかなか出て来ない旧友に話題が及ぶ。コウイチとタカヒロは私よりも情報通であり、卒業以来疎遠になった友人たちのことを話してくれて、そのいずれの人物も懐かしく確かに会ってみたい気になった。聴く私もどちらかと云えば、同窓会に対しては不義理を働いているので、二人の話の矛先が何時こちらに向けられるのかがちょっとした気がかりでもあったが、二人の話はただただ懐かしい想いで聴いていた。
ビールが済むと、二人に地元のお酒を勧める。二人とも「旨いね」と言ってくれて、運ばれてくる料理も満足できるものであり、二人もそのように思ってくれている様子で歓待する者としては大変安堵した。
3人とも少しアルコールが入って口が更に滑らかになって、若い頃につきもののエピソードなども飛び出して笑えたのだったが、20年以上も前の話がつい昨日のことのようであった。
タカヒロとの間では定番となっている話があって、真夏の夕方にタカヒロのクルマでドライブをしたことがあった。職場の女の子を二人後ろに乗せて喫茶店にお茶をしにいったのであったが、その帰りに交差点で信号待ちをしているとクルマがエンストを起こしてしまった。後続の車両にお詫びのポーズをして、慌ててオトコ二人して側道にクルマを押して移動し、汗だくになりながら押しがけをしたことがあった。1‐2度のトライで見事にエンジンが掛かり、オトコ二人で大笑いした。そういう独身時代のハッピーな光景として、タカヒロと私の共通の想い出としてあとに残った。彼と会う度にその話をして懐かしがるのであったが、ふと今振り返るとあの時連れていた女の子たちも怒りもせず笑って楽しんでいたような気がする。
タカヒロには、明るくて同性・異性を問わず相手から陽性の感情を抱かせる魅力があの当時からあった。
タカヒロに比べると、コウイチは学生時代から親密に付き合っていたと思う。近年では時折このブログで取り上げる程に頻繁に連絡を取り合っているので、改めての当日彼との間での思い出話も出なかったのであるが、ひとつ思い出したことがあってその場では言わずにいた。もっとも言ったところでオチのない詮もなきことであるのだが、その想い出とは大学の最後の夏にコウイチが私を自宅に招いてくれたことが有って、その時彼は、私を宝塚~西宮~神戸へクルマで案内してくれたのであった。穏やかでリラックスした夏のひと時であったのだが、関西人の暮らしが垣間見えて田舎者の私には大変珍しく興味深いひと時でもあった。上にも述べたが、コウイチには若い頃から常識的でバランスの取れた感覚があり、そう云うヒトとなりがこんな環境で出来上がったのかと妙に感心した。それ以来、彼をそれまで以上に信頼することになり、事あるごとに何かを話しては相談に乗ってもらうようになった。普段は、コウイチの頻繁に出てくるギャグに釣られてしまい、言いそびれてしまうが、常々感謝するところ大である。
1次会の和食店には、二人ともその食事やお酒にも満足してくれた様子で無事に終了。
時間は21時を回ったところでお開きにするにはまだ早く、2次会としてワインバーに二人を案内した。半年に1度くらいのペースで10年以上通っている店であり安心して二人を案内出来るところである。
ここから先、何を話したのかほとんど記憶になく、どうこの記事を進めて行けばよいか分からない。その店自慢のワインセラーを見せて貰ったり、可愛い女性ソムリエさんに相手をしてもらって刺激を受けたのか分からないが、確か若い頃の女の子話に盛り上がったか、その辺りをコウイチに確認が必要なのだが、確認するほどの内容ではなかったような気もする。それでも学生時代の気分に戻って、和やかで楽しい時間だった。
店のオーナーお勧めのトスカーナワインをボトル一本開けたところで、良い頃合いとなり、その店を退散。午前0時にはまだ1時間30分くらい余っていたので、もうちょっとということになり、3次会として外国の方も集まる賑やかなアイリッシュバーへ二人を案内。そこで、更に酔いが廻って青春時代のエッチ話になったようであるが(全く記憶になく、私がそのお店でF.B.にアップした短文を参照した)、タカヒロの青春時代エピソードに突込みを入れていたのかもしれない。
考えてみればお互いにまだまだ仕事は忙しくこなさなければならない年頃なのだが、子育てはそろそろひと段落しつつあるところで、自分に割ける時間を取り戻し再び中年としての青春期に突入しているのかもしれない。
タカヒロともコウイチともどちらからともなく「楽しい。良いなあ。マサキ会を定期的にやりたい」と言い出してくれて、歓待した身としては面目を施したということで大いなる満足を得ることができたのであるが、先に書いたようにイチロウと交したちょっとした懸念に向かって背中を押されたようで、何とも複雑な想いを抱えることになってしまった(笑)。
タカヒロにもコウイチにも定期的に会いたいが、この二人が「次々回の高校同窓会は、マサキの幹事でやろうぜ」と言い出さないことを切に願うばかりであるw。
午前0時が近づいたところで、「マサキ会」はお開きとなった。翌日、タカヒロは仕事の上のミーティング、コウイチは朝早くからゴルフのため関西に戻り、私は家の雑用とそれぞれの日常に戻った。後には、蒸し暑い夏の午後に夕立が降って、一服の清涼を得られたような心地良さが心に残った。
週が明けて、職場でイチロウにミニ同窓会の模様を報告。イチロウもちょっと羨ましそうで「次回は俺もマサキ会に参加するよ」との反応あり。
イチロウは、週末ジロウと北海道オホーツク海沿いで開催されたサイクリング大会に参加したのであるが、コースが素晴らしく大満足であったとの事。「マサキを連れて行きたかったなあ。マサキ好みのフラットなコースで路面も良かったし、景色も素晴らしかった。途中から雨にやられてな。あれには参ったが、それも含めて面白かったぞ。」
“じゃあ、二人とも大満足で帰ってきたのだな。良かったじゃないか。”
イチロウ「だけどな、ちょっと物足りないぞ。記録者がいないんじゃあなあ。だから、マサキ今度は一緒に行こうぜ」
“え?じゃあ、また祐筆として雇ってくれるのか?そういう事だな。ちゃんとジロウ殿の承諾を得ておけよ(笑)”
実は、イチロウやジロウから誘われていたサイクリング大会を2-3件ことごとく断った経緯がこの2か月ばかりの間にあって、イチロウ伝手に「ジロウがマサキはもう祐筆として役に立たない。首だ!」と宣告されたとのことであった(笑)。
イチロウ・ジロウ兄弟共に彼らの伝説的青春時代から知る者は、彼らの両親を除いてオイラしか居まいと勝手に自負してきたので、イチロウからジロウの宣告を聴いた時は「あんまりだあ」と結構しょげてしまったのであったであったが、どうもまた風向きが変わったようだ(笑)。一度剥奪された役職も、難なく元の祐筆として返り咲き、またこのblogに彼らの行状記を書けそうだw。
季節はめぐって再び夏がやってきたようである。それぞれの五十オトコどもの季節も再び夏めいてきたのかもしれない。
イチロウ・ジロウ兄弟だけでなく、「マサキ会」をダシにして、コウイチやタカヒロ達のこれからの移ろいゆく季節を私なりに祐筆として定点観測して記録していくのも良いかと密かにニンマリとしながら思うのであった。
(終わり)
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