私は音楽が好きである。他のヒトはどうだか知らないけれど、私の場合には頭の中で好きな音楽が鳴っている時がどうも精神的に好調のようである。Friedrich Gulda/ Concerto for Myselfを聴いてその事に気が付いた。
そう云えば、学生時代の沢山時間があった頃はよくJoao Gilbertoの歌声が頭のなかで鳴っていたことがあった。ある時私がイチロウに「Joaoってさ、折角all of meとかjust one of those thingとかジャズスタンダードナンバーを演ってくれたんだったら、もっと他の曲とかしてくんないかな。そうだ、そうだ。日本の童謡とか優しく歌ってくれるのはどうよ?」とおバカな話をふると、イチロウはニヤニヤしてJoaoの声色を真似て、少し鼻詰りのような声で「mou-mo taroshan monotarosha-n」「moushu, moshi, kameyou~, kameshanyou~」と歌い出し、「みたいな感じかw?」と応じた。
そのイチロウの歌マネが本当に可笑しくて、私のツボに嵌ってしまい、しばらく頭の中でJoaoの声とギターで「桃太郎」「ウサギとカメ」の童謡が繰り返し鳴っていたのだった。
※ 今思うと我ながら本当におバカだわw。
ええっと、話を本筋に戻すと、この度は久々に似たような現象で、「Friedrich Gulda(p)/ Concerto For Myself」が暇な時などには、私の頭の中で鳴るようになってしまっている。すこぶる私の機嫌も良いw。ちょっと嫌な事・不快な事があっても、この音楽を意識的に頭の中で鳴らしてしまうと、忽ち元気を取り戻せる。
何の予備知識もなく、イチロウに勧められるままにYou Tubeにuploadされたこの楽曲のライブを観始めた時は、“ああ、バロック・ジャズ(バロック音楽をジャズテイストで演奏する)をやりたいんだな、ふむふむ”とやや上から目線と申しましょうか、ちょっとあくまでもお付き合い程度で聴いていた。
それが聴き進んで行くと、次第にGuldaの弾くピアノのフレーズがモーツァルトのように鳴ってきて、そしてベートーベン風のフレーズが入り、最後にはラフマニノフ風のフレーズが入って、もうそうなってくると聴いていてニカニカと相好を崩し大いに嬉しくなってきた。第1楽章は、バロック時代からロマン派からラフマニノフまでのクラシック音楽がジャズテイストでコーティングされているような感じで、この楽章が終わった時点で、もう完全に嵌ってしまっていた。
第2楽章Ariaは、ちょっとライトクラシック・ラバーミュージック風で、オーボエとピアノが絡む。美しいといえば美しい。分かりやすい美しさ。これはこれで良いなと思う。Guldaは何も難解なものを演奏しようとしている訳ではなそうである。
第3楽章Free Cadenzaでは、現代音楽的に、鍵盤を肘で叩くわ、弦を指でピッキングするわ、フレームを叩くわでもうやりたい放題に見えるのだけれど、どこか緊張感の中にも美しさを失わない。観ていてとても愉快・ハッピーw!
第4楽章Rondo は、再びジャズテイストを保ちつつもベートーベン・コンチェルト風、時にラテンのリズムに変化し再びベートーベンに戻る。考えてみれば、ベートーベンって特にsymphonyなぞはリズムが特徴的であったなあ。ベートーベンとラテン調のリズムに変わっていくのはある意味で自然というか的を得ているような気がした。
エンディングは、アンコールで再びGuldaがこのRondoの一部を再演。どうだどうだと言わんばかりに、聴衆を見回し多分両親指で自分を指し「Concerto for myself !」と満足げに叫んでいる。やんや・やんやの拍手喝采……。実に素晴らしい、聴き終わって非常にハッピーw。
この楽曲の中に、Guldaが自分のものとした、そして愛してやまない、バロックからモーツァルト、ベートーベン、現代曲、ジャズまでのエッセンスがギューと凝縮されているように思えた。
ああ本当にGuldaって素晴らしい、好きだなあ。
ということで、You Tubeを使って、彼のその他の演奏も聴いてみた。有名なJazz Musicianとの共演も面白かったけれど、私が「スゲー」と相好を崩して降参してしまったのは、Doors/ Light my fire。このソロピアノはスゴイ。クラシックピアニストのタッチじゃないよ、ちゃんとロックしている・このグルーブ感はすげえカッコよかw。
Guldaって、どのジャンルの音楽に対しても、真剣に取り組んだ音楽家なんだということがよく分かる。Wikipedia、や、他の方できちんとした評論を書いて下さっているブログがあるので、彼の来歴や音楽的キャリアは割愛させてもらうけれど、You Tubeにアップされた演奏を観ていくうちに、クラシックだけではなくポピュラー音楽に対してもちゃんと分析して本質を捉えた上で演奏していることが分かった。あらゆる音楽がご本人の血となり肉となって我々に提示されている。そんな印象を持ってた。決して器用にとかそういう事ではなくて、あらゆるジャンルの音楽がGuldaという精神を通して昇華されているのだ。
やっぱり生まれ変わるんだったら、ムード映画音楽専門の作曲家もいいけれど、Guldaに生まれ変わりたいなあ。あらゆるジャンルの音楽を吸収して自分の魂の赴くままに、ピアノを弾きまくるそういうモノにワタシはナリタイ.....w。
彼の演奏を聴いていると、私は本当に“音楽好き”で良かったと思える。ロック好きとか、ジャズ好きとか、クラシック音楽好きとかあるジャンルを偏愛するのではなく、“ジャンルを問わず音楽が好き”という態度というか価値観を自分が持てていたことにこのヒトに出会えて改めて認識することが出来た。このヒトが西洋で発生した音楽を偏見なく吸収しそして愛しむように演奏したその心を、こちらも何の偏見もなく素直に受け止めて彼の演奏を愛する“音楽好き”で良かったとしみじみと思うのだ。そんな想いに至りとても幸福な気分を味わうことが出来た。
てなわけで、Mr. Manciniには大変申し訳ないのだけど、しばらくお休みしていただくことになりw、予定を変更してこの夏はGULDA祭りをしていこうかと思っているw。まずは、彼が愛してやまなかったMozartのpiano concerto辺りから…….。
(終わり)
追記;ちょっと訂正とお詫びがあります。「音楽を聴く悦び①」を読んだイチロウが珍しく、ちょっと「訂正してくれろ」と抗議をしてきまして、私が「イチロウは、彼のどストライクのものに対しては控えめで、彼のストライクから微妙に外れたものをこちらに勧めてくる」と表現した箇所に異議があるとのこと。彼曰く「原石を拾ってきて、マサキに磨いてもらいたいものを投げているのであって、その背景にはマサキを畏れているからなんだ。」「マサキに酷評されたりスルーされると結構参ってしまうんだぜ」と申します。「自分の中でマサキにどう評価されても、もう自分は納得してしまっているものは言わないんだよ」と。
「?」それはイチロウにとってどストライクなものは、やはりこちらには言って来ないのとどうちゃうのか?と思ったのですが、どうも“イチロウ的にも評価し辛いものをこのマサキに図って吟味して貰おうとしている”とのことなのでしょう。そういうことなのだということをここに付記しておけということなので、訂正して追記させていただきますw。
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