2015年3月25日水曜日

びわ湖一周ロングライド2015 ④ ~ゴール編~

3エイドステーションを午後130分過ぎに4人揃って出発。私は、昼ご飯をしっかりと摂取できたことや少し長めの休息が取れたことがあり、自覚的には随分と疲労が回復したように思えた。再び、自分たちよりもゆっくりとしたペースで走行しているグループを追い越しながら、湖岸道路を北上。やがて見覚えのある地域(昨年近江八幡で遊び行き来した)に差し掛かる。

 
ちょっとした丘を越える部分で、集団のペースが遅くなり、イチロウがジロウと接触し、危うく転倒しガードレールを乗り越えて斜面を転落しそうになるアクシデントがあったが、彼の咄嗟の機転で大事故に至らず済む。その後、再び平坦な道を進み、近江八幡市付近の長命川を渡ったところで、湖岸道路から左折してより湖岸のupdownに富んだの県道25号線に入った。

 
大会参加者からみると、長距離を走ってきたところで最後の難所となり、昨年のイチロウ・ジロウの経験ではこの区間で大いに消耗したとのことであった。ここから先は、自分のペースをキープして走ることした。本格的に山道に差し掛かる手前で、他の3人がすこしペースダウンしてくれたので追いつくことが出来たのであるが、ジロウに私の方から「自分のペースで走るので先行してほしい」旨伝えた。

 
丁度、私と同じペースで走っている御揃いのジャージを来たグループを幸運にも発見し、そのヒト達にペースメーカーになってもらったおかげで、大失速を来すことなくこのなだらかな上り下りの田舎道を進むことが出来た。このエリアは、湖に臨む山の斜面に沿って左右に曲がりながら緩やかなupdownが続くのであるが、ひとつの上り下りをこなしてほっとしたところに入江があって、そこに下りていくと再び勾配の少しきつめの登り坂がやってくる。峠を越えてホッとしたところに、再び登り坂となり、危うくじけそうになるが、そこもペースメーカーになってもらっている先ほどグループのヒト達と無理のないペースで乗り越えることが出来た。

 
この最後の難所の部分を乗り越えると再び湖岸道路に差し掛かるのだが、その手前で先行していたヤマグチ青年を発見。その後ろ姿を見て、オジサン、ちょっと嬉しくなり追いかける。先ほどの昼飯により疲労回復したこともあり、脚の痙攣はまったく起こらずw。やがてヤマグチ青年に追いつくと、ふたりでゆっくりとしたペースで先行する他のグループを時々追い越しながら、最後の第4エイドステーションを目指す。大変平坦な道のりで、左手には干拓で開墾されたであろう広々とした農耕地が広がっていた。

 
“この湖東から湖北にかけての伸びやかな風景も優しくて気持ちいいものだ”と思う心のゆとりもあった。

 
場所の名前は忘れたのだが、彦根市市街地に入る手前の道路沿いパーキングスペースに設けられた第4エイドステーションに到達。先に到着したイチロウ・ジロウと合流。大会オフィシャルの通過チェックを受けた後、ジロウ推奨の近江牛コロッケを貰う。

 
このコロッケ、確かに旨かった。またまた元気が蘇ったw。ここに1枚のジロウが撮ってくれた写真あり、疲労困憊のオッサンがコロッケ持ってトボトボ歩いている。お恥ずかしいのだが、このくたびれ具合もびわ一初参戦の良い想いでの一コマとして、ここに掲載しておこうと思うw。


 
短めの休息を取った後、四たび、四人揃って出発。イチロウ、「ここから先は、マサキの得意な平坦道路がゴールまで続くぞ、どうだw?」という。

 
“そうね、ここまで3人に引っ張ってきたもらったものなあ、最後に行けるところまでGilberto’sのペースメーカーを一丁やってみるかw”と決意。私が先頭で出発することにした。

 
4エイドステーションからゴールまでは、イチロウが予告したように平坦な道のりで、少々退屈なコースでひたすら湖岸道路を進んだ。彦根から長浜までの交通量も多くなっていた。自動車の往来を気にしながら、車列が切れたのを後方確認しながら、他のゆっくりとしたペースのグループを追い越していった。

 
後ろの方で、イチロウが「マサキが、アタックしたいらしいぞ」と笑っている。

 
その後、私なりに34回ほどのアタックを繰り返していた。自称“コロッケ走りw”をゴール後にイチロウが「凄かったなあ、コロッケの力だなあ」とねぎらいを込めて笑っていた。

 
彦根市市街地を通り過ぎる頃に、私が4回目のアタックをかけたのを合図にイチロウ、ジロウ、続いてヤマグチ青年が猛然とアタックをかけてそれまでの縦に伸びていた集団を一気に引き離しにかかった。続いて23人の他のサイクリストが後を追いかけて行ったが、私には追撃する力が残っていなかった、敢無く引き離される。湖岸道路から再び左折し、岸辺の舗装の荒れた径に入り、路面から強い衝撃を受けたところで、推進力を更に失った。

 
その後は、ひたすらゴールを自分のペースで目指す。両下肢の痙攣は起こさなかったが、お尻の痛みはピークに達し、両肩痛、両下肢の疲労は如何ともしがたかった。満身創痍・疲労困憊状態で左前方に見え始めたゴール付近の建物を目標に我慢の走り。そして、湖岸道路からゴール会場に左折し、最後はトボトボと、そして、ゆっくりとゴールw!

 
ゴールには若い女性のアナウンスで参加者一人ひとりを讃え、多くの大会スタッフが手を振って私たちのゴールを祝福してくださった。素直に感動w! 広場までそのまま走行し、一画にある自転車止めにバイクを吊るした後、暫く広場を歩くと、ベンチで先にゴールをした3人が待っていた。イチロウが「ラストスパートの最後の最後になって、ジロウに抜かれた、悔しいw!」と笑い、ジロウも「前半抑え気味に走ったのが良かった」等、満面の笑みで応えていた。タフネス兄弟w!


 
一休みした後、記念写真の列に並び、ステージ上で4人揃って肩を組んでポーズ。写真を見ると、皆良い笑顔している。

 

その後、昨晩泊まったホテルに戻り、皆で大浴場に入り全身に溜まった疲れを癒す。その日は終日肌寒く、ゴール後はすっかりと冷え切った身体であったが、四肢の疲れを癒すのには、この熱いお風呂は誠に心地よかった。

 

イチロウと二人で湯船につかりながら、この度のロングランを振り返った。イチロウは「本当に良かったな、4人で走れて愉しかったじゃないか」と言ってくれる。その時私は、「ああ、そうだなあ」としか応じることが出来なかった。

 
「楽しかったか………? ハードでしたw。他の3人に随分迷惑かけたなあ。でも、落車・交通事故もなく、身体的にもバイク的にもトラブルなく完走出来て良かった。」と思った。その時は“楽しかった”というよりも“無事に乗り切ったという安堵感”の方が実感として強かったように思う。

 
もう少し時間があれば、四人で打ち上げの飯を食べて解散したかったのであったが、生憎電車の時間が迫っていて、取りあえずレンタカーに4人乗り込み、関東組を米原駅まで送り届け、午後6時過ぎに解散となった。彼らはそのまま輪行で新幹線に乗り東京へ、我々広島組は京都までクルマで移動し、レンタカーを返却することになった。

 
今回のびわ湖一周ロングライドも昨年に続き、前日に大失態(前日のジャージ忘れ)をやらかしてw、本番もやっとの想いで3人に引っ張ってもらうということになり、我ながら恥ずかしいやら情けないやらwの遠征になってしまった。もう偉そうなことは言えないようなあ、帰路の新幹線の中でそんな事を思ったりした。

 
ただ、びわ一2015が終わってから日常に戻り、ふとした時にあの時のことを時々思い出してみるに、ヒトの記憶とはいい加減なもので、時間が経つにつれて、苦しさよりも良かった感情体験や映像的記憶しか思い出せなくなっているw。 

 

早朝に、湖北地方に向かうステージで露に濡れた路面の上をキリリと冷えた空気を切りながら走行したこと(ふと振り返ると、ジロウが猛然とスパートをかけて、風切音を立ててながら追い越して行ったシーン)。湖北から湖西地方に向かう田舎道で、独りで眺めた琵琶湖の静けさ、湖西地方の旧街道沿いの古い街並、びわ湖を囲む山々の峰に光る残雪。自転車でしか味わえないような近江地方の風情を一日で堪能できた。そして、各所で他の3人が私をペースダウンしながら待っていてくれた後ろ姿など:ここはちょっと感傷的に述べてしまったけれど、日常の雑事・年齢を忘れて童心のように無我夢中になれて本当に楽しかったと思う。風景もGilberto’sのメンバーとの交流も己の体力との会話も、どれも忘れがたいものになったとしみじみと思う。



 
初めての100㎞越えどころか140㎞越えを走破したのだけれど、また独りでこの距離を走れと言われたら、ちょっと躊躇してしまうだろうなw。やはりチームで参加したからこそ、140㎞以上の道のりを完走出来たのだと思う。

 
“本当にもう充分にびわ一を堪能しました、ご馳走様でしたw。”

 
もう充分に堪能した、やりつくした感があるのだが……….w、また来年誘われたらどうしようかw?

 

そうだった、まだGilbeto’sのなかで私一人「よか楼」のサバそうめんを食べられていなかったのだったw。サバそうめんを喰わずして、近江からの撤退はないわな。

 

そうだ、来年はサバそうめん制覇目的で、再度びわ―に参加しようw!

 
最後に、Gilberto’s(コウスケもツイッターで参加してくれたw)の面々に感謝を。そして素晴らしい大会運営・サポートをしてくださった大会関係者に感謝申し上げます。来年もどうか宜しく……….w

 

~おわり~

 

 

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