2015年3月12日木曜日

イチロウ・マサキの心の旅~旧山陽道を辿り県境を越える編~


 
Gilberto’s関東組と別れ、岡山表町を出発したのは午後12時過ぎだったか。雨は相変わらず降り続け、薄暗い昼過ぎであった。岡山から国道180号線を総社市に向かう筈が、途中進路を誤り大きく迂回して吉備津神社(桃太郎伝説で鬼の首を祀っているというお話が遺る)の脇道に出て再び180号線に出るというジモティ―にしかわからないであろうルートを辿り180号線に再びに入り、その直後に180号線から左折して旧国分寺から造山古墳前を通る県道に入った。この県道を使って山手村・清音村を抜けて高梁川にぶち当たる道筋は、学生時代にイチロウと遊んだ界隈で、一気に懐かしさが沸き起こって来た。あの頃の風景と何も変わっていない。生憎の天候であったが、全く気にならなかった。

 


国分寺前の観光市場的なところで小休止し、国分寺を眺める。道を隔てて国分寺手前の畠には菜の花が咲いていた。学生時代に初めてこの辺りに来た時に、この先にある造山古墳とこの国分寺の五重塔を眺めて、“岡山って、古代から何とリッチな国だったのだろう”と独り感動したことがあったっけ。

 

小休止を終え再びクルマに乗り込み、右手に造山古墳を眺めつつ先を急ぐ。そもそも総社界隈が面白そうだと言い始めたのは、やはりイチロウであった。倉敷市内でアパート生活を始めた頃、或る日イチロウが独りでドライブをして帰って来て語るには、「総社・清音村界隈は面白いぞ!山の文化があるんだなあ・淡水魚喰っているんだよ。帰りにあの界隈のスーパーに入ったら、“鮒ずしの注文承ります”って書いてあったぞ。岡山って瀬戸内だと思ってたのけど、あの辺りは鯉を食ったりフナ食ったりしてんだなあ。完全に内陸文化圏なんだ」とちょっと興奮気味に語っていた。

 

それ以来、暇が出来ると総社から高梁市・新見或は成羽にかけての180号線界隈をよくドライブするようになったのだが、結局、最後まで鮒ずしには手が出ず仕舞いではあったw。田園風景や里山の風景が好きになったのはこの頃の体験の影響であるのには間違いがない。岡山の山間は農道が整備されていて、ドライブするには誠に気持ちの良いところだった。秋の紅葉シーズンも若葉の新緑の頃も、それはそれは美しかった。

 

学生時代の高校から大学に入る頃、イチロウも私も夫々のルートを辿って文化人類学や民俗学に興味を持っていた。私の場合は、日本古代史ブームがその当時あり、照葉樹林文化論的なお話や柳田国男の「遠野物語」やこの度ちょっとした話題を提供してくださった曾野綾子氏作の「太郎物語」を愛読していて(主人公・太郎が文化人類学に興味を持っていて大学に入りその学問を専攻する話が出てくる。)、次第に文化人類学に興味が湧いた。山口昌男著「文化人類学への招待」(岩波新書)では、この辺りの備中神楽が取り上げられており、その事もあってこの辺りの風土により愛着を抱くことになったと思われる。

 

クルマはやがて、清音村に入り高梁川に突き当たった。そこから国道486号線に入り高梁川土手沿いを少し南下し、西側に向かって橋を渡り真備町に入る。真備町とは、明らかに吉備真備(奈良時代の学者・右大臣)に由来する名前で、後で確認すると吉備真備という地名もこの街道沿いにあるようだ。高梁川の東側が学生時代のイチロウと私の主たるテリトリーであり、真備町以西を往くのは今回が実は初めてである。

 
 
ただ一度だけ、初夏の頃高梁市界隈から倉敷に帰る際に山間の道を彷徨っている間に、真備町に至り通ったことがった。初夏の雨の日で、イチロウのクルマで“Oscar Peterson/ We get request”をかけながらこの辺りを走った。途中どこかの小さなお宮で雨宿りをしたのであるが、舞台が備中神楽の盛んな土地であることが脳裏にあり、お宮の周囲の木々から水蒸気と共に吐き出されるような“気”が感じられて、その時の場面が映像として大変印象に残った。

 
そのようなこともあり、真備町に入ると急いでi-podからこのアルバムを選曲をして二人で聴いて大いに盛り上がった。
 
 
更に国道486号線に沿って西に進むと、やがて小田川に沿って走るようになる。この頃から、右手に井原鉄道も並行して走っている。川沿いのなだらかなスカイラインを描く山々とローカル線の風景は、誠に旅情をそそられるもので、大変素晴らしい(愛らしい風景)であった。Oscar Peterson/ we get requestBGMにするにはピッタリと合う。横でイチロウも感心していて、「やっぱり自転車で走るには最高のルートだよな。或は半分井原鉄道を利用して輪行して、岡山まで引き返すプランにしても良いな」などと言っているw。

 

「旧山陽道が、こんな山間を通っていたなんて信じられないような」などと二人で語り合っていたのだが、真備町を過ぎ、矢掛町に近づくと「篤姫も投宿した矢掛本陣跡」なる看板が国道沿いにあった。

 

“矢掛町は、旧山陽道の宿場町だったのか?知らなかったなあ”

 


どうも旧宿場町の街並が保存されているようで、いつかサイクリングする際には要チェックの町のようであった。この度は、時間の都合上先を急がなければならなかったので素通りしたが、先ほどの真備町の吉備真備公園やこの矢掛本陣跡など、この街道には自転車でゆっくりと訪れてみたい箇所があった。

 

更に車を西に進めて、井原市を通り福山市に入る。イチロウがスマホでチェックしたところによると井原市は福山市の通勤圏となっていて経済的には福山市との結びつきが強いようであった。古くは旧福山藩に属し、木材の生産地として栄えたようだ。というわけでも、ないのだろうが、特に目立つ標識もなくあっけなく県境を越えたようであった。

 


福山市に入ったところで、イチロウの設定した自転車ルートは北上し福山市を迂回する設定となっていたが、時間の都合上私の意見を取り入れて貰い、国道2号線に出ることにした。

 
ここからは、国道2号線のバイパスを通って一気に尾道入りを目指した。

 

イチロウ「そういえば確か子どもがまだ小さい頃、ふた家族でこの道使ってみろくの里(福山市の南にある遊園地などの施設)に行ったなあ。あれからでももう10年以上経ったのか?早いよな」

 
“そうでした、全くtime fliesですな。お互いにエエ歳を取りましたw”

 
午後330分頃、旧国道沿いを東側から尾道水道を左手に見つつ、尾道市街地に入った。市庁舎近くの駐車場にクルマを停めてちょっと歩くことにした。海岸沿いを尾道駅まで歩くことにしたのであったが、イチロウが「こんなに遠かったかな」と不思議がっている。

 


“それはさ、歳を取ったのよ。若い頃のように颯爽と或はスタスタとは歩けませんw”

 

10分程度は歩いたか?尾道水道を隔てた向島に渡る小さいフェリーの行き来を眺めながていると何とも言えぬ懐かしい気分になる。「一度も住んだ街ではないのに、何故か懐かしくなる雰囲気をこの街は持っているな」などと言うと、イチロウが意味深に笑っている。


 

やがて尾道駅前の海岸縁に辿り着くが、この海岸沿いはすっかりと整備されたページェントになっていて、これには二人とも驚いた。“立派な観光スポットになっているではないの!”学生時代に来た頃(遥か四半世紀前ですがw)よりオシャレになっている。

 

そこでお約束の手紙を読む(フリをするw)。

 


“そうそう、ここでイチロウが高校生の頃、この海岸に立って独り海を見つめて一体何を想ったか……w。”

“マサキは、初めてこの海岸縁に立って海を眺めた時、志賀直哉の「暗夜行路」に想いを馳せて、ポンポン船の行き交うのをみては、独り過剰に旅情に浸ろうと感情移入していましたw”

 

様変わりした駅前を見て感嘆の念を懐きつつ、そして商店街を辿りながら駐車場に戻ることにした。商店街を歩いていると、閉店されたままの店舗もあるのだけれど、観光客とは明らかに違う地元に住んでいる雰囲気を漂わせた若いヒト達の往来も結構目立っていた。

 


“尾道市は偉い!確か市立大学を作ったのだったけ。それで若いヒトを街に呼び寄せたんだなあ。自転車、映画による観光と若いヒトの定着とまでは云わないまでも、集まるようにした事。これで活性化されているのだね”などと、イチロウと語り合う。

 

暫く歩くとふとイチロウが立ち止まる。「このミートパイ屋さんちょっとした話題となり、有名らしいぞ」とのこと。

 



昼に食べたカツ丼がまだ腹の中に残っていて入るスペースはなさそうで暫く抵抗したのであったが、喫茶したい気分でもあり、イチロウの言葉につられてそのお店に入った。オーストラリア人のオジサンがミートパイを作り、店を経営しているようであった。そのオーストラリア人のオジサンは日本語が上手で愛想も良く、女性のお客さんに人気があるようだった。店の中で食べることも出来るし、店頭販売もしていてテイクアウトも可能。(誠に済みませぬ、店の名刺を貰ったのであるが、今は持ち合わせず、店名を忘れてしまいました。後日店の名前については、追記します。)

 


そのオジサンの上手いところは、私たちが何処から来たのかと尋ねておいて、広島からだと応じると、さもこの店を目的に遠くから来て下さったと一方的に解釈する・そこには勿論ユーモアがあって、笑わせてくれた。明るいユーモアのある応対で楽しい店主であった。私はコーヒーのみ注文し、晩御飯のおかずの一品とするべくミートパイを3つテイクアウトした。

 
実際に家で食べてみると、美味しかったですぞ。尾道に行かれた際には、是非お立ち寄りください。

 
そして午後430分頃尾道を出発し帰路に入ることにした。尾道から広島まではイチロウがハンドルを握ってくれることになった。山陽高速道尾道インターに向かう頃、雨が上がり、雲の切れ間から青空が覗くようになっていた。
“たく、今頃になって晴上がりやがってw”と独り苦笑いする。

 
イチロウが「いやあ、今回の旅行は本当に楽しかったな。正味24時間だったのにそれ以上の内容で充実していたなあ。コンサートも良かったし、その後行った食い物屋も良かったし、あのバーも良かったよ。それから、旧山陽道は絶対に暖かくなったら自転車で行こうな。尾道も良い街になっていたしなあ」などとしみじみと振り返っていた。

 
“なあ、そうだろうw?このマサキと旅に出ると楽しいぞ、と言ったのは間違いなかったろうw?”

 とは、流石に返さなかったがw、本当に楽しい“心の旅”であった。
 
さて、次回の“心の旅”は、どこにでかけようか?そして何時の事になるだろうか?

 
10年後くらいかw?~

おわり

 
(追記)この度のルートはこんな感じでした。

http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=0f89d36d70f202ec508370e4e7a88f5c


 

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