国分寺前の観光市場的なところで小休止し、国分寺を眺める。道を隔てて国分寺手前の畠には菜の花が咲いていた。学生時代に初めてこの辺りに来た時に、この先にある造山古墳とこの国分寺の五重塔を眺めて、“岡山って、古代から何とリッチな国だったのだろう”と独り感動したことがあったっけ。
小休止を終え再びクルマに乗り込み、右手に造山古墳を眺めつつ先を急ぐ。そもそも総社界隈が面白そうだと言い始めたのは、やはりイチロウであった。倉敷市内でアパート生活を始めた頃、或る日イチロウが独りでドライブをして帰って来て語るには、「総社・清音村界隈は面白いぞ!山の文化があるんだなあ・淡水魚喰っているんだよ。帰りにあの界隈のスーパーに入ったら、“鮒ずしの注文承ります”って書いてあったぞ。岡山って瀬戸内だと思ってたのけど、あの辺りは鯉を食ったりフナ食ったりしてんだなあ。完全に内陸文化圏なんだ」とちょっと興奮気味に語っていた。
それ以来、暇が出来ると総社から高梁市・新見或は成羽にかけての180号線界隈をよくドライブするようになったのだが、結局、最後まで鮒ずしには手が出ず仕舞いではあったw。田園風景や里山の風景が好きになったのはこの頃の体験の影響であるのには間違いがない。岡山の山間は農道が整備されていて、ドライブするには誠に気持ちの良いところだった。秋の紅葉シーズンも若葉の新緑の頃も、それはそれは美しかった。
学生時代の高校から大学に入る頃、イチロウも私も夫々のルートを辿って文化人類学や民俗学に興味を持っていた。私の場合は、日本古代史ブームがその当時あり、照葉樹林文化論的なお話や柳田国男の「遠野物語」やこの度ちょっとした話題を提供してくださった曾野綾子氏作の「太郎物語」を愛読していて(主人公・太郎が文化人類学に興味を持っていて大学に入りその学問を専攻する話が出てくる。)、次第に文化人類学に興味が湧いた。山口昌男著「文化人類学への招待」(岩波新書)では、この辺りの備中神楽が取り上げられており、その事もあってこの辺りの風土により愛着を抱くことになったと思われる。
クルマはやがて、清音村に入り高梁川に突き当たった。そこから国道486号線に入り高梁川土手沿いを少し南下し、西側に向かって橋を渡り真備町に入る。真備町とは、明らかに吉備真備(奈良時代の学者・右大臣)に由来する名前で、後で確認すると吉備真備という地名もこの街道沿いにあるようだ。高梁川の東側が学生時代のイチロウと私の主たるテリトリーであり、真備町以西を往くのは今回が実は初めてである。
「旧山陽道が、こんな山間を通っていたなんて信じられないような」などと二人で語り合っていたのだが、真備町を過ぎ、矢掛町に近づくと「篤姫も投宿した矢掛本陣跡」なる看板が国道沿いにあった。
“矢掛町は、旧山陽道の宿場町だったのか?知らなかったなあ”
どうも旧宿場町の街並が保存されているようで、いつかサイクリングする際には要チェックの町のようであった。この度は、時間の都合上先を急がなければならなかったので素通りしたが、先ほどの真備町の吉備真備公園やこの矢掛本陣跡など、この街道には自転車でゆっくりと訪れてみたい箇所があった。
更に車を西に進めて、井原市を通り福山市に入る。イチロウがスマホでチェックしたところによると井原市は福山市の通勤圏となっていて経済的には福山市との結びつきが強いようであった。古くは旧福山藩に属し、木材の生産地として栄えたようだ。というわけでも、ないのだろうが、特に目立つ標識もなくあっけなく県境を越えたようであった。
福山市に入ったところで、イチロウの設定した自転車ルートは北上し福山市を迂回する設定となっていたが、時間の都合上私の意見を取り入れて貰い、国道2号線に出ることにした。
イチロウ「そういえば確か子どもがまだ小さい頃、ふた家族でこの道使ってみろくの里(福山市の南にある遊園地などの施設)に行ったなあ。あれからでももう10年以上経ったのか?早いよな」
“それはさ、歳を取ったのよ。若い頃のように颯爽と或はスタスタとは歩けませんw”
10分程度は歩いたか?尾道水道を隔てた向島に渡る小さいフェリーの行き来を眺めながていると何とも言えぬ懐かしい気分になる。「一度も住んだ街ではないのに、何故か懐かしくなる雰囲気をこの街は持っているな」などと言うと、イチロウが意味深に笑っている。
やがて尾道駅前の海岸縁に辿り着くが、この海岸沿いはすっかりと整備されたページェントになっていて、これには二人とも驚いた。“立派な観光スポットになっているではないの!”学生時代に来た頃(遥か四半世紀前ですがw)よりオシャレになっている。
そこでお約束の手紙を読む(フリをするw)。
“そうそう、ここでイチロウが高校生の頃、この海岸に立って独り海を見つめて一体何を想ったか……w。”
“マサキは、初めてこの海岸縁に立って海を眺めた時、志賀直哉の「暗夜行路」に想いを馳せて、ポンポン船の行き交うのをみては、独り過剰に旅情に浸ろうと感情移入していましたw”
様変わりした駅前を見て感嘆の念を懐きつつ、そして商店街を辿りながら駐車場に戻ることにした。商店街を歩いていると、閉店されたままの店舗もあるのだけれど、観光客とは明らかに違う地元に住んでいる雰囲気を漂わせた若いヒト達の往来も結構目立っていた。
“尾道市は偉い!確か市立大学を作ったのだったけ。それで若いヒトを街に呼び寄せたんだなあ。自転車、映画による観光と若いヒトの定着とまでは云わないまでも、集まるようにした事。これで活性化されているのだね”などと、イチロウと語り合う。
暫く歩くとふとイチロウが立ち止まる。「このミートパイ屋さんちょっとした話題となり、有名らしいぞ」とのこと。
昼に食べたカツ丼がまだ腹の中に残っていて入るスペースはなさそうで暫く抵抗したのであったが、喫茶したい気分でもあり、イチロウの言葉につられてそのお店に入った。オーストラリア人のオジサンがミートパイを作り、店を経営しているようであった。そのオーストラリア人のオジサンは日本語が上手で愛想も良く、女性のお客さんに人気があるようだった。店の中で食べることも出来るし、店頭販売もしていてテイクアウトも可能。(誠に済みませぬ、店の名刺を貰ったのであるが、今は持ち合わせず、店名を忘れてしまいました。後日店の名前については、追記します。)
そのオジサンの上手いところは、私たちが何処から来たのかと尋ねておいて、広島からだと応じると、さもこの店を目的に遠くから来て下さったと一方的に解釈する・そこには勿論ユーモアがあって、笑わせてくれた。明るいユーモアのある応対で楽しい店主であった。私はコーヒーのみ注文し、晩御飯のおかずの一品とするべくミートパイを3つテイクアウトした。
“たく、今頃になって晴上がりやがってw”と独り苦笑いする。
さて、次回の“心の旅”は、どこにでかけようか?そして何時の事になるだろうか?
おわり
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=0f89d36d70f202ec508370e4e7a88f5c
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