本日未明より、雨がしとしと降り出して日中は降ったりやんだりの天候であった。昼休みに、外の景色を眺めていたら、道路端の畠の一画に植えられた梅の木に花が7-8分咲きであることに気が付いた。春雨に梅花、なかなか風情のある景色で、この時期の好きな情景ではある。
この1週間、どうにかルーチン業務をこなしたものの、その他の生活面ではボンヤリと過ごしてしまい、このblogについてもなかなか書き始めることが出来ないでいた。
昨日の金曜日朝に、F.B.とtwitterをチェックすると、Gilberto’s関東支部のジロウ・コウスケが其々に、Mika Samba Jazz Trio(以下、MSJTと記す)の東京公演に行き盛り上がった事や、そして同公演でTrioのこの度のジャパンツアーが終了したことを告げていた。コウスケのつぶやきに、その気持ちが良く顕れていた、曰く「あ~あ。終わっちゃった…..。」だと(笑)。
そう彼らは、2/27;福山、2/28:岡山、3/1:神戸、3/5:東京の4公演すべてに参加したのであった。特に3/1の神戸公演終了後、同日の夜に空路東京に戻る筈が、天候のため羽田空港に着陸許可が下りず、関西国際空港に強制移動・旅客機の燃料補給中は機内での缶詰状態、再び出発して、羽田空港に着陸できたのは翌日早朝だったとのことで、大変な冒険を経験したのであった。G関東支部の健闘に対してここで大いに賞賛しておこう。
前置きが長くなったが、この度はMSJT岡山公演の模様の断片とGilberto’s面々との邂逅について書き述べていくつもりでいる。
2月28日午後3時30分頃、私はクルマでイチロウを彼の自宅まで迎えに行った。MSJTの岡山公演の会場は5時30分、開演予定は6時30分となっていた。関東支部の面々とは、公演会場で落ち合うことになっていた。
イチロウと私の当初の目的は、MSJTの岡山公演に参加した後一泊し、翌日3月1日は自転車で岡山から尾道まで旧山陽道を下ることを予定としてい、新幹線で輪行し岡山入りを目論んでいたのであったが、天気予報では3月1日は雨となっており、当初の計画は断念せざるを得なかった。イチロウは、「自転車が乗れないのであれば、この度の岡山行きはもうどうでもよくなったよ」とあからさまにそのモチベーションを下げていたのであったが、ここはマサキの「まあ、このマサキちゃんと旅行に出れば、それだけで楽しかろうw?」との機転を利かせた(w?)合いの手に、彼はギリギリの線で岡山行きに対するモチベーションを維持したのであった。最終的に、やがて実行される「イチロウ・マサキの心の旅:旧山陽海道を往く」の下見という体裁で、この度計画したサイクリングコースをクルマで辿ることにしたのであった。
イチロウをクルマに乗せて、県道から最寄りのインターチェンジに入り、山陽高速道路を東上した。週末のため交通量は多かったが、スムーズに流れていた。車中にて、イチロウと何時ものように他愛もない雑談をする。
この度のイチロウの出で立ちが、私が想像していた服装よりも明らかにドレスダウンしているように感じたので(普段はオシャレなオトコが、ウール生地のパーカーにジャージ生地のパンツ、バックスキンのシューズという恰好)、「あのさ、この度のMikaさんのツアーはね、一応駐日伯大使館協賛となっているんだよ。会場のルネスホールも、岡山市内の旧日本銀行岡山支店を改装したそれなりにオシャレな場所だぜ。なんだよ、その恰好、らしくなあw。」と突っ込みを入れてみた。
イチロウ、「なんだ、そうだったのか。それを早く言えよw。どうするんだよ、ドレスコードが有ったらw。駐日伯大使が黒塗りの車でSP連れてやって来てたら。タキシードを着てくりゃ良かったかw。この格好じゃあ、確実に俺たちシャットアウトされるなw」(私も、たいそうカジュアルな格好をしていて、ヒトに言えた義理でなかったのだw)
その後、その手の類のバカ話をしながら東に進み、やがては福山を過ぎ岡山県境を越え金光町あたりを通過した。トンネルをひとつ通過すると、玉島市付近から倉敷市に至る。この辺りから左手には桃やブドウを栽培しているなだらかな丘陵地帯、右手には岡山平野が眺められるようになる。広々とした空が広がっている。私にとっては、この長閑な景色を眺めると岡山に戻ってきた気分が湧き上がり、懐かしい気持ちを味わうことが出来る。イチロウに聴くと、彼は大学を卒業後は岡山に来る機会は1‐2度しかないとの事で、前回訪れてからは10年以上経っている筈だという。彼も懐かしい気分に浸っていたようであった。
ふたりとも懐かしい気分に浸ってきたこともあり、倉敷インターから一般道に入り岡山市街地に向かう事にした。この選択は、夕方の渋滞に巻き込まれて軽い後悔を覚えたが、イチロウにとっては随分様変わりした街並に感慨深かったようであり、時折感嘆の声を発しつつ、郷愁の念を味わっているようであった。岡山と倉敷を繋ぐ幹線道路を左右に横切る道路を見渡しながら、「ああ学生時代に自転車の趣味が持っていたら、随分楽しい道が沢山あったのになあ」だと私に話しかけてくる。
“ほら、このマサキと旅するだけでも随分と楽しめるだろうw”
結局午後6時過ぎにコンサート会場横の駐車場に滑り込み、隣のルネスホールのエントランスに向かう。エントランスには、幸いなことに黒塗りの高級車なく、ごついSPも居なくて、長身のオトコ・コウスケが玄関前で待ってくれている。
コウスケが、我々二人に取っておいてくれたチケットを渡してくれながら“どうもマサキさん、東京ではご馳走様でした。もう東京組は会場内にいるから、入場してくださいね”と案内してくれる。コウスケ曰く、“ジロウは何らかのちょっとした楽屋でのトラブルに対処すべくMikaさんから呼ばれているらしい”とのことであった。
どうもコウスケもジロウもMikaさんや他のメンバーとも個人的な面識があり、Mikaさんの日本でのライブがある際にはこまごまとしたサポートをしている様子であった。その辺りの経緯を2月に東京でコウスケと飲んだ際に聴いた筈なのだけれど、二人して大酒したこともあり、詳しくは覚えていないw。
会場の座席は自由であったので、イチロウと私は右側の前から5-6番目の位置でドラムとベースがほぼ正面に見られる場所に席を確保する。座席を確保すると、イチロウが「マサキ、さあ遠慮せずに呑め呑め」と勧めてくれるので、彼の言葉に甘えてステージに向かって左側に設けられたカウンターにて、スパークリングワイン1杯と何やらというブラジルのカクテルを購入し席に戻る。2時間ドライブ後のアルコールは大変旨しw。
アルコールを少し体に注入すると心もちが幾分軽くなり、演奏前までの緊張感を解きほぐしてくれる。ここの表現はやや奇異に感じられるかもしれないだけれど、私の場合ただ聴くだけなのに、なぜか開演前に軽い緊張感を覚えてしまう。多分、生の演奏に対する期待値(事前にCDなどメディアで聴いていた音とライブで聴く音のギャップがあるのではないかという不安や楽しみ)が、高ければ高いほど聴く側として緊張してしまうのだ。
さて、コンサート会場のルネスホールは、旧日本銀行岡山支店の建物を改装したものであり、なかなか趣のあるホールで、実際に数えはしなかったけれど200席程度設置出来そうな中ホールである。岡山は都会とは言えないけれど、コンパクトな街並みにそこそこの文化施設があるところだと思う。文化的な雰囲気をそれなりに楽しめるところで、個人的には大変感心していて、その理由について思いつくのだけれど、これ以上話を拡散させないためにその辺りの考察めいたことは述べない。
コンサートが始まるまで、少し時間があり、コウスケから東京のブラジル音楽マニアの間の楽屋落ち話を聞いたり(内容について略すw)、コンサートに訪れたヒト達の様子を眺めたりして過ごした。年配の方も思いの外多く、Mikaさん出身地だけに関係者の方も多く参集されているのだろうなと独り想ったりした。演奏開始直前になって、ジロウが座席に戻って来て、軽く挨拶をして、夫々の座席にもどる。
定刻を数分過ぎた辺りで、いよいよTrioの登場。Mikaさんは黒のイブニングドレス、セルジオ・バホーゾ(b)、ラファエル・バラッタ(ds)は夫々黒いジャケットを着用していた。
いざ演奏が始まると、このTrioは私の期待に違わぬ演奏を繰り広げてくれた。滑らかでバランスの取れたpiano、高音部への展開は少なくも低音部でズシズシとリズムをキープするbase、それから軽やかなリズムを展開し、おかず部分が多彩なドラム、最後まで聴衆をぐいぐいと引き込む演奏が繰り広げられた。演奏は2部構成で、「レクイエム」というオリジナル曲以外はBossa Nova、Samba Jazzの名曲揃いで、初心者からブラジル音楽通をも楽しませるなかなか心憎い選曲・構成だったと思う。夫々の部で1曲ずつMikaさんの日本語によるボーカルがあったが、個人的には悪くないと思った(よ、これはGilberto’sのメンツに対して語っていますw)。曲と曲の間に、MikaさんのMCが入るのであるが、凱旋公演ということもあったのだろう、随分打ち解けた口調で、曲やメンバーのエピソードを含めた紹介があった。彼女の語りは、ハッキリとした物言いと直截的な表現で、相手(聴衆)側にずんずんと迫ってくるような感じで、“大変勇ましいヒト”だという個人的な感想を抱いたが、考えてみるに、そうじゃないとプロの音楽家としてやっていけないよなと思ったりした。
実は事前に、イチロウより“短時間でもご本人とお話するチャンスがあれば、岡山という地方都市から国内外の一線で活躍するSamba Jazz Pianistが生まれた背景について考察しろよ”という文化人類学的お題を投げかけられていたであるが(あくまでもお遊びとしてw)、ご本人のMCを聴いていて十分に分かったような気がした。その源泉は、岡山の文化的土壌からというよりも、ご本人のキャラから出たものである、それが答えの全てである、そんな気がした。多分、ジロウやコウスケに無理なお願いをすれば、短時間でもMikaさんご本人のお話を伺うチャンスも可能であったろうが、そこはboundary(一聴衆のマナーとしての一線)を引くべきであろうと思った。
コンサートは、期待通りの演奏が展開され大変大満足であった。良い音楽に接することが出来て幸福感に浸ることが出来た。コンサート終了後、ジロウを通じてご本人から直接CDを送っていただいたことに一言お礼を伝えたくて、サインコーナーに並ばせて貰った。コウスケが「ボクから紹介させてもらう」と一緒に並んでくれたのであるが、私の順番が来て、Mikaさんにお礼を述べると、カラリとしたお返事と送っていただいたCDに“コウスケがお世話になります”との言葉を添えたサインをいただいたw。
そして、私の1か月前からのSamba Jazzの初歩的事前学習から本番コンサート参加までのお遊び任務は目出度く終了したのであった。
午後9時過ぎに会場を離れ、Gilberto’sの面々とそしてもう一人関東組と共にやって来たオトコ・フジイ氏と共にオフ会を開くべく、岡山市田町にある「岩手川」という料理屋に向かう。
フジイもやはりブラジル音楽が大好き人間のようであるが、自転車はやらない。お酒が大好き人間のようであり、Gilberto’sアルコホール部に勝手に入ってもらう事にしたw。
「岩手川」は、私が岡山在住の頃に何度となく利用したお店であり、地元の産物が食することが出来るお店である。10数年ぶりに来訪であったが、そこそこのお値段で地元の美味しい料理を提供してくれるお店である。店内の様子は流石に変わっていたが、出される料理は変わらず美味しくて、関東組を案内できてよかった。下津井産のたこ、乙島蝦蛄の唐揚げ(実はこれこの度始めて食したw)、蝦蛄酢、ガラエビ、黄ニラの卵とじ、同店の名物料理・ピンポン(すりおろした山芋を揚げたもの)、鯛の骨蒸し、等々。残念ながら鰆は品切れとのことでありつけなかった。アルコール部の者はビールに始まり、地元の銘柄のお酒を熱燗にしていただいた。イチロウ・ジロウはアルコールを呑まないので、ウーロン茶を啜っていた。この辺り、二人には申し訳なかったが、事前の了解でこの後の運転手になってもらうことになっていた。
この店である程度お腹を満たした後、2次会という事で、これまた私が以前利用しその後も同窓会などで岡山に来る機会が有ると立ち寄ることにしている岡山西大寺町商店街近くのバー“ひゅって”に他のメンツを誘う。
このお店は、1階に10人掛けのカウンターのみ、2階に20人程度のソファー掛けテーブル席がある程度の小さなお店で、現在は2代目になるママさん独りで営まれている。お店の歴史は古く、開店して60年以上が経っているのだという。カラオケもなく、お酒のうんちくもなく、若い女性の嬌声もなく、少人数で落ち着いて洋酒が飲めるのが良い。アルコール班3人はウヰスキーハイボールを頼み、2人はフレッシュジュースを飲んだ。何を話したかほとんど記憶になし、ただただ楽しく私ひとりではしゃいでいたのではなかろうか。私の酔ったところを何度も付き合ってもらっているイチロウから、その酔い加減(泥酔ではなかったと願うがw)に呆れ果てていたと翌日告げられる(泣;反省を込めて)。
最後に、このお店の2階の部屋に飾られている油彩の山の絵の前でGilberto’sの集合写真を取って、私のこの度のGilberto’sオフ会任務を終了。私の懐かしい岡山の想い出の中にGilberto’sの面々が入ったことを密かなる悦びとしたい。また、酒場大好き人間のコウスケや、全く飲めないイチロウからこのお店を喜んでくれたこと:私の好きな場所を彼らが認めてくれたことに大変感謝している。
良い音楽と、美味しい食べ物、お酒、そして好きな空間をプライベートな仲間と共有出来たことは人生における至福のひとつだよなと、今振り返ってひとりぼんやりと思ったりした。
0 件のコメント:
コメントを投稿