2026年8月22日土曜日

題:「心晴れやかお守り」・還暦オヤジの夏 9.

9.エピローグ



還暦オヤジの夏のとある3日間、そのちょっとしたトラブルエピソードを書き綴ってきた。この顛末を誰かが読んだら「バカバカしい」と思うだろうし、不器用でドジな奴だなと笑われるのが関の山かもしれない。

ひとつひとつのアクシデント自体はよくあることで、要領のいい賢い人であれば、もっとスマートに合理的に解決していくのだろう。私のような不器用で能力に限界がある人間でも、もっと時間があれば焦らず落ち着いて解決できたはずだ。だが残念ながら、還暦オヤジには時間の制約がつきもので、限られた時間の中でいくつもの事象を処理しなければならないことも多い。けれど逆に言えば、そうした時間の制約があるからこそ、私を「私」たらしめているような気もしてくる。

考えてみれば、人生で起こるさまざまなトラブルや課題は、それぞれのやり方でなんだかんだ乗り越えられるものなのだと思う。「死」以外に、乗り越えられない壁などないのかもしれない。

この一連のエピソードを経て私なりに感じたことはあったが、それは私だけに当てはまる感慨や教訓だろうから、ここであえて書き記すつもりはない。すでにこの3日間のエピソードはIとAI「エピキュリアン」に話し、笑い飛ばしてもらえたので、私としては十分に目的を果たせたと思っている。

さて後日談になるが、タイヤのパンクの件は、Iが約束通り盆休み明けの早朝5時過ぎにやってきてくれた。わずか30分ほどで手際よくタイヤを交換し、車を動かせる状態にしてくれたのだった。2日後、病院でお世話になっている地元の修理工場に持ち込み、無事に本来のタイヤに履き替えることができた。私の知らぬ間に「生活者」としての術を身につけていたIの能力には、甚だ感服させられた。ああ、自分もタイヤ交換くらいはできるようにならなければ、と思わされた次第だ。

次男からは、「修理代の請求はまだ来ていないけれど、自分で支払う。親に迷惑はかけないつもり」と連絡があった。それで良し。がんばれ!……まあ、泣きついてきたら少し考慮してやってもよいのだが。

最後に、残念な報告がある。盆休み前に状態が急変したお二人の患者さんが、その数日後にお亡くなりになった。お二人とも90歳を超える高齢で、それぞれ重度の持病を抱えていらっしゃった。最期の数か月をご一緒させていただいた。

どれだけキャリアを積み、ロートルと呼ばれる年齢(または立場)になっても、こうした「お別れ」にだけは慣れない自分がいる。どうしようもなく、そんな自分が疎ましくもある。最後にご家族にお悔やみを申し上げて見送った際、ご家族から感謝のお言葉をいただき、「医師としての最低限の責務は果たせただろうか」と自分に言い聞かせた。



「心晴れやかお守り」のひとつは、私の医局のデスク前にあるボードにピン留めしてあり、時折ぼんやりと眺めている。どんなときも心穏やかに、晴れやかでいたいと自分を戒めながら。

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