2015年12月23日水曜日

A Letter to The Editor



1218日に中華料理屋「天津」で、イチロウと一連の「Nabesada祭り」の打ち上げを行ったのだが、その夜のイチロウは付き合ったこれまでの中で例外と思えるくらいに、ご機嫌であった。下戸の彼が珍しく、チンタオビール2本にウヰスキー・ハイボール一杯をその腹に収めていた。

 河岸を替えて二人でナベサダ談義をさらに続けてのであるが、彼が「あのなあマサキ、今回はよくもこれだけシリーズ化して書けたなあ。エラカッタ。だがなあ、こんなに沢山書いてしまったら読者が読みづらいだろう。どんな優れた論文でもなあ、サマリーがないと意味がないだろう?ちゃんとまとめのサマリーを書いて論文は完了なんだから、ちゃんとサマリーを書いとけよw」と繰り返し言うのだった。

 アクセス数少ないブログなので、そんなに読むヒトを気にしなくても良いじゃないか、と必死で抵抗してみたものの、イチロウは酔いが回った赤ら顔で全く納得してくれないw。

じゃあ仕方がないな、書くことにするが、サマリーだけだと、全く味気ない文章になってしまう。そこで遊びついでに、「架空雑誌宛の短報」という形で今回の「独りNabesada祭り」をまとめようと思った。

 

以下は、その似非論文である。

 

A letter to the editor

 

【題】Nabesadaの音楽性に対する私的論考

【著者】マサキ、イチロウ

【目的】Nabesada氏の音楽作品の変遷を踏まえつつその音楽的志向を理解すること

【方法】期間:20151020日から同年1218日。方法:渡辺貞夫氏の1961年から1980年までの作品を主体に20アルバム作品を無作為に抽出し試聴。同氏著作「渡辺貞夫~ぼく自身のためのジャズ/ 日本図書センター発行(2011)」の読了。フィールドワークとして、20151113日広島Live Jukeでスモールコンボでの演奏、同年1213日西宮市 兵庫県立芸術文化センターでの「Naturally Concert」ストリングスアレンジ付きでの演奏を観察し比較検討。20151218日中華料理屋「天津」での世間話。これらを資料としてCohort的に検討し極私的に考察する。


 
【結果】11961年の初リーダーアルバム「Sadao Watanabe」において高度なJazz演奏技術を披露していた。その演奏技術は、米国のJazz Musicianからも高く評価されていた。2)米国留学期(19621965年)の経験により、Jazzのみでなく幅広い音楽を演奏していく志向性を持つに至ったようであること。それは世界的なBossa Novaブームと重なり、帰国後積極的に同氏がこの音楽を演奏することにより日本でも同様のブームをもたらすことになった。3)その後、アフリカ音楽への傾倒のみならずフュージョンや民俗音楽的展開を示すが、一方でストレートアヘッドなJazz演奏の継続を示している。4)同氏本人は、その著作の中で自らの音楽について、自身のことを「ジャズ・ミュージシャンと言わなくても良い」「ヴァラエティーに富んだ音楽をやりたい。あらゆる変化のあるリズムを使っていきたい」としつつ、「リズムに抵抗なく入れて、スイングすること」が最初の問題であり、「ジャズのスイング感に魅力を感じている」、そして自らの音楽が「これからもジャズ的フィーリングのあるものになるだろう」としていた。また同著作からは、繰り返しリズムについて繰り返し言及していた。5)実際の本人の演奏においては、ストレートアヘッドなJazzにおけるエネルギッシュでありながらも、高度な指使いによる淀みのないフレージング、イージーリスニング・ジャズ、ソフトサンバ的な曲におけるスムースでメロディアスなフレージングが特徴的であった。6)また、ステージ上では同氏のプロフェッショナルな態度、即ち聴衆に対する謙虚な態度、同僚に対する信頼、自らの音楽に対する真摯な態度が窺え、また同僚からも尊敬と信頼を受けている様子が窺えた。7)後日18日では、店主より6)の結果を補強される談話があった。

【考察】渡辺貞夫氏は、1933年生まれ。1951年に上京後音楽活動に入り2015年現在82歳であり、その音楽キャリアは63年に及ぶ。63年間に演奏スタイルをバップ・ジャズ、ボサノバ、サンバ、ジャズロック、アフロ音楽、MPB、イジージーリスニングなどの音楽に展開していきつつも、それらの音楽の中に常にスイング感・ジャズフィーリングを見出していたようである。同氏は、多様なリズムや幅広い音楽スタイルに愛情を抱きつ幅広い音楽に自らを投じつつ、一方でジャズ的要素を自らの音楽的オリジンと捉えていた。「やりたい音楽をすることが幸せであり、それが聴き手にも楽しんでもらえることになる」という自らの音楽に対する強い自負が窺えたが、その背景には、同氏が自ら納得いく音を得られるまで、そしてその音が常に再現できるように、常に楽器の練習に余念が無かったこと(恐らく現在までも)、弛まぬ努力があったことをその著作より知ることが出来た。

 さて、著者らは60年代後半に生まれて、80年代前後同氏が一連のフュージョン作品で大成功を収め国内で社会的に大きく取り上げられた頃にその名前と顔を知った世代である。残念ながら、コマーシャライズされた「ナベサダ」程度でしかその存在を今日まで知ることがなかった。90年半ばに著者のひとりであるイチロウが、“エセ・ボサ”(※ボサノバブームに便乗して制作されたと思われるボサノバ・テイストの作品を、著者たちが勝手に名づけたもの)のアルバムを収集したことがあり、その時偶然に「Sadao meets Brazilian Friends」を入手し、その作品のクオリティの高さに驚きつつも、同氏のその他の作品群にその多様さ故にどう手を染めていけば良いのか立ち往生し、そのまま収集を放棄しまったという体験があった。一方のマサキは、フュージョンブームの頃1984年にスティーブ・ガッド(ds)、ウィル・リー(b)らを率いた地方コンサートを観に行った経験があった。しかし、不覚にもそのコンサートのほとんどを眠りこけてしまい、アンコールで披露されたスティーブ・ガッドのソロをフィチャーした「カルフォルニア・シャワー」だけを記憶に残すのみという大失態をおかし、それがトラウマになったのか、その後全く同氏の音楽を聴かないで過ごしていた。

 この度の一連の研究の動機において、著者ら各々の「Nabesada体験」に対するリベンジの側面を否定しえないが、この度集中的に渡辺貞夫氏の諸作品と演奏ライブへの参加を通じて以下のような結論を得た。

 ○Nabesada氏の音楽性のプライオリティーは「プレイヤー」である。それも侍魂を持った日本が誇る稀代の名プレイヤーであること。様々な音楽ジャンルや共演者に対して、そこにジャズフィーリングを感じれば、相手の懐に飛び込んで歌心溢れる演奏をし、共演者をそして聴衆を納得させ、誰をも幸せにさせてしまうことの出来るプレイヤーであった。

 ○多様なリズム、音楽ジャンルを我がモノとさせてきた背景には、同氏の幅広い音楽・リズムを自らの音楽に積極的に取り込んで行こうとする同氏の音楽的志向性の展開ゆえであり、多彩な音楽演奏を残した作品群は、この音楽家の個性に帰するところである。

 ○世に出された諸作品は多様な音楽スタイルを示すが、通底するものは「渡辺貞夫」というフィルターを通したジャズの発露であり、そこには日本の職人気質に重なる同氏の匠としての自負が存在していたのである。

 ○同氏のアルバム作品を回顧する過程で、同氏の音楽キャリアと音楽的展開は同時代の音楽変遷と概ね重なり、同氏の時代対する嗅覚の鋭さを表しているように思われた。

 ○では、この21世紀に新たなる“Nabesada氏”のようなミュージシャンが登場するかどうか?という疑問が著者間に生じたが、昨今の音楽界の状況などから、残念ながら“否”であろうという結論になった。

 

【限界】渡辺貞夫氏のアルバム作品全80数作からあくまでも20作品を無作為に取り出して試聴したが、60年代から80年の作品を取り上げ、また70年代のアフロ音楽作品と80年代以降のフュージョン、MPBもの、などのほとんどは試聴出来ていないため、全作品を網羅した上での私的考察ではない。今後も漸次同氏のアルバム作品を収集し試聴を続ける必要がある。また、本論に述べた結果や考察は、あくまでも著者らが同氏のアルバム作品やライブ演奏を聴いた上での主観的印象であり、他者の評論や考察を検討していない。あくまでも本著者たちの主観的な印象に基づく考察であり、他の評論者においては異なった考察が述べられることになろう。但し、多様な評論や考察が、「渡辺貞夫」氏の音楽性をより多角的・立体的に理解することにつながるのであり、その点においてこのような本論における私的論考も多少の価値があるのではないかと思われた。

なお、本論文に関連して開示すべき利益相反はない。

 

Reference

・試聴したアルバム作品(年代順に記載)

 

Sadao Watanabe1961

○※ Latin Baloch Collection(1965)

Bossa Nova ‘67(1967)

Jazz Samba(1967)

The Girl From Ipanema(1967)

Nabesada Charlie(1967)

Sadao Meets Brazilian Friends(1968)

Song Book(1968)

Sadao Watanabe Live At The Junk(1969)

Sadao Watanabe At Montreux Jazz Festival(1970)

Sadao Watanabe(1972)

Swiss Air(1972) 

I Am Old Fashioned(1975)

My Dear Life(1977)

Bird Of Paradise(1977)

California Shower(1978)

Morning Iland(1979)

Remembrance(1999)

Broad Cast Track ‘67 ‘72(2006)

Naturally(2015)

 

・著作物

○渡辺貞夫 ぼく自身のためのジャズ 人間の記録174 日本図書センター、2011

(もうこれで、本当におしまいw)

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