1年9ヶ月ぶりに再会した其のオトコは、イチロウの表現を借りれば「松本幸四郎」似の風貌を持ち、今も学生時代と変わらぬ引き締まった体躯を持った実年齢よりも随分若々しく見える人物であった。
彼らが落ち合ったのは、そのオトコが予約したレストラン前で、挨拶もそこそこにその店内に入ったのだが、フロアはランチタイムのピークを過ぎた頃合いだったためか、客もまばらで落ち着きを取り戻しているようであった。
ハワイアンカフェなる店で、周囲は若い女性客ばかり、3人のオヤジではちょっと浮いた存在に見えなくもなかったが、そんな事に恥じらうメンタリティーを最早どのオトコも持ち合わせてなかった。
オトコたちは、メニューを眺めながら思案した挙句、各々にロコモコ、ツナ・ポキ、なんとかヌードルなどを注文したのであったが、注文を受けた若い女性は果たしてどう感じたか?止せば良いのに、マサキなぞはパイナップルワインという甘ったるそうなワインを注文してしまっていた。
注文して一息ついた時、マサキの向かいに座ったオトコがちょっと照れ臭そうに笑いながら、「しかし久し振りに会ったのに、普段からSNS で駄弁っていたら、何話して良いか分からんなあ」とぼそりという。
"まったくだ"とマサキも思った。先頃開かれマサキもイチロウも都合がつかず欠席してしまった同窓会の事について、そのオトコに聴いていく手も思いついたが、余りそちらに話題は進まず、
欠席した負い目もあってかイチロウもマサキも同窓会について熱心に聞き出す様子もなかった。マサキは、前回コウイチを招いた時の余りの礼を欠いたもてなし振りについて改めて詫びを言った後は専らそのオトコとイチロウの雑談の聞き手に徹した。
二人の会話は、蛇行しながらも共通の趣味であるクルマに移って行ったが、聞き役に回ったマサキは、“ずっと学生時代からこんな関係だったな”とぼんやり振り返っていた。
そのオトコはコウイチと云い、イチロウやマサキにとって高校時代以来の親友であった。彼は、若い頃から何かにつけて情熱的であり、趣味であるクルマでは所有して喜ぶだけでなくレースドライビングライセンスを取り一時期はレース活動に勤しみ、また音楽であれば、聴くだけでなく実際にバンドを組んで演奏に興じていた。物事に激しくのめり込む気性をもちながらも、他方では常識的な評価や判断を下せる抑制的な傾向も持ち合わせたバランスの取れたオトコで、そんな部分がイチロウやマサキとしては安心してコウイチを眺めていられる或は付き合える部分であった。マサキのような惰弱なオトコからみると、好ましい性格を持った男だ。
この度のコンサートに伴う3人のオトコの邂逅は、前日までのSNSを介したやり取りで十分に盛り上がってしまい、いざ顔を突き合わせてみると、特別の話題も大きな波乱もなく、普段の日常の延長上に何の違和感もなく存在している風であった。
やや女性向けの控えめなボリュームに対して、そして少し時間が余り気味で物足りなさを感じた3人は、二人はハワイアンパンケーキなるものを、そしてマサキはハワイの地ビールにフレンチフライという、どうみてもオヤジどもには不似合いなものを追加注文。マサキなどは、ハワイアンカフェなるものに対する己の不釣り合い加減に内心苦笑せざるを得なかったのであるが、そう云えば学生時代によく3人で「茶をシバキにいくぞ」と喫茶店に行っていたことを想い出した。30年の時を経ても同じような構図に益々笑みがこぼれるのであった。
コンサート直前に、コウイチの奥方と会場のロビーで集合、お互いに挨拶を済ませると夫々に座席に別れて夫々にそのコンサートを楽しんだ。
コンサートが終わると、何処かでお茶をしようということになり、阪急西宮北口構内にあるコーヒーショップに4人で入った。コウイチの奥方は、3人のオトコにとって学生時代の2級下の後輩になり、イチロウとマサキにとっては、同じクラブの後輩でもあったのだが、マサキにとっては、その奥方と話をするのが実質的に初めてであった。何故そんなことになったのか、彼自身にもよく分からなかった。
その奥方は、テキパキと男どもの珈琲の注文を買って出てくれて、その場を取り仕切ってくれていた。はきはきとした物言いの中にも落ち着いた雰囲気を持つその女性に、マサキなぞはおぼろげながら30数年前の面影を思いだしていたが、「こんな女性だったかな」不思議な心もちがしたものだった。コウイチめ知らぬところで良い女性を捕まえたものだと感心もした。それにしても、その奥方から当時どんなふうに見られていたかと思うと冷や汗もので、「またくぼんやりとした奴だったからなあ、オイラは.....。」とその当時の彼自身のことを思い返した。
いつしか4人共通の話題として、学生時代のことや同級生のことに話題が及んだが、それ等の話題からマサキには、少々ほろ苦い記憶も想起されて懐かしさの中にも何か消化しきれていない葛藤を感じたものだ。
コウイチと奥方は、イチロウとマサキの帰路を配慮して、そしてイチロウとマサキはコウイチの家族の事を気遣い、1時間に満たないアフター会を終えたのであった。駅構内に向かい別れ際まで、奥方と雑談をして別れることになったマサキは、何時ものことながら物足りなさをかんじたものだったが、一方で、この度のコウイチとの邂逅が特別なイベントではなく、“日常の中の延長上”のエピソードとして体験できたことに十分な満足感を覚えた。
それと、あの若い時代のピアグループの中で交換される感情の発露や同胞葛藤的状況を整理出来ぬままに夢中で駆け抜けたエネルギーの残り火が何時までも心の片隅に燻っている己を知り、何とも言えぬやるせない気持ちにもなった。
帰りの電車の中で、彼は、弁当を食べ終わった後のデザートとしてカップワインをちびりちびりとやりながら、そんなことをぼんやりと考えていたのであったが、ふと別の想いも抱いた。
“ひょっとしたら、そんな若い頃の未整理なモヤモヤとした残り火が、実は青年期心性の本態であって、それが人生を前進させてくれるエンジンなのではないか”と。“全部綺麗に整理されて悟ってしまったら、それはもう本当の老いだわ”と。
右手に広がる車窓の暗闇を見つめながらそんなことを想っていると、ふと彼の脳裏には先ほど目の前でNabesada氏が奏でた「After Years」が蘇ってきたのであった。
(終わり)
そのオトコはコウイチと云い、イチロウやマサキにとって高校時代以来の親友であった。彼は、若い頃から何かにつけて情熱的であり、趣味であるクルマでは所有して喜ぶだけでなくレースドライビングライセンスを取り一時期はレース活動に勤しみ、また音楽であれば、聴くだけでなく実際にバンドを組んで演奏に興じていた。物事に激しくのめり込む気性をもちながらも、他方では常識的な評価や判断を下せる抑制的な傾向も持ち合わせたバランスの取れたオトコで、そんな部分がイチロウやマサキとしては安心してコウイチを眺めていられる或は付き合える部分であった。マサキのような惰弱なオトコからみると、好ましい性格を持った男だ。
この度のコンサートに伴う3人のオトコの邂逅は、前日までのSNSを介したやり取りで十分に盛り上がってしまい、いざ顔を突き合わせてみると、特別の話題も大きな波乱もなく、普段の日常の延長上に何の違和感もなく存在している風であった。
やや女性向けの控えめなボリュームに対して、そして少し時間が余り気味で物足りなさを感じた3人は、二人はハワイアンパンケーキなるものを、そしてマサキはハワイの地ビールにフレンチフライという、どうみてもオヤジどもには不似合いなものを追加注文。マサキなどは、ハワイアンカフェなるものに対する己の不釣り合い加減に内心苦笑せざるを得なかったのであるが、そう云えば学生時代によく3人で「茶をシバキにいくぞ」と喫茶店に行っていたことを想い出した。30年の時を経ても同じような構図に益々笑みがこぼれるのであった。
コンサート直前に、コウイチの奥方と会場のロビーで集合、お互いに挨拶を済ませると夫々に座席に別れて夫々にそのコンサートを楽しんだ。
コンサートが終わると、何処かでお茶をしようということになり、阪急西宮北口構内にあるコーヒーショップに4人で入った。コウイチの奥方は、3人のオトコにとって学生時代の2級下の後輩になり、イチロウとマサキにとっては、同じクラブの後輩でもあったのだが、マサキにとっては、その奥方と話をするのが実質的に初めてであった。何故そんなことになったのか、彼自身にもよく分からなかった。
その奥方は、テキパキと男どもの珈琲の注文を買って出てくれて、その場を取り仕切ってくれていた。はきはきとした物言いの中にも落ち着いた雰囲気を持つその女性に、マサキなぞはおぼろげながら30数年前の面影を思いだしていたが、「こんな女性だったかな」不思議な心もちがしたものだった。コウイチめ知らぬところで良い女性を捕まえたものだと感心もした。それにしても、その奥方から当時どんなふうに見られていたかと思うと冷や汗もので、「またくぼんやりとした奴だったからなあ、オイラは.....。」とその当時の彼自身のことを思い返した。
いつしか4人共通の話題として、学生時代のことや同級生のことに話題が及んだが、それ等の話題からマサキには、少々ほろ苦い記憶も想起されて懐かしさの中にも何か消化しきれていない葛藤を感じたものだ。
コウイチと奥方は、イチロウとマサキの帰路を配慮して、そしてイチロウとマサキはコウイチの家族の事を気遣い、1時間に満たないアフター会を終えたのであった。駅構内に向かい別れ際まで、奥方と雑談をして別れることになったマサキは、何時ものことながら物足りなさをかんじたものだったが、一方で、この度のコウイチとの邂逅が特別なイベントではなく、“日常の中の延長上”のエピソードとして体験できたことに十分な満足感を覚えた。
それと、あの若い時代のピアグループの中で交換される感情の発露や同胞葛藤的状況を整理出来ぬままに夢中で駆け抜けたエネルギーの残り火が何時までも心の片隅に燻っている己を知り、何とも言えぬやるせない気持ちにもなった。
帰りの電車の中で、彼は、弁当を食べ終わった後のデザートとしてカップワインをちびりちびりとやりながら、そんなことをぼんやりと考えていたのであったが、ふと別の想いも抱いた。
“ひょっとしたら、そんな若い頃の未整理なモヤモヤとした残り火が、実は青年期心性の本態であって、それが人生を前進させてくれるエンジンなのではないか”と。“全部綺麗に整理されて悟ってしまったら、それはもう本当の老いだわ”と。
右手に広がる車窓の暗闇を見つめながらそんなことを想っていると、ふと彼の脳裏には先ほど目の前でNabesada氏が奏でた「After Years」が蘇ってきたのであった。
(終わり)
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