2015年12月20日日曜日

「テンシン」行


イチロウが珍しく「打ち上げしようぜ」と言った。「ほら忘年会も兼ねてだなあ、今回のNabesada祭りの締めをしようや。ついてはテンシンにちょっと行ってみようぜ。」という。

 

夜出無精の彼がそんなことを言いだすのは珍しい。こちらとしても断る理由もなく「おお、Nabesadaについて鼎談しようか」とふたつ返事で応じた。

 

その日イチロウとボクは仕事を終えた後待ち合わせ、広島市内にある中華料理屋「天津」に赴いた。歓楽街のメイン通り沿いにその店はあり、初めての来訪者にも分かりやすい。少し古びた趣の引き戸を開けると10数人がけのカウンター席があって、その奥にテーブル席が45組ある、入り口に対して縦長の作りをしていた。入り口の右手に厨房があって、男性店主独りがテキパキと料理を作り、女性1人がフロアを担当していた。

 

イチロウとボクは店主に会釈した後、カウンター席に座り、「さて」とメニューを眺める。豆腐の天麩羅、豚(耳)の味噌煮、水餃子、鶏手羽先の薬膳煮などに目が留まり、チンタオビールと共にそれらを注文。

 

ビールが運ばれてくると、早速二人で乾杯をした。店主が他の客の注文も裁きながら、手際よく我々の注文をした料理を作ってくれる。上の料理、どれも旨い。豆腐の天麩羅、豚耳の味噌煮は沢山のネギと共に甘い味噌をたっぷりと付けて食べるのだが、ちょっと感動的だった。

 


すこしビールを飲み、料理を食べていると次第に気分もほぐれた。イチロウとボクがどちらともなく、「この度のNabesada祭り良かったよなあ」という。「今回聴かなかったら、絶対にこれからの聴くことなかったよな」と。イチロウ、「俺この前の広島ライブの時、ウルウルしてただろう。やっぱホンモノだと分かって嬉しかったんだよなあ」という。

 

ボクも相槌を打つ。「確かに。あのライブは本当に凄かった。感動したものなあ。」「今回聴かなかったら、一生カリフォルニア・シャワーのオジサンという認識しか持たずにいたものなあ。」と。

 

さて、この天津というお店、実はナベサダ氏直々に教えていただいたお店で、1113日の広島ライブが終了した時、ご本人が「この後、この若い連中が天津に行くから、もし良かったら皆さんも行って盛り上がって下さい」とアナウンスされた。その時、イチロウは「一丁付いて行くかw?」などと言っていたのであるが、ボクは妙に気が引けてしまい断ってしまった。後日イチロウが調べるに、この天津さんは広島では有名なお店でナベサダ氏が広島に来られる際には必ずライブ後に立ち寄られるお店だそう。それを知った夜出無精のイチロウが、「是非天津で、打ち上げするぞ」と言い、強い決意を表明したのであった。

 

少しお腹が落ち着いて店内を見回すと、カウンター席の背後の壁には所狭しとサインの書かれた色紙が貼ってある。ナベサダ氏はだけでなく、沢山の芸能人が過去に来店しているみたいだ。「へー」と思う。

 

やがて、イチロウが向かいで作業をしている店主に「ここのお店は、よく渡辺貞夫さんが来られるらしいですね」とごく自然に尋ねる。このヒトの、このタイミング、大仰でないさりげなさでお店のヒトと会話できる能力・それも相手から気持ちよく話を引きだす能力に何時も感心してしまう。一種の才能である。

 

その店主さんは、話をしてみるととても気さくで穏やかな物言いをして下さる方で、多分イチロウとボクが彼の目の前でナベサダ氏の話やブラジル音楽の話をしていたのでちょっと気になっておられたのであろう。「お客さん、音楽関係?地元のヒト?」などと確認した後、ナベサダ氏について語って下さった。「貞夫さんはねえ・・・・」と話し始めてそのお店とナベサダ氏の馴れ初めを教えて下さった。

 

その店主さん曰く、ナベサダ氏が最初に来店したのは79年のことだったらしい。最初は地元のプロモーターが案内されたと思われるが、それ以後は広島に演奏に来られるたびに立ち寄るようになった。毎回ツアーに共演するミュージシャンも引き連れてきていたので、次第にそのミュージシャンが広島に来た際共演する他のアーチストたちを連れて来店するようになったらしい。因みに俳優系の最初は「小沢昭一さん」らしく、そのうちに俳優の皆さんも数多く立ち寄られることになった(この件、小沢昭一ファンのボクは、おお!と感激してしまった)。今ではミュージシャン関係、俳優関係のヒト達が多数来店することになっているとのこと。店主さん「以前ではスティーブ・ガッドさんやウイル・リーさん、最近ではサリナ・ジョーンズさんも来られましたよ」と(へーw)。

 

そんな話を店主さんがしてくれて、ちょっと手が空くと、ナベサダ氏のサインやこの前ライブで共演したミュージシャンの来店時の写真を見せてくれた。その時は、ナベサダ氏は来店されなかったのだが、変わりにサイン入りの「Naturally」コンサートツアー用ポスターをこのお店に送ったのだそうだ。店主さんが御礼状を送ると、ナベサダ氏は返礼の手紙を送ってきたらしい。

 

“ああ、とても優しく手律儀な方だな”と思った。“こういう付き合いを大切にされる人だからこそ、何処に出かけて行っても現地のヒトに受け入れられて音楽的交流が出来たんだなあ”と物凄く納得できるエピソードだった。

イチロウが「貞夫さんのサインとかどの辺にありますか?」と店主に尋ねると、「その奥のテーブル席ですよ」と教えて下さった。

 


「折角だから」と席を離れて奥にあるテーブル席コーナーに行ってみると、ワ~沢山ありましたw。“ナベサダ・コーナー”がありました。「今度来るときは絶対に、このテーブル席に座らせて貰おう」とイチロウ満面の笑みを浮かべている。

 

音楽関係者が集まることは別にしても、その店の雰囲気、出される料理の旨さ、店主さんのお人柄、どれも申し分なくここは何度来ても良いなと思った。

 

店主さんがいうには、ナベサダ氏は来年も広島に来ると伝えられたとのことで、イチロウと二人で「来年もというかナベサダ氏が元気でライブで来広される間は、毎回ライブを観に行くか」と話した。そして、ナベサダ氏を追ってこの店に来ると。ちょっと楽しい年中行事になりそうである。

 

天津に来て良かった。まだまだ長居してその店主とナベサダ談義をしていたかったのだけれど、如何せん、お腹が一杯になりそれ以上留まる訳に行かなくなり、1時間20分程度で退散することになった。19;30分にスタートしたが、まだ21時にも届いていない。“河岸を替えよう”ということにして、その店を辞去し、暫く繁華街を歩いた。

 

前の通りには、忘年会の1次会が終わり次のお店を思案する様子のグループ客、気分良く盛り上がり嬌声を挙げて騒いでいるグループ客で溢れていた。辺りには、其々の店から放たれる香ばしい匂いが漂っていた。

 

「天津」さん、本当に良い店だった。また来よう。あの店、コウスケやジロウ好みの店だったなあ。何時か連れてきたい。そうだ、コウイチも広島に呼んで、ナベサダ氏のライブを観てあの店で打ち上げるのも良いなあ。来年第2Nabesada祭りをするか。

 

ほろ酔いの頭で「Naturally」を鳴らしあれこれ楽しい思案をしながら、イチロウと肩を並べてぶらぶらと賑やかな通りを歩いた。冷たく乾いた空気が熱くなっていた身体に優しく触れたよう気がした。

 

(続く)

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