2025年6月3日火曜日

2025年5月は、チャリと花の季節でしたの事

1)蘭の事

 6月に入り梅雨入り間近。これから先は、曇り雨とスッキリしない天候が予想されている。翻って今年の5月も例年に比べると3日ほど雨天の日が多かったとの事。体感的にも例年に比べて、寒暖の差が激しく朝夕は寒かったような気がする。

それでも昼間の気温は着実に上がってきており適当に雨が降って庭の草木も野山にも花が良く咲いており、私の眼を楽しませた。


昨夏から見よう見まねで何気なく始めた蘭の世話も、1年を通して順調に経過して、6鉢程それぞれに開花し密やかな満足を得ることが出来た。ヒトから頂いた胡蝶蘭の花が終わり、見るからに枯れかけている3株をどうしたものかと思案し、手っ取り早くyou tubeで育て方を教えてもらい、それぞれの株の終わった花茎を切り水苔を敷き詰めた鉢に植え替えたのが始まり。その3株のうち残念ながら2株はダメになったが、一株だけが生き残った。それが何とも悲しくも悔しかった。ある日、あるyou tuberが花屋の片隅に花が終わりかけた株を易く販売していることを教えてくれた。これだ!と想い、私も外出の折に花屋を見かけると探したところ、同じように花が終わりかけた株が一鉢1000円以下で売られていた。そうやって、すこしずつ5鉢まで買い増し、花が終わると花茎を切り、素焼きの鉢に植え替える作業を行った。真夏の30℃を越す時期は、クーラーをかけて室内を28度以下に、冬場10度を下回る時期は日中は日当たりの良い窓際に夜は窓際から暖房をかけ室内が15-6°の場所にこまめに移して過ごした。



とても温室を作るお小遣いもスペースもないものだから、真夏も真冬もこまめに場所を移し、人間にとってもそこそこ快適な場所で見守った。そうやって過ごすうちに新しい葉や根(air rootと呼ぶらしい)が出てきて、春先にはついに新しい花茎まで生えて来た。その過程をずっとみまもっていると、一方的ながらも愛着がわき愛おしく感じられるようになった。早いもので3月の下旬から開花し始めたが、この5月に入り6鉢の全株の花が開花した。蘭の花は随分と長持ちするようで、まだまだ終わりそうにない。一日の始まりや終わりにこの花々を見るたびにある時は慰められある時には元気づけられるのであった。








2)サイクリングを再び始めるの事


この3年流行り病の全世界的な影響もあり、チャリから遠ざかっていた。今年の春先からチャリ乗りを再開したいと思っていたが、体力低下やチャリのメインテナンスから遠ざかったこともあり、取り掛かりにしばらく手間取ってしまった。4月上旬より、タイヤの交換、チェーンの洗浄と専用ワックスの塗付、ハンドルのバーテープの交換をボチボチと行い、古い個体をローラー台にセッティングし、仕事が終わった後20分から始めて60分程度漕ぐなどの準備運動をしていた。ただ如何せん3年間鍛えていなかった両脚は思うように回復せず、3年前までのようにロードバイクで山坂道を再び走り回る自信が持てないでいた。



そんなことを長年の親友イチロウ氏に駄弁っていたところ、彼曰く「マサキ、年齢と体力を考えな。もうロードバイクに乗ってシャカリキに走り回る年頃でもなかろ?これからは、グラベルロードバイクだろう。マイペースでコース選ばずに、好きなところに気軽に走りに行けば良いのだよ」と笑みを浮かべて穏やかに語るのであった。

まあ、確かになあ、最近街で見かけるロードバイク乗りは我々の年代から見ると一回りも二回りも若い世代で、シャカリキになって走っている。もうあの雰囲気には入っていくにはおっさんとしては随分気後れするもんなあ。だけれど、チャリ乗りを中断する前は、ヒルクライマーのチャリを購入しようと野望を抱いていたぐらいで、この先どのような方向に持って行けば自分のモチベーションが満たされるか、迷いに迷っていた。


自分なりに色々とグラベルロードバイクについて調べてみるうちに、グラベルロードとはいうものの、砂利道などの荒れた道だけではなくロングライド・例えばブルぺのような、にも個体性能としても適している事を知った。ロードバイクに比べて安定した走行性、長距離を走っても疲れにくいこと、ギア比などの特徴から少々の坂道も無理なく登れそうだった。

なるほどね、これからはゆっくりと長距離走行を楽しむのが良いね。それに山道は舗装されていても路面が荒れて枯葉・枯れ枝、砂利で覆われている箇所も多くロードバイクで走行する際にかなり神経質になることが多かった。グラベルロードバイクでは、安心して走れそうだと思われた。


4月下旬の連休に入る前の週末に、いつもお世話になっていたスポーツバイク屋を訪ねてみると、店長さんがグッドタイミングだと云わんばかりに型落ちのために値引き出来るグラベルロードバイクがあるよという。しかも、フレームサイズもマサキさんにぴったりだとw。なんだか出来過ぎの話w店長さんの営業トークに負けたわけではないものの、長年の付き合いをしてみて信頼のおける店であったので、前向きに考えると云い残しその日は退散した。

その後日、イチロウ氏に相談したところ、「悪くない選択だよ、良い買い物だと思うよ」との助言を受け、自分の懐具合を確認し、店長が勧めるバイクを購入することにした。


このバイクを使って、GW前後からこれまでに走ったことのあるコースを試走している。練習コースの山道を試走し、自分なりのグラベルロードバイク用のペダル漕ぎを身に着けた:無理に力を入れて漕がない(これをすると膝をやられる)あくまでもスムーズに回せるように積極的に軽いギアに入れていくこと。結果的にはかなりゆっくりとしたスピードでの登坂となるが、却って心肺への負担が少なく疲労が少ないことも発見。

次に以前よく登っていた山(標高500m程度)の峠道を登坂してみたところ、無理なく上ることが出来、自信を深めることになった。その後は、休みが取れた週末に60-80㎞程度走っている。朝早く出発して正午に戻ってくる、余った半日は家庭サービスをして“徳”を積む。良い配分でチャリライフを再び楽しみ始めているわけですw



2025年5月24日土曜日

独り留守番飯 in April, May of 2025

職場の留守番日に自分が発作的に食べたくなったものを拵えては、ああでもないこうでもないと雑念を書いているシリーズ。

空腹に耐えられなくなったり、作るのが面倒であれば、インスタントものやコンビニ弁当で済ませることも多々あるのだけれど、そればかりでは飽きてしまうし、突然思い出したら無性に食べたくなるものがある。そうやって多少の手間をかけて拵えて、独り満足を得られたものを記載している駄文である。

                               

1.カツカレー   


最近、どういう行き違いが生じたのか、家庭で揚げ物がメニューとして上がることがめっきり減ってしまった。子どもが家を離れ夫婦二人になり、たまに天ぷら食卓に上がることはあるものの、カツ・フライはめっきり減った。食べる人数も減り、特に私の好みが野菜や魚類に変わってきている事や、食用油を大量に使う料理の手間暇を考えると揚げ物を作るのが面倒になって来ているのかもしれない。 

そういう個人的な事情から、ここ数年トンカツを食べたことがなかったと気が付いたら、無性にトンカツが食べたくなり、留守番独り飯として拵えることにした。 

スーパーで豚肉ロースの塊を購入しそれを分厚くスライス。それを前もって蒸し器を使って過熱しておいた。衣は本来であれば、小麦粉を付けて溶き卵に潜らせ、最後にパン粉を付けて食用油で揚げる事になるのだが、なんと衣をつける工程が一回で済む商品がこの世に存在していたんだな。

その名も「小麦粉、卵いらずラク揚げパン粉」というそうな。実際にこの商品を試してみると衣をつける工程が大幅に短縮できて楽だった。

大量の食用油は後始末が大変なので、油はあくまでも少なく、揚げ焼き程度の量をフライパンに投入し調理した。

ふと、その前の週に作り冷凍していたカレールーがあるのを思い出し、急遽カツカレーの体裁に。         

実際に食べてみると、分厚いカツは大変食べ応えあり、また、カレーとのコンビネーションも素晴らしく大変美味しかった。改めてカツカレーという食べ物を発明したヒトは大変偉いと思った次第。

2. チキンカツ定食風

 先に書いた便利パン粉が余っていたので、別の日に違う揚げ物、チキンカツを拵えてみることにした。

学生時代に地方で過ごした。大学の最寄駅周辺には4軒の定食屋があり、随分お世話になった。どのお店もご夫婦で営まれており、当時としても比較的安い値段設定であった。家庭料理を出してくれる店、洋食のお店があったが、私の好みは鶏のバター焼き、チキンカツ、唐揚げなどが好みであったと思う。チキンカツを作るにあたって、それらのお店が大変懐かしくなり、もう一品・ひじきを足して定食風にしてみた。チキンカツに使ったのは、鶏の胸肉。低脂肪で胃に優しい。胸肉を筋に沿って切り開き肉の厚さを薄くして、衣をつけて、控えめの油で揚げ焼きとした。付き添い野菜は、キャベツのなどの葉物野菜の千切り・これはコンビニで売られているものをそのまま使用。カツにキャベツの千切りは口の中をリフレッシュしてくれて誠に相性良し。なんだか、うっすらと覚えている学生時代に利用した店主の顔が脳裏に浮かび大変懐かしかった。まだ営業されているだろうか?あれから30年以上の月日が経ったからもうお店を閉じられているかもしれない。時々定食屋ごっこをしながら、当時好きだったメニューを再現していくのも良いかもしれないと思った。


3.ナポリタン・スパゲッティ

独り留守番飯では、時短と簡便さを求めるために主たるメニューでは麺類が多くなっている。麺類の中では、この時期はパスタが多かった。ペペロンチーノ、カルボナーラが頻回に作っているが、前々から旨い喫茶店風ナポリタンを食べたくなって、トライするもののなかなか満足する品が作れずに悔しい想いをしてきた。そんなことを親友であるイチロウ氏に駄弁ると、彼が満面の笑みを浮かべて、「あのさ、そこまでナポリタンに憧れているのであれば、これを使え。」と教えてくれたのが、マ・マー製「ケチャッピー・ナポリタン」というソース。

私が内心出来合いのソースに頼るのは、己の主義に反していなあと困惑の表情を浮かべていると、何かを察したイチロウ氏が、「まあ良いから。四の五の言わすに一度試してみな。悪いことは云わないから....」と笑っている。そこまで仰るのであればと、某日スーパーに食材を買いに行った際に探してみたところ、確かにあった。早速購入して、このソースを使ってナポリタンを拵えてみることにした。





包装にかかれている通りにその手順で作成。私は頭を使わずただ手を動かしただけw。実食してみると、うむむ、確かに旨い。うま味、適度な酸味と甘みの按配。私がイメージしていた喫茶店で供されるナポリタンに仕上がっていた。大変な満足感とほろ苦い敗北感。これまで自分で色々試行錯誤してきたつもりだけれど、これ以上の味を自分では作れないな。この味を知ったからには、今度からナポリタンを拵える際には、このソース一択しかないだろうな。あと追い求めるとしたら、具材のバリエーションくらいか.......。
ナポリタンが憧れの料理から、一気に身近なものになってしまったのだが、嬉しいような寂しいような。ヒトの感覚とはまあそのくらいいい加減なものなんだけれど。

さてこれから夏に向かって、何を拵えて何を食べて行こうか。独り留守番飯の道はまだまだつづくのであった。

おしまい




                                                     


2025年5月6日火曜日

GWの真っ只中にしまなみ海道に遊ぶ

 長男が、連休を利用し帰省。彼のリクエストはしまなみ海道に行ってみたいとのことだった。GWの真っ只中にしまなみ海道へ行くなんざ、わざわざ渋滞に巻き込まれに行くようなものなのにと内心ウンザリしたが、その経験も宜かろうと何も言わずに付き合うこととした。

広島県側から一度今治側まで往き、どこかの島に降りて、尾道で休息し、帰路とする行程。


来島海峡




生口島瀬戸田町にあるお食事処「ちどり」さん

名物「たこ天卵とじ丼」

これなかなか旨しw



瀬戸田町のサンセットビーチ。
瀬戸田町は、自転車天国の観光地化に成功の様子。
外国人のバイカーが、たくさんやって来ていた。

自転車客が沢山いるためクルマのドライバーにとっては細心の注意が必要で景色に見惚れている場合ではない。




尾道に立ち寄り夕方の商店街をぶらりと散策。休息するために、甘味処「ととや」さんに立ち寄る。普段はあまり甘いものは食さないが、連れどもに付き合って私は白玉クリーム餡蜜を所望す。フロア係の男性が申し訳なさそうに、先に注文した長男の「いちじく白玉かき氷」で「白玉を切らしてしまいました」と応じる。私が一瞬混乱して白玉なしの餡蜜で良いよとすると、「それはメニューにないもので」と。機転を効かせた長男が「じゃあオレのかき氷の白玉を譲るわ。白玉なしのいちじくカキ氷でお願いします。」と話を繋ぎ無事オーダーを完了。
運ばれて来た白玉クリーム餡蜜の白玉6つのうち、3つを長男にシェアしめでたくそれぞれの品が完成。
この餡蜜は品の良い甘みで良かった。連れどもがそれぞれに注文したかき氷も評判がよく「また来たいね」との感想あり。私たちのやりとりを見ていた男性店員が、にこにこしながら「次回は是非これらもお楽しみください」と白玉入りの甘味を示した。なかなか平和な時間を過ごせた。「ありがとう。また来ますね」と言い残しその店を辞す。
駐車場まで海岸辺りをゆっくりと歩く。向島と尾道側を行き来する小型フェリーが接岸している。尾道らしい光景なのだが、ニュースによるとひとつの航路は廃止されたとか。長男が「オヤジは海のそばで生まれ育って、今も海を観ながら生活してるだろ?飽きないか?」と笑いながら尋ねた。「ちっとも。全く飽きないねw。」と応じる。

“逆に海の見えない都会に住んで楽しいかい?”と聞き返しかけたが、不粋な質問に思え止めておいた。


護岸壁の一箇所にこんなスナップショットが埋め込まれていた。うむむ、やるな尾道。観光地化の手を緩めずw何度となく観た「東京物語」。私と息子どもの平凡な家族物語のプロットと重ね合わせてみたけれど、まあ言葉にするほどのこともないかw。終わり。


2025年2月2日日曜日

ちょっとドライブしちょっと美術館に立ち寄るの事

1月19日(日)に、私は休みが取れて気分転換を図ることにした。事前に家内に県内の道の駅を複数個所立ち寄りながらのドライブを提案したが、彼女はインフルエンザの流行を理由に私の提案を却下した。これ、いつものパターンです(笑)。

私は一計を案じ、妻の出無精を尊重する体を取りながら、「独りでドライブしてくるよ」と伝えておいた。同日の朝になって、彼女から「大竹市内にあるドーナツ屋さんが珍しいドーナツを売っているからそこに行きたい。ついでに同市内に新しくオープンした美術館のフレンチレストランでランチしたい。」との要望があった。私としては、この度のドライブ目的地について特にこだわりはなく、ただドライブを楽しみたいだけだったので、大きく譲歩した体を示し彼女の提案に乗った。(この辺り、我が夫婦の駆け引きについては読み流してください(笑))


今回の目的地のひとつになった美術館は、大竹市内の臨海埋め立て地に2023年3月にオープンした瀬美術館である。丸井産業株式会社の代表取締役の下瀬ゆみ子氏が先代から受け継いだコレクションを保存・公開する目的で設立されたのだとか。美術館の施設そのものは坂茂氏によるもので、2024年12月にベルサイユ賞・最優秀賞に選ばれたとの報道があった。


同日、美術館に訪れたのは午前11時40分頃であり、周囲は公園が整備されていて、デイキャンプができそうな緑地や、野球コートとして2面取れそうな広いグラウンドがあり、子ども連れの家族も多数見えてなかなかのんびりとした良い空間だった。

美術館のエントランス面は、緩やかな曲線のガラス張りで陽光を受けて美しい。ロビーに入ると、反対の海側も直線のガラス張りで宮島と瀬戸内が眺望できた。海側に設置された可動式だと言われる展示ブースはキューブ型であり、外側から見ると面白い。 ガラス張りの本館に、キューブ型の展示ブース、海と宮島と本土側の低い山の曲線と直線で造形された建物の対比は確かに印象的だった。

受付で入館チケットを購入し、展示室に進んだ。展示ブース内ではマイセン陶磁器の特別展示が行われていたが、ごめんなさい、私自身あまりマイセンに興味がなく知識も全くないのでゆっくりとスルーした。展示ブースを一通り見終わると、美術館の庭園に進んだ。

冬なので花も少なく緑も深くなかったが、ここは春から夏にかけてさぞや美しい眺めになるだろうとの期待を感じさせる庭園だった。本館に戻り常設展に進みました。「顔」がテーマであり、彫刻と国内外の絵画が展示されてい、それなりに面白かった。


美術館本館の海側にフレンチレストランがあり興味をそそられたが、残念ながら休日は予約制なのだそう。改めて予約して来店してみてもよいかな。私の自宅から車で30~40分程度の距離で、ちょっと日常生活から離れることができる場所・施設として捉えるならば誠にありがたいところと思われた。以上が瀬美術館の感想である。
この美術館を巡りながら、もっと大きく私の心を捉えたことがあって、それは以下のことだった。 広島県内には、瀬美術館を始め県内各所に小さい美術館が点在していて(数を数えたことがないので正確な数をここに示せなくて済みません)、それぞれの個性を発揮しながら展示活動を行っている。私自身は、まだまだ実際に訪れたことのない美術館が沢山あるが、恐らくそれぞれに個人なり団体が、日本の経済がまだまだ元気だった頃に収集し保存してきたものを今日に伝え整理し一般に公開しているのだろう。

大きい美術館を訪れて有名作家の作品や大作の常設コレクションを鑑賞するのも楽しいし、有名西洋画家の絵画をレンタルした特別展に駆け付けるのも大変有意義だけれども、今回の私のようにふらりと訪れてしばらくの間非日常的な建物やその空間、そして常設されている美術品を眺めながら、何かを感じてリフレッシュして帰られる美術館があること、それらの美術館の存在意義について考える機会になった。我が国にも、気が付けば、そんな文化的な土壌や落ち着き(こう表現するには早計かもしれないけれど)が育っているのかもしれない。だけれども、そのことを想う時に喜ばしい感覚だけではない何かを想わざるを得なかった。それは、何となくではあるが、我が国の有り様/ 政治・経済だけではなく社会的気分までが円熟期から退行期に向かう時代の流れのリフレクションとして照らされた現象のようにも感じられ、ある種の黄昏を眺めるような感覚だったかもしれない。

そんな雑駁な感傷めいた印象を家内に語ったところで、彼女をシラケさせるだけなので、あくまでもおっさんがひとり心に留めただけのこと。家内の希望に沿った晩御飯の具材の買い足しをしながら帰宅したのだった。 


2025年1月8日水曜日

人生における最も喜ばしい事のひとつ

 

この絵は、私がとても愛している風景をある作家さんに依頼して描いてもらったものである。私のような市井に暮らす名も無き者が、自分の愛している風景を描いてくれと作家に注文し、その絵を実際に手にすることができるなんてことは、人生の中でそうそうあるものではない。それはとても幸せなことだと思う。


作家は、Nick KANE氏。広島在住の英国出身のアーティストである。その経歴や作品の一部については、ネット上で簡単に検索できるので、興味のある方はぜひ検索してみて欲しい。私の友人と親交があり、数年前にこの方の水彩画を2点ほど購入させてもらった。それぞれにイタリアの春の風景を描いた小品だったが、私は大変気に入っており、購入以来ずっと自宅に飾っている。

この度、職場のアイコンになるような絵画が欲しくなり、友人を通じて同氏に制作を依頼したところ、快く引き受けてくださった。この風景は私が幼少のころから慣れ親しんだもので、所謂「心の風景」と呼ぶべきものである。発注してから1年6か月の時を経て実際に手にすることができたが、KANE氏のメモランダムによると、その制作過程は習作を重ねて同氏のイマジネーションを幾度も練り直し形にされたものである。そのアーティストの情熱・エネルギーを知ると、畏敬の念を抱かざるを得なかった。

当初私は、仕上がった絵に対して私自身の原風景に重ねる心象との違いを感じ、多少の違和感を覚えたが、私の眼で見た実際の「原風景」に対しても既に私自身の心象が投影されているのであり、当然別の人物がその風景に投影させる心象はその人固有のものであるはずである。そのことに気が付いて改めてこの絵をひとつの作品として見直すと、作者のこの絵に込めたイマジネーションや意図が見る側に静かに伝わって来るような気がした。

私は、この絵全体が持つ静寂さと明るさ・生命力に深い感動を覚えると同時に、この絵によって、私自身がこの原風景に投影している心象に新たな意味や価値を加えて貰ったような気がした。同氏がこの絵に添えてくださったメモランダムについては、ここでは触れないでおく。見る側のイマジネーションの広がりを削ぐことになるのからであるが、そのメモランダムはこの絵を手にした者の密やかな宝物でもあるからである。

これからずっと、私と私の同僚、そして来訪者がふとした時にこの絵を眺めながら僅かな時間であるにせよ、ある内的な時間を持つことになるだろうと想像すると、それもまた大変幸せなことだと思えるのである。

2025年1月2日木曜日

年末年始alacarte in 2024~2025

1.2024年最後の留守番独り晩飯 

12月27日に、2024年最後の一人晩飯を作った。年の瀬ということもあり、私好みの蕎麦を作って年越し蕎麦とした。若い頃に母親が大晦日の晩に忙しい正月準備の合間を縫って作ってくれたかけ蕎麦が近年大変懐かしくなり、師走の一人晩飯の際には必ず作るようになっている。


写真のように、豚肉を使った肉蕎麦で、竹輪とモヤシ、そして刻み葱がトッピングされている。かけ汁は和風だしにコンソメを追加し、全体的に南蛮風蕎麦仕立て。この度は、乾燥ポルチーニが大量に余っているので、その戻し汁も出汁に追加してみた。決して私の家族を含めて他の方に強くお勧めするような美味しい蕎麦とは言えない。しかし、私にとっては大変懐かしい味であり、これを食べずに年を越すのはどこか物足りなく感じる。齢を取ると共に私の味覚が退化しているのは重々承知しているが、味覚の退化と共に子供返りしているのではないかと感じてしまうのが、我ながら可笑しい。あ、言い忘れたが、この蕎麦、とても美味しかったですぞ(笑)。 

2.密命 

12月29日より冬休みをもらい、家内の実家に帰省した。冬休み直前に、アニキからちょっとした密命を下された。彼曰く、岡山の銘菓のひとつに「調布」という和菓子があり、それはあの「大手饅頭」よりも歴史が古いのだとか。それまで岡山の銘菓といえば「大手饅頭」が歴史的に一番古いと勝手に思い込んでいた。あの内田百閒先生がその随筆に「岡山の知人が上京するという知らせを寄越せば、大手饅頭を所望する」と書かれているぐらいなのだから、てっきりそう思い込んでいた。岡山といえば、絶対に大手饅頭なのだとアニキに反論したものの、この「調布」は江戸末期からあったらしく、製造元の店の名は「翁軒」と言うらしい。岡山に帰省する前にネットで調べてみると、翁軒さんは既に閉店しており、今では廣榮堂さんが製造販売を続けているようだった。家内に言わせると「きび団子に薄いどら焼き生地が巻いてあるだけよ。」とのことで、地元民から見るとあまりお勧めではない様子。それでも私はこれまでその存在すら知らなかったので、話題提供のつもりでこれを機会に買い求めるのも良いかと思った。 


同日、岡山の家内の実家に到着後、その日の晩飯の食材を買い求めるために、天満屋まで出かけた。嫁子がそれぞれの買い物に夢中になっている際に、天満屋の前の表町商店街を歩き、翁軒の店舗があった場所を求めてしばらく歩いてみた。確かに天満屋から表町商店街を南に数百メートル歩いたところにその店舗はあり、そして閉店していることを残念な気持ちを抱きつつ確認した。そして天満屋に戻り、地下で廣榮堂制作販売の「調布」をゲットしたのだった。その後妻の実家に戻り実食。確かにきび団子と同じ求肥に小麦粉で焼かれた薄いパンケーキ状の皮が巻かれてあった。求肥が餡替わりとなっているのをどう捉えたものか。ちょっと評価に悩むところ。この駄文を読まれ興味が湧かれた方は一度お試しあれ。


3.日生の牡蠣を喰らうのこと 

12月29日の晩御飯の際に、私が酔い気分で「明日は日生の五味の市(地元漁協の海鮮市場)に殻付き牡蠣を買い出しに行こう」と提案したところ、意外にも長男が大いに乗り気となった。翌30日には、長男にしては珍しく午前8時には起床し身支度を始めたので、それならばということで、8時30分に私と長男そして義父と3人で実家を出発した。

日生は私にとっては思い出深いところで、学生の時分に地元の小魚が食べたくなるとアニキ(私の友人)と日生までドライブし港近くの炉端焼き店で(アルコール抜きで)シャコ、渡り蟹、小エビ、イイダコ、ベイカなどを注文し鱈腹食べたものだった。あれは旨かったなあ。その数年後にその炉端焼き店は店じまいしてしまい、その後10年程度岡山で暮らしたが、気軽に地元の小魚を食べさせてくれる店に出会えなかった。前日の晩に日生まで牡蠣の買い出しを提案したのは、その裏であわよくば地元の小魚などが手に入らないかと期待してのことだった。



午前9時30分頃に、目的地である日生・五味の市に到着。開店は午前9時だったが、既に敷地内は大勢の来客で大賑わい。市の建物の道路を挟んだ向かい側にバーベキュー広場があり、そこには既に多くの人たちが海産物のバーベキュー・特に殻付き焼き牡蠣を楽しんでいた。朝早くから大勢のヒトが、焼き牡蠣を食べている様は圧巻だった。私たちの目的は殻付き牡蠣の購入であったため、それを横目で眺めながら、五味の市の建物に向かった。場内に入ると、既にそこも来客で大賑わいで、私も少しでも良いものを得たいと素早く移動しながら売られているものを物色していると、大ハマグリ、ナマコ、生きたハマチ、車エビなどが売られている。どれにしようかと考えながら場内を歩き回っていると、長男はいつの間にか長蛇の列の中にいる。二つのコーナーで殻付き牡蠣を販売していたのだが、そのコーナーには既に多くのヒトが並んでおり、長男が気を利かせてひとつの列の中に入ったらしい。殻付き牡蠣は大きな樽の中にあり、客の注文に応じてザルに移して量り売りしているらしかった。1㎏1000円の価格が付いていたが、私にはそれが高いか安いかはわからない。そしてその分量の中には殻の重さが含まれているのだから、どのくらい購入すると良いものなのか皆目見当が付かなかった。他の料理も食卓に並ぶのだろうから、せいぜい一人当たり2-3個食べれば十分だろうと思ったが、長男が俄然やる気を見せて「オレは10個食べるからな」と宣言していた。このオトコ、独り暮らしでひもじい生活をしているのか、相当飢えているらしい(笑)。「思うだけ買えば良い」と言い残し、私は私でその他の海産物を見て廻った。結局のところ、ハマグリは地元産ではないし、ハマチは既に購入済み、車エビとナマコを候補に家内にLINEでお伺いを立てたが、残念なことに車エビは却下され、結局ナマコ2個入り2000円だけを購入することになった。


振り返ると長男は未だに列の中におり、再び彼の元へ戻り共に順番を待った。私たちの前のおじ様が13㎏+3㎏を購入するのを見た時には、最後の樽の中に入った牡蠣の半分以上を持って行くことになり大いに焦った。ただ視線を移しよく見ると隣のコーナーでも、おばちゃんが牡蠣の販売準備を始めている。私たちの後ろに並んだ人たちは大いに安心したことだろう。それにしても、この市場にはこの後も続々と殻付き牡蠣が運び込まれることになるのだろう。年末の販売側の熱意と客側の購入意欲で場内は活気に満ち、ひと時ではあったが、年の瀬らしい気分を味わうことが出来たのは誠に良かった。結局私たちは3㎏分の牡蠣を購入し満足して引き上げたのだった。

私の勝手な印象なのだが、日生産の牡蠣は広島産のものに比べると内臓部分が少なく臭みが少ない。カキフライにするとこの臭みのなさが物足りなさを感じさせる気ががしなくも無いが、他の調理方法では、その身は肉厚で食べやすい印象を持っている。こちらの方が牡蠣を苦手とする人でも食べやすいのではないだろうか。特に、スーパーに出回っている今シーズンの広島産牡蠣は実成が悪く小粒なものが多く、これまで2-3回食卓に上がったが満足するものはまだ口にできていなかった。

それにしても、この市場では地元産の小魚は売られていなかった。季節が冬であったこともあろうし、観光客相手の市場なので瀬戸内の小魚を求める客もいないのかもしれない。そして我々日本人の食生活が変わり小魚の需要そのものが無くなりつつあるのかもしれない。

近年、瀬戸内海が綺麗になり、海水中の有機物が減ったことや開発の為に藻場が減り生息する魚種も魚量も減り、従って瀬戸内の漁獲高も減っているとの事。私が求めているような小魚や甲殻類もめっきりと獲れなくなっているかもしれないと思うと寂しい。

さて、その日の夕餉に、予定通り殻付き牡蠣が食卓に上がった。殻付きをそのままレンジでチンしてレモン汁をかけて食べるというシンプルな調理ではあったが、これが誠に美味であった。長男は宣言通り10個以上を平らげ、私は3個食べれば十分であった。片や食欲旺盛の男、片や年末になり早くも胃酸過多で食が進まなくなっている男。

うーむ、食欲イコール体力差をまざまざと見せつけられた年末であった。

おわり


2024年12月28日土曜日

年末のalacarte in 2024 「ちょっとした歓び」

 ヒトに携わることを中心に置いた仕事をしていると、課題やトラブルはつきもので、今年はその課題やトラブルが発生しては解決に奔走し、ひとつの課題やトラブルを乗り越えると次の問題に直面することを繰り返してきたように感じている。最初のうちは、その度にやれやれとため息をつくこともあったが、この頃では人と付き合うこと、即ち世間とはそんなものだとどこか吹っ切れたような、割り切った心持ちでいる。

そんなことをこのブログで綴るつもりはないのだが、その代わりにここに詮もなきことを駄文にしておくと、気分転換になっているのは間違いない。

12月に入り、いつもの師走のように、この年末もバタバタと過ごしてきたが、今年最後の駄文をアラカルト的に記しておこうと思い、書き始めている。

1. ちょっとした歓び

昨年の終わりに、胡蝶蘭をいただく機会があった。3株の寄せ植えで、それぞれの株に立派な花が咲いたが、それまで胡蝶蘭に全く興味がなく、管理方法についての知識もゼロだったこともあり、花が終わった後に生き残った株は1株だけだった。本来の私であれば、残った株もそのまま放置してしまうところなのだが、幸運なことに残った一株の花が終わらないうちに、その花茎から新たな花茎が生えてきたので、なんとかその株を育てたいと思うようになり、胡蝶蘭の育て方をYouTubeで検索し、あれこれと模索し始めたのが今年の春先のことだった。

胡蝶蘭を育てるなんて、昭和世代の気分が強いオヤジ(私のこと)から見ると(これは私自身の偏見なのだが)、リッチな有閑マダムが温室で胡蝶蘭を世話して楽しんでいるイメージが長年あり、どことなく抵抗感があった。しかし、YouTubeで愛好家や栽培者が投稿した動画を見ているとなかなか奥深く楽しそうだた。中には、私から見るとマジックを見せられているような動画もあったが、最終的には初心者向けの素焼きの鉢に乾燥水苔を敷き詰めた成育方法を採用した。よく花屋で売られている立派な胡蝶蘭は、実はプラスチックポットに植えられており、そのまま水を与え続けると根腐れを起こしてしまうこと、胡蝶蘭の原生は熱帯地方であり、その植生は大樹に寄生(と呼ぶのかは不明だが)しており、日光と温暖さは好むが、栄養と水はそれほど与えなくて良いことをこのたび初めて知った。

育て始めるとついつい手をかけてしまいがちとなり、結果的に必要以上の水と栄養を与えてしまい、もらったうちの二株がそのために根腐れを起こしてしまったことを知った。ある動画の中で、投稿者が「胡蝶蘭の生育には、手をかけ過ぎず胡蝶蘭と会話しながら育てるのが良い」と、私のような初心者には格言となるようなコメントをされていた。目下この格言を肝に銘じながら、胡蝶蘭を眺めて楽しんでいる。

さて、生き残った株は、季節が進み暖かくなるにつれてその花茎が順調に生育し、やがて4つ程度の花を付けて開花した。店先に並んだ立派に花を生え揃わせることはできませんでしたが、それでもその佇まいは野生の植生を思わせる風合いもあり、しばらくの間私を楽しませ、時に慰めてもくれた。その花たちも終わりに近づいてくると、なんだか寂しくもあり、もっと胡蝶蘭の株を集めて楽しみたくなった。YouTubeに投稿している愛好家の中には、花屋から花の終わった胡蝶蘭の株を分けてもらう、あるいは安価に買い求めている人もいると知り、私もその手を使ってみようかと思った。

実際に、そのつもりで買い物の折などに花屋を覗いてみると、花が終わりかけた蘭が、その店の端に人目を引かず静かに置かれてあった。しかも手ごろな値段(1000円以下のものが多かった)で。そのような蘭を見ていると、「そうか、アンタ、オレのうち来る?」と心の中で呟いてしまうのだが、はたから見ると、おっさんがにやにやしながら盛りの過ぎた蘭を眺めて思案しているのは、気持ち悪く映っただろう。結局、これまでにそのような蘭を5株買って、それぞれに購入するとタイミングを見ては素焼きの鉢に植え替えをしていきました。植え替えのコツもあるのですが、細かいことなのでここでは割愛する。


そして、これまで合計6株の鉢を毎日眺めてはその生育状況を楽しんできた。夏場は室温が35℃を越えそうであれば、冷房の効いた部屋に移動させ、また直射日光がきつい様であれば、窓際からずらし、水はたっぷりとやりながらもその間隔は1週間程度開けて、湿潤と乾燥状態にメリハリをつけるように心がけた。

しばらくすると、それぞれの株から根(air root)が着実に生え始めて順調に生育しているようであり私を安心させたのだが、その後この秋はなかなか花茎が生えず私を心配させ、もう1年は待たないといけないのだろうと諦めていた。

それが私にとっては意外にも、12月上旬に、まずは二株から、そしてもう二株に花茎が生え始めていることを確認できた。6株中4株でついに花茎が伸び始めたのだ。




「バラが咲いた」というフォークソングではないが、この密やかなる喜びは言葉に尽くしがたい。例え、家族や知人にこの喜びを伝えたところで、分かってもらえないだろう。まるで、この1年の私の苦労や頑張りを静かに慰めてくれるような「ちょっとした喜び」となった。このまま、この冬を乗り越えて、来春に開花するまでそれぞれの株の生育状況を確かめながら、その生育過程を楽しみたいと思う。