2014年12月19日金曜日

乗りバカ日誌~夜討、朝駆け、そして抜駆け 編~

ここ2週間ばかり、イチロウと私の間で微妙な駆け引きをしている。

12月に入り、急激な気温の低下と天候不順のため、思うようにバイクに乗れず、イチロウのモチベーションが上がっていないのが、傍目でも分かった。

 イチロウに対して、私が「どうしたんだ、大丈夫か?」「1月に開催される大会まで1か月と少しだぞ。全く自転車に乗れていなくて大丈夫か?」等と、我ながら全く余計なお世話だと思うのだが、ついつい彼をつつきたくなってしまった。

 それに対して、彼は「まあ、そうだよなあ。そろそろウエイトを絞って行かないとな」などとは言うものの気勢は上がらず、四の五の曖昧な返答をしていた。そしてどちらかというと、新しいバイクの組み立てに関心が向かっているようであり、その作業に没頭している様子であった。

 それでも私がしつこく彼を先に述べたように執拗につつくものだから、彼も重たい腰を上げるがごとく、1213日日曜日の朝23時間程度一緒に走ろうということになった。目的地は、広島市内にある黄金山という海抜200m程度の山で頂上にテレビ塔があり、ちょっとしたヒルクライムの練習になりそうな場所であった。

 ところが、日曜日の昼間は晴れるものの、どうもその週末は、気温のさらなる低下と土曜の夜から日曜の未明にかけて雨が降るという天気予報であり、その計画の実行が怪しくなってきた。

 前日別れ際に、イチロウより「路面が濡れていたら危険だから、計画は中止しような。」との提案あり、私も無理はしないほうがよいものなと応じた。

 日曜日の朝、午前645分頃起床。朝刊を取る序でに自宅前の路面を確認。

空は晴上がっているものの、夜間の雨が路面をしっかりと濡らしていた。イチロウより電話あり、「状態はどうだ」と問うので「しっかりと濡れているよ」と答えると、じゃあ止めにしておこうということになった。

 その後、一人でコーヒーを淹れパンをかじりテレビを見ていたが、空は明るくなり陽射しも強くなってきたようだった。午前8時過ぎに外に出てみると、路面も所々乾いていた。

 家族はまだ起きてこない、次の予定まで少し時間がある。さてどうしたものか?

 “あ、そうか。山登りの遠足は中止だけれど、一寸の間平和学習ならできるな”ということを思いつき、独りで市内を1時間程度ポタリングすることにした。

 
午前830分頃家を出発し片道約3㎞、平和大通りをポタリングしながら広島平和記念公園に向かう。よく考えてみれば、この道を自転車で走ることなんて今までなかった。自転車乗りにはちょっと残念なのが、平和大通りの歩道はそこそこ幅はあるものの、ブロックが敷き詰められていて走りにくい。幸い休日の朝なのでクルマの通りもまだ少なかったので、車道を走ることにする。
 

 

平和記念公園にほどなく到着。しばし自転車を降りて公園内を歩く。何かを思うところもあったようだけれど、そこのところは割愛。
 


 

平和公園を出て暫くそのまま東側に向かい平和大通りが終わる辺りで南下、広島刑務所の塀を横目に見ながら西に向かい帰宅。帰宅時午前930分頃、走行距離8㎞程度か。
 
 
それから、クルマの車検とタイヤ交換のためディーラーに赴き、代車と交換して帰宅したのが、11時過ぎ。昼食を近所の蕎麦屋で摂って、午後1時過ぎから大掃除として自宅の窓ガラスの水洗い。午後230分頃から4時過ぎまで病人の見舞い。その日の予定された行事がすべて終了した。

 
“さて、どうしたものか?”どうも、物足りない(笑)。バイクに乗りたい(笑)。夕ご飯までの2時間程度どこを走ろうか?何時ものコースというてもあるが、それではブログのネタにはならない(笑・笑)。短時間で、多少負荷のかかる坂道を走りたい。

 

ということで、午後430分頃より、広島市の北側の山間を一周するコースを取ることにした。午後430分頃出発、既に日は西に傾いていて帰宅時には日もとっぷりと暮れていることだろう。

 


このコースの一部はイチロウの通勤にも使われていて、坂道を上がりながら、奴め相当日頃鍛錬しているのなどと思った。イチロウの自宅付近を通過すると、私にとっては未知の道wとなり、段々心細くなる。広島中心部まで通っているアストラムラインに沿った道を辿るとアップダウンはあるものの確実にそこまで運んでくれるのだが、時間の事もあり、どこかでショートカットしければならない。しばらくその道を進んでいくと広島交通科学館の標識がある。ここに向かえば、自ずと広島中心部から道につながる筈と想い、右折する。ただ、その道は路肩が狭く夕暮れで車両の増えた状況だと少々危なかった。次第に辺りは暗くなり、方角のオリエンテーションが分かりづらく、心細くなったものだった。更に前へ進むと、進行方向に国道54号線の標識が現れ、ホッと一安心する。時刻は6時前後となっていた。

更に進むと、国道54号線に出てこの辺りになると、普段よく使う道なので迷うことなく広島平和記念公園まで進むことが出来た。後は平和大通りを西に向かい目出度く自宅に凱旋。帰宅時間は午後630分過ぎ。走行距離28㎞、所要時間1時間58分であった。

それから夕食の準備に取り掛かったが、ひとつ忘れていたことを思い出し、近所の小学校に出向き投票。それで私のその日の行動は終了。

さて、このような私の行動を朝のポタリングを除き、F.B.を介してそれとなくイチロウに伝えていた。翌日イチロウと顔を合わせると彼が「なんで俺を誘わなんだ」と本気とも冗談ともいえぬ顔で聴いてくる。「しかも俺の畑を一部荒らしやがって!この抜駆け野郎。コソ乗り野郎。」などと悪態をつく。そう言われてしまうと、F.B.に出さなかった朝のポタリングについて彼に言えなくなってしまった。

 ただ、黙っておくのも何かしらの罪悪感にかられ(笑)、時間をおいてF.B.に掲載したところ、イチロウより早速レスポンスあり「なぬー、今に見ておれ!」だと(笑)。

 それからは数日イチロウからの非難を浴びていたのであるが、一方で彼は意趣返しとばかりに、私が物理的に動けない日を選んで、以下のようなコース設定をして「走ってくる」と宣言してきた。
 
 
 

今度は、私が「なぬー」という番となった(笑)。

イチロウには大変申し訳なかったが、私の夜討・朝駆け・抜駆けのおかげで、彼は、すっかりとバイクで走りたくなっているようであり、彼のモチベーションの向上に一役買えたのであれば、私としては本望である(笑)。後は、彼のコンディションが大会に向けて向上するのを祈るのみである。

おわり

 

 

2014年12月18日木曜日

勝手にAstor Piazzolla祭り始めましたw!

仕事場のテーブルの片隅にここ数か月間放置されたままのCD3枚組セットがあり、ここに運ばれてくる前までは、自宅の書庫の片隅に10数年間忘れ去られていた。

 

どういった経緯でPiazzollaを知り得たの全く記憶にないのだが、彼がバンドネオン奏者であり、タンゴを越えて20世紀でも屈指の音楽家であったことは何となく知っていた。私の30代は音楽鑑賞の食指が止まった頃で、どこかのCDショップで何気なく手を出したような気がする。彼についての予備知識は、「Libertango」のメロディーとその作曲者であるという程度であったのだろうと思う。Piazzollaがどういった音楽を築き上げたのか知る由もなかった。

 


そもそもアルゼンチンタンゴとコンチネンタルタンゴの違いも定かでなく、多分若い頃に夜中聴いていたFM番組「ジェットストリーム」で時折流れてくるコンチネンタルタンゴの曲:それは恐らくアルフレッド・ハウゼ・オーケストラ演奏によるものだったのだろう、をタンゴとして理解していたのだろうと思う。

 

ああ、思い出した。丁度その頃(というのは30代半ばの頃)、何か新しいジャンルの音楽を聴きたくて、タンゴに手を出してみようと何気なく思ったのであった。そのタンゴもコンチネンタル系で、「Blue tango」をイメージしてスタッカートのリズムに美しいストリングが絡む穏やかで明るいモノを聴いてみるか、ということになったのだった。

 

とは言っても、どれに手を出してよいか分からず、その頃は有名曲も知らず、手あたり次第というわけにもいかず、演奏者の名前と云えばPiazzollaくらいだったので、この3枚セットを見つけて購入したのだった。

 

しかし、自宅に戻り一通り聞くことも出来ずに、敢無くドロップアウトしてしまった(笑)。その時のイメージは、“暗い、寒々しい、怪しげな情熱”なるものを感じてしまい(笑)、どうも受け付けることが出来なかった。基本的に暗い音楽は苦手なのであり、彼の音楽に何か屈折した暗い情熱なるものを感じてしまって、とてもとても手を出すことはできないなと思ったのであった。

 

そして、この3枚は10数年間も我が書棚で眠ることになったのであったが、3か月くらい前に自分の音楽CDを整理してI-Podに取り組む作業をした際に、久しぶりに手に取ったのであった。それでも結局このCD達は、自宅→ 職場に場所を移しただけで、しばらくそのまま放置されたのであった。

“それでは余りにも失礼である!”ここしばらくの忙しさがひと段落ついた先週末から意を決して、Piazzollaに取り組もうではないか、と一念発起し、これらのCDI-Podに取り込んで、時間が余った時に聴くことにした。

 

しかし……….、やっぱり暗いなあ(スミマセン、ボクの偏見です)。どうも録音の影響か、バンドネオンがキンキンとなって電子楽器を聴いているみたいだ。

 

でも、聴き込んでいくうちに次第にカッコよく思えてきた。ジャズ的な要素、クラシック音楽のようなアレンジが織り交ざっている。これはタンゴとして捉えるよりも、現代音楽なのだと思い定めると理解しやすい。南米の音楽とアメリカの音楽とヨーロッパの音楽をブレンドして構築されたPiazzollaによる音楽なんだと捉えたら、視界が開けたような気がして、無理なく心に沁みて来た。特に代表曲の# Adios Nonino, # Oblivion, # Libertangoなど、誠にカッコよろし。

 

どうも、ひとつの音楽を理解するのに(というか、受け入れられるのに)、こうも時間がかかってしまうのは、ボクにはよくあることなのだが、それにしても感性の鈍い野郎だなと己の鈍さに呆れてしまう。

 

しばらくAstor Piazzollaに嵌ってCDを集めてみるのも良いかと思えた次第である。

2014年12月17日水曜日

2014.12.⒘ 前日の雨が大雪に化けた日~通勤に難渋する~、の事


前日の晩、牧瀬里穂ちゃんに似ても似つかないカミさんと結局午前2時頃まで話し込む。
幸い他愛もない内容なのだけれど、お酒を飲まないヒトは酔っ払いの事情には全く考慮してくれないらしく、最後まで付き合わされた。それはそれで良いのだけれどw。

 
そして今朝、カミさんに「大雪になって大変なことになっているよ」と起こされたのが、午前650分。窓外の景色を見て驚いた、まさしく大雪になっている。さて、どうしたものか?

 
前日タイミングよく、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤに交換してもらっていたものの、これまで冬用タイヤで雪道を運転したことが一度もない。そういえば、ユーミンさんの曲はそれなりに聴いてきたけれどスキーブームにも乗らず、その後のスケートボードの流行にも無縁で生きてきて、つまりはスキー場に通うための雪道も走ったこともなければ、タイヤにチェーンを巻いたこともなかった。

 
今の家に引っ越してきて10数年経つが、積雪の日に家の前の坂道をクルマで降りたことがなかった。

 
 
朝の身支度をしながら通勤手段を暫し考えていたら、時間だけが過ぎてしまい、決断を迫られていた。実際に家の前の坂道の路面状況を確かめてみると、雪質は柔らかく路面の凍結には至っていないようだったので、午前730分頃、覚悟を決めてクルマで家を出ることにした。

 

ローギアに入れてなるべくブレーキを踏まないように慎重に、この坂道の正面にあるお宅が在って突っ込まないように、そして近所の小学校の通学路にもなっているため、小さい小学生を引かないようにひやひやしながら坂を降りて行った。

 
無事に坂を降りて平地の住宅街を通り過ぎ、国道に向かったが、JRと市電の共同踏切の前に差し掛かると、渋滞して全くクルマを進めることが出来なくなった。普段の通勤時でも、自宅から国道に出るのに15分もあれば十分なところを、なんと1時間15分もかかってしまった。


 
国道に出るとノロノロ運転を強いられたが、数本渡る橋も幸いなことに凍結しておらず、旨い具合に運転できた。途中ノーマルタイヤのまま走行していたらしい車両が、橋の緩やかな坂道で立ち往生していたが、路肩に寄せられていて交通の妨げになっていなかった。

“流石スタッドレスタイヤ!テレビコマーシャルも強ち嘘はついていないのね。凍結していなかったら、雪道もちゃんと走れるのだね”と今更ながらに感心した。
 
 

 
普段の通勤路で最後の橋に差し掛かったところで、冬によくこの橋は凍結して緊張を強いられるのであるが、対向車線側ではクルマが一台も走っていないことに気が付いた。その橋を渡り終えたところで、その異変の理由を知る。なんと、通行止めになっているではないか!



 
橋の入り口部分に警察車両がブロックして通行を物理的に閉鎖しているのを脇目で見て、「こちら側でなくて良かった」と胸を撫で下ろす。

 




さて、普段通勤に使う港に着いたのが、午前925分頃。なんと普段の4倍時間がかかっていた。しかも普段使うフェリーは正しく出港した直後であった。“仕方なし、次を待つか”と諦めていたら、船会社のオジサンがやって来て「さっきの船便で運行停止になったよ。雪で海上の視界不良のためだよ」と言うではないか!


 
“なんですと!” 雪のせいで、船が欠航するなんてこれまで経験したの事がなかった。これには大変がっかりした。“雪で船が欠航することがあるのかいな?”としばらく腑に落ちなかったが、正確には雪の影響で海上で濃霧が発生し、視界不良となっているらしかった。

 

“さてどうする、オレ?”“もう今日は仕事を諦めて、家に帰るか?”“しかし、さっき来た道を引き返そうにも、例の橋は通行止めだったしなあ”往くことも引くことも出来なくなった状況で万事窮すとなった。

 
結局、その港の旅客ターミナルでフェリーの運航再開を待つことにした。“これだから、雪って嫌だよな。”

 
まだ20代の頃、冬の積雪の日に路面が凍結しているのにも係わらず、ノーマルタイヤのままでクルマ出勤したら、自宅から数メートル出たところで立ち往生し、意気消沈して一度帰宅。改めて出直してバスを利用しようとするも、一台も来ず結局3時間かけて雪道を徒歩出勤したこともあった。

 
「雪の日は、全く碌なことがことがないよ。」とがっかりしながら、旅客ターミナルの待合でテレビを眺めていたら、ニュースで道東地方の大雪と暴風による被害が報じられていた。

あの地方の方々のご苦労に比べたら、まだまだわが身の困難なんて大したことないのだなと思い知らされた。
 
 

待つこと2時間、次第に横殴りの降雪もやみ、海上の霧も晴れてきた様であった。午前1120分に運行再開。職場に辿り着いたので正午過ぎであった。

 
それにしても、天気予報によると今晩から明日にかけてまだ降雪と気温低下が続くらしい。どうか皆様気を付けられて安全に過ごしてくださいませ。

 

終わり

2014.12.16.~雨が夜更け過ぎに大雪に化けた日~

前日に、仕事の用事で午後クルマに乗っていると、FMの番組のパーソナリティーが、「山下達郎(さん)の“クリスマス・イブ”が、29年連続オリコンチャートベスト100入りした」とアナウンスしていて、“へー”なんて思っていた。

その日の夜に、クルマの車検ついでに冬用タイヤに交換してもらい、それが済むと少し遅れて職場の忘年会に顔を出した。一次会で同僚と別れ、年に3-4回のペースで通っているワインバーに“仕事納め”として立ち寄った。そのペースでもう15年も通っているそのお店で、1-2杯飲んで引き上げるつもりが、マスターとの会話と美味しいワインについ夢中になり、ふと気が付くと出かける間際にカミさんから念を押されていた門限11時に近づいていた。


“じゃあ”とマスターとの別れの挨拶もそこそこに外に出てみると、まさしく夕方にシトシト降り始めていた霙交じりの雨が雪に変わっていて辺りを白く覆い出していた。タクシーを拾おうにも、こんな時はタクシーなんて全くつかまらず、辺りの一ブロックを一回りするも空車は一台も有りはしない。普段は長蛇の列をなしてタクシーが止まっている盛り場の一画に向かうも、全くタクシーなし。

“しまった......、ああ、またこれでうちのカミさんに怒られるなw。”と雪化粧をした大通りを眺めながら独りゴチていたら、目の前を路面電車が走っている。慌てて大通りを横切り、何とかその路面電車に乗ることが出来た。ホッと一息ついて、カミさんに状況の説明をLINEにて送り、「最寄りの電停からは徒歩で帰るよ」と伝えた。

路面電車の窓外を眺めると、益々雪の勢いが増しているようで、「本当にこれは山下達郎(さん)の歌の歌詞のようになったきな」「しかし29年連続でヒットチャートを賑わす歌って凄いね。来年は30周年企画があるに違いない」などと考えていた。

“若い頃に、それほど熱心に山下達郎さんの曲を聴いていたわけではない。ただ、JR東海のテレビコマーシャルで繰り返しその映像と共に曲を聴いてたもんなあ。まあ一時代を象徴する曲なんだよな、そうそう牧瀬里穂ちゃん可愛かったな・・・・.”などと酔っぱらった頭で考えていたら、つい顔がニヤ気ていたようで、向かい座っていた若い女性が怪訝な顔をしていた。少し表情を引き締めて、最寄りの電停に近づくのを待つ。



思いの外早く最寄り電停に到着。こういう時に、牧瀬里穂ちゃんがホームに傘を持って待っていてくれたらなあ、などとおバカな空想をしながら下車し、家に向かって歩くとあちらから見慣れたクルマが一台やって来て、そばで止まった。

「あのさ、ちゃんとLINEの返事見てくれてた?酔っぱらってその辺で行き倒れていたら困るから、迎えに来た」だとw。

“このヒトどう酔っぱらって見てみても、牧瀬里穂ちゃんに似てないよな”“牧瀬里穂ちゃんは来なかったけれど、カミさんが来たか”と独り笑う。

「何ニヤついているの!さっさと、乗りなさい。」

つづく。

2014年12月11日木曜日

乗りバカ日誌 ~師走を走る;マサキの場合、編~

12月第1日曜日の朝、午前6時過ぎに覚醒したのだが、不覚にも次に気が付いたのが午前7時過ぎであった。

 

“しまった! やっちまった、寝過ごした………..” 慌てて布団を跳ね除けて上体を起こしたが、両こめかみが痛む。昨晩、カミさんが用事で外出し、夜遅くまで不在となったのを良いことに、家呑みでリースリングワインを1本開けてしまったのが悔やまれる(笑)。ベッドの脇の窓のカーテンを少し開くと、空はどんよりとした曇り空であった。前日の天気予報では曇り後晴れ、最低気温1℃、最高気温10℃となっていた。流石に寒かった。

 “どうしようか、このまま寝てしまおうか?それとも決めていたことは実行するべきか?”しばらく逡巡していたが、脳ミソの動きが更に良くなるにつれて前日のイチロウ、コウイチとのやり取りで自分が書き込んだ文句が蘇った。
 
“各々方、励めよ!”
 
イチロウとコウイチのF.B.を介したやり取りで、「どうも寒くて自転車に乗る気になれないな」などと書き込まれてあり、ついノリで書き入れてしまったのであった。そう書いた手前、寒いのを理由にしていてはバツが悪い。“2時間程度乗ってくるか”と漸く決心がつき、家人、特にカミさんを起こさぬように、静かに起き出し準備に取り掛かる。嫁に起きられてしまっては、また何を言われるか分からないものね(笑)。

 
冬用ジャージに急いで着替え、大酒した翌朝によく経験する筋肉のこわばりを解きほぐすべく軽いストレッチをし、バイクタイヤの空気を補充して出発の準備が整ったのが、午前745分頃。
 


“各々方、いざ………..。”

 

まず最初に自宅前の坂を下り、旧街道沿いに下りるのだが、身を切る風は流石に冷たくて早速両耳が冷却されて軽い痛みを覚える。その割に裏起毛の長パンツ、ジャージは冷気を遮断してくれて誠に快適である。風は遮断してくれるが、汗による湿気は背部から逃がしてくれているようだ。凄い! 最近の繊維素材はよく出来ていますぞ!

 
何処に向かって走るか決めぬまま、当てもなく漕ぎ出し、旧道を暫く走りながら23コース頭の中で候補を選ぶが、今朝は時間制約があるため、何時ものコースで宮島街道を西下し宮島口で折り返すことに決める。

 

休日午前8時前の宮島街道はクルマもまだまばらであり、大型トラックが走っていなかったのは幸いであった。ただし、なかなか体が温まらぬせいか、昨日の大酒によって体に乳酸が貯まったせいか、足腰が重く思うようにペダルが回せず、バイクが前に進まない。信号待ちの間に自転車を下りて、前輪後輪の回転に不具合があるのかしらと、交互に持ち上げて回してみるが、特に問題はなさそうであった。後に、前輪のブレーキの固定レバーを開放にしていることに気が付き、それを閉じると前輪が引っ掛かる。前輪を浮かせて回してみるとどうも軸はぶれてなさそうであった。ブレーキの問題か?結局原因が判然としないまま、前輪ブレーキレバーを開放したままで走行をつづけた。

 

それにしても、その朝の走行ペースが上がらないため、開き直って所々写メしながら宮島口に向かう事にした。宮島街道を走っていると、単独でバイクを漕いでいるオトコどもにすれ違う。どちらからともなく、会釈をする。これがちょっとしたバイク乗りのマナーらしい。

 


そして、午前8;40分頃、約50分の走行で宮島口に到着。幾人かの観光客が、まばらにJR宮島口駅から宮島に向かうフェリー乗り場に向かっている。記念写真を1枚撮って、少しぼんやりとした。本当は、もう少し走りたかったのであったが、止むを得ず自宅に引き返す。次の予定があるものだからね。

 


午前850分頃出発。復路もどうも思うようにバイクが前に進んでくれない、漕ぐペダルが重い。己の身体的問題か(二日酔い、運動不足)、目に見えぬ車輪のブレかなど、色々考えながら復路を走った。何人かのバイク愛好家のヒトとすれ違い、軽く会釈をする。

 


往路も大体50分くらいの走行で、自宅に辿り着いたのが940分頃。カミさんも流石に起きており、黙って朝飯を作ってくれる。大急ぎで汗を拭き着替えを済まし、朝食を取った後、クルマで散髪に向かう。予約は午前10時で店長さんにお願いしている。予約時間丁度に店内に入り、10分程度待った後に、店内奥の散髪椅子(正式呼称は知らずw)に案内された。

 


いつも通うこのお店はユニセックスの美容院で、子どもが通った幼稚園の近所にあるものだから、子どもが幼少のころからカミさんと共に利用させて貰っていた。私の場合は、40代になるころ長年お世話になっていた理髪店が店じまいをされたのをきっかけに、このお店の店長さんに髪の毛を切ってもらう事になった。考えてみれば家族は14年、私にしても9年近くお世話になっていることになる。この店の店長さんは、私と大体同世代の男性であり、雑談が合わせやすいので付き合いやすさがあるのと、技術もしっかりとしているので、髪型については何時もお任せしている。と言っても、もう私の頭髪の場合は切る髪が少なくなり工夫の余地がないのだけれど(笑)。

 

いつもの調子で、店長さんが私の近況を聞いてくれるものだから、「最近は自転車に嵌っているよ」と話すと、しきりに“それは良いね”などと話を合わせてくれる。「今朝もちょっと宮島口まで走ってきたよ」と伝えると、更に“それはスゴイね。自転車は体に良いでしょう”などと話を合わせてくれている。いつもの両者で交わす毒にも薬にもならない雑談を続けたのであるが、それはそれで寛げて良いものである。

 

大体1時間程度で、散髪が終了。店長さんに笑顔で別れを告げ、クルマに乗って帰宅したのが、午前1120分頃。帰宅すると、次男長男が起き出していて、私に向かって笑っている。どちらともなく「オヤジもだんだん額が立派になってるな」と言い声を立てて笑っている。すかさずカミさんが「良いハゲかたしてきたじゃん。良いよ良いよ。もう50だもん。それだけ残っていたら立派・立派。」とフォローになってもいない合いの手を入れる。息子ども、大声で笑いながら「俺たちそこまで直接的に言ってなかったぞ」だと(笑)。

 
さてそんなバカ話がひと段落ついたところで、カミさんより「息子どもが昼ご飯にラーメンを食いたいと言っているから、連れて行ってやれ」と言う。時は既に1130分を過ぎている、休みの飲食店って大体12時を過ぎると混雑し始めて待たされることが多いので、行くのであれば12時前に店に入りたかった。慌てて、息子どもを急き立て身支度をさせて再びクルマに乗って近所のラーメン屋に出向く。

 
幸いなことに12時少し前にラーメン屋に入ることが出来て、5分少々待たされてテーブルに着くことが出来た。子どもは醤油ラーメンに餃子を、私は磯のり塩ラーメンを注文しホッと一息つく。問わず語りで次男がクラブの顧問とのやり取りを面白おかしそうに話し始めたので、黙って耳を傾ける。

 
そこそこに旨いラーメンを平らげて帰宅したのが、午後1245分頃だったか。自宅に戻ると、女房が雑巾とワックスの入ったボトルを台所の床に置いていた。“都合のよい時間になったら始めるよ”と。

 
そうだった!確かその週始めに、「週末は床のワックスがけをしよう」という約束をしたのであった。うへー、腹いっぱいですぐには動けそうもない。暫くやすんで腹が落ち着いた頃、午後1時より、我が家のフローリングワックスがけを始める。

 
これが結構な運動で、移動可能な机、椅子、敷物を移動させ、掃除機をかける、汚れた床面を重点的に水拭き、そして乾いたところに、水溶性ワックスを適量たらしゆっくりと乾いた雑巾で拭く。普段使用頻度の高い台所は2度掛けをする。その日の自転車の往復走行距離はわずか32㎞程度であったので、これもトレーニングと割り切りワックスがけにはげんだのであるが、全行程を終えたのが午後3時過ぎ。ホッと一息つく。

 


それが終わると、午前の自転車の件が気になり、自転車屋に行ってブレーキ、タイヤを見て貰っておきたくなった。今日を逃すと、また何時時間が取れるか分かりはしない。“一丁、行ってくるか!”とクルマに自転車を積み込み、午後3時20分頃、大竹市内にあるスポーツサイクル・ウエキに向かう。

 


午後4時過ぎに、スポーツサイクル・ウエキに到着。休日の夕方のウエキは、自転車オジサンの巣窟状態(笑)で、オジサン族が夫々に自慢の愛車を持ち込んで、パーツの交換をあれこれと店のヒトと相談している。私が自転車を持ち込むと、オニイサンは丁寧に応対してくれてしかし、暫く待つようにと応じる。他のオジサンたちの会話を聞き流しながら、店の壁に掲げられているDe ROSAのロゴの入ったクロモリフレームの完成車に見惚れていると、

オヤジさんが登場。何時もの穏やかな声色で、「マサキさん、今日はどうされました。」と声をかけてくれる。

 私より、症状を説明すると、「ハイハイ」と応じながら自転車を見てくれた。

 
「ああ、これね。車輪の軸はぶれていないですね。ブレーキが左右に偏っているでしょ。これよくあること。クルマなどで運ぶ時にずれるんですよ。これはね、手で治してください」

 
「ついでにギアも見ておきましょう。ああ、ワイヤが緩んでいないから、全く問題なし」

 
その他、ギアの簡単な調整方法をレクしてくれて、最後に「一度マサキさん時間がある時に来て下さったら、自転車のメンテ方法を一通りお教えしますよ。ハイ。」

 
まったく、メカ音痴のド素人はこれだから困るよねえ(笑)。これだったら、イチロウ自転車商会にまず相談するべきだったな(笑)。ただ、ド素人に対しても懇切丁寧な応対をしてくれるスポーツサイクル・ウエキは素晴らしいと思う。

 
そして今日の走行時の不調の原因は、まったく己自身あることが確定し、がっくりと意気消沈する。

 
午後4時45分頃、スポーツサイクル・ウエキを辞して、再びクルマのヒトとなったのであったが、もう一か所立ち寄るべきところあり、高速道路を使って一路広島市内を目指す。高速道路を下りて一般道に入ると交通量が多く思うように進んでくれない、“道路選択を誤ってしまった!”とややイライラした気持ちで運転したのだが、結局目的地にたどり着いたのは、午後5時40分頃。

 
“夕食時に間に合ってよかった。それにしても、今日一日出入りが激しかったなあ。自転車屋訪問が予定外だったが、分刻みと言わないまでも、今日はよく動いた。師走ってこんなものか。ただ………..

 


この日最後に訪れたのは病院で、家族一名入院中。家族の誰かが入院すると、日常のリズムがこうも変わるものなのだということをしみじみと感じている今日この頃である。

 そこで午後7時まで過ごす。病人とのよく有りがちな会話と一部食事介助をし、夜勤の看護師さんにお礼を述べる。

 
そろそろ引き上げるころ、カミさんからLINEでメッセージあり、「子供がそろそろ腹を空かせているみたいだから、帰ったら肉を焼いて欲しい」とのこと。肉焼き当番は私の少ない家事のひとつであった。“もうイッチョ仕事が残っているか”と気持ちを切り替え、病人に別れを告げて病院を離れる。

 

こうやってこの師走は過ぎていくのだね。

~おわり~