平成30年11月に山口東部の旧山陽道を走って以来のことだから、約1年ぶりであった。
あれから互いに体調の事や子どもの巣立ちに伴う生活ペースの変化、仕事上のことなどが相俟って、二人でバイクツーリングをする機会がなかった。
二人でバイクに乗る機会が無くなると、私自身がバイクに乗る動機が低下し、この半年間バイクを漕がず仕舞いとなり、そのための脚力低下は否めず、慌てて前々日と前日にローラー台で1時間程度ペダルを廻して少しでも脚の感覚を取り戻すことに努めた。
コースは、岡山県和気町まで輪行、山陽本線和気駅でバイクを組み立て、そこから北上し同県奈義町まで50㎞程度、奈義町から折り返して同県津山市まで20㎞ほど走行。JR津山駅でバイクを撤収し輪行で広島まで戻ってくるというものだった。どうして彼が目的地を含めこの度のコースを設定したのか、事前に聴いた気もするが、軽く聞き流したようで、当日まで全く失念していた。
「そんな主体性のないことで良いのか、マサキよ!?」と突っ込まれそうであるが、この頃になっては彼との何かをする時に目的・動機などは私にはどうでも良くなっているし、恐らく彼も私の主体性なぞは期待していないだろう。
今回用いたるバイクは24inch折り畳み自転車Giant MR4。輪行に便利だし、走行時の機動性も結構高い。本当に名車だと思う。このチャリに乗るのは、2年前にイチロウ、タカヒロと3人で鹿児島湾沿いを一周して以来のこと。このバイクも出発3日前に慌てて取り出して、バーテープの張り替え、チェーンに潤滑剤の塗付、脱着するパーツネジへのグリース付などを施した。
11月3日当日朝6:30にイチロウをクルマで迎えに行き、午前7時24分発の新幹線のぞみに乗り込む。朝飯には、むさしのおむすび弁当(ボクは山賊おむすび、彼は若どりむすび弁当)。新幹線は運良く広島始発であり、一号車はがらがら、意図通り最後尾席を確保し、輪行バッグはその後ろにしまうことが出来た。
天候は薄曇りで、風はおだやか。当日の最高気温は20℃前後となるはずで、自転車日和となりそうであった。
所々に道路が横切っていて注意を要するが、道路には交通車輛がないため誠に気持ち良く走れる。近隣の方々が散歩する姿や、周辺の畑で作業をされており、すれ違う際には挨拶をする。朝の長閑な風情ではあった。
やがて住宅地は通り過ぎ、両サイドは畠が広がったが、ふと道端に花を風船のような白い花が咲いていた。ボクが思わず「ケシの花か?」と叫ぶと、イチロウ笑って「なわけないだろう。オクラでしょうが」と。そういえばそうそうwと笑い返す。
イチロウがふと「この辺りにも佐伯という名前が出てくるね」と呟いたので、ボクの断片的な知識を伝えると「流石は、マサキの歴史好き」などと笑いながら応じる。“いえいえ、ボクの断片的な知識なぞ、アンタの博識には及びませぬ”面倒臭いから口には出さず。
やがて、右側の斜面が近づいて来て、落ち葉が積もった箇所が増えてきた。2か所ほど駅舎が保存された箇所を通り過ぎる。ふたりはあくまでのそこそこのペースで進む。
吉井川を挟んだ両側の穏やかな稜線を持つ山々はすっかり秋の気配であるが、今年の気象の影響か、あまり紅葉が進んでいなかった。
川沿いの景色を眺めながら“中国地方の川沿いの道の景色って、似たり寄ったりなんだな”と思った。どうも理由が分からなかったのであるが、今回の旅、ボク自身に起こる感情が冷めている。いつもあれば、何を見ても感動全開になる筈なのだが。
片上ロマン街道は20㎞走行した時点で終わり、しばらく国道374号線沿いを進む。途中ドライブインで小休止。イチロウは「ちょいと見てくる」と売店の建物に入るが暫く出て来ない。
ボクはその間にSNSで家族とちょっとしたやり取りをしていた。一人旅に出た息子から連絡がないと妻がラインを寄越している。「まあ時差もあるからまあ待てよ」とやり取りするが、出無精両親から出て来たにしては行動派である息子のことをぼんやりと考えていた。
そのうちにニヤニヤとしながらイチロウが出てきて「店のおばちゃんと話し込んでいたが、いやあホントに面白かった」と詳細にその会話をボクに聴かせてくれた。その詳細はここには書かないでおく。いくらviewing数の少ないこのブログでも、他の方に迷惑がかかったらいけない。
それにしてもイチロウは、普段は愛想なしのオトコなのに、どうしてローカルなヒト達との交流は上手なのだろう、全く不思議な奴だと思う。どうもうちの息子の気性と重なる部分があるような気がするのだけれど、そんなことは余談の余談である。
再び国道沿いをゆっくりとしたペースで進んでゆく。イチロウが予告してくれていたように、多少のアップダウンはあるものの、この辺りの道路状況は視覚的には気が付かない程度の非常に緩やかな坂道で、走っていて全く苦にならない。
途中で、「地物松茸」の幟の立った露店に立ち寄り、イチロウと松茸を眺めその都度イチロウはニコニコとしているが、ボクは無視して先に進む。彼は、地元のあるお店で毎年ように松茸を買い求めてはその味覚を楽しみ、この頃では馴染みになったその店のおばちゃんとも仲良くなっているようである。“今年は豊作だったよ、或は“不作なんだよ”というそのやり取りさえ、彼にとっては季節を楽しむ情緒となっているようだ。彼にしてみれば、贔屓の店のものとそれらの露店の商品を密かに比べていたのかも知れない。
やがて二人は、湯郷温泉街に到達。この温泉街は、湯原温泉と並んで岡山県下で有数の温泉街。イチロウは意外にも初めて訪れたらしく、ちょっと「見てゆくべ」と国道を外れて温泉街の径に入る。食堂、○○シアター、スタンド等が立ち並び、温泉街にありそうなものがひと通りあって妙に安心する。朝という事もあり人影もまばらで静かな佇まい。温泉街の外れに、温泉街の女将さん達有志で作ったと謳っているスイーツのお店があり、イチロウが目聡くいちごジャム大福なるものを発見、“ちょっと喰っていくべ”ということなり一休み。
いちごジャム大福。上品な甘さのいちごジャムに、その周りにホイップクリームが施された大福餅。想像していたよりも上品な優しい味わいであったのと、餅がしっかりとした歯ごたえで期待以上のものだった。サービス期間中との事で、ひとつ大福を買うとおまけにもうひとつ無料でついてきた。何だか申し訳ないような気がした。
ふたたび二人は走り出して、やがて美作の中心街を通り過ぎた辺りから、多少坂の勾配がきつくなり始めた。登坂が始まると、私はイチロウから遅れがちとなりやがて彼の背中が視界から消え、しばらく進むとポイントポイントで彼が待っている、それを繰り返した。登坂で彼に遅れるのは毎度のことであり、その度に「もう少し練習をしておけば良かったな」と後悔するのであるが、いつものどおりの事がこの度は妙に嬉しいというか安心感があった。今日のイチロウの様子から、彼に一時訪れた心身のスランプからピーク時までとは行かないものの脱したようであった。
やがて国道374号線から左折して、奈義町に向かう道路に入ったのであるが、どうも道路名が分からない。イチロウが提示してくれたルートマップを見ながら、グーグルマップで確認したもののトレース出来ないでいる。読まれた方には大変申し訳ない。
この道路は、登り坂の勾配がきつくアップダウンを繰り返しながら進み、この度のサイクリングコースでの一番の難所で多少難渋した。勾配がきついと言ってもインナーのギアを使う必要がない程度の坂なのだから、その勾配は客観的にはそれほどでもないのだけれど、如何せん己の脚力が落ちているのだから仕方ない。イチロウがここでも先行したが、自分は自分のペースで上がれば良いのだからと無理に急がず登坂した。
それでも自分のペースを維持しようとペダルを廻していると、両太腿の限界・これ以上力を入れると足が攣るだろうなという臨界点に達する。その時ふと思ったのだけれど、必死で自転車を漕いでいると、その瞬間は自分の年齢を忘れていることに気が付いた。更に云うと自分の属性さえも忘れて自我意識そのものになっている。イチロウとバイクツーリングしている時は毎度ながら、これまでの時間の経過はどこかに消え失せていて、素の自我同士でつるんでいる感覚になっている。その時の自我意識・自我意識の関係性は完全に時間の関係性は、時間のファクターがないんだな。
峠道の登坂を終えるとなだらかな下り道を左右に広大な平原・盆地を眺めながら下って行った。
ああ、そういえば高校の頃にイチロウが前、私が後ろで二人乗りしてチャリでよく出かけたものだった。ある日、下り坂でチャリのスピードが増した時に車体が微妙に揺れて、恐怖から思わず私が声を上げると、“でけえ図体して何ビビってやがるんだ”と言わんばかりにイチロウが大声で笑っていたっけ。
あの時以来、お互いに年を取るにつれ色々な属性を引き受けて来たのだけれど、バイクツーリングに出てしまえば、あの時と変わらない関係性を確かめることが出来た。
再びイチロウと合流をしてほぼフラットな道を走りながら、日本原と呼ばれる平原に広がる畠の景色を眺めた。美しく手入れの行き届いた農作地にみるヒトの営みに深く感銘を受けながらも、今の私には旅景色を愛でるよりは自己確認作業に没入しがちであった。イチロウは、快活な笑みを浮かべながらその美しい景色に感嘆の声を上げ、旅そのものを五感を全開にして楽しんでいるようであり、そこには彼本来の快活さがあった。
(つづく))
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