イチロウが「そろそろの筈なんだがなあ」と言うか言わないかの間に、目的地の奈義町立現代美術館(NagiMOCA)が右手に見えた。国道53号線を横切る二車線道路がなだらかな丘陵地に向かって延び、その左手にその建物があった。国道53号線を右に横断して、その道路を正面に見ると、前方に小高い稜線を有した山系があり、なだらかな上り勾配の道路が真っ直ぐ走っていた。その左手前方に2階建てくらいの高さの現代美術館の建物、それに接して人の背丈の2倍~3杯程度の円柱状のモノが斜面に突き刺さるように設置されている。
イチロウの解説によると、この美術館は磯崎新が設計したもので、展示物の建物が一体となっているとのこと、施工費は竹下内閣時代の「ふるさと創生」による補助金が利用されているとのことであり、イチロウと私の感想は、異口同音で「当時の町長さんええ仕事をしましたな」というものだった。
しばらく同美術館の片隅で、休息を取り、館内を見学。
エントランスホールを進み、受付で見学料を払って、右手の常設展示コーナーへ。宮脇愛子氏制作の「池」、続いて展示室「大地」を暫し眺める。いずれもループが織りなす表象に見惚れる。もう少し天候が良くて光が差し込めば、もっと違った印象を得ることが出来るだろうなと思われたが、そのニュートラルなイメージがその時の私の心象に優しく何かを投げかけてくれているようで心が安らいだ。(その時は随分疲れていたのかもしれないw)。
続いて更に奥に。作者は失念したけれど、白い壁面にアニメーションが映し出されていた。私は、この展示物は軽くパスw。つづいて、展示室「太陽」に向かう。この作品は、荒川修作とマドリン・ギンスの共作で、先ほど外から見えた大きな筒状建築物の内部。
筒状の内部は、入り口から向かって斜めに添えつけられていて、両サイドには京都の古刹にある石庭を模したようなものがあり、床には椅子、その先にシーソー、そして鉄棒が配置、円筒の端には合成樹脂のようなもので作られた幕が張られており、そこから光が内部に薄明りをもたらしていた。
他の参観者が思い思いにその内部の様子を眺め、そして配置されているシーソーや鉄棒に触れたり遊んだりしていた。円筒型の内部にシンメトリカルに造形された造形物が施され、鑑賞者をして未来的なスペースコロニーを思わせるようでもあるし、東洋的な輪廻転生を表しているようでもあり、何れにしても内部にいるものに何らかの心理的な自由さや開放性、ある種の浮遊感、そして無条件的な遊び心を刺激しているような雰囲気があった。私は、他の観覧者も居合わせたこともあり、入り口側に配置されたベンチに座り、それらの造形物を眺めていた。しばらく遅れてイチロウがやってきて、イチロウも四方を眺めながらある種の感情性の高まりを言葉にしていた。私はしばらくそれを眺めていた。私たちは夫々に、円筒形の内部で閉鎖された空間に居ながら、精神の自由さを夫々に楽しんでいたように思う。他の観覧者がその空間を離れた後、どちらが言い出したとでもなく、その空間に設えられたシーソーに乗った。
50過ぎのオトコが遊具に乗り合わせるのは多少気恥ずかしさを感じたが「ギットンバットン」とシーソーを漕いでいるうちに、ここにおいても時間や属性を忘れた個と向き合っているような、自我そのもの同士で空間を漂っているような錯覚に陥った。向き合っているひとつの自我に対してどこまで知り得ているのかは分からない・心許なさもあるのであるが、どうしても相対している一方の個・自我を感じざるを得ず、イチロウというひとつの自我に向き合う感覚があった。これまでの人生を振り返ってみるに、彼の自我と触れ合う事なし私は社会常識の範囲で、世間を渡りぬくことが出来たかったように思えていた。
これまでの関係性において、互いに決して世間的常識を振りかざして・或は物知り顔で相手に対して忠告や助言めいたことを言い合うこともなかった。時折在りのままに己の事を語り、その事を通じて世間一般から逸脱しそうな自己と適応的な自己とをシーソーのようにバランスを取っていたような気がする(これは、あくまでも私からみたイチロウとの関係性を振り返ってみただけのことなのであるが)。更に極言すれば、私はずっとイチロウという表象を借りて、私自身を見つめていたのかもしれないと思えた。
もうひとつ、シーソーに揺られながら感じたことは、時間と自我のことであった。この円筒形の内部で私の中の時間は止まっていた。「時間や属性を忘れた自我」と「表象としてのイチロウ」との間で遊びを通じて交歓している感覚があった。この感覚はいつでも随意的に「遊び」という状況を設えることによって、容易に再現できそうであった。
50歳を過ぎて暦年齢的にも否が応でも時間は流れを感じずにはいられないし、そこには体力的にも精神的にも衰えを自覚することになるのであろう。だけれどもイチロウと自転車に乗っている時或は共通する趣味に興じる時、時事問題などで何かの議論に白熱している時などには、お互いに時間や属性から解放された自我同士で向き合って来たし、恐らく体力的に自転車を転がせなくなった後も、何らかの遊びを通じて素の自我のままでつるんで行くのだろうと思った。
そのような事をシーソーに揺られながら考えていると、何だか生身の死に向かってゆく時間の流れについても、静かに受け入れられそうで、穏やかな気持ちになれた。
そのような事は、その時もその後もイチロウには語りはしなかったけれども、なんとなく私には腑に落ちたような気がした。
その後二人して、特別展を鑑賞した後に美術館を出て再び自転車に跨った。
イチロウが快活な笑顔を浮かべて、「美術館前のなだらかな坂をちょっと上ってみないか」と私を誘い、私も少し晴れやかな気分で「いいぜ」と応じた。距離にして登坂数百メートルだったか直線のなだらかな上り道を切りの良いところまで上がって、そこから折り返し、重力に任せて自由落下のごとく坂道を下ることになった。
なだらかな下り坂のその先に広々とした日本原の平原が広がっていた。イチロウが「行くぜ」というのを私が制止ながら2-3枚写メを撮る用意をした。私の合図で、イチロウが坂を自由落下のごとく下って行き、私がその後ろ姿を撮り終えて、私も続いて体を下り坂に身をまかせるように下っていた。考えてみれば、奴は奴自身で色々な属性の中で悩みを抱えつつ、いつも「何とかなるべ」という姿勢を私に示してくれてい、私はそれを一つの表象として捉え、その表象の後ろ姿を追いかけて来たような気がする。
私たちは津山市街地に向けて20㎞程南下した。途中、イチロウの企画で「作州の干し肉」を買い求め、もうひとつの楽しみとして津山名物の「ホルモンうどん」の老舗に立ち寄ったりした。ホルモンうどんの店頭で行列1時間待ちとなった頃、SNSで妻より「息子が最初の目的地マンチェスターに無事にたどり着いた」との知らせがあった。
“なんだかな。”1週間前に突然欧州を独りで旅行してくると告げた息子。旅費も自分で拵えて、旅行会社を介さず己一人でネットを通じて、航空会社も宿泊先も予約していた。親元を離れて数年経つが、親としての心配は変わりないのだけれど、本人は至ってマイペースであり、親の心配は全く意に介さない様子であった。私たち夫婦は、息子の無謀とも思える実行性と軽やかさに驚きつつ、その安否に心配をし続けるのであるが、時間と共に親子の関係性も緩やかに変わりつつあり、その関係性は親の意図で立ち止まったり、押し戻すことは当たり前だけれど出来ないことを悟りつつあった。
その感情は、先ほどNagi MOCAで観た展示物のループのようで、同じ悩みや歓びをループのように感じつつ着地点は少しずつ変わっていく。もう少し俯瞰してみると、人生の喜びも不安・心配も、対人関係も、もっと乱暴に言ってしまえば人生全てにおいて同じようなループを描きつつも決して元には戻らないものなのかなと店頭の行列の中で感じていたのであった。
イチロウが企画してくれた「ホルモンうどん」を美味しくたらふく食べて、私たちは再び自転車に跨りゴールのJR津山駅に向かった。残りは2-3㎞程度で交通量の多くなった市街地の中を先導するイチロウを追った。
黙して語らずのオトコだから、40年近く経った今での生身の奴をどこまで理解しているのか甚だ自信はないのだけれど、少なくとも表象としてのイチロウとは十分に交歓出来て来たし、これからも時間・属性を越えた自我としての関係性を続けていくのだろうと思えた。更に考えてみれば、このような対人関係性を持てたのは、幸せと呼ぶ外ないと思う。
やがて私たちは、津山駅にたどり着き、そこでMR4を畳み撤収し津山線から輪行した。先頭車両に乗り込んで他の客に紛れつつ、お互いの満足そうな顔を見て更に充足感を得、心地よい疲労感を覚えるのであった。
(おしまい)
0 件のコメント:
コメントを投稿