“もう良いだろう”とヒサシに連絡を入れたら、既に彼はホテルの外で待っているとの事。“ありゃしまった”。9時10分頃に迎えに行くと言ったつもりが、9時10分前に迎えに行くと伝わってしまったらしい。慌てて、家内に本日と翌日のスケジュールの概略を伝えて、クルマに乗り込んだ。
当日は、私が「オトナの遠足」と銘打って世界遺産航路と称する原爆ドーム前-宮島間のグラスボートを利用し、トウヤマ、ヒサシ、タカヒロ、メイコ、そして当日から参加のマキを宮島観光に連れて行く予定となっていた。
当日の天候は快晴で、最高気温は20℃の小春日和の一日で秋の行楽には絶好日となりそうだった。
駅前ホテルでヒサシをピックアップし、そのまま市内中心部のホテルに向かい、そこでタカヒロとメイコをピックアップ。原爆ドーム近くの駐車場に車を止めすこし歩いてグラスボート船着き場のある元安橋まで移動。トウヤマはクルマで広島まで来ていたので、別の宿泊先からクルマを移動させて現地集合。マキも県内の自宅から直接現地に集合することになっていた。
9:45頃に私達が出発場所に到着すると同時に、「あらっ」という感じでマキが登場。
私は、マキとも高校時代にはほとんど話したことがなかった。彼女はその後、私とは違う大学に進学したため、彼女の青春時代を知らぬままに時が流れた。そのような経緯もあり6年前の同窓会で彼女と再会した時は、ほとんど初対面のような感じだった。「マサキ、私のこと覚えている。エキモトよ。」で始まり、「こんど押しかけていくからね、ゴハンを一緒に食べようね」と、ぐいぐいとこちらの心に入ってくるような物言いだったのだが、彼女の明るく飾らない物言いに好感を持ったものだ。彼女と話していると、なんだか懐かしいような気分になり(これは当たり前かw)、なんだか親戚のお姉ちゃんと再会したような感じだった。その後実際には彼女と会うことはなかったのだが、メイコとマキが高校時代に仲が良かったようで、この度お互いに連絡を取り合い、彼女の遠足参加に繋がった。
しばらくしてトウヤマも登場。彼は朝早くから平和公園にやって来ていて原爆資料館の見学を終えて来たらしい。エライね、ちゃんと見てくれたんだ。
それにしても、昨晩前夜祭に参加した面々は元気そうで、早朝までの深酒・寝不足はみじんも感じさせない様子だった。10;10発のグラスボートの出発時間がせまってきたので、一同船着き場へ移動。船底の浅いボートに各自乗り込んで、しばらくすると出発。朝の光を浴びた水面は輝いていて、波のない水面を滑るようにボートは進んだ(事にしておくw)。地元に住んでいながら、このボートに乗るのは初めてだった。普段はいくつもの橋を渡りながら広島の川を眺めているのだが、船で橋の下を潜りながら川べりの街並を見るのはとても楽しかった。
ボートの座席では、マキと隣り合わせてお互いの近況を広島弁で語り合った。地元言葉でこのヒトと駄弁っていたら、私の気分としては益々親戚のお姉ちゃんみたいな感じになり、一方的なのかもしれないけれどもすっかり打ち解けてしまったw
ボートはやがて河口を離れて瀬戸内の海に入った。マキとその横に座っていたメイコに分かる範囲で景色の説明をする。「あれがねえ、牡蠣筏でね。この辺りで獲れる牡蠣は“大野牡蠣”と名付けられてブランド化されててね、市内の高級レストランに卸されているらしいよ。」「アーチになっている橋が見えるでしょう。あそこを境に広島市と廿日市市に分かれているのよ」。今やメイコもついでに私の中で親戚の姉ちゃんに仕立てしまったw。
原爆ドームから宮島港まで所要時間45分で到着。午前10時55分に宮島港に上陸してみると、桟橋前の広場には既に大勢の観光客で溢れていた。天気も明るく穏やかで、宮島の紅葉狩りその他の観光には打って付けの日和だった。ゆっくりと厳島神社に向かって海沿いの参道を歩いていると、数頭の鹿に出くわしたが普段に比べてかなり少ないようだった。それは、そうだ。これだけ人間で溢れかえっていたら、鹿の方もおちおち歩けはしないだろうね。
私達は、ゆっくりと参道を厳島神社に向かって歩いた。
あれ?社正面の沖に立つ鳥居に覆いが掛かり、何やら改装中の様子であった。これは計算外!皆に観て貰えないなんて。しまったなあ。事前情報として仕入れておくべきだった。それでも一応定番の記念写真ポイントで、覆いの掛かった鳥居を背景に写真を数枚撮る。ここには掲載しないけれど、みんな良い顔しているw
そのままゆっくりと移動して、厳島神社の社殿に参拝。ここでも少々の計算外が、本来であれば満潮の時の海に浮かぶ社殿を見せたかったのに、当日は完全なる引き潮になっていた。
それでも、初めて訪れたというヒサシは、「わー、めっちゃ綺麗、すごいな。来て良かったわ。なかなかプライベートで来れないものな。連れて来て貰って良かったわ」と純粋に感動を言葉にしてくれていた。連れて来た甲斐があった。
このオトコはとても良い奴で、昨年私が神戸に出張し折に、コウイチと二人で私を歓待してくれた。私がついつい調子に乗って飲食代を全部彼におごらせてしまったのであるが、彼は快く応じてくれた。後で大いに反省したこともあり、この度の幹事役を引き受けた際には“神戸の恩を広島で返す”と思い定め、私から直接彼に連絡を取り出席を乞うたのであった。
平清盛がこさえたという寝殿造りの社殿をゆっくりと進み、途中私とマキでメイコにこの神社の由来をかいつまんで説明しつつ、何枚かの記念写真を撮り、みんなの笑顔を確認し、ちゃんと正殿にもお参りし、遠足のハイライトその1)を終える。
時刻は、正午前後に差し掛かり、休憩を兼ねた昼食を取りに食事処にゆっくりと向かう。昼ご飯は、「芝居茶寮水羽」というお店で、店舗は神社境内の真裏にあった。古民家を改装した民芸調の和食屋で、宮島名物の穴子飯の定食を事前予約しておいた。昼食時を迎えた店内外は観光客で溢れかえり、予約していないと1時間程度は待たされていたかもしれない。本当に予約しておいて良かった。
私達は待たされることもなく、1Fのテーブル席に通された。タカヒロは地ビール、ヒサシは生の中ジョッキ、私はノンアルコールビールを注文し、他の3人はお茶。然程待たされることなく穴子飯定食が運ばれてきた。地元民である私は穴子飯をこれまであまり食したことがなかった。甘辛い醤油タレの効いた穴子の切り身が載せられた炊き込みご飯、そしてカキフライ2個、味噌汁、香の物がついていた。
みなそれぞれに「美味しい」と言ってくれた。流石に昨夜の前夜祭メンバーは、疲れもあるせいか口数が少なかったけれど、でも満足してくれているみたいでもてなす側にとっては有難かった。
昼食が終わり一息ついて、宮島遠足のハイライト2の「もみじ谷」まで紅葉狩りに向かう。宮島ロープウェイと書かれた標識を目印に、もみじ谷まで続く径を歩いたが、私たち以外の行楽客もいっぱいで、もみじ谷から下りてくるヒト達に気を付けながら進まなければならなかった。
老舗旅館と思われる岩惣本店が見えて来たあたりから、道沿いに綺麗に色づいたもみじを楽しむことが出来るようになり、やがて小川の谷間のあちこちに紅葉した木々が立ち並んでいた。この大勢の観光客さえいなければ、原生林を背景とした落ち着いた風情の谷間なのだろうけれど、生憎絶好の秋行楽日和、宮島を訪れたら誰しもが紅葉を求めてこの谷を目指すわなw
谷間のもみじは紅葉の盛りを迎え、秋の日差しを浴びてとても綺麗だった。谷間の緩やかな斜面には休息用のベンチが並べられたスペースがあり、そこで弁当を広げて休んでいるヒト達も散見された。
そう云えば、高校の頃、学校行事で春になると全学年が縦割りの小班に分かれて遠足がてらBBQに出かけたっけ。
1年生時の小班では、クラブ2年先輩のナツキさんがいてこのヒトは優しくてカッコ良かった。それと確かカワイイ女子の先輩がいたような気がするけれど、あれは誰だったかしら.....。
あー!、往復のバスの中でクラブの一年先輩のツキノさんが乗り合わせていて、このヒト怖かったなあ。「マサキ、おまえ歌え!」と命ぜられて、カラオケなしで何かフォークソングを1曲歌った。「おまえ、歌えるじゃんw」と褒めてくれたけれど、ただ怖い想いばかりだった。このヒトについては、別に断片的な思い出があって、その当時は理解出来なかったけれど、色々振り返ってみるに彼なりの後輩へのやさしさがあるヒトだったなw 今やっと気が付いたのだけれど話が長くなりそうなので、この度は割愛させてもらう。
紅葉を見ながら、大人の遠足気分を味わっていると、今まで思い出したことのない記憶の断片が蘇り、あの当時も私なりに楽しんでいたのだと新たな感慨が湧いてくるようだった。
その後私たちはゆっくりとロープウェイ乗り場まで歩いて行き、乗車待ち1時間の表示を見て弥山に上がるのを断念、再び来た谷間の道を散策しながら歩いた。そして、門前の商店街をぶらぶらと歩いて、海岸沿いにあるスターバックスで長めの休息を取った。
女性陣が手際良くその店の2Fで広島対岸を臨む窓際の席を確保してくれて、我々オトコ4人はソファチェアに座らせて貰い、女性陣はその近くのテーブル席に落ち着いた。女性陣は、懐かしそうに何やら熱心に語り合ってい、我々オトコどもは外の景色を眺めたり、スマホを弄ったり。やがて私以外の3人はうたた寝を始めていた。無理もない、今朝早朝までアルコールの飲みながら語り合っていたのだもの。それに今晩が本番なのだから、努めて休息は取っておかないとな。
普段は仕事で多忙であろう50過ぎたオッサンどもが、久しぶりに雑念や責任から解放されてリラックスしている様子を眺めるのも悪くなかった。私も疲労を感じてはいたが、こうやって古くからの友人たちと自然の中を散策していると、否が応でもあの高校時代の生活を振り返ることになり、古い記憶を再整理しているような作業になってしまい、妙に頭が冴えて来るのだった。
目の前には、快晴の秋空と陽光が海面で乱反射して輝きを増している様や、すこし左側に視線を移すと、明るい陽射しの中で多数のヒト達が浜辺に降りて、思い思いに海辺を散策している光景があった。これらの光景を眺めていると、私の心が次第に癒されていくのが分かった。同行してくれた他の5人にとっても、日々の疲れからの解放と心のリフレッシュになってくれていたら良いのだけど……。
1時間程度そのお店で休んだ後、14;45宮島発のグラスボートに乗って原爆ドームへの復路を辿った。宮島港の桟橋前は、同じように広島側へ渡ろうとする観光客で溢れ、乗船待ちの人たちが前の広場まで列をなしていた。マキとメイコが、「事前に乗船の予約を取っていてくれて良かったね、ありがとうね」等と言ってくれた。企画したものとしては面目を施した。
船の中で、隣り合わせたヒサシが再度「宮島に来れて良かったわ~。もう二度と来ることないと思うけどw。これで天気が悪かったら最悪だったけど、天気もめちゃ良かったしなあ。最高だったわ」と言ってくれた。
“そう思ってくれる?よしよしw 企画してエカッタ”。
しばらくすると、右手に広島湾に浮かぶ島々が見えて来た。彼らに少し説明しようと振り向くと、皆夫々にうたた寝を始めたようでそっとしておくことにした。“そうそう、今晩があくまでも本番だからね。取れる時にしっかりと休んでいてねw”
やがて船は元安川河口付近に差し掛かった。船内アナウンスで元安川からは速度を下げて航行し、乗船客に船尾のデッキを開放するとの事。休憩中の面々はそっとしておき、私だけデッキに出て、秋の明るい西日を受けて輝いている低層のビル群を眺めた。
見慣れた風景なのだけれど、視点を変えるとこんな風に新しく新鮮に映るんだな。昨晩からの彼らとの楽しい会話を経て、彼らとの関係が、これまでの既知の関係性から少しずつ穏やかで心豊かな新しい関係性に変わったように思えた。それは私の対人関係における視点を変えさせるもので、目の前に広がる景色のように新鮮なもののように映った。
※ 読み直してみて、この行は、ヤングノベルズみたいで小恥ずかしいのだけれど、「50‐60代のオッサンになっても思春期・青年期の心性を持っているんだ」と言ったのは私の仕事上の師匠だったw
舟はやがて、ドーム前の桟橋に着岸。そこから、トウヤマは彼のクルマで、その他の5人は私のクルマで、モトムラが用意してくれた同窓会会場となる呉市内のクレベイトンホテルに向かった。
同ホテルには16;30に到着。18;00開始予定の同窓会まで、皆に小休止時間を確保することが出来た。皆の協力があって、無事計画通り進んだ“大人の遠足”。他の参加者よりも企画した私が一番楽しんでいたのだと思うw どうもありがとう。 最後に車内で、皆でパチパチと拍手をし、“大人の遠足”組は解散しクルマを降りたのだった。
(つづく)
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