2017年9月22日金曜日

乗りバカ日誌~イチ・マサ・タカの心の旅編②~


私たち3人は、南大隅町根占港へ上陸し佐多街道を辿って桜島を目指し北上している。しばらく行くと錦江町の市街地に入る。ここからいくつかの町を通りに抜けていくことになるのだが、それぞれの町並みは日本の何処にありそうでいて、どこか異なる南国の風情が感じられるのだった。強い光のせいか?辺りの植生のせいか? イチロウの印象によると、時々見られる古い家屋が南西諸島で見られるような造りをしていて、他の地方には見られない風情を特徴づけているとのことだった。また、学校の校庭には芝生が植えられており、火山灰で出来た土壌が風で巻き上げられないように工夫しているのかもしれないとイチロウやタカヒロが話をしていた。




錦江町の市街地を抜けると、佐多街道は海岸縁を走るようになった。左には、綺麗な砂浜の海岸、そしてその向こうには対岸の薩摩半島が見渡せる。大隅半島から見ると薩摩半島側は、開聞岳以外は低い稜線となってい、広い青空にぽっかりと雲が浮かび、伸びやかな景色が広がっていた。




時刻は午後12時に近づきそろそろ空腹になってきたので、どこかで昼飯を食べようかということになった。

しばらく走ると、右手に道の駅「錦江にしきの里」があり、そこで昼食を摂ることになった。建物中に入り、3人思い思いに地元で作られたお惣菜を選んだ。カンパチの刺身、ピーナッツの煮物、炊き込みご飯、天丼、チキン南蛮、焼きそば、ピーナツ豆腐、マカロニサラダ、サツマイモ餅。これらの食べ物を買って、建物の横にあるバルコニー風のスペースのテーブルに広げて3人で食べた。どれも美味しい。フェリーで話題に上がったカンパチは新鮮、ピーナツの煮物は独特の風味、プリンプリンのピーナツ豆腐、そして甘さ抑え目でモチモチとしたサツマイモ餅。




3人とも腹10分目以上に喰って大満足だった。落ち着いたところで、タカヒロがしみじみと「鹿児島って本当に良いところだなあ。今までこの辺り来たことなかったんだよな。何だか鹿児島を再発見した感じだよ。来て良かったよ」言っていた。“そうそう。自転車に乗ると身近なところにも再発見することが多いでゴワスよ。これからも一緒にバイクツーリングしようぜ”とタカヒロの顔を見ながら思った。



ここで30分以上の休憩を取り少し、感じて来た疲れをとることにした。寝不足で走っているタカヒロは全身大汗をかいており、イチロウと私に比べたら疲労度も高かろうと思えた。イチロウとタカヒロは、ベンチにゴロっと横になり短い仮眠を、私は海の景色が見たくて海岸縁に向かった。




真っ青で広い空と対岸の穏やかな稜線を示す大地と誠にこの風景は雄大である。古より、薩摩人はこの風景を眺めながら育ってきたんだろうな。タカヒロはこれまで来たことがなかったと言っているけれど、桜島の風景にしても、大隅半島の高々とした稜線にしても、薩摩半島側の伸びやかな風景にしても、広い錦江湾の青さも、その土地の有り様がそこで代々暮らしてきた人々の気性に多かれ少なかれ影響を及ぼしているに違いない。タカヒロや昨日再会したフルハタの気性の中にも、この風土を受けて生きて来た先祖の血が確実に流れているのだろうな。


私は全く異邦人なのだけれど、何だかこの土地が段々と好きになってきた。


30分の休息を取った後、再びバイクに跨り出発した。ここからは、ほぼ海岸線に沿って走るだが、砂浜を持つ入江と入江間を遮る崎があり、なだらかな上り下りの勾配が連続した。私がペースメーカー、タカヒロを挟んでイチロウがしんがりという隊形で走行。1時間おきに休息を取るようにした。


このアップダウンを繰り返していくうちに、上り勾配でタカヒロのペースが落ちるようになった。タカヒロは、「上り勾配が苦手なんだ」とは前から言っていたが、この度が初めての遠距離走行であり、しかも最悪のコンディションで走行しているだから、体力的も随分辛くなってきたのだろうと思う。時々振り返りながら、弱音を吐かず黙々とギアを下げながらもペダルを漕いでいる彼の姿を観ていると、胸が熱くなる想いがした。


その後も午前中のペースとまでは行かなかったが、我々は順調に佐多街道に沿って北上を続けた。綺麗な海岸が至る処にあり、海水浴場やリゾート地のような綺麗な砂浜が認められた。後方で、イチロウが「海に入れてえ~」と笑っている。


鹿屋市付近に入ると、小さい岬に赤い鳥居のあるお宮が見えた。タカヒロによると鹿児島でも有名な天神(菅原神社)で荒平神社というらしい。ちょっと珍しいので、立ち寄ることにした。砂浜に鳥居があり、その坂に小高い岬があり、急勾配の階段を上ると小さなお社があった。そろそろ両脚に疲労が来ていたので、急勾配の階段を上り下りで転び落ちそうで冷や冷やしたが、なんとかお社にて参拝しこの先の安全走行祈願が出来た。あれ?学問の神だから交通安全祈願は受け入れて貰えたかw?


その後もアップダウンを繰り返しながら、北上を続ける。前方に桜島の山塊が大きく見え始め、その左側に鹿児島市街地が見えるようになってきた。低い丘陵地を背景とした鹿児島市街地を眺めていると、なるほど「東洋のナポリ」に例えられるのも十分に納得がいくような気がした。何故か懐かしいような安堵感が強まっていた。



先にも書いたように、私は全くの異邦人なのに、これまで見知らぬ土地であった鹿児島という街が懐かしく感じられ愛着を覚えるようになっている。海側から眺めると、後方の丘陵地帯と街並の外観が調和してどこか優しさを感じられるのである。これまでにも古より様々な異邦人が、外海から錦江湾に入りそして鹿児島に入港してきたと思うのだが、ひょっとしてそれらの異邦人の中にも似たような感覚を抱いた者が数多くいたのではないかと思われる。

例えば、幕末から明治初期にかけて薩摩を訪れた異邦人の中に、アーネスト・サトウなる英国の外交官がいた。彼は、その頃の日本の国内情勢を詳細に調べているうちに、完全に薩摩藩びいきになり、薩摩藩による討幕運動に陰で加担した。そこには、当時の国際情勢を踏まえた冷徹な判断があったのだろうけれど、幾度か蒸気船でこの街に上陸し、そして多くの薩摩人と交わるうちに、この土地や薩摩人に大いなる好感を持ったのではなかろうか?この地方を旅してそしてこの土地の人間であるタカヒロと交わると、実感として理解が出来るような気がした。

な訳で私もこれからは鹿児島偏愛主義者となろうと思うw。

アーネスト・サトウを想い出したら、幕末明治維新期に活躍した薩摩人に連想が及んだ。

私の知る範囲の英雄たちの中に、タカヒロやフルハタそれぞれの気性に類似するヒト達がいたなあと。ああ、彼ら二人もやっぱり薩摩人の一典型なんだな。そう思うとなんだか嬉しくなってきて、益々好ましく思えるのだった。


そんな連想をひとりで楽しみながら、ちらちらと後方にいるタカヒロを振り返った。

やがて私たち3人は垂水市街地に入ってきた。桜島は手の届きそうなところにあり、モクモクと火口から噴煙を上げている。この辺りから時折、眼が痛くなることがあった。


しばらく休息取れず、コンビニを発見次第休息を取ろうという事にしていたのだが、垂水市内で左手に発見。そこで、コンビニで最後の休息を取る。



水分補給とゼリー状の栄養補給食を摂る。タカヒロが云うには、このところは鹿児島市とは反対側の火口から噴煙を上げることが多いので、鹿児島市内よりもこちら側で粉塵が流れてきやすいとのこと。“そうかなるほどね”



ゴールが近づいてきたせいか、これまでのコースに対する感想が3人からそれぞれに漏れる。いずれの者も、このコースが大変素晴らしく気持ちの良いコースであったとの感想であった。そんな雑談をしていると、幾人かのサイクリストが私たちの前を通り過ぎて行った。地元のサイクリストの恰好のトレーニングコースになっているのかもしれなかった。



ここから桜島の周回道路に向かって進んで行く。バイパスを経て、桜島が陸続きになっている箇所に差し掛かる。ちょうど鹿児島側の真裏になり、私が写真などで知る姿とは違う風景が目の前に現れた。左手には、静かな入江、そこには生け簀が何基か設置されて、海は明るい緑。桜島は海岸から山頂までの1/3程度は雑木が映えていて、それから上は灰色の地肌むき出しの斜面が続いている。


“美しい……”





思わず停車して、3人で記念写真を撮る。一息入れて再び自転車に乗ろうとしたところ、火口から小規模な爆発があり、黒煙が立ち上るのが見えた。凄い、生きている!その後、私は小噴火を桜島を走行する間に3回ほど目撃した。スゲー!



桜島の周回道路を私たちは反時計周りに半周したのであるが、今回のコースで一番アップダウンがきつかった。最後の最後で両脚にきた。



港に入る手前で、タカヒロがコースを少し離れて「長渕剛野外コンサート記念碑」を見せてくれた。ファンの間では、彼らの聖地なのだそうである。後で気が付いたのであるが、私とイチロウの反応は如何にも乏しかったなw。よくよく思い出してみると、タカヒロは学生時代長渕剛のファンだったし、鹿児島人にとっては英雄なのだろう。

今思うと、タカヒロがわざわざ私たちに見せてくれたのに、二人とも“長渕知らず”にせよ、いくらなんでもあの反応は悪かったw



1530頃に桜島港に到着し、そのまま鹿児島行きフェリーに乗船。最上階の客室デッキに上がり、客室内でタカヒロとイチロウは名物のうどんを注文、私は甘味が欲しくソフトクリームを食す。15分の短い船旅。私がタカヒロにこの2日間のホスト役に徹して我々を歓待してくれたことに大変感謝していることを伝え、「本当に楽しかったなあ。明日からの現実に戻るのが辛いわあ」などというと、タカヒロは優しい笑顔で「がんばりましょw」応じてくれた。

本当に名残惜しい。またタカヒロとツーリングが出来ることを祈った。



やがて鹿児島港に接岸の時が来て、私たちは客室を出た。タカヒロが、「この辺りはねえ、イルカが港湾近くまで入ってくることが有るんだよ」などと話していると、近くの客が小さい歓声を上げていた。海を見ると、数頭のイルカが埠頭の傍までやって来て、そのうちの一頭が背面ジャンプを披露していた。それらの姿は、誠に伸びやで心が癒される光景で、タカヒロと顔を見合わせ穏やかに微笑む。


鹿児島港に上陸し少し3人で走った後、いよいよ解散。タカヒロ「ここの大通りをまっすぐ行くと中央駅だから」。「本当にありがとな」とお互いに言い、ハイタッチをして別れた。


信号が青信号になり、イチロウが、やや陽が傾いて優しい陰影を持つ街路をクルマやバスを縫うように小気味よく駆け抜けていく。私は、先ほど埠頭で見たイルカの群れを想い出しながら“こんにゃろw”と、その後を追ったのであった。

(鹿児島中央駅 16;00頃帰着、全走行距離 110㎞)



(おわり)

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