9月18日休日の朝6時にマサキは妻に叩き起こされた。
「さっさと起きて出なさいよ。今ならまだ電車も動いているし。」と。
「良いんだよ。ちゃんとイチロウ殿と作戦考えているんだから」と返事をしようとしたが、最早家内は階下のダイニングに下りている。
“ったく……”と舌打ちしながら、ダイニングに下りると、マサキの妻はテレビモニターを見ながら台風情報を確認していた。
「昨日留守番変わってもらって良かったねえ。在来線は午前10時に運転見合わせ。山陽新幹線はまだ動いているし、だけど九州は熊本―鹿児島間で始発から運転見合わせになってるよ」「博多まで取りあえず出て、そこで熊本―鹿児島間の運転が再開するのを待つと良いわ」
なぞと、妻が勝手に予定を立てこちらに知らせる。
「あのね、もうその辺イチロウ殿と事前に打ち合わせているの。最悪でも夜になったら、台風は日本海側に抜けているだろうから、その頃出発して2次会からでも顔を出すつもりなのだよ」と応じたものの、どうもニュースで流れる台風タリム情報では鹿児島の南海上でその速度を下げつつ、その辺りでぐずぐずと北東に向かっているようだった。
“ムムム、どうもイチロウ殿と立てた作戦を修正した方が良さそうだのう。もう少し時間が経ってからイチロウ殿に連絡を入れて作戦修正を具申してみるか、確かイチロウ殿も前日のブリーフィングの時には「当日の状況をみて作戦が修正出来るように、何時でも出撃できるように準備を整えておけよ」と言っていたものだ。
そんなことを頭の中で考えているそばから、横から妻が更に口を挟んでくる。
「はあ、2次会から出るですと?貴方様は何考えてるの!タカヒロさんが幹事して一生懸命準備してくださっている筈。同窓会っていうのは、きちんと最初から出るものです。それが男としての嗜みではないですか。だから、あなた様はお友達がいないのです。数少ない友達は大切にしなければ。友情は大切にしてくださいよ。」
“なぬ? どうしてうちのオナゴというものは、こういう時に限ってもっともらしい正論はいてくるものなのかね!オトコの友情という言葉をオナゴが知ったように語るものではないのだ。下がっておれ。”という言葉を苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべつつ飲み込むマサキであった。
それに代わり、イチロウ殿そしてマサキが本来は同窓会なるものに距離を置いてきたのだが、この度の幹事がタカヒロであるその一点において出席を決めた事などをかいつまんで妻に説明してやると、オナゴという奴は/ この場合マサキの妻特有の気性なのかもしれないが、益々説教じみたことを言い始めて、「本当にうちの旦那様は気性が暗うございますわね。純粋に同窓会で昔の仲間と楽しんできたらようございますのに。全く…..。」と完全にマサキの人格まで問題にし始めやがったw
マサキは朝っぱらから妻からの攻撃に段々イライラとした気分になって、このオナゴとここで半日痴話げんかになるであろう展開が見えて来たので、イチロウ殿に電話を入れてみた。「あのう、大変申し訳なく存じ奉るが、拙者は先行させていただきまする。行けるところまで行って、殿のお越しをお待ち申し上げまする」とやや一方的に用件を伝えた。流石のイチロウ殿もマサキの一方的な意見具申に戸惑いを匂わせつつも「よかろう」と返答したのが精一杯であった。マサキにはすべてを説明するゆとりがなく、「先駆け御免」と言って電話を切った。
午前8時過ぎ、マサキはどんよりとした曇り空の下、クルマにリュックサックと輪行バックを入れて出発。午前9時前に広島駅に到着。駅に着いたところで、先ほどの余りにも非礼だった電話の件についてイチロウ殿に再度電話で断りを入れる。朝の女房とのやり取りの一端を説明して平謝りし、万が一イチロウ殿の鹿児島入りが遅くなるようであれば、きちんと参集した各位に丁寧に説明させていただく旨を具申し了承を得た。
午前9時14発広島発鹿児島行き改め熊本行みずほ603号の自由1号車の一番後ろの席を確保し、座席の後ろに輪行バックを押し込む。同列車の一号車はガラガラ状態。「そりゃそうだよな。台風に向かって旅をする人なんてそういないよな」。ひとり座席に着いてマサキがホッとため息を付いていると、通路向かいの席に座った一人旅風の女性が「どちらまで行かれますか?」と訪ねてくる。「拙者は鹿児島です、そちら様はどちらまで行かれますか?」と問い返すと、「都城までなんです。博多から高速バスを使おうと思ってたのですけど、どうなることでしょうねえ」等と答えられた。本当にこの嵐の中を女身一つで大丈夫かしらと思いつつ「どうぞお気を付けて」と丁寧に応じる。
“この台風の中行くのだから、さぞや大切な用件があるんだろうな”とその女性の旅行の先行きを案じてしまったマサキであったが、翻って自分が台風の真っただ中に重い輪行バックを担いで鹿児島に向かおうとする用件の重要性について思い返さざるを得なかった。
先にも少し触れたように、マサキそしてイチロウ殿にとって、高校同窓会なるものは積極的に出ようとするものではなかった。その経緯については、それこそマサキの妻のような者にとっては“ネクラな話”なのだろうからここでは述べるつもりはない。彼らの高校の同窓会は、これまで2年に1度のペースで数回開催されていたが、イチロウ殿とマサキは、4年前に1度出席しただけで2年前の同窓会には出席していない。4年前は関西地方で開かれて、同地方在住のコウイチから強い誘いがあり、それがなければ欠席していただろう。我々のような者に会いたいと思ってくれるコウイチの想いに対して“男気”を示そうというのがその時のイチロウとマサキの出席理由だった。
この度もそうである。タカヒロがイチロウ-マサキ主従に対して正式にも、個人的にも接触を図り、同窓会出席に向けて周旋してきた。マサキには就職して間もない頃、タカヒロの存在がどれ程彼の精神的に支えになっていたか、忘れられない恩義があった。“ここは長年の彼の恩義に答えるべきでしょ、男気でしょ”と思わずにはいられなかった。
イチロウ殿はイチロウ殿で、「今回は幹事がタカヒロだもんな、行かない訳にはいくまいて」などとボソリと言っていた。そう二人が普段あまり他人に見せない“男気”を示す時でしょ!ということでイチ-マサ主従ラインで結論が出たのであった。
そうなると話は更に展開し、「折角薩摩国まで下るのであれば、愛馬ならぬ愛車も持ち込んで、晩夏の錦江湾・桜島を観ながら自転車ツーリングをするべ」という美味しい話が両者の間で持ち上がった。イチロウ殿が、薩摩行き2週間前にネットのルートラボを開いて作戦を立案。鹿児島市内~指宿~フェリーで対岸の鹿屋根占まで渡海~桜島周回道路半周~フェリーで鹿児島市内に帰還するという素晴らしいコースを設定し、ブリーフィングでその作戦を披露した際には、マサキは歓声を上げたものだった。「同窓会に出てタカヒロに我らの男気を示し、翌日はバイクで薩摩を堪能するという作戦ですね、イチロウ殿!」とマサキが満面の笑みで言えば、イチロウも「そうじゃ、まあ楽しみにしておれ」と目を細めて満足そうな笑顔を浮かべた。
それがである。薩摩行き数日前になると、いきなり台風タリムなるものが我々の計画実行の前に暗雲をもたらしたのであった。マサキは、此度も毎日のように少しずつ変わっていく台風情報と天気予報をチェックし雲行きを眺めて苛立つ想いをしたのであったが、2日前になっても台風タリムの進路予報円は変わらず、同窓会が開かれるその日に鹿児島辺りを直撃する予報となった。
マサキが思わずイチロウ殿に「我々はどう動きましょうぞ?」とお伺いを立てると、イチロウ殿「案ずるな、マサキ。わしの中には、台風一過の快晴の下、桜島を眺めながらバイクを漕いでいる図がちゃんと頭の中に入ってるでな」
マサキ“? じゃなくて、同窓会の方ですが…..”
マサキは急激に不安が頭をもたげてくるのを自覚した。
“殿のご気性が、その幼年のみぎりから太平楽であったのは重々承知しているが、果たして此度薩摩国へ下るにあたり、まさか殿の中で優先順位がいつの間にか逆転しているのではなかろうか?同窓会出席よりも断然バイクツーリングを優先し、場合によっては台風を理由に同窓会出席を握りつぶそうとしているのではないだろうか?流石に、“男気”という似合わない言葉を持ち出して同窓会に出ると宣言したのだから、それはないだろうけれども…..”
そんなことを思い始めたところで、更にイチロウ殿がマサキの不安に追い打ちをかけるようなことをいう。「あのさあ、マサキよう。万が一、新幹線が止まっちゃって、どうしても鹿児島にいけないとするだろう?そうしたら、次の日完全にフリーになっちゃうでしょ。その日は台風が抜けて良い天気になると思うんだ。そしたらさあ、朝適当に一緒に走ってさ。そのままウエキのおやっさんのところに行ってさ。マサキのバイクのタイヤをカーボンホイールにする相談に行ってみない?」などのニヤニヤとした顔で宣うた。
ここの辺りで、マサキの顔色が変わっているのをイチロウ殿も流石に察したらしく、「分かっておるわ。そちはワシを疑っているな。どんなに遅くなっても、当日に鹿児島入りし、皆に会って我が男気しめそうぞ。マサキが心配するに及ばぬ。」などと言って、マサキの懸念を振り払うのであった。
そう話は、嵐の中を押してデカい輪行バックを担いで旅に出る重要度について振り返っていたのだが、マサキにはかつてのタカヒロに対する恩義に報いる事、そしてイチロウ殿に対する忠義立ての両者を実行するべく、事情を知らない他者から見れば嵐の中を進むには滑稽と取られても不思議ではない旅装で旅のヒトになっていたのであった。
これまでの経緯を振り返っていたマサキであったが、山陽新幹線の運行状況は全くスムーズでみずほ603号は何事もなく九州に向かって走っていた。
下関に通過するころ、イチロウ殿から入電。
「これから参る。博多11時10着」と。
かたじけなくイチロウ殿。マサキはその文面にイチロウ殿渋い顔が見えたような気がし、“馬鹿なオトコに付き合わせて申し訳なく”と思うのであった。“イチロウ殿ひとりであれば、もっと合理的な状況判断で動けるだろうにおバカな判断に突き合わせてしまった。高校以来ずっとこんな感じで付き合わせているよな”と、ふとこれまでのイチ-マサ主従関係を思わずには居られなかった。
小倉を過ぎた頃、タカヒロから入電。「マサキどうだ?大丈夫か?」と。「取りあえず、博多まで移動中。心配かけてかたじけなく」と応じる。
博多駅にてみずほ603号を降りて、イチロウ殿の到着を待つ。待つこと約1時間程度11時15分頃、イチロウ殿が「よう」と現れた。
マサキが今朝の無礼な電話についてイチロウに詫びを入れて、かいつまんで女房とのやり取りを説明すると、イチロウ殿ニヤニヤしながら「実はさ、こっちも似たようなもんだ」と笑った。
イチロウ殿が語るには、マサキからの電話の件で事の次第を奥方に伝えたところ、「それは上様、マサキ殿のために今から出立しなさいまし。このままほっておかれるのはよろしくないですよ。お友達甲斐がない。どうぞお友達のために行って差し上げなさいまし」とのこと、「しょうがなく出てきちゃったよ」とイチロウ殿は笑った。
「まあ、そういうことだ。」「だからと言って、これからどうするべ。ここで時間潰そうにも、このデカい荷物を引きずって歩き回るわけにもいかないしなあ」と流石のイチロウもこの足止め状況の打開策を考えあぐねていた。
しかし、マサキには「例えここで何時間も足止めを喰らっても、この非日常的状況をイチロウが居れば適当に楽しめるものな」と能天気に構えていられる気がしていた。
博多駅でやることがないので、イチロウ殿とマサキは待合室横の喫食コーナーで軽い昼食を摂った後、熊本まで取りあえず移動することにした。熊本入りしたのが午後2時過ぎだった。熊本駅に着いたところで、運行見合わせが何時解除されるのかは全く情報が入らなかった。何もすることなく二人が駅構内から外を眺めると、横殴りの雨と街路樹が激しく揺れているのが見えた。“台風タリムが荒れ狂っておるわい”と暴風の最前線に向き合っていることにマサキは軽い興奮を覚えていた。
午後4時くらいになると、雨は降り止み、青い空が雲の間から見え始めた。マサキ「イチロウ殿いよいよですな。間も無く新幹線も動き始めましょうぞ。良かったあ」とイチロウ殿に悦び勇んで上申すると、イチロウ真顔で「あのねマサキ、最近のJR九州は全てのおいて慎重なの。ほら九州各地で災害が続いたでしょ、安全運行に全社挙げて取り組んでるの。」「(人差し指であちこちを指し示す動作をしながら)だからね、おざなりに良いでゴワス~良いでゴワス、なんてやっていないわけよ。(さらに激しく人差し指をあちこち指し示しながら)良いでゴワス、良いでゴワスって、厳しくちぇっくしているわけ。そうだな~、熊本―鹿児島間を2時間くらいかけて総チェック入れるよ。だから、まあ運転再開は18時くらいだろうねえ。」
マサキ内心驚く。「我が殿は何時からJR九州の広報担当になられたか。よくご存じだわ。今頃、良いでゴワス、良いでゴワスと総点中なのかあ。我が殿は物事をよく見通せる畏き御方にて、きっとそうなるに違いあるまい」
午後4時半頃になると、熊本駅新幹線構内にアナウンスが流れて、運行再開は17時58分発からだと知らされた。イチロウ殿の予想ものの見事に的中!すっげーな。イチロウ殿は。
タカヒロに打電する。「かくがくしかじかで、18時開始の一次会には残念ながら遅刻することが確実になったよ」と。程なくしてタカヒロからF.Bを通じて、一次会開始を19時からとすること。またしばらくして、タカヒロより入電有。同じく鹿児島入りを目指していたサツキダが熊本駅からレンタカーにて鹿児島に向かうつもりであるが、イチ-マサ主従もそれにのっけて貰えとのこと。マサキが了解と返電し、二人でサツキダが待つ駅前ロータリーに向かうと、サツキダにすぐに会うことが出来た。しかし残念な事にサツキダが借りたクルマはトヨタ・ヴィッツで、どうやっても人間二人と輪行袋二つを乗せることが出来ない。サツキダが「そしたらな。輪行袋ふたつは運んでやるさかいに、二人は新幹線でおいで。重たい荷物を運ばんでええだけ楽やろ?」と言ってくれて、有難くサツキダの申し出を受けた。
サツキダが出発した後、マサキは先ほどイチロウ殿と運行再開の祝杯を挙げたことを後悔した。「拙者たちも、レンタカー借りて移動してしまえば良かったでしょうかね?」イチロウ殿「うーん、そこ微妙な。大嵐の中なれない道中を往くのも却って危険だしな。これはこれで仕方がなかったんだよ。まあ、最善は俺たちなりにつくしたのさ」とマサキを慰めたのであった。
その後、予定通り17時58分に熊本―鹿児島間の運行は再開されて、ふたりは熊本で足止めを喰らった他の旅行客でごった返す列車に乗り込み鹿児島へ向かった。“あそこでサツキダに輪行バックを運んでもらえてよかった”とマサキは満員となった列車のなかで思うのだった。
イチーマサ主従を乗せた新幹線は、鹿児島中央駅に午後7時前に到着。ふたりは素早く予約していたJR九州ホテルに投宿。程なくしてサツキダから電話があり、ホテル前に来たから輪行バックを引き取りにおいでと。急いでサツキダの待つ場所に出向き荷物を受け取りお礼をいう。そしてまた後でと。
とにかく着いた。一次会に遅れてしまったのだけれど、最善は尽くした。後は、タカヒロや他の同窓生が待つ会場まで向かいさえすれば良し。イチーマサ主従の毎度毎度のドタバタは、大体マサキが原因を作り、イチロウ殿がそれを耕し整理してイチロウ殿のよく使う「予定調和的」に物事が成るのだけど、この度もそうなりましたw。ここまでくれば、もう事の大半は済んだ。後はただひたすらに楽しめば良いw。
午後7時過ぎの鹿児島は、先ほどまで台風が吹き荒れていたはずなのにすっかりと静かな夜の帷が降りて、穏やかな表情をイチーマサ主従に示すのだった。
終わり
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