ある日の仕事の合間に、イチロウが「そう云えば、マサキ、ちゃんと勉強しているか?」と私に問うて来た。
「ふん?、何の勉強だよう?」と何気に応じると、奴め「何言ってんだ! 渡辺貞夫だろうが……w」と笑っている。
“続けるも何も、折角Gilberto’s関東組から誘いのあった同氏の東京公演について、あんたが全く乗る気を見せて来なかったからその話がそのまま流れそうなわけで、従って今ひとつ気勢が上がらず、勉強意欲が湧いてこないのではないか……….w”と抗弁すると、イチロウが笑いながら更に畳みかけてきた。
「だから、マサキはダメだよな。学生時代から全く進歩なし。そうやって60点(合格点ぎりぎりのラインの意)勉強をしているから、モノに出来ないんだぞw。“渡辺貞夫”学のヤマはちゃんと分かっているんだろうな。バークレー留学前後の比較だぞ・・・・。外すなよ。」
トホホ、コヤツまたむちゃぶりを始めやがった。あのね、このマサキ、そこのツボちゃんと押さえていますぞ。されども渡辺貞夫氏のディスコグラフィーをネットで確認してその多作ぶりに驚きつつ、ネット通販で検索していると現在流通している音源が思ったほど出回っていず、特に60年代のアルバム作品の大半はボサノバもの、しかも中古盤でプレミア価格の者が多く、バークレー留学前後を比較するにはこれらの資料ではちょっと心許なく立ち往生してしまい、それで“お勉強”の手が止まっていたのであった……..。
イチロウが尚も言う。「もうマサキの尻を叩くのは大変なんだから。どうやってやる気を出させるか、昔から苦労してたんだよな…..w。」
「うん?グッドタイミングだわ、これは。ちょっとF.Bを開いてみろよw」
彼の言うままにF.B.を開いてみると、グループ欄にコウイチから打電あり。「今だったら、渡辺貞夫Naturally西宮公演(12/6)のチケットが取れるよ」とのことであった。
“さあ、どうするべ?”西宮なら日帰りが可能であり、開催日も日曜日なので仕事のスケジュールを調整すれば行けないこともない。結局、スケジュールを調整し、コウイチからのお誘いに二人して乗ることにして、その旨コウイチに返信した。暫くしてコウイチより再度返信があり、無事に当日のチケットが予約できたとのことであった。
こうしてイチロウとボクは、この度渡辺貞夫氏のコンサートを11月13日のジャズカルテットによる公演と12月6日「Naturally」公演に行くことになった。
イチロウ、コウイチとのやり取りがひと段落ついたところで、「全くもう。マサキには全く手が焼けるぜw。仕方ないから一丁行ったろかw」と何とも好き勝手な事を言っている。
どうも、このオトコ、この度の遥か以前から渡辺貞夫氏に対するポジティブな評価を持っていながら、それを開陳することはせず、ボクの作業をオーソライズしながら奴なりの同氏に対する評価を再確認するつもりでいるのではないかという疑惑が浮かんできたw。まあ、そういう会話は学生時代からお互いに好きだったので、これを機会に、コンサート前のお勉強とイチロウとの間で交わされる音楽談義を楽しもうではないか……w
そして、事前勉強を再開するべく、以下のアルバムをポチッたのであった。
#1 Sadao watanabe at
Montreux jazz festival(1970)、
#2 Sadao watanabe (1972)、
#3 Swiss air (1975)
合わせて前回ポチッた#4 Sadao watanabe(1961)、#5 Sadao watanabe live at the junk (1969)をも再度聴き返している。
渡辺貞夫氏の80年代前後から始まるフュージョン期作品と60年代半ばからのボサノバものを外して選んでみた。
#4は、61年に発表された同氏初のリーダーアルバムでバップスタイルを基調としたもの、#5は都内のライブハウスでの演奏の模様、#2 はアフリカ渡航を終えて帰国直後に録音された。同氏がアフリカ音楽から着想を得た曲で構成。#1、#3は夫々1970年と1975年に日本のジャズミュージシャンを従えてモントルー・ジャスフェスティバルに出演した時のライブ録音。夫々に、音楽スタイルを変えながらも熱い演奏が繰り広げられていて思わず聴き入ってしまう音源であった。どのアルバムも凄い………。60年代から70年代にかけての時代的にも様々なスタイルの音楽が登場していた時代を、同氏がエネルギッシュに疾走していく様が連想されるのだけれど、一方であまりにもその幅広い演奏スタイル(の変遷)に、同氏の音楽世界の全体像に的確に把握するのに困難さを覚えて、途方にくれてしまいそうになった。
“うーん、どう理解したものが分からない、トホホ”“このヤマは余りにもデカすぎるぞ、イチロウ殿w”
まだまだ、勉強が足りぬようで、“独りNABESAD祭り”を続けていこうと思うマサキであった。
(つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿