ホテルに滞在中、デパートに買い物に行った時、或は何処かのレストランで食事をしている際などに、ふと気が付くと小さいボリュームで音楽が流れている時がある。大抵は所謂イージーリスニング音楽が流れていて、その場での人々の会話や作業などを邪魔せず、場の雰囲気を軽快なものにしてくれていたり、和やかなものにしてくれている。その場にいる大多数の者にとってはとりとめのない気を引くほどのものでないのであろうが、私は他のヒトに比べてそれらの音楽に気を惹かれているというか気になっている方なのではないかと思う。
例えば、喫茶店やレストランなどで好きな曲がかかっているとふと目の前の会話よりも、その場に流れている音楽に気を取られてつい小さくハミングしてしまい、「行儀が悪い」と同席者から嗜まれることもあったりする。
そう云えば、喫茶店/ カフェやカジュアルレストランにおいて、場の音楽:バックグラウンドミュージックとしてボサノバ・ブラジル音楽が選択されていることが多くなって久しいように思う。穏やかで愛らしいメロディーや軽快なリズムが、そういった場に相応しいと判断されて選択されているのであろう事は容易に理解できるのだけれど、そこかしこで流されていると、「なんでイタリアンレストランなのに、ブラジルやねん。カンツオーネ流さんかいw!なんでフレンチなのに、ブラジルやねん。シャンソン流さんかいw!」と突込みを入れたくなってしまうほどである。
そこかしこの飲食店でボサノバ・ブラジル音楽が流されることになると、熱狂的な人気を得るほどではないにせよ、静かな支持を得て一般の方々にも浸透する。一定の需要があれば、CDの作り手もそれを見込んで「カフェものボサノバ企画アルバム」が制作されるようになりCDショップの片隅に置かれるようになる、そしてある年齢層の女性を中心に購入されて、ドライブや女性たちのちょっとした集まりにおいて、その場を和ませる装置としてボサノバ・ブラジル音楽が流されるようになり、一定の市民権を得る。
例えば、然程ボサノバ・ブラジル音楽に然程興味のないうちの女房なども気が付けば2-3枚CDを持っていて、どうもお付き合いで知人を自宅に呼んだ際などにそれらのCDをかけているのだそうな。
50年以上も前に生まれたこれらのポピュラー音楽が、生まれたしばらく後の大流行時期を経て、更には一部のファンが愛聴していた時期を過ぎて、今では然程音楽に興味を持っていない大多数の方々の“場の音楽”として一定の支持を得ながら聴き継がれていることを想うとちょっとした感動を覚える。“ボサノヴァを創ったオトコ”はこの状況―場の音楽として緩やかに多くの人々から支持されていることーを天国からどんな風に観ているのだろうか?ボクには、多分よろこんでいるように思えるのだが……..。
さて、先日何時ものごとくtwitterやF.B.を眺めているとジロウが「ことりカフェ」なるアルバムを載せていた。彼からのコメントがなかったので、“こんなCD出ているよ”程度のメッセージとして受け止めたのであるが、そのジャケット写真を見ると、見るからに「カフェ企画もの」で、彼がそのようなアルバムを載せてくること自体を訝しく思った。
それでも彼の無言のメッセージが気になり、通販サイトで検索してみると、このアルバムに作曲と演奏にあのMikaさんが参加されていることが分かり、ジロウのメッセージ意図がなんとなく分かるような気がした。
あの楽しいMikaさんの岡山公演/ Gilberto’sの面々とのオフ会から約1年過ぎようとしていて、そろそろMikaさんの新譜は出ないものだろうかと思っていた矢先のことであったので、ジャケットから感じる“一抹の不安w”を覚えつつも、“話題に乗っかろう”と思いポチってみた。
このCDは、「ことりカフェ表参道」という小鳥をテーマにしたカフェが企画したアルバムのようであり、ジャケットの裏側に“生活空間にいつもと違う彩りを”なるキャッチ・フレーズが記されてあった。そう云うコンセプトで制作されたものらしい。
各曲の中に、野鳥のさえずりがあしらわれて、ピアノ・ソロ、アコースティックギター・ソロ、ピアノとアコースティックギターのデュオによる演奏が全部で10曲収録されていた。作曲はMikaさん(track1~3, 6~10)と磯村由紀子さん(track4, 5)が担当とのこと。
鳥のさえずりでは、鶯、雲雀、セキレイは分かったのであるが、後は南洋の野鳥らしき囀り………、ホトトギスの鳴き声が聴かれなかったのが残念…….。そこかい!(と、独り突込みを入れてみるw)
アルバム全体としては平和的なトーンであり、その企画意図通り、カフェでも普段の生活おいて流していても邪魔にならず聴く側を穏やかな気分にさせてくれる。
Mikaさんの作曲したtrackは、軽やかなラテンリズム基調で抑えたピアノタッチのものと#7湖畔にて、#8そよ風 のようなスローテンポのイージーリスニング調のものがあった。Mikaさんの仕事についてこれまでのSamba Jazzアルバムでの演奏しか知らない私にとっては、#7、#8などは意外で“へー”と思ったのだが、これらの曲も決してnegativeな印象とはならなかった。
この度のアルバムは、普段の生活を彩る“場の音楽”が企画だもの。その企画に沿ったスーローで抑制的な楽曲を提供することは、企画を受けたプロの音楽家の任務としては当然なのだろうし、ラテン調の曲だけではなく(言葉は適切ではないけれど)“正統的なイージーリスニング曲”を提供出来るのも、アーティストとしての音楽性の幅を示しているのだと思った。
それともうひとつ印象に残ったことがあった。
このアルバムと、これまでのMikaさんのリーダーアルバムと聴き合わせてみて感じたことなのだが、この方の演奏者としての魅力は、アップテンポ曲おいて明晰で流麗な指さばきや演奏法の選択に優れたセンスを示しているところだけでなく、他方でスローテンポな曲や軽快な小品の演奏において、冗長的なタッチや必要以上の修飾的音を排除することによって過剰な感情表出を避け、むしろ抑制的な指使いで曲全体を軽やかにまとめ上げる程良さ・ある種の“理性的な志向性”を示しているところだ、とボクには思えたのだが、どうだろう。
こういった点において、このアルバムに収録された小品においても彼女の演奏にある種の程良さ・知性を感じせるものがあり、なかなか聴いていて楽しい仕上がりとなっていた。このアルバムを“場の音楽”として聞き流してはいけませんぞw。
どこかの喫茶店やレストランでこのアルバムが流れていると、また会話や飲食を忘れてMikaさんの演奏に耳を傾けてしまうのだろうなと思った。
たまには、“場の音楽”を真剣に聴いてみるのも楽しいものです、ハイ。
(おわり)
追記;Mikaさんの次のリーダーアルバムが何時頃出るのであろうか?ジロウ、コウスケに、その辺りの情報を何か持っていないのか、聴いてみないと.......。
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