ボクのような一般庶民のオヤジにとって音楽を聴く行為は、まずはその音源集めから始まる。音楽を聴くには、やはり生の音楽演奏を聴くのが最高なのであるが、ハイドンのパトロンであったエステルハージ侯爵のような大貴族でない限り、多くの一般の人間にとって年に数回あれば良いほうだろう。
10代の半ばに音楽的物心がついて以来、休みの日に好きな或は気になるアーティストのLPやCDを少しずつ買い求めてはじっくりと時には流しながら聴いて楽しんでいるという行為をこの年になるまで続けている。
その行為の過程では、ただ音楽を聴くという楽しみだけではなく、1)かつては音楽雑誌、現在ではネット上で評論やコメントを読み、どのCDを買うか?という楽しい悩みがあり、2)店頭でその他のCDにも目移りして自分の所持金と相談する、現在ネット上で物色する際にも己の資金の残高と相談するという逡巡、3)店頭でCDを購入すれば、休憩も兼ねて珈琲ショップなど一息付きつつ、その日の獲物を袋から取り出してライナーノーツを読んで期待を膨らませる、4)そして最後に実際にそれらのCDをプレーヤーにかけて鑑賞、期待以上のモノであれば幸福感を味わい、期待外れのモノであれば非常にがっかりとする。
こういった一連の情緒・思考過程というのも、ボクにとっては大切な音楽鑑賞の一部であったりする。そういったある意味では常同的楽しみ行為を30数年か続けて来たのである。
さて、この度渡辺貞夫氏の作品を勉強するべく、主戦場はネット通販になってはいるものの基本的には上記に似たような情緒・思考過程を辿って来たのだが、前項で記したように、内的衝撃を覚えるちょっとしたエピソードがあった。
“広島市内のCDショップに出向き、釣果的は期待外れだったが、その「Remembrance」(1999)という作品が期待していた以上に良い演奏になっていて嬉しかったよ”という内容をその日の夜にF.B.に投稿した。
翌朝になって、F.B.を再度開けてみると、ヤマオカというオトコからの「ボクは散逸してしまったナベサダの作品群をapple musicで時々聴いています」とのコメントが記入されていた。
“Apple musicか!”
今夏7月からサービス開始とは聞き知っていたが、周囲に利用している知人がいないこともあり、全く気に留めていなかった。ボクのようなあるジャンルを“横”に開拓していくよりも、特定のアーティストを“縦に”掘り下げて聴いて行く志向を持った者には縁のないサービスだと考えていた。
因みにこのヤマオカというオトコは、ボクの学生時代の後輩で、学生時代にはジャズ研でサックスを吹いていた。よくバップやボサノバのナンバーを演奏していた記憶がある。穏やかな物言いをするのだが、時折鋭い直面化(ツッコミ)を入れてくる賢いオトコで、これまでにも彼の鋭い直面化にハッとさせられることが幾度となくあった。この鋭い直面化というのは切れ味の良い刀にも似て、その時は気が付かないのだけれど、時間が過ぎるとともにジワジワと効いてくるものである。
ボクのF.B.の繋がりには入っているものの、普段はボクの投稿に対して「いいね」も何かしらのコメントも反応してこないヒトなので、その彼がコメントを寄越してくるなんて、彼も熱心なナベサダファンなのだろう。そういうヒトがapple musicのサービスに満足しているところをみると、その曲のラインナップたるや相当なものなのだろうと思えた。
“ひょっとしたら、夫々のアーティストの作品についてとてつもないarchivesを構成しているのではないか?”“そういうことになると、これまでにコツコツとお小遣いをはたいて音源集めに勤しんでいた己の行為は一体何だったのか?月々980円で己の行為以上の仕事を見せつけられてしまうのか……..?”と、恐怖の混じる疑念が頭の中にもたげて来たのであった。
彼のコメントに対しては、「その手があったかw」と極めて軽く応じたものの、上記のような想いを一度抱いてしまうと、己の自己同一性が拡散していくようで(これは何とも大げさかw)、何とも切ない気分になってきたw。意気消沈してしまって、その日に届いたCDを開封する気にもなれなかった。
その辺りをイチロウに喋ると、彼は笑って「どうするんだ、マサキ?apple musicに手をだすのか?オレは、お前の様子を観てから手を出すか決めるべ」という。
“さてどうしたものか?どう体制を立て直すべきか?”
一晩悩みに悩んだ挙句、まずは己の目で“敵”を知らねばならぬだろうと思い直し、apple musicの操作について「自動更新をオフにする」という手を学んだ後に、翌日の仕事終了後に恐る恐る同サービスのお試し期間にチャレンジすることにした。
早速「渡辺貞夫」を検索し、彼の作品ラインナップを眺めてみる.......。
“フムフム、うーん、恐るるに足らず………..w!”
まだまだ、彼らがラインナップに載せている作品には限界がある。同氏の70作品archives状態には程遠いようである。“やったねw”。現段階では、ボクの“自己同一性”を破壊するようなレベルに達していなかったw。
これで一安心である。これからも音楽を聴きたい→何か知らの手で音源を探す→期待と不安を感じながらその音源に耳を傾けるという楽しみが続けることが出来る。
めだたしめだしw。
それでもせっかくのapple musicのお試し期間を放置するのも勿体ないので、空いた時間に適当にアーティストを検索して聞き流しているのだけれど、これまで聴いて来なかったロックミュージシャンの楽曲やクラシック音楽などをつまみ食いするにはうってつけだw。巷で話題になっている曲を視聴するにも便利そうだなあ。確かに世間でウケるのも分かるような気がする。
ただ十分に考えられる懸念材料は、今後楽曲を管理する団体との間で著作権関する問題も整理されていけば、Appleが所有する夫々のアーティスト作品についてのデータも集積がすすんで、何時かはマニアと呼ばれるヒト達のニーズに十分対応するarchivesが構築化されてしまうのかもしれない......。
今のところは、ボクにとってそれほど必要と感じられなくても、近い将来このapple musicサービスの魅力に抗しきれず、大いに嵌り込み、次第に新たな音源を買い求めることを止めてしまうのかもしれない。
物事にどちらかと云えばこだわりの少なく、収集癖が強くない自分には、大いに有り得るような気がした。それは大変お気楽な事だけれど、音楽に対する興味そのものも減退していきそうで、それは換言すれば“老い”以外の何ものでもないのではないかと思えた。そう思うと、ボクのような者にとってこの月極め音楽配信サービスって便利だけれど、どこか寂しいシステムだなあ。それとも限りなく多い多チャンネル・良質な音質で提供される“有線放送”として割り切るか(この辺りあくまでの時代遅れのジジイ的発想ですがw)。
さて、渡辺貞夫事前学習をうだうだと続けて来たのだけれど、Sadao Watanabe Quintet 2015の広島公演まで残すところ後1日になった。どんな演奏を繰り広げて下さるか、多分なんでもありwの内容になるのではないかと楽しい空想をしているのだが、そう思うと何だか気分が高揚してくる。
先ほどから昼休憩を利用して、イチロウと別の日に届いたCD「Jazz Samba/ Sadao Watanabe」を聴きながら、そのバラエティーに富んだ演奏曲目についてお互いに満面の笑みを浮かべて「ナベサダって、何でもやっちゃうし・出来ちゃうヒトなんだなあ」などと感想を言い合いながら、明日のコンサートを楽しみに待っているところである。
おわり
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