2015年5月28日木曜日

パート勤務終了の日に


526日、本日でパート勤務終了となる。

その日は、何時ものごとく出勤。パソコンを立ち上げ、23の書類に目を通していると、私のもとに何人かのスタッフが挨拶に来る。「マサキさん、今日で最後ですねえ。」「名残惜しいですね。」「お世話になりました。」「今日宜しくお願いします。」などと口々に言葉をかけてくれる。中には普段はなかなか顔を合わせない者までわざわざ声をかけてくれて、大変ありがたく思う。

 

数年前より~確たる記憶はないのであるが、私としては5年くらい、他のスタッフの記憶によれば、7年くらい~、大学の先輩から乞われて週1回・2年前からは2週間に1回のペースで彼のオフィスの業務を手伝っていた。その先輩は丁度干支にしてひとまわり年上の方で、手伝い始めた頃は50代半ばだった。大変忙しいオフィスであったが、今思うと、年齢的に体力低下を自覚されていたようで業務の負担を減じたいと思っているようだった。実際に小さな病気や体調不良を覚えられ、時折臨時で更なるお手伝いに出向くこともあった。

 

ここ23年幸いにして彼の体調も落ち着き、スタッフの拡充も図られて、その職場の業務ペースも安定してきていたようだった。

 

普段その職場に出勤する日は、午前9時前から業務を開始すると同時に忙しくなり、午後1時から130分頃までほとんどノンストップで作業し、私はその作業が終わると挨拶もそこそこにホームグランドの職場に向かうべく、そのオフィスを離れた。そのオフィスを離れる頃は、他のスタッフは昼食ならびに休息に入るため、ゆっくりと挨拶をする機会がなかった。彼ら彼女らの態度が淡々としているため、果たして私が彼らからどのように思われているのか疑問に思う事もなくはなかったが、そのオフィスの忙しさを思うと(午後からの業務も大変忙しいことが、何度か携わってみて判明)、スタッフが少しでも休息を確保したいという気持ちになるのも分からぬではなかった。

 

3か月前、先輩にそのオフィスを辞したい旨述べた際に、彼からは快く了承をいただけたものの、私の思い過ごしかも知れないが、他のスタッフからの反応が幾分固くなり、その反応が気になっていた。振り返ってみても、“お手伝い”に行っている筈が実際には大してその先輩のアシストになっていないことは誰の目から見ても明らかで、私が辞しても業務負担に大きな影響はなさそうであり、それ故もう少し穏やかな反応が示されるものと思っていた。それが、辞めることを明らかにした後の、あのスタッフの少々私にとっては意外のあの態度の固さはなんだったのだろうと訝しく思っていた。

 

先週土曜日の夜に、先輩からの提案で私の送別会を市内のホテルで開いていただいた。


この先輩、普段は口数が少ないヒトで、「私の送別をしよう」と提案してくださったときにも多くを語らず時間の指定を告げるのみであったので、てっきり先輩と私での小さな宴だと思っていたのだが、前日に知らされた場所はホテルのフレンチレストランであり、現地に到着してみると、他のスタッフも集まっている。大変豪華な料理に、他の同僚からは花束が用意されていた。一パート勤務者の離職にしては、大変手厚い送別会をしていただいたと思う。普段職場とは打って変わって、どのスタッフもにこやかで夫々に私との写真撮影を求めたり、労いの言葉をかけてくれたりした。

 

“私もそれなりに同僚として認めてくれていたのだろうな”という感触を得ることが出来、大変嬉しくもあり有難く思った。中には、「またチャンスがあったら是非来てくださいね」とも言ってくれるスタッフもいて感激もした。醒めた目で見ると、そういう言葉は社交辞令であり、またその送別会にしてもスタッフの懇親会を兼ねていたのだろうと受け止めることも出来るが、送別会と銘打つだけに、私のことを気に留めて下さっていたことに変わりないわけであり、素直にthank you for thinking of meとの想いを抱いた。

 

さて、最後の日、午後1230分頃にルーチン業務を済ませ、23の書類作成と申し送りをしてすべての業務を完了したのが、午後1時過ぎだった。先輩はまだ少し仕事が残っていたので挨拶すべくしばらくそのオフィスに留まった。

 


改めて職場を見渡してみた。その職場は民家を改築した建物で、室内は木製のフローリングでところどころに家庭用の調度品が多くしつらえてあり、落ち着いた雰囲気を持っていた。敷地の1画に池のある和風の庭が残されて、その池にはよく肥えた数匹の鯉がゆったりと泳いでいた。これまでゆっくりとその池を眺めることはなかったが、外部からの来訪者にとっては、癒しと安らぎを与えていたであろう。このオフィスは、市の北部に位置し古くからの風情を所々に残した地域にあり、この辺りでよく見かける一昔前の住宅の雰囲気を残していた。この地方では、昭和の頃には家の庭に池を設えて鯉を飼う家庭が多かったであろうが、そうした佇まいをこのオフィスは残していた。

個人的は、父親の出身地の近くであり、交流はめっきりと減ったが、今でも親族がこの近くに住んでいる。幼少期よりたまに訪れたことのある懐かしい土地柄でもあった。

 

“このオフィスに来なくなると、この界隈に来る機会もそうないだろうな”と思うと、今更のようにすこし淋しく残念な気持ちとなった。

 

先輩の業務が終わり、挨拶に部屋に向かう。先輩何時ものごとく言葉少なに「お疲れ様でした、また、スポットで応援頼むかもしれないから、宜しくね」とのこと。私もこれまでの先輩のご配慮に感謝の弁を述べてそのオフィスを辞した。

 


オフィスの外に出ると、辺りは夏の日差しを浴びて眩しく、皮膚感覚として気温は30℃近くになっている感じであった。駐車場まで20m程度歩いた。駐車場横の緑道公園を覗くと、春先に写真に撮った桜の木々ははすっかりと濃い緑に覆われて、ここにも季節の移り変わりを告げるような景色があった。

“もう来春は、この公園の桜を写真に撮ることもないのだろうな”。

ふと、何時かはやってくるであろう、自分の引退日のことを空想してみたりした。
 

(おわり)

 

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